第44話◇ 評判の値段
朝食を終えたコウイチは、いつものように食器を返そうとして、厨房の奥で野菜を刻んでいる女将の手元に目を留めた。
使っているのは、何度も研ぎ直された古い包丁だった。手入れはされているようだが刃はかなり減っており、柄にも長年使い込んだ跡がある。
その包丁を見ているうちに、昨日の露店で売れ残った中型の包丁を思い出した。品質はCで、特別な高級品ではないが、市場で調べた同程度の包丁と比べても十分に使える出来だった。
「おばさん、ちょっといい?」
「ん? なんだい。朝飯ならもう食べただろ?」
「いや、飯じゃなくてさ」
コウイチは腰につけたマジックバッグから、昨日売れ残った包丁を取り出した。
「これ、使ってみてくれない?」
女将は差し出された包丁を受け取ると、最初は不思議そうに眺めていたが、刃の状態を確かめるように親指を軽く当てたところで表情を変えた。
「ずいぶんいい包丁じゃないか。これ、あんたが市場で売ってるやつだろ?」
「そう。昨日余ったんだ」
「それで、いくらだい?」
「いらないよ」
「馬鹿言うんじゃないよ。商売始めたばかりのくせに、売り物をただで配ってどうするんだい」
すぐに突き返されそうになり、コウイチは苦笑した。
「別に配って回るつもりはないって。毎日使う人に試してもらいたいんだよ。切れ味がどのくらい持つのかとか、使いにくいところがないかとか、俺が自分で野菜を何個か切ったくらいじゃ分からないだろ?」
「……本当にそれだけかい?」
疑うように目を細められ、コウイチは一瞬だけ言葉に詰まった。
毎日大量の食材を扱う宿の厨房なら、包丁の耐久性を見るには都合がいい。それは嘘ではないが、この宿には毎日多くの人間が出入りする。旅人もいれば冒険者もいるし、近所の人間が食事だけしに来ることもある。そんな場所で女将が気に入って使っていれば、誰かが興味を持つ可能性は十分にあった。
「……使った感想が欲しいのは本当だよ」
「その言い方だと、他にも何かありそうだね」
「まあ、気に入ったら誰かに話してくれても困らない」
女将は数秒コウイチを見つめたあと、呆れたように笑った。
「商売人らしくなってきたじゃないか」
「まだ冒険者のつもりなんだけどな」
「ただで包丁を置いていって、客に宣伝させようって冒険者は見たことないよ」
完全に見抜かれていたが、それでも包丁は返されず、女将は近くにあった根菜を1つ引き寄せると、その場で刃を入れた。ほとんど力を込めずに刃が通り、切り口を見た女将がもう一度包丁へ視線を落とす。
「……これ、本当にただでいいのかい?」
「今さら金取ったら、そっちの方が酷いだろ」
「じゃあ遠慮なくもらっとくよ。悪いところがあったらちゃんと言うからね」
「その方が助かる」
話がまとまり、コウイチが食堂へ戻ると、少し離れた席で待っていたミアがこちらを見ていた。
「どうした?」
「宣伝ですか?」
「……聞こえてた?」
「耳はいいので」
ミアは自分の犬耳を指差した。
「まあ、それもある。毎日使ってもらえば包丁の状態も分かるから、半分は試験みたいなものだよ」
「もう半分は宣伝ですか?」
「最近、余計なことまで分かるようになってきたな」
そう言うと、ミアはほんの少しだけ得意そうに笑った。
◇
前回の露店から3日後。
コウイチとミアは朝から市場に露店を出していた。前回、砥石が予想以上に売れたこともあり、今回は数を増やしてある。もちろん砥石だけにMPを使うわけにはいかないため限度は設けたが、前回より早くなくなることはないだろうと考えていた。
その考えが甘かったことに気づいたのは、店を開いてからそれほど経っていない頃だった。
「ここかい? 銅貨20枚の砥石を売ってるのは」
声を掛けてきたのは、買い物籠を腕に掛けた中年の女性だった。
「そうだけど」
「本当に20枚?」
「ああ。1個、銅貨20枚」
女性は砥石を手に取って表面を眺め、指先で触れてから少し首を傾げた。
「マルタさんが、よく研げるって言ってたんだけどね」
「マルタさん?」
「西通りのマルタさんだよ。知らないのかい?」
「……知らないな」
「自分の客くらい覚えときなよ」
そう言われても、前回だけで何人もの客が砥石を買っている。名前まで聞いた覚えはなかった。
女性はしばらく迷っていたが、銅貨20枚なら試してみてもいいと思ったらしく、1個購入して帰っていった。
その程度なら、コウイチも特に気にしなかった。
ところが少しして、今度は2人連れの女性がやって来た。
「砥石ってこれ?」
「そうだよ」
「本当に安いねぇ」
「だから言ったでしょう。マルタさんが買ったのと同じ店よ」
また同じ名前が出た。
2人はそれぞれ1個ずつ買い、そのうち片方は髪留めにも興味を示したため、ミアが使い方を説明することになった。
さらに少し経つと、今度は別の女性が来た。
「銅貨20枚の砥石、まだある?」
「ああ」
「2個ちょうだい。うちと娘のところで使うから」
気づけば、布の上に並べていた砥石が目に見えて減っていた。最初のうちはコウイチが対応していたが、包丁を見に来た客と重なったため、途中からミアも代金を受け取るようになった。
「砥石1個お願いします」
「はい。銅貨20枚です」
「あなた、この前もいた子よね?」
「はい」
「その髪留めもここで売ってるの?」
「そうです。こちらの小さいものなら軽いので、普段使うなら使いやすいと思います」
以前なら、知らない相手に突然話しかけられればコウイチへ視線を向けていたミアが、今では自分で商品を手に取り、相手の髪を見ながら説明している。
その様子を横目で見ながら包丁の代金を受け取っていたコウイチは、ふと奴隷商館で初めて会った時のミアを思い出した。あの頃は必要なこと以外ほとんど話さず、こちらの質問にも短く答えるだけだったのに、今では知らない女性相手に髪留めを勧めている。
変わったなと思ったものの、それを本人に言えば意識してしまいそうなので黙っておくことにした。
「コウイチ様」
「ん?」
「砥石、あと3個です」
「……もう?」
太陽の位置を見れば、まだ昼には早い。前回より多く用意してきたにもかかわらず、売れる速度は明らかに前回より速かった。
そして残った3個も長くは持たなかった。
「ここで砥石が安く買えるって聞いたんだけど」
やって来た女性が2個買い、その少し後に別の客が最後の1個を持っていった。
コウイチは銅貨を受け取ると、何も置かれていない砥石の場所をしばらく眺めた。
「……なくなったな」
「なくなりましたね」
「前より増やしたんだけどな」
「今日はたくさん来ました」
確かにそうだった。しかも今日の客には、前回見た覚えのない顔が多い。話を聞いていると、どうやら最初に買った誰かが近所の人間に話し、それを聞いた人間がさらに別の人間へ話しているらしい。
銅貨20枚という値段も広まりやすかったのだろう。安いだけなら粗悪品を疑われるが、先に買った人間が実際に使って「ちゃんと研げる」と話せば、その疑いまで一緒に消えていく。
自分がいくら「品質は悪くない」と説明するより、実際に金を払って使った人間の一言の方が信用される。
そこで、厨房に包丁を置いてきたことを思い出した。
「……思ったより効くな」
「何がですか?」
「口コミ」
「クチコミ?」
「使った人が、他の人に良かったって話すこと。今日来た人たちも、それを聞いて来ただろ?」
「ああ……」
ミアは納得したように頷いてから、空になった砥石の場所を見た。
「じゃあ、宿の包丁も?」
「それを狙ってる」
「やっぱり宣伝ですね」
「試してもらうのも本当だって」
ミアがまた少し笑った。
その後もしばらく露店を続けたが、砥石目当てで来た客に売る物がなくなったこともあり、コウイチは昼前には片付けることにした。
「もう終わりですか?」
「今日は十分売れたからな。それに、せっかく午後が空いたんだ。ちょっと調べたいことがある」
「何を調べるんですか?」
「次に売る物」
砥石が売れることは、もうかなり確信できた。だからといって砥石だけを増やし続けるつもりはない。単価が低い以上、数を作ればその分だけ《生成》にMPを使うし、自分で露店に立って売る時間も必要になる。
それなら、同じ客が興味を持ちそうな別の商品を増やした方がいい。
露店を片付けた2人は昼食を簡単に済ませ、そのまま商業ギルドへ向かった。
◇
商業ギルドへ入ると、午前中の混雑が一段落したところらしく、受付には何人か職員がいるだけだった。コウイチは空いている窓口へ向かい、登録証を出した。
「少し聞きたいことがあるんだけど」
「はい。どのようなことでしょうか?」
「女性がよく買う商品を探してる。毎日大量に売れるようなものじゃなくてもいいんだけど、できれば値段に幅をつけられる物がいい」
職員はすぐには答えず、少し考えるようにコウイチを見た。
「現在扱っていらっしゃる商品と組み合わせて販売されるのでしょうか?」
「そのつもり。今は砥石と包丁、それから魔物素材の髪留めを売ってる」
「なるほど。でしたら、髪留めと客層が近い商品がよろしいかもしれませんね」
職員はいくつかの商品を挙げながら、それぞれどの程度の客が買うのかを説明してくれた。コウイチは聞きながら、自分でも扱えそうか、材料を入手できるかを考えていたが、その中の1つで興味を引かれた。
「櫛?」
「はい。木製の櫛でしたら安価なものも多いのですが、女性には魔物の角や骨を加工したものも人気があります。木製より水気に強く、素材によっては歯を細く作れますし、磨いた時の艶を好まれる方もいらっしゃいます」
「髪留めと同じような素材で作れるのか」
「安価なものでしたら。ただし、櫛は素材による価格差がかなり大きい商品ですね」
その言葉に、コウイチは興味を持った。
「どのくらい違う?」
「一般家庭で使われるものから、贈答品として扱われるものまであります。加工の良し悪しもありますが、特に魔物素材の場合は、何の素材を使ったかで価値が大きく変わります」
包丁では同じ鉄を使っていても、品質によって値段が変わった。今度は素材そのものが価格を決める。
「例えば?」
「安価なものですと、ホーンディアの角がよく使われます。比較的加工しやすく、磨けば綺麗な艶が出ますので」
「ホーンディアは何ランク?」
「Fランクです」
Fなら素材の入手は難しくない。
ただ、職員が「安価なもの」と言った以上、もっと高い素材もあるはずだった。
「高い方は?」
「ムーンディアの角ですね。こちらは白に近い色をしておりまして、丁寧に磨くと乳白色の独特な艶が出ます。櫛だけでなく装飾品にも使われる素材です」
「それは?」
「Dランクになります」
Fから一気にDまで上がった。
「同じ鹿みたいな魔物なのに、そんなに違うのか」
「見た目は似ていますが、ムーンディアはかなり大型ですし、何より速いんです。追い詰めれば角に魔力を集中させて突進してきますから、討伐にはDランクが推奨されています」
今の自分なら資格上は挑めるが、Dランクへ上がったからといってDランクの魔物を簡単に倒せるわけではない。それはグレイヴァルとの戦いで嫌というほど分かっている。
「その2種類、同じところにいるの?」
「白樹の森です。ただし、生息域はかなり離れています」
聞いたことのない名前だった。
「どこにある?」
職員がカウンターの下から周辺地図を取り出し、ラグナードから南東へ伸びる道を指で辿っていく。
「こちらです。徒歩でしたら3時間から4時間ほどでしょうか。黒狼の森より少し遠いですが、道そのものは比較的安全です」
地図に記された森は、コウイチが想像していたより広かった。
「外側にはFランクの魔物が多く、新人冒険者もよく素材採取に入ります。中央部へ進むとEランクの魔物が増え、さらに深部ではDランクの魔物も確認されていますので、奥へ進まれる場合は注意してください」
「FからDまで同じ森にいるのか」
「森が広いですからね。それに環境も場所によってかなり違います。白樹の森は魔物素材を目的に入る冒険者も多いですよ」
その一言に、コウイチは地図から顔を上げた。
「素材を?」
「はい。ホーンディアの角以外にも、商業素材として使われる魔物が何種類か生息しています」
「例えば?」
「中央部でしたらオイルリザードやグラスビーが有名ですね。オイルリザードから採れる脂は加工油や軟膏の材料になりますし、グラスビーの巣から採れる蝋も複数の用途があります。ただ、グラスビーは群れで行動しますので、素材目当てで近づく場合には十分お気をつけください」
櫛の話を聞きに来ただけだったはずなのに、知らない素材が次々に出てくる。コウイチはもう一度地図へ目を落とした。
外縁部には安価な日用品の材料になる魔物がいて、中央部には別の用途を持つ素材があり、さらに奥には高級品の材料になるムーンディアもいる。危険度だけで素材の値段が決まるわけではないだろうが、これまで知らなかった商売の可能性が、この森にはいくつもありそうだった。
これまで魔物を狩る時は、依頼の対象か、経験値になるか、ギルドへ持ち込めばいくらになるかを先に考えていた。ストーンエイプを狩り始めてから、そこに「自分の商品にできるか」という見方が加わった。
白樹の森は、その先にある。
「この森にいる魔物について、詳しく調べられる資料はある?」
「ギルドの資料室にいくつかございます。一般向けの魔物図鑑にも主要な種類は載っていますよ」
「じゃあ、それを見てから行くことにする」
隣で話を聞いていたミアが、その言葉に反応した。
「本、見に行くんですか?」
「行くよ。知らない森に、商品の話だけ聞いて入るのは怖いからな」
「はい」
ミアの返事が妙に嬉しそうだった。
コウイチは登録証を受け取りながら、もう一度地図に記された白樹の森を見る。最初からDランクのムーンディアを狙う必要はない。まずは外縁部へ行き、ホーンディアを探せばいい。櫛を作って実際に売れるのか確かめる方が先だった。
それでも、森の奥に何がいるのかは知っておきたい。分からないまま進む必要はないのだから。
「行こうか、ミア」
「はい」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の感想や印象に残った場面など、ひと言でもいただけると今後の執筆の励みになります。




