第48話◇ 銀貨1枚の櫛
次の露店までの3日間、コウイチは櫛を作りながら、思っていた以上に仕上げへ時間が掛かることを知った。
ホーンディアの角を素材に《生成》を使えば、櫛そのものを作ることは難しくない。最初の1本で形や歯の間隔を確認したおかげか、同じような形なら失敗することもなくなっていた。
問題は、その後だった。
生成しただけの櫛は品質Cで、見た目だけなら市場で売られていた物と大きく変わらない。だが、実際に髪へ通すとわずかに引っかかりがあり、歯の先端や歯と歯の間を、ストーンエイプの岩皮から作った研磨材で丁寧に磨いてやる必要があった。
仕上げを終えた櫛は、髪への引っかかりが消え、《鑑定》でも品質Bへ上がる。
ただ、磨けば品質が上がると分かったからといって、作業そのものがなくなるわけではない。最初の数本は歯を1本ずつ指で確かめながら磨いたため、思っていた以上に時間を取られた。
「……これ、結構面倒だな」
宿の部屋で櫛を磨きながら呟くと、向かいに座って本を読んでいたミアが顔を上げた。
「売るの、やめますか?」
「いや。そこまでは言ってない」
コウイチは磨き終えた櫛を指先でなぞり、隣に置いてある市販品と感触を比べた。昨日よりは作業にも慣れてきたものの、それでも《生成》して終わりだった商品とは勝手が違う。
「ただ、何本も作るならやり方は考えないとな。1本ずつこれをやってたら、櫛だけで夜が終わる」
「私もやりましょうか?」
「……やってみる?」
「はい」
試しに研磨材とC品質の櫛を渡すと、ミアはコウイチがしていたように歯先へ研磨材を当てた。
少し動かしたところで、コウイチが止める。
「そこ、もう少し弱く」
「これくらいですか?」
「そう。削るっていうより、角を落とす感じかな」
説明しながら、自分でも曖昧な言い方だと思った。
時計の部品なら、どこまで削ればいいかを測る方法も知っていた。しかし櫛は使った経験すらほとんどなく、今のところ指先の感触と、実際に使うミアの感想だけが頼りだった。
それでも何本か試すうちに、最初より仕上がりが揃うようになっていく。
ミアが磨いた1本を《鑑定》すると、品質はCのままだった。
「まだCだな」
「失敗ですか?」
「いや」
コウイチは受け取った櫛を指で触り、市販品とも比べてみた。少しだけ歯先に角が残っている。
「ここだと思う。もう少しだけ磨いてみて」
「はい」
ミアが再び作業し、しばらくして戻してくる。
《鑑定》
【ホーンディア角の櫛】
【品質:B】
「上がった」
そう伝えると、ミアの耳がぴくりと動いた。
「Bですか?」
「ああ」
ミアは自分で仕上げた櫛をじっと見てから、少し嬉しそうに指先で歯をなぞった。
その様子を見ながら、コウイチは別のことを考えていた。
櫛の原型を作るには《生成》が必要だが、その後の仕上げまで自分にしかできないわけではない。
今はミアと2人だから大きな違いにはならない。それでも、もし商品をもっと多く作るようになれば、この違いは重要になるかもしれない。
もっとも、まだ1本も売っていない。
売れるかどうかも分からない商品の量産を考えるのは、さすがに早すぎるだろう。
「とりあえず、次の露店はこれくらいでいいか」
コウイチは完成した櫛を数えた。
販売用は6本。
初めて売る商品なら十分だ。
◇
そして、次の露店の日。
いつもの市場に店を出すと、以前とは明らかに準備に時間が掛かるようになっていた。
最初は砥石だけだった。
今は砥石に包丁、髪留めがあり、そこへ新しく櫛が加わった。包丁だけでも大きさと品質で種類が分かれているため、狭い台の上へ並べてみると、それなりに店らしく見える。
「……増えたな」
「増えましたね」
隣で髪留めを並べていたミアが答えた。
今日もミアの髪には以前作った髪留めが付いており、荷物の中には第47話で渡したホーンディア角の櫛も入っている。
露店を開いて間もなく、最初の客が砥石を買っていった。
その後も砥石目当ての客が何人か続き、包丁を見比べる女性や、髪留めを手に取る若い娘が足を止める。その中には、新しく並べた櫛へ目を向ける客もいた。
「これ、角かい?」
40代ほどの女性が1本を手に取った。
「ホーンディアの角です」
「へえ。いくら?」
「銀貨1枚」
女性の手が止まった。
「銀貨1枚?」
やはり、そうなるか。
市場で調べた限り、木製ならもっと安い物がある。品質Bとはいえ、櫛という日用品に銀貨1枚を出すかどうかは人によるだろう。
「ちょっと高いねえ」
「安い櫛なら木製がありますからね」
「自分で言うのかい?」
「事実ですから」
女性が笑った。
「じゃあ、こっちは何が違うんだい?」
「水に強いのと、歯の部分をかなり丁寧に仕上げてあります。髪に引っかかりにくいです」
言ってから、コウイチは少し考えた。
品質Bだと言っても、《鑑定》を持たない客には伝わりにくい。それなら、自分が説明するより、実際に使っている人間の感想の方が分かりやすい。
「ミア」
「はい」
「使ってる櫛、見せてもらっていい?」
ミアは自分の荷物から櫛を取り出した。
女性がそれを見て、少し目を細める。
「あら。お嬢ちゃんも同じの使ってるの?」
「はい」
「どう?」
ミアは少し考えた。
気を利かせて大げさに褒めるようなことはしないだろうと思っていると、やはり素直に答えた。
「使いやすいです。髪が引っかからないので」
「本当に?」
「はい。前に使った安い櫛は少し引っかかりました。これは大丈夫です」
女性は売り物の櫛と、ミアが使っている物を見比べた。
「……じゃあ、1本もらおうかしら」
「ありがとうございます」
銀貨1枚を受け取り、櫛を渡す。
初めて売れた。
ただ、コウイチが期待していたほど次々と売れるわけではなかった。櫛を手に取る人はいても、値段を聞いて戻す人もいる。髪留めと一緒に見ていく女性もいたが、結局買うのは銅貨で済む髪留めだけということもあった。
昼を過ぎた頃までに売れた櫛は3本だった。
「半分か」
「売れましたね」
「まあ、初日ならこんなもんかな」
砥石は相変わらずよく動いているし、包丁も数本売れた。櫛だけを見れば銀貨3枚の売上なので、初日としては悪くない。
何より原料のホーンディアは自分たちで狩っている。
角以外の肉や皮、骨、腱は冒険者ギルドへ売っているため、角を手に入れるためだけに金を払っているわけでもない。売れるなら、十分に利益になる商品だった。
それでも残った3本を見ながら、コウイチは考えた。
値段を下げるべきなのか。
銀貨1枚でも買った人はいるのだから、まだ判断するには早い。
砥石の時もそうだった。
まず売って、その後を見る。
そう考え、値段は変えなかった。
◇
翌日は白樹の森へ行かず、冒険者ギルドの正式な依頼を1つこなした。
櫛のためにホーンディアを狩ることも冒険者としての仕事ではあるが、それだけに偏るつもりはない。依頼として任された仕事をこなし続けることも、冒険者として信用を積み上げるうえでは必要だった。
その翌日は商品の補充に使い、夜には残った角から新しい櫛も作った。
前回より少しだけ仕上げが速くなっている。
ミアも研磨を手伝い、完成した物を実際に髪へ通して確認する。
「これは?」
「大丈夫です」
「こっちは?」
「……少しだけ引っかかります」
「どこ?」
「この辺です」
ミアが示した歯を磨き直す。
《鑑定》を使えば品質そのものは分かるが、どの部分が使いにくいのかまでは教えてくれない。その意味では、実際に毎日使っているミアの感想の方が役に立つことも多かった。
そして前回の露店から3日後、再び市場へ出た。
前回残った3本に、新しく作った5本を加え、櫛は8本用意してある。
「今日は何本売れるかな」
「全部売れるといいですね」
「そうなればいいけどな」
露店を開いてしばらくすると、見覚えのある女性がこちらへ歩いてくるのが見えた。
前回、最初に櫛を買った女性だった。
コウイチは無意識に並べた櫛へ目をやった。
何か問題があったのかもしれない。
使っているうちに歯が欠けたのか、思ったほど使いやすくなかったのか。それとも返品したいのか。
まだ数日しか経っていない以上、どれもあり得る。
女性は真っ直ぐ露店まで来ると、コウイチの前で止まった。
「この前の櫛なんだけどね」
「はい。何か問題がありました?」
「問題?」
女性は一瞬きょとんとしたあと、笑った。
「逆よ。あれ、本当に髪が全然引っかからないのよ」
「……本当ですか?」
「朝なんて今まで何度も途中で引っかかってたのに、すっと通るの。最初は櫛に銀貨1枚なんて高いと思ったけど、あれなら払ってもいいわ」
自分たちでも試していたし、ミアも毎日使っている。それでも、実際に金を払った客から同じ感想を聞くと意味が違った。
「ありがとうございます」
「それでね」
女性が後ろを振り返った。
少し離れたところに、2人の女性が立っている。
「この人たちに話したら、自分も欲しいって」
「……櫛を?」
「そうよ」
2人が近づいてきた。
「これが言ってた櫛?」
「そう。角でできてるの」
「銀貨1枚だっけ?」
「そうだけど、本当にいいのよ。昨日うちで使わせてあげたの」
コウイチは黙ってその会話を聞いていた。
以前、砥石でも似たことがあった。
ただ、櫛は少し違う。
砥石は安さが最初に試してもらうきっかけになったが、櫛は銀貨1枚と安くない。その代わり、知り合いの物を借りて髪へ通せば、その場で使い心地の違いが分かる。
「じゃあ、私も1本」
「私も」
「ありがとうございます」
いきなり2本売れた。
最初の女性は買わずに満足そうに頷いている。
「また誰かに勧めておくわね」
「助かります」
「だったら少しくらい安くしてくれてもいいんじゃない?」
「それは別の話です」
「あら、残念」
笑いながら3人が去っていく。
その背中を見送りながら、コウイチは少し考えた。
「……こういう売れ方もあるのか」
「口コミですね」
ミアが言った。
「覚えたな」
「はい」
少し得意そうだった。
その日の櫛は、昼前には残り2本になった。
買いに来た客の全員が誰かから話を聞いていたわけではない。それでも「知り合いが使っている」「髪が引っかからないと聞いた」という客が明らかに増えている。
そして午後。
「髪が引っかからない櫛って、これですか?」
また来た。
「……たぶん、それです」
「たぶん?」
「うちではそういう名前で売ってないので」
女性が笑いながら1本を手に取る。
値段を伝えても、以前ほど驚かれなかった。
「銀貨1枚ね。聞いてるわ」
そのまま買っていった。
最後の1本が売れたのは、それからあまり時間が経たないうちだった。
コウイチは櫛が並んでいた空いた場所を見つめる。
「……売り切れたな」
「はい」
「8本あったよな?」
「ありました」
砥石も売れるし、包丁も売れる。髪留めも少しずつ動いている。
しかし今日、一番早く在庫がなくなったのは櫛だった。
「次は増やすか」
「何本ですか?」
「……とりあえず倍くらいかな」
16本。
作れない数ではない。
ただ、そのためにはホーンディアの角が必要になる。
「また白樹の森だな」
「はい」
ミアの返事には迷いがなかった。
◇
それから数日、コウイチは櫛が売れた理由について考えていた。
銀貨1枚は決して安くない。それでも、一度使った客が別の客を連れてくる。
砥石は銅貨20枚という安さが最初の一歩になりやすく、「試してみよう」と思ってもらえる。一方の櫛は、最初に買ってもらうまでのハードルは高いが、一度使えば違いが分かりやすく、毎日使うたびにその良さを感じてもらえる。
商品によって、売れる理由も広がり方も違うらしい。
「商品によって、売れ方が違うのか……」
宿へ戻る途中で呟くと、ミアが隣から見上げた。
「砥石と櫛ですか?」
「ああ。砥石は安さがきっかけになって、櫛は使った人が次の客を連れてくる。包丁や髪留めは、また別の売れ方をしてるみたいだ」
「包丁は?」
「それはまだ調べてる途中だな。宿の女将に使ってもらってるし」
「髪留めは?」
「見た目じゃないか?」
「私が着けてるのを見て買った人、いました」
「……じゃあ、それも違うな」
商品が増えるたび、知らなかったことも増えていく。
それを面倒だと思うより、面白いと感じている自分に気づき、コウイチは少しだけ笑った。
宿へ戻る前に冒険者ギルドへ寄り、翌日に受けられそうな依頼を確認する。
そのついでに白樹の森についても聞いた。
次はホーンディアをもう少し狩りたい。
櫛を増やすためだ。
ただし必要なのは角だけで、肉も皮も骨も腱も、使わない分はこれまで通りギルドへ売ればいい。
狩りへ出れば冒険者として稼げる。
角を持ち帰れば商品が作れる。
その商品が売れれば、さらに金になる。
以前は冒険者の仕事と商売を別々に考えていたが、今では片方がもう片方へつながり始めている。
そして、その循環が回り始めたばかりだというのに、早くも次の課題が見えていた。
次の露店に並べる櫛は、もう1本も残っていない。
「……売れるのは嬉しいんだけどな」
「はい」
「角、足りないな」
ミアが少し考えてから、白樹の森の方角へ目を向けた。
「明日、狩りに行きますか?」
「ああ」
コウイチも頷いた。




