27_身内会議、そして護衛(ユウナレア)
「あれでよろしかったのですか、お嬢様?」
朝食というには時間の長い家族会議を終え、ユウナレアはいつも通りに執務室へ向かい、いつも通りの席に着いた。
あれこれと忙しいのは確かだが、執務室での仕事も『忙しさ』に含まれている。それなりに長期の外出になるため、仕事の引き継ぎは至上命題だった。
終戦祭の準備、本番、後始末の合間にも、引き継ぎ用の仕事は進めていたが、最終的には口頭で注意事項を伝達する必要がある。王都には専属メイドのシェラが付き添ってくれるが、ラインバックにはカイラス・コートが残る。
彼ならば過不足なく通常の仕事をこなせるだろうし、ある程度の非常事態にも対応可能だが、判断が必要な場合はガーノート将軍代理に相談することになる。
大丈夫だろう、そう思うしかない。
おそらく大丈夫だという根拠も信頼もある。
心配になるのは……カイラスの仕事を信じていないわけではない。
「あれで、というのは?」
机の上から視線を外さず、ユウナレアは答えの判りきった問いを口にする。
「ゲイル・ラインバックとの婚姻を継続したままでいいのですか? 彼らの口振りでは、王都で一悶着どころか、十五悶着くらいは起こしそうですが……」
答えはカイラスが返した。
続けてシェラがさらに問いを口にする。
「ラインバックが中央貴族の誰と悶着を起こすのか、全く読めません。もしかすると、エドワード殿下に都合の悪い展開になるかも知れません」
それでもいいのか、とシェラは言う。
ユウナレアは小さく息を吐き、顔を上げて専属メイドの顔を見た。アーカッシュ家にいたときから、ほとんど唯一と言っていい味方。幼馴染のような、友達のような、姉のような人。
彼女の瞳にあるのは、心配――それだけ。
猜疑も、非難も、呆れも、ない。
「お嬢様。お嬢様は、いずれラインバックを出て、エドワード殿下に仕えるのでしょう? 確かにゲイル様との婚姻に……というより、ゲイル様が生還したことに、思うところはあるかと思います」
ですが――と、シェラは続ける。
「最近、お嬢様が悩んでいらっしゃるのはシェラにも判ります。ゲイル様が生きて帰ってきて、ゲイル様と言葉を交わしてしまったことで、お嬢様はきっとこう思っているのです。『彼の人生を自分の都合で不当に貶めた』と」
「その通りでしょう。なにが違うの?」
「不当ではございません。伯爵家の次男が、当主の意向により政略結婚させられる。今回の場合はゲイル様の了承どころか認識もありませんでしたが、政略結婚自体は、そこまで珍しいことではありません。シェラが見る限り、お嬢様は必要以上に引け目を感じていらっしゃいます」
そうだろうか?
言われてしまえば、そうなのかも知れない。
けれどそんなもの、感じたくて感じているわけじゃない。
「……ねえ、シェラ。それにカイラスも。貴方たち、ラインバックは好き?」
曖昧な主語になったのは、曖昧な問いだったから。
二年間暮らしてきた、この地。ラインバック辺境領であり、ラインバック伯爵家であり、伯爵家の屋敷であり、その家族と使用人であり、果たすべき仕事である。
「私は……嫌いではありません」
「シェラは、好ましいと思っています」
当然そう言うだろう何故なら、私たちはアーカッシュ家で生きていたのだ。ユウナレアがラインバックに癒やされたように、シェラもカイラスも、ある意味では癒やされたに違いない。
「では、ゲイル・ラインバックのことは?」
これは難しい問いだったようで、二人とも即答を避けた。というよりも、現時点では答えようがないのだ。いきなり殴られたカイラスだって、ゲイルのことを単純に恨むほど愚かではない
では、好きかと言われると――困る。
知らないからだ。好悪を判断するほどの情報量がない。暴力的な野蛮人であれば速やかに嫌って唾棄することができるのに、そうではないのだ。
下賤な欲望から他者を攻撃するような人なら、モゥレヴから離婚届を預かった時点でエドワードに提出している。でも、そうじゃない。
「ねえ、気付いているでしょう? 私たちは彼になんとも思われていないわ。ただの、契約で仕事をする人たち――そう思われているだけ。だからこそ尊重してくれるけど、好きでも嫌いでもない。契約上の妻だから私をそのように扱ってくれるけど、なんとも思われていないの」
極端な無関心。
他人に対してだけではない。
きっと、自分の人生に対しても。
そのことが――ひどく、悔しかった。
だって私は、義妹に自分の人生を貶められるのが本当に嫌だったのに。嫌で嫌で仕方がなかった。愚劣なバーヴェクト家の嫡男と結婚させられるだなんて、考えるだけで腹が立った。どうして。どうして私が。義妹だけが思うままに生きて、私だけが奪われ続けなければならないのは、どうして?
ユウナレアは、ゲイルにとってのソーラリアだ。
彼の人生を利用し、彼の人生を貶め、彼の人生に傷をつけて――そうして、自分のやりたいことをするために、いなくなる。
「私は、これ以上、私自身を嫌いになりたくない」
机の上に乗せた手をぎゅっと握りしめ、ユウナレアは内心を吐露した。
自分の生き方に付き合ってくれた――そう、間違っていた生き方に付き合ってくれた彼らには、言うべきだ。
「あの人は、私たちになんの期待もしていない。でもひとつ――仕事だけは、認めている。何故なら私たちは結果を出しているから。出した結果に対して、あの人は目を曇らせない。だから、最初の契約だけは、なにがなんでも果たすつもりよ」
停戦後の情勢変化を乗り切り、ラインバックの財政状況を良くする。
それが当初の契約の、終了条件だ。
今、ラインバックを去るのは、約束と違う。
「それでエドワード殿下のために働くことができなくなっても、ですか?」
覚悟を確かめるようなシェラの問いに、首肯する。
だってそんなの、仕方ないじゃないか。
「私が私だから、今こんなことになっているのよ。もう少し弱ければバーヴェクトの嫡男と結婚していたわ。あるいはもっと弱ければ、何処かの時点でなにもかも諦めて自殺でもしていたかも知れない。でも、私は私だから、そうはならなかった。そういう人生を選ばなかった。その私が、自分の意志で結婚したのよ。彼の意思なんて無視して。意思があるだなんて想像もせずに。どうせ死ぬのだからと」
それがユウナレア・アーカッシュだ。
そうしてユウナレア・ラインバックになった。
であるならば、今更になって私をやめるわけにはいかない。
だったら最初から不幸の沼で気持ちよく溺死していればよかったのだ。
「ラインバックに富をもたらす。そのために私は来た。その約束を果たさずに、我が身可愛さで逃げる私を、私は許さない」
自業自得だ。
誰かの責任ではない。
自分の業は、自分で贖うしかないのだ。
そうやって腹を括ってしまえば、不思議と気分は悪くなかった。
◇◇◇
そこからは仕事が捗った。ユウナレアが心情を吐露しただけなのに、シェラもカイラスも真剣さがいつも以上で、集中力が明らかに違った。
ラインバックに来てから、様々な財政改革を行い、投資もしてきた。例えば『意匠士』のコーレス・リーヴスを辺境領へ招致したのもそうだし、輿入れしてきた時期は戦時中だったので、保存食の技術を有する業者に補助を行ったりもした。
基本的には、金を回すことだ。
執政者の役割は富の再分配であり、どのように分配するのか、そこが重要であり、重大なのだ。ユウナレアはその点に関しては自信があるが、それは他の貴族たちがあまりにも下手くそだからだ。
誰にでもできることだ、とゲイルには言った。
集めた富を再分配すればいい。もちろん完璧には無理だ。そんなことは莫迦でも判る。けれど前よりちょっとマシにすることなら、そう難しくない。
多くの貴族たちは現状維持を望みがちだ。何代も前からの付き合い、何世代にも渡る協力や調和。貴族が抱えている商家が、周囲一帯の商売に貴族の名代とばかりに口を出す、それもまた有り触れた光景だ。
ユウナレアに言わせれば、維持しなければならないのは優良な関係性であり、貴族と商家の関係など、互いに緊張感がなければあっという間に腐り爛れるに決まっている。その手の腐敗はラインバックにおいてさえ存在した。
ユウナレアがいない間は、カイラスが決断を下す場面も出てくるだろう。
できないとは言わせない。同じ仕事をして、ユウナレアの判断とその根拠を見続けてきたのだ。ちょっとユウナレアを盲信しすぎているきらいはあるが、仕事において、カイラスの有能さを知っている。
起こり得る問題や困難と、その対策。進めている事業に関する方針、伝えるべきことは多岐にわたるが、伝達をここでやめたとしても、それなりに対処は可能だろうとも思う。
執務室の仲間たちへの引き継ぎは、余計なお世話と言ってもいい。
――ふと、扉が叩かれる音がした。
文官が来訪者を招き入れれば、扉を開けて入ってきたのは、ゲイルとイニアエスだった。マーヴィはいない。双子のジェニーとダニーは、おそらくカートに付いているのだろう。
「仕事中に悪いな。少し、時間をもらうぞ」
端的なゲイルの物言いが、ユウナレアは嫌いじゃなかった。あれやこれやと装飾を施した言葉遣いをするのが貴族であり、ユウナレアも苦手ではあるが使えなくもない。ゲイルは苦手だし、装飾などしない。
「はい、構いません。椅子は必要ですか?」
「要らん。用件は簡単だ。イニアエスをおまえに付けておきたい。護衛だな。我慢出来ないほど嫌であれば断ってくれて構わんが、可能であれば、イニアエスを護衛として傍においてやってくれ」
ゲイルにしては珍しく、少し踏み込んだ口調だった。いつもなら「嫌ならいい」くらいは言いそうだが、今回は「我慢できればしてくれ」まで言った。
「私は構いませんが……」
拒否する理由がない。しかし嫌というのであれば、眼帯の魔法士イニアエスの方が嫌ではないのだろうか。
ゲイルのために粉骨砕身、魂の一片まで磨り潰すと言いのけた彼女は――両目を眼帯で覆っているというのに、ユウナレアの視線に気付いたみたいに微笑を浮かべ、小さく会釈した。
「私からも、お願いしますわ。奥様は、考えようによってはゲイル様の弱点になりますので。私でしたら女ですし、使用人の真似事は出来ませんけれど、傍に立って黙っていることならできますので」
「メイドの真似をさせるつもりはありませんけれど……弱点、ですか?」
「ゲイル様を攻撃したい者がいたとして、どうにもゲイル様を傷付けることは不可能だと判断したとしましょう。ならば、こう考えるかも知れませんわ。『英雄の妻を損なうことができれば、英雄は自分の妻すら守れなかったことになる』……実情はさておき、周囲からの評判は、そのように傾くかも知れません」
「なるほど」
朝食時の会議においても『敵』がユウナレアを害そうとしているか否かは、今のところ判断不能という結論になった。
並んで馬車に座っていたゲイルとユウナレアを狙撃した時点で、ユウナレアを害しても構わないという判断だったと推察できるからだ。狙撃用の十字弓を使っていたことから、狙撃に自信があったという見方もできるが、そう断言できるだけの根拠はない。
であるならば、備えるべきだ。当然に。
「……ですが、イニアエス。貴女は、旦那様を守りたいのではないのですか? 私の護衛をするのは、不本意なのでは?」
思っていたままの疑問を口に出してみる。
イニアエスは一瞬きょとんと眉を上げ――たような気がした。眼帯で判らないのに――それから、やけに嬉しそうに口元を歪めて笑った。
「ゲイル様をお守りする必要がございますか? 第三大隊の隊員であれば、五人掛かりでようやく傷を負わせられるかどうか、という人ですのに。私たちは、ゲイル様のやりたいことを補助できるのが嬉しいのですよ?」
……そんな強いのか。
確かに、狙撃手を捉えるのもゲイルのほうが圧倒的に速かったが。
「まあそういうことだ。王都に行くのなら、おまえはおまえで用事があるだろう。俺に聞かせたくない話であれば、イニアエスにそう言え。内密の話は、俺に伝えないように命令しておく」
ゲイルの部下がゲイルにとって有益な情報を掴んだとしても護衛対象が望むのならゲイルに伝えないでいいとゲイルが命令する……。
これが『旦那様』でなければ、一瞬ですら迷うことなく嘘だと断じただろう。常識的に考えて、部下が拾ってきた情報を得ようとしないわけがない。
でも、この人は……たぶん本当に知ろうとしない。
ユウナレアを尊重している。非常に義理堅い。莫迦みたいに誠実――そんなふうに思いたくなるけれど、たぶん違う。
知られたくないなら、知らなくてもいい。
本気でそう思っているだけだ。
何故ならゲイル・ラインバックは地獄で生存できてしまうから。どんな状況に陥ろうが、生きて切り抜ける自信があり、想定されるほとんどの状況は『狭間の泥沼』で戦い続けた四年間よりもましだと考えている。
しかし――というべきか、だからこそ、というべきか。
少なくともイニアエスが知り得た事柄をゲイルに隠してくれと頼む気には、ならなかった。幻滅させるようなことも起きるかも知れない。けれど、それがユウナレアなのだ。私が私であることを、隠してたまるものか。
「その必要はありません」
と、ユウナレアは言った。
ゲイルは少し不思議そうに首を傾げたが、結局は「そうか」と頷くだけだった。当事者であるイニアエスがほわほわと微笑み、軍式の敬礼を見せた。
「では、ゲイル隊長の命により、ユウナレア・ラインバック様の護衛の任に就かせていただきます。この有様ですので少々不便をかけるやも知れませんが、どうぞよろしくお願い申し上げます」
「ええ、こちらこそ。よろしくお願いします」
貴族式の礼を返したユウナレアは、ふと思った。思ってしまった。
誰に守られる必要もないゲイル・ラインバック。
領地を守り、任務を守り、規律を守り、部隊を守り、部下を守り、今では書類上の妻をも守ろうとしている。
じゃあ、この人は誰が守ってやればいいんだろう?
ずっとその身を磨り潰しながら、痛みも感じず生きていくなんて――嫌だ。
嫌だな、と思った。
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