第40話◇ 砥石の値段
商業ギルドを出ると、昼を少し過ぎた通りには朝とは違う賑わいがあり、露店から流れてくる焼いた肉の匂いに混じって商人たちの呼び声が響いていた。その間を荷車や買い物客、装備を身につけた冒険者たちが行き交っている。
コウイチはその流れに混じりながら、市場の奥に並んでいる道具屋や金物屋の看板へ目を向けた。商業ギルドの図書室でストーンエイプの素材が研磨材として使われていることは分かったが、それだけでは商売になるかどうかまでは判断できない。まず知りたいのは、実際にこの町で砥石がいくらで売られているのかだった。
「砥石って、どこに売ってるんでしょう」
隣を歩くミアが店先を見回しながら訊いてくる。
「武器屋にもあるだろうけど、今日は普通のやつが見たいんだ。冒険者が使うような高いものじゃなくて、家で包丁を研いだり、農具を手入れしたりするやつ」
「さっきの本に載っていたものですね」
「ああ。本には使い道までは書いてあったけど、値段までは載ってなかったからな」
売るものを考えるなら、まず今あるものを知らなければならない。時計を修理していた頃だって、壊れた原因を確かめずに部品を交換することはなかったし、商売もたぶん同じなのだろうと考えながら歩いていると、刃物だけではなく鍋や工具、釘などまで扱っている小さな金物屋が目に入った。
店先には包丁や鎌、鉈が吊るされ、その脇に置かれた木箱には、灰色や茶色をした四角い石がいくつも積まれている。
「たぶん、あれだな」
コウイチが近づくと、店の奥で椅子に座っていた中年の男が顔を上げた。
「いらっしゃい。何か探してるのか?」
「砥石を見たいんだけど」
「包丁用か? 剣ならもう少し硬いのがあるぞ」
「普通の包丁用でいい」
男は木箱から1つ取り出すと、コウイチの前へ置いた。手のひらより少し大きい長方形で、表面には細かな凹凸があり、見たところ日本にいた頃に見かけた砥石と大きく違うものではない。
「これなら銅貨40枚だ」
「……40枚?」
予想していたより高く、コウイチは思わず聞き返しながら砥石を手に取った。表面を親指で軽く撫でてから《鑑定》Lv3を使うと、品質はCで、鉄製刃物の研磨に使う一般的な中砥程度のものだと分かった。
特別な品ではない。それでも銅貨40枚するということは、日用品として気軽に買い替えられるほど安いものでもないのだろう。
「高いか?」
こちらの表情を見ていた店主が笑う。
「包丁と比べたらな。でも、ちゃんと使えば長く持つ。そこらの石を拾ってきて擦ったって、刃を傷めるだけだ」
「材料が高いのか?」
「材料もあるが、面倒なのは作る方だな。石なら何でもいいわけじゃないから、研ぎに使えるものを選んで砕いて、使えないものを除いてから粒を揃える。それを固めて形にするんだが、粒がバラバラだと刃に傷が入るからな」
その説明を聞いて、コウイチは商業ギルドで読んだストーンエイプの記述を思い出した。
素材そのものが極端に珍しいわけではないのに、選別し、砕き、粒を揃え、使える形に加工するまでに手間がかかる。その手間が商品の値段に乗っているのなら、《生成》で工程の一部を飛ばせる自分には、十分に入り込む余地があるかもしれない。
「ストーンエイプの素材を使った砥石もある?」
「あるぞ」
店主は棚の上段に手を伸ばすと、今度は少し黒っぽい砥石を取り出した。
「こっちは銀貨1枚と銅貨10枚だ」
「そんなに違うのか」
「研ぎやすいんだよ。ストーンエイプの岩皮は、場所さえ選べば粒が細かくてな。鍛冶屋なんかは粉にして使うこともあるらしい。ただ、同じ岩皮でも場所によって質が違うから、使えるところを選り分けるのが面倒なんだ」
コウイチは黒っぽい砥石も手に取り、今度も《鑑定》Lv3を使ってみた。こちらも品質そのものはCだったが、最初の砥石より研磨効率が良く、確かに値段が高くなるだけの違いはある。
とはいえ、銀貨1枚と銅貨10枚となれば、最初に見た砥石のおよそ3倍だ。
「普通の家なら、こっちはあまり買わないな」
「まあな。料理人や職人なら買う奴もいるが、家で使うだけなら銅貨40枚ので十分だ。高い方がよく研げるからって、誰もが高い方を買えるわけじゃない」
店主の何気ない言葉に、コウイチは2つの砥石を見比べた。
性能が高ければ、それだけで商品として優れているわけではない。必要な働きをして、必要な人が無理なく買える値段に収まっていることも、日用品なら重要なのだろう。
「この銅貨40枚の方、1つもらう」
「毎度」
代金を払って店を出ると、ミアがコウイチの持っている砥石を見た。
「買うんですか?」
「比較するものがないと、作った時に良いのか悪いのか分からないだろ。少なくとも、これと同じくらい使えなきゃ銅貨20枚でも売れない」
「20枚なんですか?」
「まだ決めてないけどな。ただ、同じ程度に使えて半分なら、試してみようと思う人はいるんじゃないかと思ってる」
ミアはなるほどというように頷いたものの、少し歩いてから再びコウイチの手元へ視線を向けた。
「では、これから作ってみるんですか?」
「いや、先に材料の方を調べる。ストーンエイプ1匹からどれくらい取れるのかも知らないし、素材そのものが高かったら半額で売る意味がなくなるからな」
「慎重ですね」
「ミスリルで懲りたんだよ。よく分からないまま作って、またMPを根こそぎ持っていかれたらたまらない」
「そっちなんですね」
「かなり大事だぞ」
ミアが小さく笑ったので、コウイチもわずかに口元を緩めた。
ただ、冗談だけでもない。今回は1つ作って満足するための《生成》ではなく、売るために同じものを何度も作る可能性がある。材料だけではなくMPまで含めて、どれくらいの負担で作れるのかを知っておかなければ商売にはならない。
買った砥石をマジックバッグへしまうと、コウイチはミアとともに冒険者ギルドへ向かった。
◇
「ストーンエイプの岩皮?」
冒険者ギルドの解体場で作業をしていた男は、血の付いた前掛けで手を拭いながら顔を上げた。
「ああ。あれって、1匹からどのくらい取れる?」
「急にどうした。防具でも作るのか?」
「ちょっと使いたいことがあってな」
男は怪訝そうな顔をしたものの、それ以上は追及せず、少し考えてから作業台へ腰を預けた。
「大きさにもよるが、成体ならまともに使える部分だけでも15キロから20キロくらいは取れる。ただし、全部が同じ質じゃないぞ。背中と腕じゃ硬さも違うし、傷んでるところも混じるからな」
「15キロ以上あるのか?」
思っていたよりずっと多かった。
「見たことあるだろ。あいつらの岩皮は分厚いからな。ただ、武器や防具に使えるほど質のいい部分は少ないし、重い割に用途も限られてる。だから量が取れるからって高く売れるわけじゃない」
「ギルドに売った場合は?」
「岩皮だけなら状態次第で銀貨1枚から2枚くらいだな。質のいいところだけ別にすればもう少し値がつくこともあるが、普通に持ち込まれる程度ならそんなもんだ」
コウイチは買ったばかりの砥石の大きさを頭に浮かべながら、15キロという量を重ねてみた。
もちろん、そのまま全部を商品にできるとは思っていない。質の悪い部分を除けば減るだろうし、砕いて選別する工程でも使えないものが出る。それでも、1匹分の岩皮そのものが銀貨1枚から2枚程度なら、店頭で銅貨40枚する砥石の値段を押し上げている大きな理由は、やはり素材より加工の方にあると考えてよさそうだった。
「やっぱり、手間の方が高いのか……」
「何の話だ?」
「こっちの話。ところで、ストーンエイプの討伐依頼って今ある?」
「それなら受付で聞いた方が早い。最近、北東の岩場で増えてるって話は聞いたぞ」
「北の森とは別の場所か?」
「ああ。あっちにもいるが、今回の話は北東の岩場だ。採取に来る連中が襲われたらしくてな」
礼を言って解体場を出ると、すぐにミアが隣へ並んだ。
「狩るんですか?」
「ああ。素材を買って試してもいいけど、依頼があるなら自分たちで取った方がいい。討伐報酬も入るし、ギルドの実績にもなるからな」
「前なら、そのまま勝手に狩りに行っていましたね」
「……それは言わないでくれ」
「本当のことです」
「最近ちょっと受付の人に似てきたぞ」
ミアが楽しそうに尻尾を揺らしたので、コウイチは苦笑しながら掲示板へ向かった。
ストーンエイプの討伐依頼はすぐに見つかった。ラグナード北東の岩場に数匹が住み着き、近くで採取をしている者が襲われたらしい。Eランク向けで、討伐した数に応じて報酬が追加されると書かれている。
「これにするか」
「はい」
ミアの返事に迷いはなく、コウイチは依頼票を外しながら、以前ストーンエイプと戦った時のことを思い出した。
あの時は硬い岩皮と太い腕を見て、どう攻撃を通すかばかり考えていた。それが今では、同じ魔物を見ても、倒した後にどれほどの素材が取れ、その素材から何を作れるのかまで考えるようになっている。
魔物を倒して素材を売るだけだった頃から考えれば、少しは見えるものが増えたのかもしれない。
依頼票を持って受付へ向かいかけたところで、コウイチは足を緩めた。
「どうしました?」
「さっきの話なんだけどな。1匹から15キロ以上取れるって言ってただろ」
「はい」
「全部使えるわけじゃないとしても、あの大きさの砥石ならかなり作れる気がするんだよな」
ミアも先ほど見た砥石を思い出したのか、両手でおおよその大きさを作ってから首を傾げた。
「何個くらいでしょう?」
「分からない。でも、それを確かめるために狩るんだ。実際の素材を《鑑定》して、普通の砥石とも比べて、それから1個だけ作ってみる」
「今度は順番がありますね」
「ミスリルのおかげだな」
「高い勉強代でしたね」
「本当にな」
コウイチは苦笑しながら、依頼票を受付へ持っていった。
◇
翌朝、ラグナードの門を出たコウイチは、背負っていた槍の位置を直しながら北東へ続く道を歩いていた。
隣ではミアが周囲の音に耳を向け、ときおり風の匂いを確かめている。以前なら、その姿を見ても索敵を任せているという意識の方が強かったが、今ではミアが立ち止まれば自分も自然に足を緩め、彼女が何も言わなければそのまま進む。それが当たり前になりつつあった。
「ストーンエイプ、前にも倒しましたね」
「ああ。あの時は砥石になるなんて考えてもいなかったけどな」
「今日は砥石にするために倒すんですね」
「間違ってないけど、言い方が妙なんだよな……」
「違いませんよね?」
「違わない」
ミアの尻尾が小さく揺れるのを横目で見ながら、コウイチは自分の残りMPを確認した。朝まで休んだおかげで十分に回復しており、《穿牙》を使う余裕もある。
ただ、今日は何匹のストーンエイプと戦うことになるか分からないうえ、宿へ戻った後には手に入れた素材を使って《生成》を試したい。戦闘でMPを使い切ってしまえば、素材を持ち帰ってもその日のうちに試作できなくなってしまう。
「ミア、今日は《穿牙》を使いすぎないようにする」
「温存ですか?」
「ああ。普通に倒せるなら槍術だけでいく。何匹か狩るなら後半に何があるか分からないし、夜には《生成》もしたいからな」
ミアは少し考えるように耳を動かした。
「では、危ない時だけですね」
「そうするつもりだ。……まあ、3回くらいまでなら使ってもいいかな」
「3回ですか?」
「今の消費なら、3回でMP30だろ。残りが62あれば試作する余裕もありそうだけど、実際に何MPかかるかは作ってみないと分からないからな」
「MPもお金みたいですね」
思いがけない言葉に、コウイチはミアを見た。
「……確かにそうかもな」
使える量には限りがあり、何に使うかを考えなければならない。強い技を覚えたからといって、何も考えずに使い続ければいいわけではなくなったのは、《生成》で作りたいものが増えたからでもある。
「じゃあ、《穿牙》は1日3回までを目安にするか」
「分かりました」
「ただし、危なくなったら回数は無視するぞ。MPを残すために怪我したら意味がない」
「はい。それなら安心です」
そんな話をしながら岩場へ近づいていくと、先ほどまで一定だったミアの歩調がわずかに変わった。
コウイチは何も聞かずに足を止める。
ミアの耳が前方へ向き、しばらく周囲の音を拾ったあと、今度は風の流れを確かめるように鼻を動かした。
「います。今分かるのは1匹だけで、少し先の大きな岩の向こうです」
「こっちには?」
「まだ気づいていないと思います」
「なら、近づこう」
風向きを確認してから岩陰を使い、できるだけ音を立てないように距離を詰めていくと、やがて岩の隙間から灰色の大きな背中が見えてきた。
ストーンエイプだった。
肩から背中を覆う硬そうな岩皮も、地面につきそうなほど長く太い腕も、以前見た個体と大きく変わらない。それなのに、コウイチには前とは少し違って見えた。
以前は、どこなら槍が通るのか、あの腕で殴られたらどう避けるのか、そればかりを考えていた。もちろん今も警戒すべき相手であることに変わりはないが、その岩皮を見れば、頭の片隅には昨日聞いた「15キロから20キロ」という数字まで浮かんでくる。
「……なんか、変な感じだな」
「何がですか?」
「あれを見て、強そうだと思うのと一緒に、砥石が何個作れるんだろうって考えてる」
ミアは岩陰からストーンエイプを覗き、それからコウイチへ視線を戻した。
「倒してから数えればいいと思います」
「それもそうだな」
思わず笑いそうになったが、槍を握り直す頃には意識を目の前の魔物へ戻した。
商品になる素材だろうが、Eランクの魔物であることに変わりはなく、太い腕の一撃をまともに受ければ大怪我では済まないかもしれない。金のことを考えて油断するほど、コウイチも慣れたつもりはなかった。
「ミア、いつも通りでいく。俺が正面を取るから、無理に急所を狙わなくていい。確実にいける時だけ頼む」
「はい」
コウイチが岩陰から踏み出すと、ストーンエイプがこちらに気づいた。
低い唸り声を響かせながら身体を起こし、太い腕で地面を叩く。その衝撃で小石が跳ねたのを見ながら、コウイチは槍先をわずかに下げ、相手が最初にどう動くのかを待った。
砥石になるとしても、まず倒さなければ話にならない。
ストーンエイプが地面を蹴った瞬間、コウイチも槍を構え直した。




