第4話◇ 信用と警戒
翌朝、コウイチは目を覚ますと、ベッド脇に置いていたマジックバッグへ目を向けた。
昨日、自分の《生成》で作り出した物だ。見た目は少し上等な革袋にしか見えないが、店で銀貨12枚だった物より高性能で、《隠蔽》を使って性能を低く見せている。
これを持っていれば、《アイテムボックス》を人前で使うときも、マジックバッグから取り出したように装える。一昨日、ギルドの解体所で不用意に《アイテムボックス》を見せたとき、周囲の職員たちは明らかに驚いていた。あの反応を見る限り、収納系のスキルは誰もが当たり前に持っているものではないのだろう。
「……次は、ああいう失敗はしないようにしないとな」
それに、昨日はもう1つ大きな失敗をした。マジックバッグを生成したあと、確認を優先してMPを0まで使い切り、そのまま意識を失った。部屋の中だったから無事だったが、あれが森の中ならどうなっていたか分からない。
朝になって確認したMPはかなり戻っていた。ただし、自然回復の速さまではまだ分からない。少なくとも今後は使い切らず、森へ入るときは余裕を残しておく必要がある。
異世界へ来てまだ数日しか経っていない。それでも、知らないというだけで危険になり得ることはいくつもあった。能力そのものが強いか弱いかより、どう使うか、他人に知られることで何が起こるか分からないことの方が怖い。
なら、分からないうちは隠しておけばいい。
コウイチはマジックバッグを腰へ取り付け、部屋を出た。
宿で朝食を頼むと、出てきたのは硬めのパンと野菜を煮込んだスープ、それに薄く切られた肉が2切れほどだった。スープにパンを浸して口へ運んだところで、コウイチはふと日本での食事を思い出した。
コンビニへ行けば温かい弁当が買えた。牛丼屋に入れば数分待つだけで飯と味噌汁が出てきたし、少し金を出せばラーメンでも寿司でも焼肉でも好きなものを食べられた。それを特別ありがたいと思ったことなど、ほとんどない。
「……贅沢だったんだな」
日本にいた頃なら、この朝食を毎日食べろと言われれば文句の1つも言っただろう。ところが今は、温かいスープが腹に入るだけでほっとする。
昨日、自分で稼いだ金で宿を取り、その宿代に含まれた朝食を食べている。誰かに食わせてもらっているわけではなく、この世界へ放り出された自分が、自分の力で得た食事だった。
そう考えると、硬いパンも悪くなかった。
ただ、日本を思い出したことで別の疑問も浮かぶ。今頃、向こうではどうなっているのだろう。自分は行方不明になっているのか、それともこちらへ来たことで、日本側でも何か別の変化が起きているのか。
財布も家の鍵も、身につけていた服もそのままこちらへ来ているが、それだけでは何も分からない。
「……今考えても仕方ないか」
なぜこの世界へ来たのかも、日本へ戻れるのかも、今の自分には答えがない。なら、今できることをするしかない。
今日のところは金を稼ぐ。それが先だった。
◇
朝の冒険者ギルドは昨日より混雑していた。
依頼掲示板の前には武装した冒険者たちが集まり、受付にも列ができている。酒場を兼ねた一角では朝から酒を飲んでいる者までいて、汗と革、それに酒の匂いが混じった独特の空気が漂っていた。
まだこの場所に慣れていないコウイチは、人とぶつからないよう周囲を確認しながら依頼掲示板へ向かった。
昨日と同じヒール草の採取依頼がある。《鑑定》を使えば品質の良い物を見極めやすく、何より今のところ魔物討伐より安全で確実な稼ぎ方だ。
依頼票へ手を伸ばした、そのときだった。
横から大きな手が割り込み、コウイチより先に依頼票を掴んだ。
「おい」
顔を向けると、3人の男が立っていた。全員が使い込まれた革鎧を身につけ、腰には剣を下げている。中央に立つ頬に傷のある男からは、朝だというのに酒の匂いがした。
強そうだという印象より先に、コウイチはその男の笑い方に嫌なものを感じた。相手を馬鹿にしながら、それを隠そうともしない笑い方だった。
「入ったばかりの新人だろ?」
「そうですけど」
「聞いたぜ。初日から森で結構稼いだらしいじゃねぇか」
その言葉を聞いて、コウイチは少し警戒した。一昨日売ったホーンラビットやゴブリン、ヒール草についてなら、ギルド内で多少話題になっていても不思議ではない。
だが、隣にいた男の言葉で警戒の度合いが変わった。
「しかも収納持ちなんだって?」
男はコウイチの腰にあるマジックバッグへ視線を向け、「便利そうだよな。俺たちの荷物持ちに欲しいくらいだ」と笑った。それにつられて残りの2人も笑い声を上げる。
一昨日、解体所で見せた《アイテムボックス》のことが、もう他の冒険者にまで知られているらしい。情報が広まる速さを甘く見ていた。
それ以上に気になったのは、男たちの態度だった。冗談のような口調でこちらの反応を探り、嫌がれば冗談だったと逃げられる程度に踏み込んでくる。
こういう人間には覚えがある。
こちらが拒絶しなければ次はもう少し踏み込み、それでも黙っていればさらにもう1歩。どこまでなら許されるかではなく、どこまでなら反撃してこないかを測っている。
「その依頼票、返してもらえますか」
なるべく感情を出さずに言うと、中央の男は手に持った依頼票をひらひらと振った。
「欲しいのか?」
「俺が先に取ろうとしていたので」
「だったらお願いしてみろよ」
面倒だな、とコウイチは思った。たかが依頼票1枚で、こんな連中と揉める理由はない。相手の挑発に乗って得をすることなど何もなかった。
「……いらないです。別の依頼を探します」
背を向け、その場を離れようとしたところで、後ろから肩を掴まれた。
「待てよ、新人」
身体が強張る。
ここから先は違う。
相手は3人。全員が武装し、自分より戦い慣れている。こちらは昨日ようやくゴブリンを倒せるようになった程度で、この世界の法律やギルドの規則も完全には分からない。
振り払って殴り合いになれば、何が正しいかより先に面倒が増える。
「離してください」
「なんだよ、その態度」
男の声が低くなった。
周囲を見ると、何人かはこちらを見ている。それでも目が合えば、すぐに顔を逸らした。
関われば面倒だから見なかったことにする。自分に関係がなければ、それでいい。
その光景に、昔の記憶が重なった。
事実がどうだったかより、周囲が何を信じたかで自分の立場が決まった。違うと言っても聞いてもらえず、説明すれば言い訳だと言われた。
世界が変わっても、人間は変わらない。
そんな考えが頭をよぎった、そのときだった。
「その手を離してください」
人混みの向こうから、よく通る女性の声が聞こえた。
一昨日、自分の冒険者登録を担当した受付嬢だった。普段の柔らかい表情は消え、コウイチの肩を掴んでいる男を真っ直ぐ見ている。
「ギルド内で他の冒険者を威圧する行為は禁止されています。すぐに手を離してください」
「威圧なんてしてねぇよ。新人と話してただけだ」
「本人が離してほしいと言っています。それでも掴み続けるのであれば、こちらとしても見過ごすことはできません」
男が面倒そうに舌打ちした。
「受付がいちいち口出すことかよ」
「ギルド内で規約違反があれば当然です。それとも規約担当を呼んで正式に確認しますか?」
その言葉で男の表情がわずかに変わった。さすがに処罰まで受けるつもりはないらしく、コウイチの肩から手を離す。
「チッ。新人のくせに守ってもらえて良かったな」
最後にそれだけ吐き捨て、3人は人混みの中へ消えていった。
コウイチはその背中を追わなかった。言い返したところで何も得るものはなく、肩から力を抜いた途端、どっと疲れを感じた。魔物を相手にしたときとは違う疲れだった。
「大丈夫でしたか?」
受付嬢が近づいてくる。
コウイチは掴まれていた肩を軽く動かした。
「大丈夫です。……ありがとうございました」
「すみません。朝は人が多くて、気づくのが遅れてしまって」
「あなたが謝ることじゃないですよ」
思ったより自然に言葉が出た。受付嬢は少し意外そうな顔をしたが、コウイチ自身も、なぜそう言ったのか少し考えた。
たぶん、単純なことだ。
助けてもらったからだ。
この女性が信用できる人間なのかは分からない。一昨日会ったばかりなのだから当然だ。だが、自分が人を信用できないからといって、助けてもらった事実まで疑うのは違う。
「助けてもらったのは事実なので。それで十分です」
受付嬢はコウイチの顔をしばらく見たあと、少しだけ笑った。
「それなら良かったです」
コウイチも答えを急がなかった。ただ、今日この人が自分を助けたことは覚えておこうと思った。
◇
コウイチが再び依頼掲示板へ視線を向けると、受付嬢は別の依頼票を持ってきた。
「ヒール草の採取を受けるつもりだったんですよね?」
「はい。今の俺には一番効率が良さそうなので」
「それなら、こちらでもいいかもしれません」
依頼票には、ヒール草15株の納品と書かれていた。基本報酬は銅貨35枚で、品質によって追加報酬もある。その代わり、採取場所は黒狼の森の外縁部から少し奥へ入った区域になるらしい。
「昨日の実績なら受注できます。ただ、外縁部より魔物との遭遇率が上がりますから、危ないと思ったら依頼を諦めて帰ってきてください」
コウイチは依頼票を読みながら考えた。危険は増えるし、自分はまだレベル2で、昨日もゴブリンを相手に余裕があったわけではない。
だが、昨日より知識はある。魔物との戦い方もほんの少しだが分かってきたし、勝てないと思えば逃げればいい。
「受けます」
「分かりました。帰還期限は日没までです」
受付嬢から冒険者証を受け取ったところで、コウイチはふと気づいた。一昨日から何度か世話になっているのに、まだこの女性の名前を知らない。
聞こうかと思ったが、やめた。
まだ、その程度の距離でいい。
◇
黒狼の森へ入ると、街の喧騒はすぐに聞こえなくなった。
昨日より少し奥へ進みながら、コウイチはヒール草が生えていそうな場所を探していく。最初の日は目につく草へ片っ端から《鑑定》を使っていたが、今は大きな木の根元や湿った土の周辺を重点的に見るようになっていた。
ヒール草の特徴そのものも少しずつ覚えている。青みのある細長い葉に、根元近くの薄い白斑。普通に見える株はそのまま採取し、葉が厚く色の濃い物など、品質が良さそうな株だけ《鑑定》Lv1で確認する。
自分自身が覚えれば覚えるほど能力を使う回数を減らせるし、その分MPも温存できる。昨日MPを使い切ったばかりだからこそ、その意味は以前より重く感じられた。
午前中の探索は順調だった。ヒール草を探して歩く途中でホーンラビットにも遭遇したが、すでに何度か戦っている相手なので、以前のように1戦ごとの動きを細かく確認する必要はない。突進を避けて隙を作り、石槍で仕留める。
怖くなくなったわけではない。それでも、相手が何をしてくるのか分かっているだけで気持ちにはかなり余裕があった。
ヒール草の採取を続けながら森を進み、昼を少し過ぎた頃、コウイチは木々の向こうにゴブリンを2匹見つけた。
距離はまだあり、こちらには気づいていない。今日の目的はヒール草の採取であり、すでにある程度の成果も出ている以上、わざわざ2匹を相手にする理由はなかった。
コウイチは静かに引き返そうとした。
そのとき、後ろの茂みが揺れた。
振り返ると、別のゴブリンが1匹こちらへ近づいてくる。
前に2匹、後ろに1匹。
挟まれた。
コウイチは石槍を取り出しながら、周囲へ素早く目を走らせた。背後の1匹はすでにこちらへ気づいているが、前方の2匹はまだ動いていない。
3匹を倒す必要はない。欲しいのは、逃げ道を作るだけの一瞬だった。
背後のゴブリンが棍棒を振り上げて近づいてくる。コウイチはぎりぎりまで引きつけ、棍棒が振り下ろされる直前に横へ身体をずらした。
棍棒が地面を叩く。
その横を、一気に駆け抜けた。
「ギャッ!」
背後で声が上がり、それに反応した前方の2匹もこちらへ気づいたらしい。だが、もう挟まれてはいない。
コウイチはそのまま木々の間へ走り込んだ。枝を避け、張り出した根を踏まないよう足を運びながら走る。背後から追ってくる足音は聞こえていたが、距離を確認しようとはしなかった。振り返って足を取られる方が危険だ。
しばらく走り続けると、やがて声が遠ざかり、足音も聞こえなくなった。さらに少し進んでからようやく立ち止まり、膝に手をついて荒い息を整える。
「……逃げられたか」
戦わずに済んだことに、コウイチは素直に安堵した。3匹を相手にしていたら、勝てたとしても無傷では済まなかったかもしれない。
それからは無理に森の奥へ進まず、場所を変えながら採取を続けた。
途中、単独で行動しているゴブリンを見つけたときだけ、周囲に仲間がいないことを確認してから戦った。1匹なら昨日までの経験が使えるため、相手の動きを見ながら距離を保ち、無理に踏み込まず石槍で確実に仕留めていく。
ホーンラビットも何匹か見つけたが、こちらも同じだった。戦い方が分かっている相手なら必要以上に怖がることもないが、慣れたからといって油断はせず、周囲を確認してから戦う。
結果として、危険な戦闘を避けながらも討伐数は少しずつ増えていった。
そして午後の探索を続けていたとき、視界に文字が浮かんだ。
【レベルが上がりました】
【Lv:2 → Lv:3】
「……上がったか」
コウイチはステータスを開いた。
【名前】神崎恒一
【Lv】3
【HP】42/42
【MP】25/25
STR:11
VIT:12
AGI:12
DEX:13
INT:16
MND:14
数値は確実に伸び、レベル1の頃と比べれば身体が軽くなったことも分かる。森を歩き続けても以前ほど疲れず、槍を振ったときの感覚にも少し余裕が出てきていた。
それでも、強くなったからといって、わざわざ危険を増やす理由はない。
◇
日が傾き始める前に、コウイチは森を出ることにした。
最終的に集まったヒール草は21株。倒した魔物はホーンラビット3匹とゴブリン4匹で、昨日より成果は増え、レベルも上がっている。
だが、今日一番印象に残っているのは討伐数でもレベルアップでもなかった。3匹のゴブリンに挟まれたとき、戦わずに逃げたことだ。
危険を避け、その後は単独の相手だけを選んで戦った。それでも最終的な成果は昨日より増えている。
勝てるかどうかではなく、戦う必要があるかどうかを先に考える。その方が自分には合っている。
森を抜け、ラグナードの石壁が遠くに見えてきたところで、コウイチは朝の出来事を思い出した。
柄の悪い冒険者に絡まれたとき、世界が変わっても人間は変わらないのだと思った。だが、その直後に受付嬢が間へ入った。
仕事だからかもしれないし、ギルドの規則を守っただけなのかもしれない。それでも、彼女が自分を助けたという事実は変わらない。
だからといって、今すぐ信用する必要もない。1度の行動だけで、その人間のすべてを判断する必要もない。
その人間が何を言うかではなく、何をするのかを見る。それを重ねてから、自分で判断すればいい。
「……一人ずつ見ればいいか」
人間全体を信用する必要もなければ、最初からすべての人間を同じだと決めつける必要もない。
コウイチはその考えを頭の中でもう1度確かめると、ラグナードへ続く道を歩いていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の感想や印象に残った場面など、ひと言でもいただけると今後の執筆の励みになります。




