瞬光碧影 4.
「雨だね……」
「――そうですね」
僕のボヤキに瑠璃ちゃんの何となく、そっけない反応が返ってきた。
今週頭から梅雨入りしてしまった……先週までの暑さに加えて、ジメジメと纏わり付く湿気が不快指数を爆上げしている。
結局、あの『更衣室での熱愛発覚』事件の翌日から僕は学校が終わったら、高木瑠璃ちゃんとリサイクルショップや中古カメラ屋さんを練り歩くようになっていた。
バイトがある日以外は、先週からずっと瑠璃ちゃんと中古カメラ屋さんが沢山ある街を徘徊している。
『……腹が減ったぞ小僧よ』
猫又がつぶやく……姿は妖術で見えないようにしてる。
僕は無言で歩いた。
猫又は瑠璃ちゃんの事が心配なようだ……ただ、先程の中古店もそうだけど、濡れた足で店内を歩くものだから、コンクリ床なんかは、いないはずの猫の足跡が付くのでゆっくり探していられなかった。
(ふう、とても退屈な時間ですわね……眠くなって来てしまいましたわよ)
マヤさんはそう言うと、急激に存在気配が僕の中から消えてしまった。
いつものように、惰眠を貪る事にしたようだ……。
『すんませんな……わしの片割れを探す旅をしてもらって……』
瑠璃の首にかかっている、白い機械式カメラの45mm/f2.8のパンケーキレンズから、しわがれた声が聞こえた。
付喪神だ。
僕は最近、暇さえあれば施設内のみんなの共用PCで、インターネットオークションなどを見ながら、中古カメラサイトを見たりと失われたカメラボディを探している日々が続いている。
マヤさんに見てもらい、怪しい物があれば後日、瑠璃ちゃんに伝えサイトを見てもらっている。
その時はいつも机の上に付喪神のレンズを置いてもらっている。
僕がお願いしたからだ。
そうする事で付喪神にも確認してもらえると思ったのだ。
瑠璃ちゃんの方も聞いた話では、夜は同じように、レンズ(付喪神)とネットサーフィンをしているそうだ。
「先輩ごめんなさい……いつも私の為に付き合ってくれて」
シトシトと降る雨音が、二人のビニール傘に当たる。
「――月曜日はすみませんでした……学校まで迎えに行ってしまって……迷惑だったでしょ」
瑠璃ちゃんは僕の雨で曇ったメガネを眺めながら言った。
「え、あ……まあ、ビックリしたけど。別に気にしなくていいよ」
僕はメガネの内側に人差し指を滑り込ませて曇りを取った。
先日、美咲ちゃんが僕をオカ研に連行しようと校門で待ち伏せしていた時、助け船を出してくれたのが他校の瑠璃ちゃんだった。
あの時の美咲ちゃんの『不審に満ちた百面相』を思い出すと、今でも少しゾクリとする。
僕は苦笑いを浮かべながら、新しく現れた中古写真機店に瑠璃ちゃんと入っていった。
狭く小さいお店だけど、カメラ機材が所狭しと並んでいた。
レンズの棚、カメラボディの棚といった具合に分かれている。
瑠璃の首にかかっている付喪神は反応しない……。
「ここも違うようだね……行こうか」
『おお! ここは中々の品揃えですなぁ!』
突然、瑠璃の首から下がる付喪神がレンズをキラキラさせながら言った。
「わあ! ここの品揃えは凄くいいですねぇ」
今度は瑠璃が付喪神と同じことを言った。
彼女と付喪神が会話出来たら、きっと盛り上がりそうだ……。
僕は、そんな事を考えたら少し可笑しくなった。
本当は霊障が発現するカメラなんか持ちたくないと言った瑠璃ちゃんだけど、付喪神がいないとボディの反応が分からないので、持参をお願いしたのだ。
付喪神は以前は人間だったらしい。
生前、死ぬ直前に「もう一度あのカメラを使いたい」と強く念じたら、いつの間にかカメラに意識が転写されていた……という、迷惑なほどカメラ愛に溢れたお爺さん(?)なのだ。
その後、転々と人に渡り、レンズとボディはバラされて売られてしまったらしく、今に至るという。
で、その意識は今レンズのみの存在として長らくあるようだ……。
「……本当に……そんな事が」
僕はショーケースを眺めながら、半ば呆れ気味に心の中で呟いた。
『何やら怪しき気配が……あるぞい』
どこからともなく、猫又の声が道の向こう側――向かいの小さなカメラ店を指して言った。
僕が瑠璃ちゃんに言うと、どうやら知っているお店のようだった。
♢ ♢ ♢
「こんにちはー」
瑠璃は顔なじみの店主に声を掛けた。
「いらっしゃい、瑠璃ちゃん」
小さな現像ショップのようだ……中古カメラも少し扱っている。
現像ショップと言っても、お店の中でフィルムを現像する訳ではなく、外注に出すよくある形態のお店だ。
カウンターの中から優しく声をかけてくれたのは、二十代後半くらいの女性で、腰まである長い髪を後ろで一つに束ねていたスラッとした人だった。
「今日も現像?」
気さくに女性は瑠璃に聞いてきた。
「あ……いえ、今日はカメラの……その」
「――実はカメラのボディが見たくて、おじゃましました」
瑠璃がモジモジしているので、信也は会釈をしながら補足した。
「お! ボーイフレンド?」
彼女はからかうように瑠璃を見た。
「ち、違いますよ! この人はバイト先の先輩なんです! 立花さん!」
珍しく、瑠璃が取り乱していた。
「ふふふ、どうぞ。あんまり品数は揃ってないけど、ゆっくり見てってね」
立花と呼ばれた女性店員に信也は促され、硝子棚の中に陳列されているレンズやカメラを見る事にした。
「瑠璃ちゃん、ちょっとカメラ貸してくれる?」
そう言うと信也は瑠璃からカメラを受け取った。
『……ほ! いた! 居ましたよ! わし、やった』
付喪神はそれはそれは嬉しそうに、歓喜の雄叫びをあげた。
それは古ぼけた……けれども、整備されている上々の個体としてショーケースに鎮座していた。
少し輝きが鈍いが、なかなか味のある使い込まれた黒いカメラボディだった。
所々、塗装が剥げて真鍮が露出している。
使い込まれた鈍い輝きがあった。
とても渋い逸品。
「――値段は……え……こ、こんなにするの!」
信也は高額な値段のそのカメラに初めて「こんな使い込まれた中古でも、カメラって高い物なんだ」と理解した。
あまりにも興味がなく、知らない世界だった。
しかし、何か変だ……信也はその陳列されていた付喪神の黒いボディを眺めながら違和感を感じた。
「あ、すみません。この黒いボディを見せて下さい……あ、高っ」
瑠璃も店員の立花を呼びながら、その値段に少し尻込みした。
「はいはい、どうぞ……結構、いい状態にしてあるよ」
女性店員は手慣れた動作でショーウィンドウから、小ぶりな黒いカメラボディを取り出してくれた。
「こちらへどうぞ」
信也と瑠璃はカウンター脇のテーブルに案内されてカメラを確認する事になった。
「……中古品なのに、こんなに高いのカメラって……」
「……はい……まさか、このボディとは」
二人はため息をつき、黒く光るボディを前に少し怖気づいてしまった。
『ああ……早く合体したいのう……合体! 合体! わし合体!』
付喪神は、うれしさのあまり有頂天になっている。
心なしか、少し曇り気味のパンケーキレンズが潤んで見える……嬉し涙だろうか。
『ほお……これにも憑いておるな……少々澱んでいるぞな』
猫又の声がした。
どうやら、足元にいるようだが見えない。
「え? ……あの違和感はそういう事だったのか?」
信也は、じっとそのカメラを慎重に眺めてみた。
突如、その黒いカメラボディから、真黒なヘドロのような「澱み」が滲み出してきた……すると、それなりに綺麗に整備されていたカメラが一瞬にして黒カビだらけになってしまった。
「ええ! なに今の?」
「どうしたの瑠璃ちゃん! ……ええ!」
目の前で起こった怪現象に信也と瑠璃は声をあげた。
瑠璃たちの声に反応した店員の立花が、信也たちの前に置いてあったカメラボディが、どす黒いカビだらけになっているのを確認し、驚きのあまり声をあげていた。
「ちょッ――何があったの! こんな状態じゃなかったよ! ……整備したばかりなのに……なんで?」
立花はカメラを手に取るとミラーボックスの中を確認したり、ファインダーを覗いたりした。
どうやら、絶望的な状態になってしまったようで、項垂れるように瑠璃と信也を見た。
――だいぶ顔が青ざめている。
しかし、先程出した時はこんな状態ではない事は確認していた立花は、何か言いたげであるけど言えないような感じで、納得できない様子だった。
『ふむ……察するにそれは、穢れを多く含んだ悪しき「念」……残留思念……いや、「怨念」と言った方がしっくりくるのぉ。危険な「穢れ」を感じるぞい』
「怨念……前のオーナーの?」
「ん? 怨、念ですか……?」
その言葉に瑠璃が首を傾げて反応した。
奥のデスクでは立花が、どこかと電話をしている。整備を担当した会社だろうか。
「――ですから! 確かに先方はそう言ってましたよ……ですが、非業の死と……それとこれは……何の関係も……伺いましたよ私も……曰く付き……はい、はい。でも――」
何か揉めている様子だ。
『うむ……あれは中々しつこい汚れのように、簡単には取れない「穢れ」であるぞ』
「そんな……どうしたら……」
『それでは……合体不可能ですなぁ、ああ……わし、悲しいです』
付喪神が寂しそうに言った。
その瞬間、デスクの向こうでカメラを持った立花から急に悲鳴が上がった。
ブワッと、
カメラから禍々しい気配が溢れ出すと黒い霧となって床を這うように店内を満たし始める。
『させぬわ!』
猫又が叫ぶと一瞬にして、瑠璃の周りの黒い霧は吹き飛ばされた……瑠璃の周りだけだ。
二又の尻尾をV字にピンと伸ばし、前かがみで戦闘態勢の猫又。
「あ、猫ちゃん! 君いつの間に来たの……それに、この黒い霧は何……何だか寒い……」
瑠璃は目の前に現れた猫又に気が付くと、周りの状況に困惑していた。
猫又の張った結界の中にいるため、店内を覆う黒い悪しき霧が見えるようだ。
「ちょ! 僕は守ってくれないの?」
信也はあたふたしながら、抗議の声を上げてしまった。
気が付くとカメラボディを持った立花が目の前まで迫っている……様子が変だ。
『その女子は、もう無理ぞい! 意識を乗っ取られておるわ……なんという怨念』
「お、お、おぼぼおおおおお」
地の底から響くような怨嗟の叫びを上げ、立花がゆっくりと近づいてくる。
「ひ、ひえええええっ!」
禍々しい黒い霧が信也の動きを奪い、意識を取られた立花が信也に迫る。
絶体絶命の信也。
「おおおおおおおおおおおおおおんっ!」
黒い人型になった立花が雄たけびを上げた。
(……ふぁああっ……すっかり寝てしまいましたわ)
『マ、マヤさん! ……ヤバいです!』
寝起きのマヤは意識が緩んでいるせいか、信也の身体から抜け出して大きな伸びをしていた。
(……あら、嫌ですわ。とてもカビ臭い……お鼻がムズムズして……!? ふぁあ、ふぁあ……ふへっくちゅんっ!!)
ゴバアアアッ!
刹那、強烈な鬼気がマヤから放出され一陣の風のような圧が店内を駆け抜け、お店そのものが一瞬揺れた。
店内を禍々しい気で覆い、あまつさえ信也たちを襲おうとしていた悪しき怨嗟の怪異は黒き霧と共に綺麗さっぱり、粉微塵になって吹き飛んでしまった。
(あら、失礼。わたくしとした事が端ない……)
言うとマヤは”くしゃみ”が恥ずかしかったのか、スッと一瞬にしてその姿を消してしまった。
「す、すごい!」
瑠璃の声が上がった。
「先輩! 今のは何ですか! ゴスロリの超美少女が一瞬にして黒い霧を消しちゃいましたよ!」
興奮したように瑠璃は言った。
「え……今、見えたの? 瑠璃ちゃん?」
信也は驚いて瑠璃を見た……足元には猫又が、またもや伸びている。
猫又の結界内にいたからこそ、マヤの姿を瑠璃でも見る事が出来たのかもしれないと信也は思った。
「よく分からないけど、一瞬だけ見えてすぐ消えちゃいました……あれって『守護霊』っていう存在なんですか!」
目をキラキラさせている瑠璃。
以前もこんな事があった。
『――う、はっ! ……何という広域攻撃! 恐るべき鬼め! いかん……付喪神よ! しっかりせい!!』
意識を取り戻した猫又が、いそいそとテーブルに転がる瑠璃のカメラに駆け寄り叫んだ。
『ふ……一足遅かったか……』
猫又が静かに言った。
「!? まさか!」
信也は胸の奥がきゅっとなるのを感じた。
『……気を失っておるわ』
信也を見つめる猫又の大きな黄色い瞳が笑った。
――お前もな。
「紛らわしい言い方しないで……」
信也はホッと一息ついた。
「……え? 私、何を……あれ……?」
立花は床に座り込み、キョトンと首を傾げているが、どこか記憶が曖昧な感じで気分が悪そうに見える。
そして、呆然と見つめる先――
その手には――先程までの禍々しいカビなど嘘のように、鈍く、それでいて誇らしげな光を湛えた漆黒のボディが握られていた。




