青天残滓 2.
拓馬は「闇風」の本部にいた。
執務室の前にある個室で、執行官である鈴宮亮志を待っている。
持参したのは昨夜の戦闘データ。事の次第を詳細に報告するための出頭だった。
やがて影の薄い秘書官が現れ、執務室へと通される。
拓馬はそこで待つよう指示され、直立不動のまま鈴宮を待った。
(あの秘書官……やはり影が薄い。隠密専門の術者かもしれないな)
そんなことを考えながら、拓馬は昨夜の圧倒的な絶望を追想していた。
「――待たせたな」
不意に、拓馬の横から声が響いた。
(やはり”出来る男”だ……)と、拓馬は肌を粟立たせる。
「昨夜の報告は受け取った。……実に、面白い内容だった」
鈴宮はニヤリと歪な笑みを浮かべながら、自席に就いた。
「……面白い、ですか?」
拓馬は内心の苛立ちを表には出さず、言葉の真意を探るようにオウム返しをした。
「ああ、そうだ。お前が張っている『0号』の少年のことだよ」
「神代凛の報告と、こちらのデータが合致しました。あの少年は、一体何なんですか!」
拓馬は鈴宮を真っすぐに見据えて問いただした。
「お前は、少年に顕現したあの『黒い少女』を何だと思っている?」
「分かりません。ですが、あの化生……あの『魔怪』は、間違いなく災害級の存在です!」
問いを問いで返す鈴宮の態度に苛立ちを覚えながら、拓馬は強く応えた。
「――氷室が滅んで久しく……随分と地に落ちたものよ」
その嘲笑を含んだ鈴宮の言葉に、ついに拓馬の限界が来た。
「あの魔怪と、我が『氷室』の過去に何の繋がりがあると言うのですか!」
鈴宮は眉間を押さえるような動作をして、大袈裟に溜め息をついた。そしてゆっくりと、提供されたデータや画像が表示されたノートPCを拓馬に向けた。
「もう一度問う。あれは何だ、氷室拓馬」
「――鬼です! あれは強大な『鬼気』を放つ、神話級の鬼……いや、”鬼神”と言っても過言ではないレベルの化け物で間違いありません!」
拓馬は頭に血が上り、つい熱くなって叫んでいた。
「……はははははっ! 良いではないか! その直感、実にいい判断だ」
鈴宮は一瞬驚いたような顔をした後、腹の底から愉快そうな笑い声を上げた。
狂気に満ちた薄ら笑いを浮かべ、鋭い眼光でPCの中のマヤを舐め回すように凝視する。
「このまま、監視の任務を続行しろ」
刹那、その瞳から一切の感情が消え、冷徹な眼差しを拓馬に放った。
「な、何を言っているんですか! あれは即刻やらねばならない危険な鬼です! 現に、神代が潜入した学校の女生徒を拉致し、既に被害に遭っているんです!」
鈴宮に向ける拓馬の瞳に怒気が宿る。
拓馬の中で、マヤはあまりにも強大な鬼すぎた。
一時は仲間の仇討ちとして己の手で狩ることに固執していたが、あの力の根源は何なのか……出来る事なら我が氷室家再興に必要な力として解明したいとも考えていた。
しかし、一般人が目の前で被害に遭った今、一刻の猶予もなく狩るべきだと「闇風」としての本能が叫んでいた。
総力を挙げて、あの「美しき鬼神」を狩らねばならない。拓馬はそれを具申するために、ここへ来たのだ。
「監視の継続だ。……直接狩るなど、独断専行は考えるなよ、氷室拓馬」
「くっ、しかし!」
「話は以上だ。……下がれ」
「ですがっ!」
食い下がる拓馬を見かねて、気配を消していた秘書官が静かに退室を促した。拓馬はギリッと奥歯を噛み締め、執務室を後にした。
「……よろしいのですか。彼は氷室の血筋……知る資格があるのでは?」
拓馬の気配が消えた後、執務室の奥にある扉から老齢の研究員が顔を出した。
鈴宮は無言で振り返り、その研究員を見て鼻で笑った。
「……昨夜のあの反応は間違いなく『0号』です」
老齢の研究者は、さも可笑しそうにニヤつきながら言葉を継いだ。
「少年の『角』が強く感応した結果、あの『美麗の魔性』が現れた。……であれば。やはりあの鬼神は、『金剛羅刹』に関係するやもしれませんな」
「過去のデータと、『鬼気』が表す数値や波形が酷似していた。特に、ほんの一時であったが気象の変化……あの時の磁場やエネルギー収束率など、まさしく……あの一振りが放っていた気配そのもの……」
鈴宮はいつの間にか、何者かに取り憑かれたような狂気じみた笑みを浮かべ、PCの画面に映るマヤの姿を爛爛と眺めていた。
「……しかしなぜ、あのような少女の容姿に……?」
老齢の研究員が呟く。
画面を見つめるその男の顔は、もはや一介の執行官・鈴宮亮志のものではなかった。次期『当主』としての、底知れぬ野望と狂気を孕んだ顔だった。
♢ ♢ ♢
「……言いなさい。あなたは一体何者なのですか」
屋上のフェンス際。
逃げ場を失った信也を、凛は文字通り壁際へ追い詰め――ドンッ! と、激しく壁を叩いた。
いわゆる「壁ドン」の形だが、そこに甘い雰囲気は微塵もない。凛の目は、獲物を追い詰めた猟犬そのものだ。
「昨日のあの姿……あの力! 私の御神刀を折ったのは、あなたの中にいる『アレ』ですね!? 島村美咲をどうしたんですか! 彼女に何をした!」
「そ、それは……ええと、その……」
信也は滝のような汗を流しながら、必死に言葉を探した。
言えるわけがない。自分の中に『マヤ』という傲慢にして尊大、居丈高な女王様が住み着いていて、彼女が美咲ちゃんの記憶を改ざんし、その見返りに「夕飯に最高級プリンを献上せよ」と脳内で喚いているなどと。
(……ふふ。小作人、何をモタモタしていますの? その小娘、わたくしに逆らった罰として、今ここで喰らって差し上げましょうか?)
『マヤさん、やめてよ! お願いだから黙ってて!! 頭の中がややこしくなる……』
脳内のマヤの嘲笑と、目前の凛の追及。
挟み撃ちにされた信也の精神が限界に達しようとした、その時――。
バターン!
「おーーーい! 二人とも、こんなところにいた!」
勢いよく屋上の扉が開いた。
現れたのは、鼻息も荒く、一枚のプリントを掲げた美咲だった。
「信也! 神代さんも! 聞いてよ、たった今、学校から許可が下りたの!」
「み、美咲ちゃん……? 許可って、何の……」
信也が救いを求めるように呟くと、美咲は満面の笑みで高らかに宣言した。
「本日をもって、我が校に『オカルト研究会』……通称『オカ研』を設立しまーす! 会長は私、島村美咲! そして第一号会員は、昨日の私のヒーロー、狭間信也くんですっ!」
「はぁっ!?」
凛の声が盛大に裏返った。
「ヒーロー? この、バケモノ……いえ、この狭間信也が!?」
「そうだよ! 昨日の旧校舎での一件で確信したの! この街にはまだ、私たちの知らない不思議がいっぱいあるって! ……それより神代さん、何で信也をフルネームで呼び捨てしてるの?」
少しムッとした感じに美咲は言った。
そんな美咲の問いには意に介さず、凛は硝子玉のような瞳をパチクリさせた。
「昨日の一件って……島村さん、自分が死にかけたこと、覚えていないのですか?」
凛は、信じられないものを見る目で問い詰めると、美咲はキョトンと首を傾げた。
「死にかける? 何言ってるの神代さん。旧校舎の『笑う鏡』の噂、あれ怪異じゃなくてただの事故だったじゃない。行方不明になったって言われてた一年生も、鏡に驚いて階段で滑って入院してただけだったし」
「……は?」
「それに私、あの後バランス崩して倒れてきた鏡の下敷きになりそうになったんだよ? その時、信也が身を挺して守ってくれたの! もう、すっごく男らしくてびっくりしちゃった!」
美咲の瞳が、完全に恋する乙女のソレになっている。
どうやら、マヤが植え付けた「都合の良い真実」が、美咲の脳内で「信也=命の恩人のヒーロー」という強烈なフィルターに変換されてしまったらしい。
(……あらあら。おあつらえ向きの『遊び場』が出来ましてよ)
マヤの愉悦に満ちた声が、信也の脳裏に響いた。
「神代さんもオカ研に入ってよ! 昨日は途中まで一緒に旧校舎を探索した仲じゃない! 一緒にミステリーを追っかけようよ!」
美咲の瞳には一切の曇りがない。純度100%の善意だ。
凛は呆然と信也を見た。信也はただ引きつった笑いを浮かべることしかできない。
「……承知しました。入ります。その代わり、狭間信也の隣の席は私がいただきます」
凛は折れた御神刀の悔しさを無理やり押し殺し、信也を射抜くように睨み据えた。
――監視。
徹底的な監視だ。
この「青天」の下で、ヤツの正体と目的を暴くまでは絶対に離れない。
こうして、史上最も危険で歪な「オカルト研究会」が、稲光の残滓を孕んだまま産声を上げたのであった。
信也の胃袋に、また一つ新しい穴が開いた音がした。
どこか遠くで、授業開始を告げる本鈴のチャイムが鳴り響いていた。
またしても、信也の望む平穏無事な日々が音を立てて崩れていった。




