第47話◇ 櫛を作る
白樹の森を出てからラグナードへ戻るまで、特に問題は起こらなかった。
街道へ出てしまえば行き交う人の姿も増え、森の中で張り続けていた緊張も少しずつ薄れていく。隣を歩くミアも同じなのか、森を出てしばらくすると耳の動きが落ち着き、ときどき道端の草花へ目を向ける余裕まで戻っていた。
それでもコウイチは何度か後ろを振り返った。
遠ざかっていく白い木々の向こうに、最後に見つけた大きな蹄の跡が残っている。あれがムーンディアのものだったのかは結局分からないままだったが、今日はホーンディア2匹を確保できたのだから、初めて入った森で欲を出さなかった判断は間違っていないと思う。
むしろ問題はここからだった。
「角から櫛か……」
「まだ考えてるんですか?」
隣から声を掛けられ、コウイチはミアを見た。
「考えてるよ。角を取ったところで、それだけじゃ櫛にならないからな」
「《生成》で作るんですよね?」
「そのつもりだけど、どう作るか分からない物を作ると余計にMPを使うかもしれないだろ。ミスリルの時みたいに」
「ああ……」
ミアも納得したらしく、小さく頷いた。
ミスリル合金の短剣を生成した時には、予想を大きく超えるMPを消費した。原因が確定したわけではないものの、鉱石から金属へ変わるまでの工程を理解していなかったことが関係しているのではないかと、今のコウイチは考えている。
ホーンディアの角から櫛を作る程度なら、さすがにミスリルほどの消費にはならないだろう。それでも、分からない部分を《生成》任せにするより、自分で理解してから作った方がいい。
「まずは解体だな」
「はい」
2人がラグナードへ着いた頃には、昼をかなり過ぎていた。
そのまま宿へ戻ることはせず、冒険者ギルドへ向かう。扉を開けると昼の混雑はすでに落ち着いており、朝に比べれば受付に並ぶ冒険者も少ない。
コウイチは空いている窓口へ向かい、登録証を出した。
「ホーンディアを2匹持ち帰った。解体をお願いしたい」
「承知しました。解体場へお願いします」
「そこで出すよ」
受付の女性はそれ以上何も聞かず、解体場へ通じる扉を示した。
奥へ入ると、以前にも世話になった解体担当の男が作業台の横に立っていた。ちょうど他の冒険者の姿もなく、コウイチは入口の方を一度確認してから、男へ声を掛ける。
「ホーンディア2匹。ここで出していい?」
「ああ。今なら誰もいねえぞ」
念のためミアも周囲へ耳を向け、問題がないことを確認する。
コウイチはアイテムボックスから1匹目のホーンディアを取り出し、続けて2匹目も作業台の近くへ出した。
解体担当の男は2匹を見比べると、傷の位置を確認しながら頷いた。
「どっちも悪くねえな。こっちは首、もう1匹は脚もやられてるが、皮は十分取れる。角もほとんど傷んでねえ」
「その角なんだけど、今回は売らずに残してほしい」
男が顔を上げた。
「角だけか?」
「ああ。4本とも持ち帰る。皮と肉と骨、それから腱は全部売りたい」
「肉も買い取りでいいんだな?」
「頼む」
返事をしてから、コウイチは2匹のホーンディアへ目を向けた。
以前なら、価値がありそうな素材は何となく手元へ残しておこうと考えたかもしれない。アイテムボックスがある以上、収納場所に困るわけでもない。
ただ、使う予定のない物まで抱えていても金にはならないし、何が必要なのか分からないまま何でも残していれば、いずれ自分でも何を持っているのか把握できなくなる。
商品に使う物だけ残し、それ以外は売る。
その方が分かりやすい。
「今後もこんな感じで頼める? 自分で使いたい素材だけ残して、他はここで買い取ってほしいんだけど」
「そりゃこっちは助かるが……商売でも始めたのか?」
解体担当の男が笑いながら聞いてきた。
「……一応」
「冒険者なのか商人なのか分からなくなってきたな」
「俺も最近ちょっと分からない」
横でミアが小さく笑った。
「砥石の人です」
「それはやめろ」
「市場で聞きました」
「余計にやめてくれ」
解体担当まで笑い始めたため、コウイチは話を切り上げて受付へ戻った。
解体には少し時間がかかるというので、その間に遅めの昼食を取り、再びギルドへ戻る。
受付ではすでに処理が終わっており、解体費用と買い取り額について説明を受けたあと、皮や肉、骨、腱などの代金と、傷つけずに外された4本の角を受け取った。
今回の目的は角だったので、その他の素材から得た金はほとんど副収入のような感覚だったが、考えてみれば当たり前の話でもある。
商品を作るために狩りへ出ても、使わない部分を売れば冒険者としての稼ぎは残る。
狩りと商売が完全に別の仕事ではなくなり始めていることを、4本の角を見ながら改めて感じていると、受付の女性が手元の書類へ目を落とした。
「それと、ミアさん。少々よろしいでしょうか」
名前を呼ばれたミアが、少し意外そうに顔を上げた。
「私ですか?」
「はい」
受付の女性は別の書類を取り出し、内容を確認してからミアへ向き直った。
「今回の討伐記録も登録されました。これまでの依頼実績と討伐記録を含め、Dランクへの昇格基準を満たしています」
一瞬、ミアの表情が止まった。
「……Dランク?」
「はい。正式に昇格が承認されています」
ミアはすぐには返事をせず、隣にいるコウイチへ視線を向けた。
「コウイチ様と一緒だから、ですか?」
「いいえ」
受付の女性は迷わず首を横に振った。
「ミアさんご自身の実績です。これまでの討伐依頼での貢献、索敵や戦闘への参加、報告内容、それから危険な状況で無理をせず撤退した判断も記録されています。今回のホーンディア2匹だけで昇格したわけではありません」
その説明を聞きながら、コウイチは自分がDランクへ昇格した時のことを思い出していた。
自分だけがDランクへ上がり、ミアはあと少し実績が足りないと言われた。それからストーンエイプの討伐や、新しい狩場での探索を重ねてきた。
今回も、見つけた正体不明の魔物へ近づかず、大きな蹄跡も無理に追わなかった。戦える相手を倒すだけではなく、危険を避けて帰ってくることも冒険者としての実績になるのなら、ようやくそこまで届いたのだろう。
「登録証をお預かりします」
「……はい」
ミアは自分の登録証を差し出した。
手続きそのものは、それほど長くかからなかった。
しばらくして戻された登録証を両手で受け取り、ミアはそこに記されたDランクの表示をじっと見つめている。
「おめでとう、ミア」
声を掛けると、ミアは顔を上げた。
「ありがとうございます」
それだけ答えたあと、もう一度登録証を見る。
表情はいつもとそれほど変わらない。
ただ、尻尾だけが隠せず、ゆっくり左右へ揺れていた。
「そんなに嬉しい?」
「……少しです」
「尻尾はそう見えないけど」
言われた瞬間、ミアが自分の尻尾へ視線を落とした。
止めようとしたらしいが、うまく止まらない。
「見ないでください」
「無理だろ、それ」
コウイチが笑うと、ミアは少しだけ頬を膨らませた。
それでも登録証をしまう時の手つきは、いつもより慎重だった。
◇
ギルドを出たあと、2人はそのまま宿へ戻らず市場へ向かった。
手元にはホーンディアの角が4本ある。しかし昨日資料室で櫛について調べただけでは、実際にどんな形が使いやすいのかまでは分からない。
市場を歩いて探してみると、日用品を扱う店の一角に何種類かの櫛が並んでいた。
多いのは木製だった。
大きさも形もそれほど変わらないように見えたが、よく見ると歯の太さや間隔が少しずつ違う。装飾のない実用品もあれば、持ち手に模様を彫った物もあり、その中に数本だけ色の違う櫛が混じっていた。
「これ、魔物の角ですか?」
コウイチが尋ねると、店主の女性が頷いた。
「そうだよ。そっちはホーンディア。木より水に強いし、ちゃんと磨いてある物なら髪の通りもいい」
許可をもらって1本手に取る。
思っていたより薄い。
角そのものにはかなり厚みがあるのに、櫛になると手に収まる程度の板状になっている。歯も単純に真っ直ぐ削られているわけではなく、根元は少し太く、先へ行くほど細くなっていた。
「歯の間隔が違うのは?」
「髪によるね。細かけりゃいいってもんじゃないよ。髪が多い人なら、こっちみたいに少し広い方が使いやすいし」
「なるほど……」
コウイチは別の櫛も見比べた。
時計なら部品の形には理由がある。歯車の厚みも歯の角度も軸の太さも、適当に決まっているわけではない。
櫛だって同じなのだろう。
ただ歯が並んでいればいいわけではない。
「ミア、どれが使いやすそう?」
「私ですか?」
「俺より分かるだろ」
ミアは少し迷ったあと、店主の許可を得て何本か手に取った。
最初は見た目だけを比べていたが、そのうち実際に髪へ通してみる。耳の近くを避けながらゆっくり動かし、今度は別の櫛へ持ち替えた。
「こっちは少し引っかかります」
「どこが?」
「ここです」
ミアが示したのは歯の先端だった。
コウイチも指で触れてみたが、最初は違いがよく分からない。それでも何度か指先を滑らせるうちに、わずかに角が残っているような感触があった。
「こっちは?」
「そっちは使いやすいです」
値札を見ると、やはり少し高い。
単純に素材の違いだけではなさそうだ。
「磨きが違うんだよ」
店主が教えてくれた。
「角の櫛は切り出しただけじゃ使えないからね。歯を作って、それから何度も磨く。安い物はその辺が甘いこともあるよ」
「磨く……」
その言葉に、コウイチは少し引っかかった。
店主へ礼を言い、比較用として安い木製の櫛とホーンディアの角を使った櫛を1本ずつ購入する。
市場を離れてからも、頭に残っていたのは値段ではなかった。
「コウイチ様?」
「……いや。たぶん、使える物がある」
「何がですか?」
「帰ったら試してみよう」
◇
宿の部屋へ戻ると、コウイチは机の上へ4本の角と、買ってきた2本の櫛を並べた。
まず市販のホーンディア角の櫛をもう一度手に取り、厚みや歯の間隔、持ち手とのつながりを確認する。さらに歯を1本ずつ指先で触り、先端がどの程度丸められているのかも確かめていった。
機械式時計を扱っていた頃も、見ただけでは分からないことはいくらでもあった。部品を外し、触り、動かし、どこへ力が掛かっているのかを確認することで、ようやく構造が見えてくる。
櫛は時計ほど複雑ではないが、使える形には理由があるはずだった。
次にホーンディアの角を手に取り、より詳しく調べるため《鑑定》Lv2を使う。
【ホーンディアの角】
【品質:C】
【用途:加工素材】
【特性:硬質・耐水性】
表示された内容に特別なものはなかった。
コウイチは角と櫛を交互に見比べながら、どの方向へ切り出せば同じような形になるのかを考える。角は湾曲しているため、どこを使っても同じ大きさの櫛が取れるわけではなさそうだった。
「……1本の角から1個じゃないな」
「もっと作れますか?」
「たぶん。でも全部を櫛にできるわけでもないと思う。端の細いところなんかは、別の商品に使った方がよさそうだ」
髪留めや小さな装飾品なら使えるかもしれない。
そう考えると、1匹の魔物から何を取れるのかだけでなく、1つの素材をどこまで無駄なく使えるかでも利益は変わってくる。
コウイチはまず少量だけ試すことにした。
角を素材として机の上へ置き、市販品の形を思い浮かべながら《生成》を使う。
淡い光が角を包み、その一部が形を変えていく。
やがて現れたのは、手のひらより少し長い櫛だった。
《鑑定》Lv1。
【ホーンディア角の櫛】
【品質:C】
「できた」
素材を使ったことで、消費したMPは2だった。
見た目だけなら悪くない。市販品と並べても、形そのものに大きな違いはなかった。
ただ、形になったからといって、それで完成とは限らない。
時計を直していた頃、親方から何度も叩き込まれた考え方だった。
「ミア、使ってみて」
「はい」
ミアが受け取り、髪へ通した。
最初は問題なく動いていたが、耳の少し下まで来たところで手が止まる。
「どう?」
「……少し痛いです」
「どこ?」
「髪に引っかかります。さっきのお店の安い櫛に似ています」
返してもらい、改めて歯先を触る。
今度は市販品と交互に確かめてみると、ほんのわずかだが、生成した櫛の歯には角が残っているのが分かった。
形はできており、櫛として使えないわけではない。品質もCと表示されているが、実際の使い心地にはまだ問題が残っていた。
「仕上げか……」
市場の店主が言っていた。
角の櫛は、歯を作ったあとに何度も磨く。
そこで、さっきから頭の隅に引っかかっていたものがつながった。
「ミア。ストーンエイプの岩皮、まだ残ってたよな?」
「はい。砥石を作った残りがあります」
「少し出してみる」
アイテムボックスから残していた岩皮を取り出し、コウイチはその表面を確かめた。
これまで岩皮は砥石を作るための素材として見ていたが、本来の特徴は、刃物を研げることそのものではない。細かな硬質粒子で表面を削り、整えられることにある。
なら、刃物以外にも使えるはずだ。
コウイチは以前砥石を作った時の感触を思い出しながら、岩皮の粒子を利用した少量の研磨材を用意した。
それを櫛の歯先へ慎重に当て、いきなり強く削らず、指で感触を確かめながら少しずつ角を落としていく。歯と歯の間も同じように磨き、何度も市販品と触り比べた。
しばらくすると、最初に感じた小さな引っかかりが消えていた。
「これならどうだ?」
もう一度ミアへ渡す。
ミアは髪へ櫛を入れ、今度は途中で止めず、そのまま毛先まで通した。続けて反対側からも試し、最後に歯先を指で触ってからコウイチへ返す。
「……こっちは好きです」
「痛くない?」
「はい。引っかからないです」
コウイチは受け取った櫛へ《鑑定》Lv1を使った。
【ホーンディア角の櫛】
【品質:B】
「……上がった」
「何がですか?」
「品質。CからBになった」
生成した時点ではCだったものが、人の手で仕上げたことでBへ変わっている。
これは思っていた以上に大きな発見だった。
《生成》で作った物は、完成した瞬間にすべてが決まるわけではないらしい。今回のように仕上げの甘さが品質を下げているなら、人の手でそこを補うことで、さらに良くできる。
逆に言えば、《生成》ですべてを完成させる必要もない。
必要な形まで作り、最後の仕上げを別の方法で行えば、直接B品質を生成するよりMPを抑えられる可能性がある。
もちろん、何でも同じように品質が上がるとは限らない。それでも、少なくともこの櫛ではうまくいった。
「……面白いな」
「何がですか?」
「素材って、1個ずつ考えなくてもいいんだなって」
ミアが首を傾げる。
「ホーンディアの角だけじゃ、今の櫛にはならなかった。ストーンエイプの素材があったから仕上げられた。だったら、今まで使い道がないと思って売ってた素材にも、組み合わせれば何かできる物があるかもしれない」
「じゃあ、これから全部取っておきますか?」
「いや、それやったらキリがない」
即答すると、ミアが少し笑った。
「必要な物だけだよ。使い道が思いつかない物まで抱えてたら、何のために冒険者ギルドへ売るって決めたのか分からなくなるし」
「はい」
「何か作りたい物ができたら、その時に必要な素材を探せばいい」
その方が冒険へ出る理由にもなる。
商品を作りたいから素材を探し、素材を探すために魔物を調べる。倒した魔物の使わない部分は冒険者ギルドへ売り、そこで得た金を次の商品や装備へ回す。
冒険と商売が、少しずつ別々のものではなくなってきていた。
コウイチは完成した櫛を机へ戻そうとしたが、途中で手を止める。
「これ、ミアが使って」
「売らないんですか?」
「試作品だからな。毎日使って、歯が欠けないかとか、使ってるうちに引っかかるようにならないか見てほしい」
「分かりました」
ミアが素直に受け取る。
そこで終わってもよかったのだが、櫛を見ているミアの耳がわずかに動いたのを見て、コウイチは少しだけ言葉を足した。
「……まあ、気に入ったならそのまま使っていいよ」
ミアが顔を上げた。
「もらっていいんですか?」
「試作品だぞ?」
「でも、Bなんですよね?」
「そうだけど」
ミアはもう一度櫛を見て、それから少しだけはにかむように笑った。
「大事に使います」
「いや、壊れるか調べたいんだから普通に使ってくれ」
「普通に大事に使います」
「……そうか」
妙な返し方だと思いながらも、コウイチはそれ以上何も言わなかった。
ミアは自分の荷物へしまおうとして、少し考えたあと、もう一度櫛を取り出して髪を梳かし始めた。
その様子を見ながら、コウイチは市場に並んでいた商品を思い返す。
砥石を買うのは、包丁や刃物を使う人間だった。包丁を見に来るのは家庭で料理をする者や料理人で、髪留めを並べるようになってからは、それまで露店の前を通り過ぎていた若い女性も足を止めるようになった。
櫛を加えれば、また少し違う客が興味を持つかもしれない。
商品を増やすというのは、単純に売る物の数を増やすだけではない。今まで自分の店を見もしなかった人間に、立ち止まる理由を作ることでもあるのだろう。
「……次の露店、何本作るかな」
コウイチが呟くと、髪を梳かしていたミアがこちらを向いた。
「たくさん作りますか?」
「いや。まず少しだけだ」
砥石で一度失敗している。
売れるかどうかも分からない商品を大量に作るつもりはなかった。
「売れたら増やす」
「売れなかったら?」
「何で売れなかったか考える」
値段なのか、形なのか、それともそもそも需要がないのか。
分からないなら確かめればいい。
机の上にはホーンディアの角とストーンエイプの岩皮、それから市場で買った2本の櫛が並んでいる。
少し前までは、それぞれ別の物として見ていた素材と商品だった。
今はその間に、1つの商品が見えている。
コウイチは残った角を手に取り、次に作る櫛の形を考え始めた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の感想や印象に残った場面など、ひと言でもいただけると今後の執筆の励みになります。




