第34話◇ 岩の奥
朝、目を覚ましたコウイチは、身体を起こすより先に右肩をゆっくりと回した。
グレイヴァルと戦ってから数日が経った。普段の動作ではほとんど気にならなくなったが、腕を大きく後ろへ引くと、肩の奥に僅かな違和感が残る。
治療院では大きな異常はないと確認されている。それでも、無理な訓練は避けるよう注意されていた。
問題は、身体だけではなかった。
ベッドの脇に置いてある革鎧へ目を向ける。黒狼の森で手に入れた素材を使い、《生成》で作ったB品質の防具だ。これまで何度もコウイチを守ってきたが、グレイヴァルの攻撃を受けた肩口には傷が残り、表面の革も削れている。
「……槍は問題ないんだよな」
壁に立てかけた鉄槍を見る。
この世界に来てまだ槍の扱いもよく分かっていなかった頃に作ったものだが、B品質だけあって今も十分に使える。《穿牙》を放った時にも不具合はなく、グレイヴァルの身体を貫くこともできた。
なら、先に金を使う場所は決まっている。
攻撃できなかったから苦戦したわけじゃない。
攻撃を受けた時に、危なかったのだ。
着替えを済ませて階下へ降りると、先に起きていたミアが朝食を食べていた。コウイチを見つけると軽く耳を動かし、向かいの椅子を引く。
「肩はどうですか?」
「だいぶいい。少し張るくらいだな」
「今日は休みますか?」
「いや。防具を見に行く」
パンをちぎろうとしていたミアの手が止まった。
「防具ですか?」
「ああ。今のままじゃ、また同じようなのを食らった時が怖い」
ミアは少し考えてから、自分の胸元を見下ろした。
「私のは壊れていません」
「今回はな」
それだけ言うと、ミアは口を閉じた。
グレイヴァルの一撃をまともに受けていたら、ミアの軽装では無事では済まなかっただろう。避けることを前提にした戦い方なのは分かっているが、避け続けられる保証などどこにもない。
そもそもコウイチ自身、避けるつもりだった。
それでも食らったのだ。
「ミアのも見るぞ」
「……はい」
食事を終えた2人は、そのまま冒険者向けの装備を扱う店へ向かった。
以前にも何度か覗いたことのある店で、壁には革鎧から金属鎧まで様々な防具が並んでいる。店主はコウイチの傷んだ革鎧を見るなり眉を寄せ、肩口を指で押してから裏側まで確かめた。
「ずいぶん派手にやられたな。何と戦った?」
「グレイヴァル」
店主の手が止まった。
「……お前、Eランクだったよな?」
「そうだけど」
「よく帰ってきたな」
「俺もそう思う」
店主は呆れたように鼻を鳴らしたものの、それ以上は聞かなかった。代わりにコウイチの体格を見てから、何着かの防具を棚から引っ張り出してくる。
「なら、今までと同じような革鎧じゃ不安か」
「防御力は上げたい。ただ、重いのは困る」
「槍だからか?」
「ああ。肩と腰が動かしにくくなるのは嫌だ」
特に《穿牙》は、腕だけで放つ技ではない。踏み込みから腰、肩、腕へと力を伝え、それを槍先へ集める。防具がその動きを邪魔するなら、防御力が上がっても戦いにくくなる。
店主は何度か頷くと、胸と肩を硬い革で補強し、急所となる部分だけ薄い金属板を仕込んだ防具を出してきた。完全な金属鎧ほど重くはないが、今までの革鎧より明らかに頑丈そうだった。
試着して槍を持たせてもらい、何度か身体を捻る。肩を引き、腰を落として踏み込みの途中まで動いてみても、大きな引っ掛かりはない。
「悪くないな」
「その分、値段も悪くねえぞ」
値札を見た。
「……高いな」
「グレイヴァルにもう1発殴られてから買いに来てもいいぞ」
「それで来られたらな」
店主が笑った。
問題はミアだった。
コウイチよりも動きへの要求が厳しい。《索敵》で先行することも多く、短剣で見つけた隙を突くには、相手の間合いへ入らなければならないことも多い。重い防具を着せて速度を落としたら、むしろ危険になる。
「この子は?」
「軽さ優先。走るのを邪魔しないやつがいい。それと、頭を覆うのはいらない」
「耳か」
「ああ」
ミアの耳がぴくりと動いた。
店主は獣人用の装備が並ぶ棚へ移り、いくつか見繕ってくれた。その中からミアが実際に着て動き、身体に合うものを探していく。
最終的に選んだのは、柔らかな革を基本にしながら胸と脇腹を厚めに補強した軽装だった。腕や脚の動きを妨げる部分は極力減らされていて、ミアがその場で軽く跳ねても音はほとんどしない。
「どうだ?」
「動きやすいです」
「今のより?」
「はい。でも……」
ミアが値札を見た。
「私のは、もう少し安いものでもいいと思います」
「何で?」
「コウイチ様の防具も高いですし、私は攻撃を受けませんでしたから」
言いたいことは分かる。
2人分となれば、それなりの出費だ。商業ギルドで本を読む時の銀貨1枚とは訳が違う。
コウイチも安いとは思わない。
むしろ高い。
「高いのは嫌だ」
「では――」
「でも死ぬ方が嫌だ」
ミアが瞬きをした。
「俺もミアもな」
しばらくコウイチを見ていたミアは、小さく「はい」と答えた。
結局、2人分を購入した。
財布が軽くなったことにはかなり不満があるが、防具を抱えて店を出たところで後悔はなかった。
◇
新しい防具を買ったからといって、すぐに危険な場所へ向かう気にはならなかった。
身体が完全に戻るまでさらに数日待ち、その間に街の外で槍を振り、防具を着たまま動いて違和感がないか確かめた。ミアにも走ったり屈んだりしてもらい、ベルトの位置や革の擦れる部分を調整する。
それから向かったのは、赤岩の谷だった。
何度も足を運んでいる場所であり、地形も出現する魔物もある程度分かっている。新しい装備を実戦で確かめるなら、知らない狩場より知っている狩場の方がいい。
赤茶けた岩が連なる谷へ入ると、乾いた風が岩肌を撫でながら吹き抜けていく。足元には細かな砂利が多く、踏み込むたびに靴の下で小さな音を立てた。
コウイチは歩きながら何度か肩を回した。
「問題なさそうだな」
「痛くないですか?」
「今のところは」
ミアも新しい防具の感触を確かめているらしく、ときどき腕を動かしている。
「ミアは?」
「前より少し硬いです。でも、走るのには邪魔になりません」
「なら慣れれば大丈夫そうだな」
「はい」
しばらく進んだところで、ミアの耳が動いた。
コウイチも槍へ手を伸ばす。
「右です」
「距離は?」
「そんなに遠くありません。たぶん、1匹です」
岩陰を回り込むと、赤茶けた岩肌に紛れるようにロックリザードがいた。
こちらに気づいた魔物が身体を起こす。
コウイチは槍を構えた。
《穿牙》を試す必要はない。
まだ1度しか成功していない技だ。今日は新しい防具の動きを確かめることが目的であり、MP10を使ってまで試す必要もない。
バルガスに教えられた通り、まずは普通に突く。
ロックリザードが低い姿勢から飛び出してくるのを待ち、横へずれて頭をかわす。その動きに合わせて槍を引き、首元へ突き込むと、穂先が硬い鱗の隙間を抜けた。
暴れた身体を避けながら槍を抜き、距離を取る。ロックリザードは数歩進んだところで崩れ、そのまま動かなくなった。
「……肩も大丈夫だな」
大きく引いても防具が邪魔をしない。
それを確認できただけでも、今日ここへ来た意味はあった。
魔物を《アイテムボックス》へ収めてさらに進んでいくと、ミアが空を見上げた。
「あ」
「どうした?」
「あの鳥、本に載っていました」
指した先を見ると、小さな灰色の鳥が岩の上に止まっていた。
「名前は?」
「……」
ミアが黙った。
「載ってたんだろ?」
「載っていました」
「名前は?」
「そこが、ちゃんと読めませんでした」
コウイチは思わず笑った。
「じゃあ次に読めばいい」
「……はい」
少し恥ずかしそうに耳を伏せたミアだったが、すぐにもう一度鳥へ目を向けた。
「でも、危険が近くにいると鳴き方が変わる鳥だったと思います」
「それは読めたのか?」
「絵がありました」
「なるほど」
文字だけでなく、知っていることと絵をつなぎながら読んでいるらしい。
灰色の鳥はしばらく2人を見ていたが、やがて羽ばたいて岩の向こうへ消えた。
その後も何度か魔物と遭遇したが、特に危険な相手はいなかった。新しい防具にも少しずつ慣れ、そろそろ戻ろうかと考え始めた頃だった。
先を歩いていたミアが足を止めた。
「コウイチ様」
「ん?」
「……風があります」
「風?」
周囲を見回す。
谷なのだから風があるのは当たり前だ。
だがミアは首を振った。
「こっちからです」
そう言って岩壁へ近づいていく。
コウイチも後を追った。
一見すると何もない。ただ巨大な岩が重なっているだけに見えるが、ミアはその隙間に手を伸ばした。
「ここです」
近づいてみると、確かに岩と岩の間に細い亀裂がある。顔を寄せると、外の乾いた風とは違う、ひんやりとした空気が頬に触れた。
「……中があるのか」
コウイチはその場にしゃがみ、入口周辺を調べた。
砂。
小石。
何かが擦れたような跡。
「ミア、何か分かる?」
ミアも隣にしゃがみ、鼻を近づけたり耳を澄ませたりする。
「水の音がします」
「魔物は?」
「……分かりません。何かの臭いはします。でも、何かまでは」
「そうか」
コウイチは亀裂の奥を見た。
暗い。
少なくとも外から奥までは見えない。
何がいるか分からない場所へ入る。
少し前の自分なら、それだけで却下していたかもしれない。
だが、今はミアがいる。《索敵》もある。自分も以前よりは戦えるようになった。
それでも、だから大丈夫だとは思わない。
「少しだけ見るか」
「入るんですか?」
「入口から光が届く範囲だけな。奥までは行かない」
「はい」
コウイチは槍を先に隙間へ通し、身体を横にして岩の間を抜けた。ミアもその後へ続く。
その先は思ったより広かった。
洞窟だった。
入口から差し込む光が岩肌を照らしている。天井は低いところでもコウイチの頭より上にあり、壁から染み出した水が岩を伝っていた。奥からは一定の間隔で水滴の落ちる音が響いているが、光の届かない先までは見通せない。
数歩進んだところで槍の石突が壁に当たった。
乾いた音が洞窟内に響く。
「……やりにくいな」
外なら問題のない長さが、ここでは邪魔になる。コウイチは槍を少し短く持ち直した。
一方、ミアは腰の短剣へ手を添えたまま、普段より慎重に前を見ている。
「音が……いっぱい聞こえます」
「分かりにくい?」
「少し。反対から聞こえる時があります」
洞窟の壁で音が反響しているのだろう。
獣人の耳なら何でも便利というわけではないらしい。
「無理に当てなくていい。分からなかったら止まろう」
「はい」
さらに少し進んだところで、ミアが手を上げた。
今度はコウイチも止まる。
奥から何かが岩を引っ掻くような音がした。
薄暗い岩陰で小さな影が動く。
飛び出してきたのは、犬ほどの大きさの灰色の魔物だった。
《鑑定》Lv1を使う。
【ケイブバット】
地面近くを飛ぶ、大型の蝙蝠型魔物だった。
羽を広げて向かってきた瞬間、コウイチは槍を突き出そうとしたが、穂先が壁へ触れた。
「っ」
その一瞬の遅れを、ミアが埋めた。
低く身体を沈めて横へかわし、すれ違いざまに短剣を振る。刃が羽の付け根を裂き、姿勢を崩したケイブバットが地面へ落ちた。
コウイチは今度は槍を短く持ち、落ちた魔物の胴へ穂先を突き込んだ。
動かなくなる。
「……場所が変わると、勝手も変わるな」
「はい」
ミアも少し緊張した顔で頷いた。
外では自分の槍の方が間合いを取れる。
ここではミアの短剣の方が扱いやすい。
当たり前と言えば当たり前だが、実際に戦ってみるとよく分かる。
だからこそ、これ以上はやめた方がいい。
「戻るぞ」
「もうですか?」
「最初に決めただろ。入口からすぐ戻れる範囲だけだ」
洞窟はまだ奥へ続いている。
何がいるのかも分からない。
今日は洞窟用の装備を用意してきたわけでもなく、そもそもの目的は新しい防具を試すことだった。
予定外の場所で、予定外の危険を増やす必要はない。
「分かりました」
ミアも素直に頷いた。
コウイチはケイブバットの死体を《アイテムボックス》へ収め、2人は来た道を戻り始めた。
その途中だった。
コウイチの視界の端に、何かが引っ掛かった。
「……ん?」
壁の一部。
入口から差し込む光が届く濡れた岩肌に、細い銀色の筋が走っている。
最初は水が光を反射しただけかと思ったが、近づいてみると違った。岩そのものに銀色の何かが混じっている。
「コウイチ様?」
「ちょっと待って」
指先で触れてみる。
金属なのか、それとも別の鉱物なのか、コウイチには分からない。
分からないなら、確かめればいい。
《鑑定》Lv1を使う。
【ミスリル含有鉱石】
コウイチはしばらく、その文字を見つめた。
「……ミスリル?」




