第39話◇ 高い理由
冒険者ギルドを出たあと、コウイチとミアは予定どおり商業ギルドへ向かっていた。
昨日の指名依頼の報酬として、先ほど受け取ったのは銀貨64枚。基本報酬の50枚に、想定以上の危険に対する追加報酬10枚と、ケイブバット2匹の素材買取純額4枚を合わせた金額だ。Dランクへの昇格まで含めれば、かなり実りの大きな仕事だったと言っていい。
もっとも、銀貨64枚のすべてを自分1人で稼いだとは、コウイチは考えていなかった。
洞窟までの道中ではミアが《索敵》を使い、調査中も周囲への警戒を続けていた。ケイブバットの接近に気づいたのも彼女が先だったし、戦闘になれば自分から短剣を抜き、カイルが襲われた時には迷わず前へ出ている。
奴隷なのだから主人のために働くのは当然――この世界では、そう考える方が普通なのだろうし、実際にミア自身も最初はそう思っていた。
だから少し前、コウイチが初めて金を渡そうとした時も、なかなか受け取ろうとしなかった。
『これは何ですか?』
『小遣い』
『……小遣い?』
『ミアも働いてるだろ。その分』
ミアは差し出された硬貨とコウイチの顔を何度も見比べたあと、困ったように耳を伏せていた。
『でも、私は奴隷です』
『知ってるよ』
『奴隷は、お金をもらいません』
やはりそういうものらしい。
食事は主人が用意し、服も寝床も主人が用意する。その代わりに奴隷は働く。それがこの世界では当たり前で、奴隷自身が自由に使える金を持つ必要はないのだという。
理屈は分かる。
だが、一緒に魔物と戦い、素材を運び、依頼をこなしている相手が何も持たず、自分だけが報酬を受け取るというのは、コウイチにはどうにも座りが悪かった。
『食事も装備も俺が出す。それとは別に、ミアが働いた分から少しくらい自分で使える金があってもいいだろ』
『欲しいものがあれば、コウイチ様に言います』
『それじゃ俺が買ったことになるだろ』
『……はい?』
『ミアが自分で欲しいと思ったものを、自分で買う金だよ』
説明しても、最初はあまり理解していないようだった。それでもコウイチが「使わなくてもいいから持っておけ」と押しつけるように渡すと、ミアはようやく受け取った。
以来、依頼や狩りでミアがきちんと働いた時には、コウイチの判断で少額を渡すようにしている。報酬の何割と決めているわけではなく、食費や宿代、装備の維持費はすべてコウイチが負担しているので、まだ給料と呼べるほど大げさなものでもない。
あくまで小遣いだが、それでもミアは渡された金を小さな革の財布へ大切にしまっていた。
ただ、まだほとんど使ったことがない。
「ミア」
「はい?」
「昨日の分、あとで渡すからな」
歩きながらそう言うと、ミアがこちらを見上げた。
「昨日の分?」
「小遣い」
「あ……」
「今回は指名依頼だったし、いつもより多めでいいだろ」
「でも、装備も買ってもらいました」
「それは必要経費」
「ひつようけいひ……」
「仕事するために必要な金ってこと」
ミアは分かったような、分かっていないような顔をしている。
「それと小遣いは別」
「……コウイチ様は変わっています」
「よく言われる」
「誰にですか?」
「……そう言われると、あんまり言われてないな」
ミアが小さく笑った。
以前なら、こういう時でも表情を崩すことは少なかった。それを思えば、随分変わったものだとコウイチは思う。
◇
商業ギルドへ着くと、2人はそのまま図書室の受付へ向かった。
以前と同じく、第五級会員であるコウイチの利用料は2時間で銀貨1枚。会員は同伴者を1人まで連れて利用できるため、ミアと一緒でも料金は変わらない。
財布を出そうとしたところで、隣にいたミアが先に自分の財布を取り出した。
「今日は私が払います」
「……え?」
コウイチの手が止まる。
ミアは小さな財布から銀貨1枚を取り出していた。
「ちょっと待て。それ、自分の金だろ」
「はい」
「俺も調べ物するんだから、俺が払うよ」
「でも、私も本を読みます」
「それはいいけど」
ミアは銀貨を握ったまま、引っ込めようとしない。
これまで欲しいものがあっても、必要ならコウイチが買っていた。本人が金を持つようになってからも、ほとんど財布を開くことはなかった。
「……使っていいのか?」
「私のお金ですよね?」
「ああ」
「では、使ってもいいですよね?」
言われて、コウイチは返事に詰まった。
そのために渡した金なのだから、当然である。
「そりゃそうだけど……銀貨1枚だぞ。結構するぞ?」
「知っています」
「2時間でなくなるんだぞ?」
「はい」
「本も持って帰れないぞ?」
「はい」
それでもミアは銀貨をしまわなかった。
「読みたいです」
コウイチは少しだけ黙った。
自分で働いて得た金を、自分が欲しいと思ったものに使う。それをさせるために渡したはずなのに、いざミアが本当に使おうとすると、なぜかこちらの方が落ち着かない。
「……分かった。じゃあ今日はミアが払うか」
「はい」
ミアは受付へ銀貨を差し出した。
硬貨が受付台へ置かれ、小さな音を立てる。
たったそれだけのことなのに、ミアは銀貨が受付の向こうへ消えるまでじっと見ていた。
「……減りました」
「そりゃ使ったからな」
「はい」
「惜しくなった?」
ミアは少し考え、それから首を横に振った。
「大丈夫です。2時間読めますから」
「ならいい」
そう答えながら、コウイチは少し笑った。
金を持つことと、金を使うことは違う。今日ミアは初めて、自分でその価値を選んだのかもしれない。
◇
図書室へ入ると、ミアは以前にも使った棚へ向かった。
最初に読んだのは、絵の多い魔物や動物の本だった。知っている生き物の絵と文字を結びつけることで、少しずつ読める言葉が増えているらしい。
コウイチはそれを横目で確認してから、自分の目的である鉱物関係の棚へ向かった。
探しているのはミスリルだが、正確にはミスリルそのものではなく、どうやって鉱石から金属にするのかを知りたかった。
先日、赤岩の谷で拾ったミスリルを含む鉱石から、コウイチは《生成》によってミアの短剣を作った。品質はBで、出来上がったものに問題はないものの、その時に消費したMPはあまりにも多かった。
棚を探していると、『アルカディア鉱物誌』という分厚い本が見つかった。
机へ運び、目次からミスリルの項目を探す。
幸い、こちらは読めた。
記述を追っていくと、ミスリルは単体の塊として採れることは少なく、多くの場合は他の鉱物と混じった鉱石として産出するとある。
そこまでは知っているが、問題はその先だった。
採掘した鉱石から不要な部分を選り分け、砕き、精錬によって純度を高める。しかも精錬条件は鉱石に混じる成分によって異なり、炉の温度だけではなく、炉内の魔力濃度まで仕上がりに影響する場合があるらしい。
コウイチの指が止まった。
「……炉の魔力濃度?」
もう一度読む。
間違っていない。
さらに先には、精錬したミスリルを他の金属と合わせる場合の注意まで書かれており、当然ながら配合も一つではなかった。硬さを求めるのか、粘りを求めるのか、魔力伝導を重視するのかによって適した配合が変わるため、同じミスリル合金でも使い道ごとに必要な知識が違うらしい。
そこでコウイチは、ようやく自分がやったことの異常さに気づいた。
自分は鉱石を選別していなければ、砕いても炉に入れてもいない。どの成分を取り除くべきかも知らず、どの金属をどれだけ混ぜれば短剣に適した合金になるのかも分からないまま、《生成》していた。
「……俺、何も知らないじゃないか」
完成した短剣を見て、作れたと思っていた。
だが、時計で考えればおかしい。歯車の形だけ知っていても、その材質も歯数も他の部品との噛み合わせも分からなければ、まともな時計にはならない。
それでも《生成》は完成品を作り、代わりにあれだけのMPを奪った。
ミスリルという素材そのものが大量のMPを要求する可能性もあるし、希少な素材ほど生成に必要な魔力が増えるだけかもしれない。だが、もう1つ考えられるのは、自分が知らなかった部分を《生成》が魔力で補ったのではないかということだった。
もしそうなら、精錬や合金の仕組みを知り、短剣に適した構造をもっと理解することで、同じものを作るためのMPが減る可能性がある。
まだ仮説に過ぎないが、確認するにはもっと調べる必要がある。
「コウイチ様」
「ん?」
顔を上げると、いつの間にかミアが隣に立っていた。
本を抱えている。
「これが読めません」
指差された部分を見る。
「どれ?」
「ここです」
コウイチは文字を目で追い――止まった。
「……」
「……」
「ちょっと待って」
「はい」
もう一度見る。
やはり分からない。
「分からない」
ミアの耳がぴくりと動いた。
「コウイチ様も?」
「俺だって全部読めるわけじゃないよ」
「そうなんですか?」
「どういう人間だと思ってたんだ」
ミアは答えなかった。
少し気になる。
「前は読めないところがあったらどうしてた?」
「飛ばしていました」
「今日は?」
ミアは本へ視線を落とした。
「気になります」
「そこだけ?」
「分からないままだと、その後も分からなくなるので」
コウイチは少しだけ目を細めた。
「じゃあ聞くか」
「誰にですか?」
「ここで働いてる人」
2人で受付へ戻り、職員に文字を見せる。
どうやら現在はあまり使われなくなった古い言葉らしく、職員も別の資料を確認してから意味を教えてくれた。
席へ戻る途中、ミアは教えてもらった言葉を何度か小さく口にしていた。
「そんなに気になってた?」
「はい」
「分かって満足した?」
ミアは頷いたあと、少しだけはにかんだ。
「分かった時、嬉しいです」
「……分かる」
「コウイチ様もですか?」
「ああ。分からないと気になるし、分かったら試したくなる」
自分の机に置いてある『アルカディア鉱物誌』を見る。
ミアもその本へ視線を向けた。
「やっぱり似ていますね」
「そうか?」
「はい」
コウイチは否定しかけたが、やめた。
◇
残り時間が少なくなったところで、コウイチは鉱物誌を棚へ戻した。
ミスリルについては、まだ調べたいことが山ほどある。だが今日は、それだけで2時間を使い切るつもりもなかった。
Dランクになったことで、これまでより危険な場所へ行く機会も増える。どんな魔物がいて、何が取れるのかを知っておきたいと考え、今度は魔物素材について書かれた本を手に取った。
ページをめくっていると、見覚えのある名前が目に入る。
ストーンエイプ。
以前、北の森で戦ったEランクの魔物だ。
大きな身体を覆う岩質の外皮は防具や建材の一部に使われることがあり、その中でも一部の岩質は刃物や金属を磨く研磨材として利用される。
「研磨材……」
そこでコウイチは市場で見た砥石を思い出した。
決して高級品ではない、家庭や職人が使う普通の砥石でも、思ったより値段が高かった記憶がある。
続きを読む。
ストーンエイプから取れる研磨材そのものは極端に希少ではないが、問題は加工だった。
採れる岩質にはばらつきがあり、研磨材として使うには適した部分を選び、砕き、粒の粗さを揃え、用途に合わせて成形する必要がある。その手間が大きいため、原料価格に比べて完成品の価格が高くなりやすいらしい。
コウイチはページを戻し、もう一度読んだ。
ストーンエイプはEランクで、今の自分たちなら以前より安全に戦える。しかも身体が大きいので、もし1匹から使える研磨材が大量に取れるなら、商売に使える可能性もある。
ただ、そこで考えるのを止めた。
1匹からどれくらい取れるのか、原料としていくらなのか、完成した砥石はいくらで売られているのか。そもそも自分の《生成》で、日用品として使える砥石を安定して作れるのかも分からない。
作れるかどうかより先に、何を作ろうとしているのかを知りたい。
ミスリルで、その必要性を思い知ったばかりだった。
「そろそろ時間です」
職員の声が聞こえた。
向かいを見ると、ミアも名残惜しそうに本を閉じている。
「続き、読みたい?」
「はい」
「また来るか」
ミアは自分の財布へ触れた。
「次も私が払います」
「毎回払わなくていいぞ」
「私のお金です」
「……そうだったな」
図書室を出る。
銀貨1枚を失ったミアは、入る前より少し満足そうな顔をしていた。金は減ったが、その代わりに知らなかったことを知り、少なくとも彼女にとっては十分に釣り合う買い物だったらしい。
「コウイチ様は、どこへ行くんですか?」
「市場」
「何か買うんですか?」
「いや」
コウイチは先ほど読んだストーンエイプのページを思い出した。
「砥石の値段を見たい」
「砥石?」
「ああ」
ストーンエイプの研磨材が、日用品の砥石としてどれほどの価値を持つのか。商売になるかどうかはまだ分からないが、まず実物と値段を確かめてから考えたかった。
「行こう」
「はい」
2人は商業ギルドを出ると、そのまま市場へ向かった。




