第38話◇ Dランク
翌朝、コウイチが目を覚ますと、最初に昨日の疲れがどれくらい残っているかを確かめた。
右肩を回してみる。グレイヴァルとの戦いで痛めたところはもう問題なく、昨日も槍を使ったが違和感はない。脚には長時間歩いた分の重さが少し残っているものの、休まなければならないほどではなかった。
それより気になったのは、昨日の洞窟だった。
ケイブバットそのものは強敵ではない。1匹ずつなら苦戦する相手でもなかったが、狭い洞窟で数が分からず、そのうえ後ろに戦えない人間がいるとなれば話は変わる。
もしローデンの希望を聞いて、あのまま奥へ進んでいたらどうなったか。全員無事に帰れたかもしれないし、もっと大きな鉱脈を確認できたかもしれないが、逆にさらに多くのケイブバットが出てきた可能性もある。
結局、どちらだったのかは分からない。
だから戻った。
昨日の判断について考えても、コウイチの結論はそこから変わらなかった。
顔を洗って部屋を出ると、廊下にはすでにミアがいた。
「おはようございます」
「おはよう。早いな」
「コウイチ様が午前中にギルドへ行くと言っていたので」
「まだ朝飯も食ってないぞ」
「待っています」
「先に食っててもいいのに」
「一緒に食べます」
当たり前のように言われ、コウイチはそれ以上何も言わなかった。2人で食堂へ下りて朝食を済ませると、そのまま冒険者ギルドへ向かう。
昨日の受付嬢は、コウイチたちを見つけるとすぐに手を上げた。
「おはようございます。来ましたね」
「午前中に来いって言っただろ」
「ちゃんと覚えていたんですね」
「銀貨50枚を忘れると思うか?」
「そちらでしたか」
「他に何があるんだ?」
受付嬢は答えず、少し笑った。
「まず依頼についてですが、昨日の調査報告が正式に受理されました。指名依頼は達成扱いです」
「じゃあ銀貨50枚?」
「はい。それと追加報酬があります」
受付嬢が奥から小さな革袋と精算書を持ってきた。
「追加?」
「洞窟内で魔物との戦闘が発生したことにより、当初の想定より危険度の高い環境だったと判断されました。その分の追加報酬が銀貨10枚です。それから、昨日解体所へ預けていただいたケイブバット2匹の査定も終わっています」
コウイチは鞄から預り票を取り出し、受付嬢へ渡した。
「素材はどうだった?」
「解体手数料を差し引いた買取額が、2匹合わせて銀貨4枚です。こちらが査定の内訳になります」
差し出された書類には、ケイブバット2匹の買取額と手数料が記されていた。コウイチは数字を一通り確認してから、頭の中で合計する。
「基本50枚に追加10枚、素材が4枚で……銀貨64枚か」
「はい。こちらが今回、コウイチさんとミアさんのお2人にお支払いする合計額です」
「計算が速いですね」
「そこは間違えない」
革袋を受け取り、重さを確かめる。
銀貨64枚。
グレイヴァルの時よりかなり多い。しかも今回は強敵を倒したわけではなく、調査隊を案内して帰ってきただけという感覚が強かった。
「指名依頼って、本当に報酬が高いんだな」
「だから責任も重いんですよ」
「毎回これなら――」
「その話は昨日しました」
「まだ最後まで言ってないだろ」
「指名依頼だけ受けたい、でしょう?」
「……覚えてたか」
「受付ですから」
ミアが隣で笑っている。
最近、受付嬢と一緒になって笑われることが増えた気がする。
「それで、昨日言ってた話ってこれ?」
コウイチが革袋を鞄へしまいながら尋ねると、受付嬢は首を横に振った。
「いいえ。報酬とは別です」
受付嬢はカウンターの下から、もう1枚の書類を取り出した。
「昨日の調査報告を受けて、コウイチさんの冒険者ランクについて再審査が行われました」
そこでようやく何の話か分かった。
「……Dランク?」
「はい」
受付嬢は少し楽しそうに笑った。
「昇格が承認されました。今日からコウイチさんはDランク冒険者です」
「本当に?」
「嘘をついてどうするんですか」
思っていたより、あっさりしていた。
何か試験を受けるわけでもなく、大勢の前で発表されるわけでもない。受付嬢が1枚の書類を出し、そう告げただけだが、以前ここで昇格を断られた時のことは覚えている。
「今回の指名依頼が決め手?」
「決め手の1つです。ただ、それだけではありません」
受付嬢は書類を見ながら話し始めた。
「以前お話しした通り、コウイチさんは戦闘能力だけならすでにDランク相当と評価されていました。グレイヴァルを討伐したことで、その点についてはほぼ問題ありませんでした」
「でも依頼を受けてなかった」
「はい。ギルドからすると、強いことと仕事を任せられることは同じではありませんから」
前にも聞いた言葉だった。
その時は少し面倒だと思ったのを覚えている。
「その後、危険度調査ではグレイヴァルを1匹討伐したあと、2匹目を確認して撤退し、危険度が想定より高いことを正確に報告しました。そして赤岩の谷では未確認の洞窟を発見しても深追いせず、ミスリル含有鉱石を持ち帰ったあと、権利関係を確認して正式に報告しています」
受付嬢がそこでコウイチを見る。
「そして昨日は初めての指名依頼で、戦闘を専門としない調査員を含む一行を護衛し、全員を無事に連れ帰りました」
「途中で調査を止めたけどな」
「それも含めてです」
「止めたことも?」
「ローデンさんから聞きましたよ。もう少し調べたいと言われたのに、コウイチさんが反対したそうですね」
「だって数が分からなかったからな」
「はい」
「ミアの《索敵》も奥まで通らなかったし、俺の槍も洞窟じゃ使いにくかった。目的だった鉱脈の確認はできてたんだから、次は準備を変えて行けばいいだろ」
「それです」
「何が?」
受付嬢が少し呆れたように笑った。
「以前、私が何と言ったか覚えていますか?」
「戦えることと、依頼を任せられることは別?」
「ちゃんと覚えているじゃないですか」
「何回も言われたからな」
「今回、ようやく後者についても十分だと判断されたんです」
コウイチは少し黙った。
昨日やったことに、特別なものがあったとは思えない。魔物を避けたのは戦う必要がなかったからで、洞窟から撤退したのも、奥へ進む理由より危険の方が大きいと思ったからだ。技師を全員連れて帰ったのも、それが仕事だったからにすぎない。
「……普通に依頼をやっただけなんだけどな」
「普通にできる人に、ギルドは仕事を任せるんですよ」
その言葉は、少しだけ腑に落ちた。
時計を修理していた頃もそうだった。
動かなくなった時計を動かすだけなら、運がよければできることもある。だが客から金を受け取って預かったものを直すなら、偶然動いたでは済まない。
原因を確かめ、必要な作業をして、きちんと動く状態で返す。
仕事というのは、たぶんそういうものだった。
冒険者もそれほど違わないのかもしれない。
「ようやく、“任せられる冒険者”になりましたね」
受付嬢が言った。
コウイチは少し考えてから、息を吐いた。
「……ずいぶん待たされた気がするな」
「依頼を受けなかったのはコウイチさんです」
「それを言われると何も言えない」
受付嬢が笑う。
隣を見るとミアも笑っていた。
「ミアまで笑うなよ」
「でも、本当なので」
「最近、受付側につくようになったな」
「本当のことは、本当です」
「それ俺が教えたやつだろ」
「はい」
余計なところまで覚えている。
コウイチはふと、隣にいるミアへ目を向けた。
「そういえば、ミアはどうなるんだ?」
「私ですか?」
「一緒に依頼を受けてたんだから、実績はつくんだろ?」
受付嬢が頷いた。
「もちろんです。ミアさんも今回の指名依頼を正式に達成していますし、護衛としての貢献度もきちんと加算されています。ケイブバットの接近を知らせたことや、カイルさんを守ったことも報告に記載されていますよ」
ミアが少し驚いたように目を瞬かせた。
「私のことも、ですか?」
「当然です。冒険者ランクは個人ごとに評価されますから」
「じゃあ、ミアもDに?」
「今回は、もう少しだけ実績が足りませんでした」
受付嬢はミアへ向き直る。
「今回の依頼で大きく評価は上がりました。ただ、これまでの累積実績を含めた審査では、Dランクへ昇格するにはあと少し届いていません。今後も依頼を重ねていけば、次の審査で十分に可能性がありますよ」
「そうですか……」
ミアの耳が少し下がった。
コウイチはその様子を見て、受付嬢へ尋ねる。
「戦闘能力が足りないってこと?」
「いいえ。今回の理由は累積実績です。ミアさんはコウイチさんより後に冒険者登録されていますし、これまでの依頼実績も異なります。今回の貢献が評価されなかったわけではありません」
「なるほど」
コウイチが頷くと、ミアも顔を上げた。
「次も頑張ります」
「うん。無理しない範囲でな」
「はい」
「俺がDになったからって、急いで追いつく必要はないぞ」
ミアは少し考えてから、首を横に振った。
「でも、私もDランクになりたいです」
「そうか」
「はい」
その答えに、コウイチは小さく笑った。
「じゃあ、次の依頼もちゃんと選ばないとな」
受付嬢が2人を見比べる。
「そうしてください。ランクを上げるために、無理な依頼を受ける必要はありませんからね」
「分かってるよ」
「本当ですか?」
「……たぶん」
「そこは自信を持って答えてください」
コウイチは苦笑した。
受付嬢は古いギルドカードを受け取ると、少し待つように言って奥へ入った。戻ってきた時には、新しいカードを持っていた。
「こちらがDランクのギルドカードです」
受け取って見る。
名前は変わらない。
コウイチ。
その横に記された冒険者ランクだけが、EからDへ変わっている。
たった1文字だった。
けれど、冒険者登録をしたばかりの頃、ゴブリンを相手にするだけでも怖かった自分を思い出すと、ずいぶん遠くまで来た気がした。
最初に黒狼の森へ入った頃は、槍の使い方すら知らなかった。今は《槍術Lv2》があり、《穿牙》も覚えた。そして隣には、自分の意思でDランクを目指すと言ったミアがいる。
「コウイチ様」
「ん?」
「おめでとうございます」
「ああ。ありがとう」
素直に答えると、ミアが少しだけ目を細めた。
「ところで」
コウイチは新しいカードを眺めながら受付嬢へ聞いた。
「Dランクになると何が変わる?」
「やっぱりそこが気になりますよね」
「ランクだけ上がって終わりじゃないだろ?」
「もちろんです。まず受けられる依頼の種類が増えます。護衛や調査でも、これまでより重要度の高いものを受けられますし、討伐依頼も対象が変わります。それから、ギルドが管理している危険地域について、Eランクでは開示できなかった情報にもアクセスできるようになります」
「情報?」
「以前お話ししたでしょう。危険な場所については、誰にでも詳しく教えるわけではありません」
「ああ。知ったら行く奴がいるから、だったか」
「はい。Dランクなら、少なくとも自分で危険を判断して撤退できるとギルドが認めたことになりますから、開示できる範囲が広がります」
それは報酬より気になった。
今まで黒狼の森や赤岩の谷を中心に狩ってきたが、強くなるほど同じ場所で得られるものには限界が出てくる。新しい魔物がいる場所なら素材も変わり、素材が変われば《生成》で試せることも増えるかもしれない。
「Dランク向けの狩場って、どこがある?」
「昇格したばかりなのに、もう行く気ですか?」
「聞くだけだよ」
「本当に?」
「……たぶん」
「その答えを聞いたら、簡単には教えたくなくなりました」
「Dランクなら教えてくれるんじゃなかったのか?」
「説明はします。ただし、危険度についてもきちんと聞いてください」
「分かってるよ」
受付嬢がため息をつきながらも、どこか楽しそうに資料を取り出そうとする。
その時、奥から声がした。
「コウイチ、まだいたか」
振り返ると、ハルトが歩いてきた。
「昨日は助かった。正式な報告がまとまったから、一応伝えておこうと思ってな」
「鉱脈?」
「ああ。現段階では、ミスリルを含む鉱脈が存在する可能性は極めて高いという結論になった」
「採掘するの?」
「すぐには無理だ。洞窟内部の安全確保も必要だし、鉱脈の正確な規模も調べなければならない。それに、ここから先は領主側の判断になる」
「じゃあ俺たちの仕事は終わり?」
「今回の依頼についてはな」
ハルトが頷いた。
「それと、昨日の撤退判断についてローデンから聞いた」
「怒ってた?」
「逆だ。帰ってから『あいつが止めなかったら、たぶんもう少し調べてた』と言っていた」
「やっぱり行く気だったんじゃないか」
「だから護衛が必要なんだろう」
それを言われると納得するしかない。
ハルトはコウイチの手にあるカードへ気づいた。
「Dに上がったか」
「ああ。さっき」
「なら、ちょうどいい」
「何が?」
「次に調査が必要になった時、今度はDランクとして指名できる」
「また指名依頼?」
「可能性はある」
コウイチは少し考えた。
「報酬は?」
「そこから聞くのか」
「大事だろ」
ハルトが笑った。
「条件が決まったら聞け」
「なら、その時考える」
「それでいい。指名だからって受ける義務があるわけじゃないからな」
ハルトが去っていく。
コウイチは新しいギルドカードを眺めてから、いつもの鞄へしまった。隣ではミアが自分のEランクカードを一度見下ろし、丁寧にしまい直している。
「次はミアだな」
「はい」
短い返事だったが、その声には以前よりもはっきりとした意志があった。
◇
ギルドを出たあと、2人はそのまま商業区へ向かって歩いていた。
「今日は狩りに行くんですか?」
ミアが聞く。
「いや。もう昼近いし、今日はやめとく」
「では、本を読みに行ってもいいですか?」
「図書室?」
「はい」
即答だった。
Dランクになった日に最初にすることが商業ギルドの図書室とは、自分でも少し変な気がした。
「いいよ。俺も調べたいことがあるし」
「ミスリルですか?」
「ああ」
昨日の洞窟で見た鉱脈も気になるが、それ以上に気になっていることがある。
ミスリル含有鉱石からダガーを《生成》した時、ほとんどのMPを持っていかれた。
成功した。
品質もBだった。
だが、なぜあれほどMPを使ったのかはまだ分かっていない。
素材が希少だからなのか、精錬や合金化の工程を知らないからなのか。あるいは、その両方なのか。
鉱脈が見つかったからといって、ミスリルが自由に使えるようになったわけではない。それでも、実物を見て、専門家が調べる様子まで見たことで、以前より知りたいことは増えていた。
「ミアは何読むんだ?」
「この前の鳥の本の続きを読みたいです。それから、魔物の本も」
「読めそう?」
「分からない字は、まだたくさんあります」
「じゃあ聞けばいい」
「はい」
ミアはそう答えると、少しだけ笑った。
コウイチも歩きながら、自分の鞄へ目を落とした。
中にはDランクになったばかりのギルドカードが入っている。
FからEへ上がった時は、行ける場所が増えることばかり考えていた。今回も、新しい狩場や魔物、まだ知らない素材に興味があることは変わらない。
ただ、以前と少し違うのは、それだけではなかった。
指名依頼という形で、自分たちに仕事を任せる人間が現れた。信用というものが相変わらず目に見えないことに変わりはないが、今日受け取った銀貨64枚や鞄の中のDランクカードを見る限り、どうやらこの世界では、目に見えないものにも値段がつくらしい。
「……信用って、意外と高く売れるんだな」
「何か言いましたか?」
「いや。何でもない」
商業ギルドの建物が見えてくる。
「行こう。せっかくDランクになったんだ」
「図書室にですか?」
「……言われてみると、全然関係ないな」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の感想や印象に残った場面など、ひと言でもいただけると今後の執筆の励みになります。




