26_家族会議(ユウナレア)
「部下の報告によれば、やはり依頼を受けた暗殺者だそうだ。王都を根城にする、裏だか闇だかの組合があって、そこに所属しているらしい」
戦勝祭を終えた翌朝。
朝食は軽く手でつまめるものに統一され、ユウナレアを含むラインバックの面々が集まった食堂は、食事のためではなく会議のための場と化していた。
個人的には三男のカートにそのような話を聞かせたくはなかったが、こういう出来事が起こり得るのだと教えないのは、むしろカートに失礼だというのが書類上の夫の言い分だった。カート自身も、話は知っておきたいとのこと。
ラインバック以外では、執事のセバス、ゲイルの部下であるイニアエス、マーヴィ、それに双子のジェニーとダニー。ユウナレアの専属メイドであるシェラに、部下のカイラス。それから、第三大隊からホレンスという人物がガーノート直属の部下として取り立てられていた。
「依頼主は判ったのか?」
「下請けの暗殺者には依頼主が判らない仕組みになっているらしい。依頼主を知りたければ、その闇の組合だかなんだかを締め上げるしかないだろうな」
まるで期待できない、とゲイルは肩をすくめる。
「やはり中央貴族の意思と考えるべきでしょう」
白けた沈黙が訪れそうになった食堂に、ユウナレアは音を足しておく。
これに首肯を見せたのはモゥレヴとゲイル。ガーノートとサーシェスは曖昧な顔をしているので、これといった考えに至っていないのだろう。
「王都の組合で依頼されたのが本当だとすれば、まず間違いないだろう」
頷いたのはモゥレヴだ。
これにカートが挙手をした。
「はい、ちょっと気になります。ラインバックから遠く離れた中央の人たちが、戦勝祭の日に、馬車が通る道の、建物の屋根上から兄さまを狙撃するようなことができたのは、どうしてでしょうか?」
着眼点が素晴らしい。
思わずユウナレアは胸の前で手を組んでしまった。八歳にしては賢い方だと思っていたが、目の前に現れた『問題』に対して的確な疑問点を述べられるのは、明らかに優れた知性の発露だ。
「中央貴族がこちらの情報を抱えて中央へ戻り、こちらの情報を暗殺者に渡すことができた者は、ごく限られますね。当然、義父上様に同行していた中央の騎士団です。旦那様が王都に呼ばれる話を、義父上様は中央の騎士団から聞かされたはずですし、それならばこちらの予定を向こうに話していたはずです」
カートの疑問を引き継ぎ、モゥレヴへ渡す。
義父はただでさえ厳しい顔をさらにしかめて頷いた。
「その通りだ。こちらの戦勝祭が終わってから王都へ向かうと伝えた」
「じゃあ決まりじゃないか」
簡単に言ってのけるガーノートに、ゲイルとモゥレヴが同時に肩をすくめて首を横に振った。そっくり同じ動作だったので、確かに親子なのだな、とユウナレアは妙なところで感心してしまった。
「なにが決まったんだ?」
ゲイルが言う。
「そりゃあ、中央貴族の連中がゲイルを殺そうとした、それで決まりだろう」
「なるほど。だったら中央貴族を皆殺しにすればいいか」
「……それは、ちょっと……拙いだろう。関係ないやつもいるだろうからな」
その通りだ。
結局、範囲は絞れたものの、対象は絞れていない。
「困ったねぇ」
言葉通りの困り顔で呟いたのは、サーシェスだ。確かにその通りなのだが、わざわざ口に出すほどでもなかった。
微妙な雰囲気が流れそうになったところで、カートがまた挙手した。
「はい。兄さまを殺そうとしたということは、兄さまを殺して得をする人がいる。もしくは兄さまが生きていると損をする人がいる。そのふたつが考えられます」
「ええ。考え方としては、その通りね。とても素晴らしいわ」
あまりにも賢い天使に感激し、思わず肯定してしまう。なんだか少しだけ呆れたような顔をされた気がするが、たぶん気のせいだろう。
こほん、とカートが咳払いをひとつ。
そして続けた。
「そうなると、兄さまが死んだら損をする、兄さまが生きている方が得をする、そういう人たちを『犯人』から弾けると思います。例えばリウエ国王は『兄さまに死なれると損をする人』ですね」
「論理的だな。国王が損をするというのは、何故だ?」
「だって、褒めるために兄さまを王都へ呼びつけているのですから、その兄さまに死なれては格好がつかないじゃないですか」
確かに、その通りだ。もっと言うなら『戦争の英雄』としてゲイル・ラインバックを王都へ招いたのに、その『戦争の英雄』が暗殺されるだなんて、そんな脆弱な者は『英雄』じゃない。リウエ国王は、英雄でないものを英雄として扱おうとしていた……回りくどいが、そういうことになる。
「しかし確証が得られんな」
切って捨てるような言い方をしたのはゲイルだ。嘲ったわけではないのだが、暗にカートの考え方では駄目だという態度だったので、ユウナレアは反射的に反駁したくなったが、我慢した。
理屈は通っているように見えるが、確かにそれでは正確に弾けないのだ。
この人はゲイルが死んだら損をするはずだから『犯人』ではない、と思い込んでしまうのは、おそらくかなり危険だ。
世の中には、ソーラリアのような者がいる。義理の姉が優秀さを示したというだけで、まるで自分が穢されたかのように被害者ぶる者がいる。
理屈が通じない者は、論理で捉えられない。
「カート。人の損得というものは、非常に測り難いものだ。小銭で他人を殺す者もいれば、どんな大金を積まれても殺人を犯さない者もいる。かと思えば、そいつは金以外の理由でなら人を殺すかも知れん」
厳格だが穏やかな口調で、モゥレヴが言う。
カートは噛み締めるように何度か頷き、父親を見上げて首を傾げた。
「では、どうしたらいいでしょう?」
「依頼者……まあ『犯人』としておくか。現状では、この『犯人』を割り出すのは難しいだろう。故に、それを考えるという方向性は手詰まりだ」
「……別のことを考える、ということですか?」
「然り。この場合、我々には取り得る態度がいくつかある。暗殺があったことなど知らぬ顔をして、王都で起こり得る襲撃に備えつつ、大過なく国王から報奨を貰い、何事もなかったかのようにラインバックへ戻る……これがひとつだな」
いうなれば、なあなあ方針だ。
なにしろ『犯人』だって何度も何度も暗殺者を送り込んでくるとは限らないし、そもそも『犯人』以外にもゲイル・ラインバックを疎ましく思っている存在がいるはずだ。あれやこれやをどうにかやり過ごして波風を立てない、というのは、方針として間違っているわけじゃない。
が、これは間違いなく無理だ。
「駄目だな、その方針は」
ユウナレアがなにか言うより先に、ゲイルが却下した。モゥレヴは不満そうな様子を見せず、先を促すように頷いてみせた。
ゲイルは表情を変えぬまま頷き、続きを口にする。
「仮に襲撃があった場合、おそらく俺の反撃は過剰になる。手加減して反撃しろなどと寝惚けたことを言われても困る。敵に配慮する意義を感じないし、そもそも親父殿は『我慢するな』と言ったぞ」
我慢するな――そんなことをゲイルに?
それがなにを意味するのかを、ユウナレアは正確に理解できない。たぶんモゥレヴだって、理解はおろか把握すらしていないだろう。
「兄さまが我慢しないと、どうなりますか?」
「敵は殺すし、侮辱には拳で返す」
素朴なカートの疑問に、ゲイルは真顔で答えた。
天使にそういうことを言わないで欲しかったが、ゲイルの誠実さとはそういうものなのだろうから、仕方がない。彼は弟に嘘を吐かないのだ。
「それは……大変なことになりそうですね」
良いとも悪いとも言わず、それだけをカートは言う。
そうだな、とゲイルは頷き、ガーノートが苦笑交じりに口を挟む。
「だが、我が弟がそうすると言うのなら、俺たちは腹を括るのみだ。これ以上、ゲイルに『我慢しろ』とは、俺は言えぬ。まあ……だからといって、後は任せろとも言えんがな。そもそも俺は王都に行かんし」
呼び出されたのはゲイルだが、妻であるユウナレアも当然に付き添うし、ラインバック領主であるモゥレヴ伯爵も同行するし、社会勉強ということでカートが同行を志願した。ガーノート夫妻は、お留守番である。
「まあ、カッとなって殴りかかるな、なんてのは私に言えた義理でもないからな。弟君には、せいぜい堂々としてもらおう。誰に対しても胸を張れる、そういう態度で臨むのであれば、私も異論はないよ」
サーシェルもまた諦め半分、という感じで同意を示した。
「僕も、兄さまは我慢できないと感じたとき、我慢をしない方がいいと思います。ジェニーとダニーは、そういう兄さまを誇らしく思っているのですから」
言って、カートは壁際に並んで立っている双子へ目配せし、にこりと微笑んだ。モゥレヴがユウナレアを気遣うときに見せる笑みに、少し似ていた。双子はなにも言わなかったけれど、顔中に喜色が浮かんでいるのは判った。
確かに――と、ユウナレアは考える。
いずれにせよゲイル・ラインバックという異物が中央貴族たちと関わって、誰もが想像できる未来になるとは思えない。それは我慢しようがしまいが、おそらく同じことだ。むしろ我慢なんてさせた分だけ爆発時の被害が増えそうな気がする。
考える。
もしかすると、エドワード殿下に迷惑をかけるかも知れない。あるいはゲイルの立ち回り次第ではラインバックと中央貴族の間に深刻な亀裂が走る可能性がある。そうなれば、ゲイル・ラインバックの妻だった者を召し抱えるのは、かなり難しいことになるはずだ。
けれども――だからといってゲイルに「波風を立てるな」なんて、口が裂けても言えやしない。それだけは絶対に言っては駄目だ。
では、どうする?
極端な話、エドワードの配下になることを選ぶのであれば、王都に着いた時点で離婚届をエドワードに渡し、ラインバックと縁を切ればいい。
これは感情ではなく、論理の問題だ。
さすがにユウナレアも理解している。国境戦の書類を読んでいた時点では、判断をしていた。第三大隊は『狭間の泥沼』を生存することに特化した群体生命だと、そのように判断をしていた。その判断は間違っていなかった。
この群体生命は、ラインバックという辺境においてさえ異常なのだ。
理解とはそういうことだ。ゲイル・ラインバックをこういう局面に放り込んだら当然こうなるだろう、そういう予測が今ならできる。彼を王都に放り込んだら、間違いなくしっちゃかめっちゃかになる。
これは理解からの予感であり、半ば確信に近い。
ゲイル・ラインバックが有する論理は、あまりにも貴族たちと相容れない。貴族たちの常識が、ある一定のところ以上は通用しないだろう。
では――どうする?
決められないまま考え込んでいると、ふとラインバックの面々がユウナレアを見ていることに気付いた。誰もユウナレアになにかを言わない。おまえはどうするのか、そんな問いさえも。
――嫌だ。
ほとんど反射的に、そう思った。
これは論理を無視した感情の問題だ。
自分の望みを叶えるために、ユウナレアの発案で婚姻することになった相手と、契約を完了することもなく離婚して、我が身の安全と将来を確保する? なるほど、確かにそうするべきだろう。義妹ソーラリアは、そのようにして幸福を追求してきた。私のモノを、他人のモノを、奪い続けて。
絶対に嫌だ。
エドワードの下で働きたい気持ちよりも、はるかに確かで重い感情だ。
もしかすると、ゲイルと離婚しなかったことでエドワードの下では働けなくなるかも知れない。学院時代、あんなにも優しくしてくれた友達との義理を欠くことになるのは申し訳なく思うけれど……でも、エドワードもまた、『これから死ぬ相手との婚姻』には納得していたのだ。
私が間違っていた。私たちが間違っていた。
そのせいで未来が閉じるのであれば、仕方がないではないか。
だから、ユウナレアは言った。
「旦那様は、旦那様の思うように振る舞うのがよろしいでしょう。我慢をする必要はありませんし、誰に気を使う必要もありません」
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