第6話◇ 人を覗く代償
翌朝、目を覚ましたコウイチは、しばらく見慣れない木の天井を眺めていた。
薄い布団の感触や、窓の外から聞こえてくる人の声、荷車が石畳を進んでいく音にも少しずつ馴染み始めている。この世界へ来てまだ数日しか経っていないというのに、目を覚ました瞬間に「ここはどこだ」と混乱することはなくなっていた。
人間というのは、思っていた以上に環境へ順応する生き物らしい。
身体を起こして腕や肩を軽く動かしてみる。昨日は森をかなり歩き回ったせいか多少の疲れは残っているものの、怪我らしい怪我はない。
昨日は依頼を達成し、レベルも上がった。手元にはしばらく宿代を払えるだけの金もあるのだから、毎日危険を冒して森へ入る必要はない。
――今日は情報集めに使うか。
昨日の換金を終えた時点で所持金は銅貨217枚。そこから夕食と朝食込みの宿代38枚を支払ったので、現在の手持ちは179枚になる。
決して余裕があるとは言えないが、今日1日森へ入らなかったからといって、すぐに宿を追い出されるような状況でもない。
それなら、昨日考えた《生成》を使った商売について調べた方がいい。限られたMPでどれだけの利益を生み出せるのかを考えるにしても、まずは街で何が、いくらで売られているのかを知らなければ話にならないし、持ち帰ったホーンラビットの素材についても調べる必要がある。
「今日は情報集めだな」
そう決めて1階へ降り、宿代に含まれた朝食を取る。硬めのパンと野菜のスープ、それに少量の肉という組み合わせにも少しずつ慣れてきた。
日本の食事と比べれば物足りない。それでも、この世界で温かい物を食べられるだけでもありがたいと思えるようになったのだから、数日前の自分とは随分感覚が変わったものだ。
朝食を済ませると、コウイチは服の内側に入れてある冒険者証の金属プレートを確認してから宿を出た。
今日の目的は市場を見て回ることだが、その前に冒険者ギルドへ寄っておくことにする。依頼を受けるつもりはなくても、掲示板を見れば何が求められ、どんな素材がどの程度の報酬になるのか分かる。この街の需要を知るには悪くない場所だった。
◇
朝の冒険者ギルドは相変わらず混雑していた。
森へ向かう者や護衛依頼を受ける者、仲間同士で依頼票を見ながら相談している者たちの間を抜け、コウイチは掲示板の前へ向かう。
討伐、採取、護衛、荷運び。
昨日までなら報酬額を見て、自分にもできる依頼なのかを考えていた。だが今日は、少し違った視点で依頼票を眺めていく。
ヒール草、毒消し草、ゴブリンの魔石、ホーンラビットの毛皮、グレイウルフの牙。依頼主には薬師や武器屋、防具屋、商人などの名前が並び、何枚か見比べているうちに、この街で継続的に必要とされている物が少しずつ見えてきた。
――薬草系は需要が安定してるのか。
同じような依頼が何枚もあるのは、おそらくポーションのような消耗品に使われるからだろう。武器や防具なら1度買えばしばらく使えるが、薬は使えばなくなり、そのたびに材料が必要になる。
そんなことを考えながら依頼票を見ていたときだった。
「よう。昨日は随分稼いだらしいじゃねえか」
背後から聞き覚えのある声がした瞬間、コウイチの身体がわずかに強張った。
振り返ると、昨日ヒール草の依頼を取ろうとしたときに絡んできた3人組が立っていた。頬に傷のある男を中心に、それぞれ剣や斧、短剣を身につけている。
「何か用ですか?」
「冷てえな。昨日会ったばっかりだろ?」
頬に傷のある男が笑う。
コウイチは返事をする前に周囲を確認した。ギルド内には大勢の冒険者がおり、受付にも職員がいる。昨日も受付嬢が止めに入っている以上、この場でいきなり斬りかかってくる可能性は低いだろう。
それでも、何かあればすぐ距離を取れるよう立ち位置だけは意識しておく。
「新人にしちゃ景気がいいらしいじゃねえか。俺たちと組まねえか? 収納持ちなら役に立つだろ」
どうやら《アイテムボックス》の噂はまだ残っているらしい。少なくとも、善意だけで誘っているようには見えなかった。
「必要ありません」
「おいおい、新人のくせに随分偉そうだな」
男の笑みが消える。
周囲にいた何人かの冒険者がこちらを見るものの、昨日と同じように積極的に関わろうとする者はいなかった。
コウイチは3人を見ながら考える。
この連中は、どの程度強いのか。
自分はまだLv3だ。相手の力量も分からないまま対応を間違えるのは危険だが、今まで植物や魔物、道具へ使ってきた《鑑定》なら、人間にも使えるかもしれない。
試したことはない。だが、相手の強さが分かれば判断材料になる。
コウイチは頬に傷のある男へ視線を向けた。
《鑑定》Lv2。
【ガイル】
種族:人族
年齢:32
Lv:16
冒険者ランク:D
HP:112/112
MP:42/42
STR:38
VIT:36
AGI:31
DEX:30
INT:22
MND:27
【スキル】
《剣術》Lv3
《威圧》Lv1
――Lv16。
レベルだけではない。筋力は38、体力も36あり、今の自分とは比較にならない。《剣術》もLv3まで上がっている。
続けて、斧を背負った男へ《鑑定》を使う。
【ボルグ】
種族:人族
年齢:35
Lv:14
冒険者ランク:D
HP:109/109
MP:31/31
STR:40
VIT:39
AGI:24
DEX:25
INT:17
MND:24
【スキル】
《斧術》Lv2
ガイルよりレベルは低いが、筋力と体力だけならこちらの方が高い。見た目通り、力で押す戦い方なのだろう。
最後に、細身の男へ視線を向ける。
【レイド】
種族:人族
年齢:29
Lv:13
冒険者ランク:D
HP:84/84
MP:38/38
STR:27
VIT:25
AGI:38
DEX:40
INT:21
MND:23
【スキル】
《短剣術》Lv2
《気配遮断》Lv1
こちらは逆だった。筋力や体力は2人より低いが、俊敏と器用が突出している。
同じDランクでも、能力の伸び方は人によってかなり違うらしい。
それでも、3人とも今の自分より遥かに強い。
昨日、挑発に乗らず喧嘩を避けた判断は正しかった。ガイル1人を相手にしただけでも、まともに戦えば勝てるとは思えない。
3人の表情に変化はなく、《鑑定》されたことに気づいている様子もなかった。
――人間にも使えるのか。
しかもLv2なら、レベルやランクだけではなく、HPやMP、能力値、それにスキルまで見える。相手の強さを知る手段としてはかなり便利だった。
そう考えた、そのときだった。
「そこまでにしとけ」
低い声が聞こえた。
大声でもなければ、怒鳴ったわけでもない。それなのに3人組の表情が明らかに変わった。
コウイチが声の方を見ると、1人の男が少し離れた場所に立っている。年齢は40前後だろうか。使い込まれた革鎧に腰には1本の剣と、装備だけを見ればギルドにいる他の冒険者と大きな違いはない。
だが、周囲の反応が違った。
先ほどまでこちらを面白そうに見ていた冒険者たちが男に気づくと視線を逸らし、3人組も先ほどまでの態度が嘘のように大人しくなる。
「……グレンさん」
ガイルの声まで変わっていた。
「新人相手に3人で何やってんだ」
「いや、別に。ちょっと話してただけですよ」
「そうか」
グレンはそれだけ言った。
怒鳴りもしなければ、脅しもしない。剣に手をかけることすらなかったが、ガイルは反論せず、気まずそうに仲間へ視線を向ける。
「……行くぞ」
それだけ言って2人を連れ、ギルドの出口へ向かった。すれ違いざまにコウイチを睨んできたものの、何も言わない。
昨日は受付嬢がギルドの規則を持ち出して止めた。
だが今の男は、たった一言で3人を退かせた。
――何者だ?
反射的に《鑑定》を使いかける。
「やめとけ」
グレンがこちらを見た。
コウイチの思考が止まった。
「……何がですか?」
男はそれには答えず、少し顎を動かした。
「こっち来い」
そのまま人の少ない壁際へ歩いていく。
ついていく義理はない。それでも3人を追い払ってくれたのは事実であり、何より今の「やめとけ」が何を意味していたのかが気になった。
コウイチは少し距離を保ちながら後を追った。
人の少ない場所まで来ると、グレンが足を止める。
「新人」
「コウイチです」
「そうか。コウイチ」
グレンは1度だけ頷くと、声を少し落とした。
「さっきの3人に《鑑定》使っただろ」
背中に冷たいものが走った。
だが、顔には出さない。
「……どうしてそう思うんですか?」
「その返しする奴は大体当たりだ」
グレンが僅かに笑った。
コウイチは黙った。下手に否定しても意味がなさそうだったし、少なくともこの男は確信している。
「安心しろ。あの3人は気づいてねえ」
「でも、あなたは気づいた」
「ああ」
「なぜです?」
グレンは少し考えてから、自分の胸元を指で軽く叩いた。
「《鑑定》も魔力を使うスキルだ。他人を調べるってことは、自分の魔力を相手に触れさせるのと大して変わらねえ。鈍い奴や弱い奴なら気づかんが、慣れてる奴なら分かる」
コウイチは先ほど3人がいた場所へ目を向けた。
3人とも気づかなかった。
だが、この男は離れた場所から察知した。それだけでも、両者の間にどれほどの差があるのか想像できる。
「1つ教えといてやる」
グレンの表情から笑みが消えた。
「人に《鑑定》を使うのはやめとけ」
「禁止されてるんですか?」
「法律で一律禁止ってわけじゃねえ。だが、嫌われる」
グレンは壁へ背を預けながら続けた。
「考えてみろ。自分の強さやスキルを、知らねえ奴が勝手に覗こうとしてきたらどう思う? 《鑑定》は熟練すりゃ、体の状態や病気まで分かるようになる。さらに上がれば、弱点まで見えるって話だ」
コウイチは黙って聞いた。
今のLv2でも、HPやMP、能力値、所持スキルまで見えている。それだけでも十分に他人へ知られたくない情報だろう。
「冒険者には自分の手札を隠してる奴も多い。スキルや能力は命に直結する情報だ。それを勝手に調べられりゃ、敵対行為だと判断する奴もいる」
言われてみれば当然だった。
コウイチはこれまで《鑑定》を物や魔物に使ってきたため、情報を見ることそのものに抵抗がなかった。だが、人間には意思があり、見られたくないものもある。
「最悪の場合は?」
グレンは即答した。
「斬られる」
冗談を言っている顔ではなかった。
「街の中なら殺した方も衛兵に捕まるだろうが、森やダンジョンなら話は別だ。目撃者がいなきゃ、魔物に殺されたことにされて終わる」
その説明は、コウイチにとって妙に納得できるものだった。法律があるから安全というほど世の中は単純ではなく、法律が機能するためには、少なくとも犯罪が起きたことを誰かが知る必要がある。
森の中で目撃者もなく、自分より遥かに強い人間を勝手に《鑑定》する。それで得られる情報と、殺される可能性を比べるまでもなかった。
「……分かりました。人には使いません」
グレンが少し眉を上げた。
「随分素直だな」
「情報を見るために死んだら意味がないので」
グレンは一瞬黙ったあと、小さく笑った。
「それだけ分かってりゃ十分だ」
「どうして教えてくれたんですか?」
「新人が知らずにやって死ぬのは寝覚めが悪い。それだけだ」
随分あっさりした答えだった。恩を売るような言い方もしなければ、何かを要求する様子もない。
コウイチはそれ以上勘繰ることをやめた。少なくとも、この男が今、自分に有益な情報を教えてくれた。それは事実だ。
「ありがとうございます」
頭を下げると、グレンは片手を上げただけでその場を離れていった。
そこへ近くを通りかかった冒険者が声をかける。
「グレン、今日は依頼受けねえのか?」
「午後から出る」
「Aランク様は余裕だな」
――Aランク。
コウイチは離れていくグレンの背中を見た。
冒険者ランクはFから始まり、E、D、C、B、A、そしてS。自分は一番下のFで、先ほどの3人はD。そしてグレンはAだった。
たった一言で3人が引き下がった理由にも納得がいった。
同時に、好奇心が頭をもたげる。
――あの人を《鑑定》したら、何が見える?
レベルは。
HPやMPは。
能力値は。
どんなスキルを持っているのか。
Aランク冒険者というのは、どれほど強いのか。
知りたい。
だが、コウイチは《鑑定》を使わなかった。
ほんの少し前までなら迷わず使っていただろうが、今は違う。知りたいから見る。その程度の理由で命を賭けるほど、欲しい情報ではなかった。
グレンの姿が人混みへ消えていくのを見ながら、コウイチは《鑑定》という能力について改めて考えた。
植物を見れば価値が分かり、魔物を見れば名前やレベルが分かり、道具を見れば性能が分かる。人間ならLv2の《鑑定》でHPやMP、能力値、スキルまで見ることができ、Lvが上がれば身体の状態や病気、その先では弱点まで分かるらしい。
便利な能力なのは間違いないが、《アイテムボックス》も同じだった。便利だから何も考えず人前で使い、その結果、珍しい能力だと知られてしまったため、今ではマジックバッグを使って隠している。《鑑定》も、使えるから使えばいいわけではない。能力そのものより、いつ、どこで、誰に、どう使うかの方が重要なのだろう。
そこで、コウイチはもう1つ気づいた。
自分が他人を《鑑定》できるのなら、当然、他人から自分を《鑑定》されることもある。もしそのとき、《アイテムボックス》や《生成》まで見られたらどうなる。
《アイテムボックス》が珍しいことは、一昨日の解体所での反応からすでに分かっている。そして《生成》に至っては、この世界でどれほど珍しい能力なのかすら分からない。わざわざ見せておく理由はなかった。
さらに、もう1つ問題がある。
冒険者として登録している名前は「コウイチ」だが、自分のステータスには今も「神崎恒一」と表示されている。他人の《鑑定》で名前まで見えるのなら、冒険者証と違う名前が表示されるのも余計な疑問を招くだろう。
コウイチは自分のステータスへ意識を向け、《隠蔽》を使う。
【隠蔽対象】
名前:神崎恒一 → コウイチ
《アイテムボックス》Lv1
《生成》Lv1
《隠蔽》Lv1
設定を終えると、表示が変化した。
【名前】コウイチ
【種族】人族
【年齢】35
【Lv】3
【HP】42/42
【MP】19/25
STR:11
VIT:12
AGI:12
DEX:13
INT:16
MND:14
【固有スキル】
《鑑定》Lv2
「……これでいいか」
先ほど3人へLv2の《鑑定》を使ったため、MPは6減っている。それでも今日は森へ入る予定がないので問題はない。
《アイテムボックス》と《生成》だけを隠しても、《隠蔽》そのものが見えていれば、何かを隠していると疑われるかもしれない。なら、隠していること自体も見せない方がいいし、名前も冒険者証に合わせておけば余計な疑問を持たれにくい。
少なくとも、自分と同程度の《鑑定》を使われただけなら、表面上は《鑑定》しか持っていないように見える。ただし、《隠蔽》がどこまで通用するのかは分からない。相手の《鑑定》の方が上なら見破られるかもしれないし、《鑑定》以外にも隠した情報を見抜く能力が存在する可能性はある。
隠したから安全だと思い込むつもりはないが、何もしないよりはいい。
――しばらく、人間には使わない。
《鑑定》を永遠に封じる必要はない。相手に気づかれない方法を見つけるか、気づかれても身を守れるだけの力を持ってから改めて考えればいい。今の自分にはまだ早い。
《アイテムボックス》も《鑑定》も、便利だからといって考えなしに使えば危険を招く。一度知ったなら、次から避ければいい。
コウイチはもう1度依頼掲示板へ目を向けた。
今日は森へ行かず、市場を歩いてこの街で何が売られているのかを調べ、昨日持ち帰った素材から何を作れるのかを考える。やることはいくらでもある。
ギルドを出ると、朝のラグナードには商人や職人、冒険者、旅人たちが行き交っていた。その誰もが、自分の知らない情報を持っているのだろう。
《鑑定》を使えば、その一部を覗くことはできるのかもしれない。だが、知らない相手の中身を覗くより先に見るべきものは他にもある。店に並ぶ商品やその値段、客の動き、何が売れ、何が足りないのか。
コウイチは市場へ向かって歩き始めた。
人を見る方法は、《鑑定》だけではない。
少なくとも今のコウイチにとっては、その人間が何をするのかを自分の目で見る方が、ずっと安全だった。
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