第33話◇ 失われた技能
扉を叩く音に続いて、
「コウイチ様、起きていますか?」
とミアの声が聞こえた。
コウイチはもう一度ベッドから身体を起こした。肩に僅かな違和感が残っているものの、昨日より身体は楽になっている。
「……起きてる」
返事をしてから立ち上がり、扉を開けると、廊下にはいつもと変わらない様子でミアが立っていた。
「おはようございます」
「おはよう」
ミアは一瞬だけコウイチの顔を見てから、視線を肩へ移した。
「肩、大丈夫ですか?」
「まだ少し違和感はあるな」
「今日は休みますか?」
「そのつもりだ。さすがにこの状態で森に行くほど働き者じゃない」
そう答えると、ミアが少しだけ笑った。
「珍しいですね」
「俺だって休むぞ」
「そうでしたか?」
「……俺を何だと思ってるんだ」
昨日までなら気に留めなかったかもしれない小さな笑みを見ながら、コウイチは今朝見た夢を思い出した。
日本にいた頃のこと。時計工房で働いていた頃のこと。そして、グレイヴァルとの戦いを思い返しながら気づいたこと。
――俺は、ミアを信じた。
本人を前にして改めて考えると、妙に落ち着かない。
「コウイチ様?」
「いや、何でもない。飯行くか」
「はい」
今まで通りでいい。
昨日1日で何もかもが変わったわけではないし、信じたからといって、それをどう扱えばいいのかまで分かったわけでもない。
コウイチはそれ以上考えるのをやめ、ミアと並んで階段を下りた。
◇
朝食を食べながら、コウイチは今日やることを考えた。
昨日の依頼では、調査報酬と危険度上昇による追加報酬、それにグレイヴァルの素材代を合わせて銀貨24枚を受け取った。さらに、銀貨8枚相当の硬皮と爪が手元に残っている。
金額だけを見れば悪くないどころか、Eランクの冒険者が1日で稼ぐ額としてはかなり大きいだろう。
だが、それを理由にもう1度グレイヴァルを狩りに行く気にはならなかった。昨日倒せたのは地形を利用できたこと、ミアが弱点を見つけたこと、そして最後に《穿牙》が成功したことが重なった結果であり、同じことをもう1度やれと言われて、同じ結果になる保証はない。
それに、昨日の収穫は金だけではなかった。
《穿牙》を覚え、ギルドからの信用も得た。ならば身体に違和感が残る日に無理をして銀貨を増やす必要はない。
パンをちぎりながら考えていたコウイチは、そこで以前やり残したことを思い出した。
「……そういえば、残ってたな」
「何がですか?」
「調べ物」
以前、商業ギルドの図書室へ行った時、本来は技能について調べるつもりだった。ところが『アルカディア王国商業概論』を読み始めたら思った以上に面白く、結局、利用時間の2時間を丸々使ってしまった。
商売についてはいくつも収穫があったが、当初の目的にはまったく手をつけていない。
今回は、特に《生成》について調べてみたい。
自分の持つ技能がどのようなものなのか、まだ分かっていないことが多すぎる。名前だけでも似た技能がないか、過去の記録を探してみるつもりだった。
「今日は商業ギルドに行く」
「お仕事ですか?」
「いや、本を読む」
ミアが少し驚いた顔をした。
「今日は休むのでは?」
「狩りを休むだけだ。本を読むくらいなら肩は使わないだろ」
「それは休みと言うのでしょうか」
「言う」
即答してから少し考え、
「……たぶん」
と付け加えると、ミアがまた小さく笑った。
◇
商業ギルドへ着くと、コウイチは受付で銀貨1枚を払い、図書室へ向かった。
その後ろを歩いていたミアが入口で足を止めたので、コウイチも振り返る。
「どうした?」
「私は、外で待っています」
「何で?」
聞き返されるとは思わなかったらしく、ミアは少し戸惑った。
「コウイチ様が本を読むのでしたら、私は特にすることがありませんから」
「2時間だぞ」
「大丈夫です」
「いや、大丈夫かどうかじゃなくて……」
コウイチは図書室の中を見た。
前回は自分の調べ物に夢中で考えもしなかったが、2時間も外で待たせる必要はない。
「ミアも何か読めばいいだろ」
すると、ミアの耳が僅かに下がった。
「……私、あまり読めません」
「ああ、知ってる」
あっさり答えると、ミアが少しだけ困った顔をした。
「だから、読めそうなのを探せばいい」
「でも……」
「読めない本を読めとは言ってない。絵が多いやつとか、簡単なのもあるだろ。なければ俺が探す」
コウイチ自身、文字を覚えるためだけの勉強をさせようと思ったわけではなかった。
ただ、ミアはこれからも冒険者を続ける。
依頼書を読み、地図を見て、魔物や薬草について調べる機会も増えるはずだ。読み書きができて困ることはない。
それに、外で2時間待たせるよりはましだ。
「入るぞ」
「……はい」
まだ少し不安そうなミアを連れて、コウイチは図書室へ入った。
◇
最初に探したのは、自分の本ではなかった。
何冊か棚を眺めていると、文字が大きく、挿絵の多い薄い本が見つかった。内容を確認すると、この辺りに生息する比較的危険度の低い魔物について書かれている。
「これならどうだ?」
ミアに渡す。
表紙を見た途端、耳が少し立った。
「ホーンラビットです」
「知ってるやつなら読みやすいだろ」
ミアは本を受け取ったものの、すぐには開かなかった。
「本当に、読んでいていいんですか?」
「そのための図書室だろ」
「そうではなくて……」
何か言いかけたミアだったが、結局、小さく「はい」と答えて椅子へ座った。
コウイチも向かい側へ座り、自分の本を探し始めようとしたところで、ぽつりぽつりと声が聞こえてきた。
「つの……を、つか……って……」
顔を上げる。
ミアが挿絵の下にある文章を、指で追いながら読んでいた。
「『角を使って敵を攻撃する』だな」
「つのを、つかって……てきを、こうげきする」
「そう」
ミアはもう1度、今度は先ほどより滑らかに同じ文章を読んだ。
そのまま次の行へ進もうとして、また途中で止まる。
「分からなかったら聞け。俺も分からなかったら受付に聞く」
「コウイチ様でも分からないことがあるんですか?」
「あるに決まってるだろ」
「……たくさん?」
「たくさん」
答えると、ミアは少し意外そうな顔をしてから本へ視線を戻した。
コウイチも席を立つ。
教えるために来たわけではないし、横に張りついていてはミアも読みづらいだろう。
「じゃあ、俺も探してくる」
「はい」
今度の返事には、最初ほどの戸惑いはなかった。
◇
コウイチが探したいのは、《生成》についての情報だった。
もっとも、正面から《生成》という名前だけを探して見つかるとは思っていない。この世界には数え切れないほどの技能があり、一般的なものもあれば、ほとんど知られていない技能や、すでに使い手が途絶えたものもある。
ならば珍しい技能や、過去に存在した技能をまとめた本から探す方がいい。
棚を順番に眺めていくと、魔法技能についてまとめた本、職人系技能の研究書、冒険者が残した技能の記録などが並んでいた。
何冊か取り出して読んでみたものの、すぐに目当ての情報が見つかるほど都合よくはいかない。
鍛冶師が稀に得るという《精密鍛造》、薬師の《薬効強化》、裁縫師の《魔糸加工》。名前だけなら興味深い技能はいくつもあるが、《生成》につながりそうなものはなかった。
それでもページをめくっていると、この世界の技能が思っていた以上に生活や仕事と結びついていることが分かってきた。
何年も同じ仕事を続けた職人が、その技術に対応した技能を得ることもあるらしい。
日本では、技術は身体で覚えるものだった。
時計の裏蓋を開けるだけでも、慣れている人間とそうでない人間では違う。力を入れすぎれば傷をつけるし、弱ければ工具が滑る。誰かに教わったからといって、その日から同じようにできるわけではない。
この世界では、そうした積み重ねの一部が《技能》という形で現れるのかもしれない。
そう考えると、自分が槍術を覚えたことにも納得できる。
なら、《生成》はどうなのだろう。
転移した直後から持っていた技能であり、少なくとも自分が何年も訓練して身につけたものではない。
ページをめくりながら考えていたコウイチは、ふと向かい側の席を見た。
ミアはまだ本を読んでいた。
ただし、さっき渡した本ではない。
「……それ、2冊目か?」
声をかけると、ミアが顔を上げた。
「はい」
「最初のは?」
「読みました」
「全部?」
「全部は読めませんでした。でも、ホーンラビットは知っていますから、絵を見ると書いてあることが少し分かって……」
ミアはそこで言葉を切ると、今読んでいるページをコウイチへ見せた。
今度はゴブリンが描かれている。
「これも知ってます」
「まあ、何度も見たからな」
「でも、知らないことも書いてありました」
そう言ったミアの声が、少しだけ弾んでいた。
「ホーンラビットの角は、年齢で少し形が変わるそうです。私、知りませんでした」
「俺も知らなかった」
「そうなんですか?」
「初耳だ」
ミアは本へ視線を戻した。
しばらくしてから、文字を指でなぞりながら呟く。
「分からないところがあると、気になります」
コウイチは一瞬だけミアを見た。
「なら、分かるところまで読めばいい」
「はい」
すぐにページをめくる音がした。
その様子を見ながら、コウイチは少しだけ昔を思い出した。
時計を初めて分解した頃も似たようなものだった。
歯車がある。
ゼンマイがある。
それが何をしているのか分からない。
分からないから知りたくなり、知ると、その先にまた分からないものが出てくる。
いつの間にか、それが面白くなっていた。
ミアが同じなのかは分からない。
ただ、少なくとも退屈はしていないらしい。
それなら十分だ。
コウイチは再び自分の本へ戻った。
◇
何冊か調べているうちに、目的とは少し違う棚まで来ていることに気づいた。
棚の端に並んでいるのは、どれも古びた本だった。背表紙の文字も薄れ、革張りの表面がひび割れているものまである。
棚には小さく、
――失伝・希少技能。
と書かれていた。
「……こっちか」
一番端の本を抜き取る。
中には現在では使い手が確認されていない技能や、古い文献に名前だけ残っている技能がまとめられていた。
《竜語》。
《星読み》。
《霊糸》。
説明はどれも短く、本当に存在したのか分からないと書かれているものまである。
何ページか進むうちに、コウイチも半ば流し読みになっていた。残り時間を考えれば、まず名前だけ拾っていった方がいい。
そう考えながらページをめくり――指が止まった。
そこに書かれていた名前を、もう1度読む。
《万物の生成》。
「……生成?」
自分が持っているのは《生成》だ。
名前は似ている。
だが、それだけで同じ技能だと考えるのは早い。
コウイチは椅子へ座り直し、今度はゆっくりと文章を読み始めた。
◇
記録によれば、《万物の生成》と呼ばれる技能を持った人物が存在したのは、およそ300年前。
ただし、その人物について残されている記録は驚くほど統一されていなかった。
ある記録では、多くの道具を生み出した賢人。
別の記録では、既存の錬金術とはまったく異なる技法を使った錬金術師。
商業に関する古い記録では、それまで存在しなかった商品を扱い、いくつもの都市で富を築いた大商人として名前が残されているらしい。
同じ人物の話なのかと疑いたくなるほどで、肝心の名前まで文献によって表記が違っていた。
「……300年前か」
それほど昔なら、記録が曖昧になること自体は不思議ではない。
問題は、その人物が何をしたのかだ。
賢人だったのか、大商人だったのか。そんな肩書きより、コウイチが知りたいことはもっと単純だった。
――何を作った?
もし本当に自分と似た能力を持っていたなら、その人物が作った物がどこかに残っている可能性がある。300年という時間は長いが、金属製品や魔道具なら残っていてもおかしくないし、歴史に名前が残るほどの人物が作った品なら、価値のある物として保管されていることも考えられる。
実物を見られれば、《鑑定》できる。
そこから何か分かるかもしれない。
期待しながら続きを読んだものの、製品の一覧など都合のいいものは載っていなかった。
代わりに、その人物の能力について、古い記録から引用したと思われる一節があった。
――彼は物の姿を写したのではない。その理を知り、世に存在せぬものを形とした。
「理を知り……」
その言葉を口にした瞬間、古い記憶が蘇った。
◇
時計工房。
机の上には、分解された機械式時計が置かれている。
日本で時計工房に勤めていた頃、コウイチは小さな歯車をピンセットでつまみながら、親方から何度も同じことを言われた。
形だけ覚えるな。
なぜ、この歯車がここにあるのか。
なぜ、この大きさなのか。
なぜ、この順番で力が伝わるのか。
そこが分からなければ、同じ形に組み直したつもりでも時計は正しく動かない。
部品には、それぞれそこにある理由がある。
動いたから直ったと思うな。
なぜ動くのか分からないなら、明日止まっても原因が分からない。
「……似てるな」
気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
《生成》を使い始めた頃のことを思い返す。
最初は、見た目を知っているものでも、思うように作れないことがあった。実物を観察し、《鑑定》し、構造や用途を知るほど作れるものは増え、必要なMPも抑えられるようになっていった。
鉄槍もそうだった。
魔法袋もそうだ。
ただ見た目を覚えたから作れたわけではない。
コウイチは本へ視線を戻した。
――その理を知り、世に存在せぬものを形とした。
もし、この文章が単なる伝説の誇張ではないのなら、《生成》という技能は自分が思っているより少し違うものなのかもしれない。
これまでは「知っている物を作る技能」だと思っていた。
だが本当に重要なのが完成した物を知っていることではなく、その物がどういうもので、なぜそうなるのかを理解することだとしたら。
時計だって、見た目だけなら真似できる。
文字盤を作り、針を2本つけ、竜頭を横につければ、それらしい物にはなる。だが、中で何が起きているのか理解していなければ、それは時計の形をした物でしかない。
《生成》も同じなのだとしたら。
理解したものを、形にする。
その考えは妙にしっくりきた。
ただ、それだけで目の前の《万物の生成》と自分の《生成》が同じものだという証拠にはならない。
コウイチは《鑑定》Lv1を使い、自分自身のスキルを確認した。
【固有スキル:《生成》】
表示は変わらない。
「……まあ、そうだよな」
名前が似ているだけの別技能かもしれないし、古い時代には似た技能をそう呼んでいただけなのかもしれない。今の段階で決めつけるには、あまりにも情報が少なかった。
だからこそ、もっと知りたい。
そう思って再び本へ視線を落とした時、向かい側から小さくページをめくる音が聞こえた。
コウイチが《生成》について知ろうとしているすぐ近くで、ミアもまた、自分の知らなかった何かを知るために本を読んでいた。
そのことを特別だとは思わなかった。
ただ、静かな図書室で同じように本を読む時間は、不思議と居心地が悪くなかった。
◇
残り時間を気にしながら先を読むと、《万物の生成》の使い手について、さらにいくつかの記述があった。
各地を旅していたこと。
職人と交流していたこと。
いくつかの都市で商売をしていたこと。
そして晩年、アルカディア王国を去ったとされていること。
どこへ向かったのかについては記録が一致しておらず、その後の消息も分からない。
コウイチが気になったのは、その次だった。
――彼の遺した品の一部は現在も――
そこで文章が途切れていた。
「……は?」
次のページをめくると、すでに別の話へ移っている。
戻して確認しても同じだった。
よく見ると、ページが破られたというより、最初から文章の一部が欠けた状態で書き写されているように見える。
「おい……一番知りたいところだぞ」
思わず声が出た。
誰に文句を言えばいいのか分からない。
もう1度確認したところで、当然ながら続きが現れるはずもなかった。
コウイチは本を持って受付へ向かった。
「すみません」
「はい」
「この本について聞きたいんですが」
本を見せながら、《万物の生成》について書かれた部分を示す。
「ここ、途中で文章が切れてますよね。これより古い本はありませんか?」
職員は該当箇所を確認してから、少し困った顔をした。
「こちらは写本ですね。かなり古い資料を元に作られたものだと思いますが、ラグナード支部にあるのはこれだけです」
「元になった本がどこにあるかは?」
「そこまでは……少々お待ちください」
職員が奥へ入り、しばらくして別の帳面を持って戻ってきた。
何ページか確認した後、指で1箇所をなぞる。
「この写本自体、王都から送られたもののようです」
「王都?」
「はい。王都アルディスの商業ギルド本部でしたら、原本が残っているか、少なくともこれより古い写本が保管されている可能性はあると思います」
「閲覧できる?」
「資料によります。古いものや貴重なものは、会員等級によって制限されている場合もありますので」
そこまで都合よくはいかないらしい。
だが、何も分からないよりはいい。
「ありがとうございます」
本を返しながら、コウイチは頭の中に王都アルディスという名前を残した。
今すぐ行くつもりはない。
ラグナードでやることはまだいくらでもあるし、商売も冒険者としての活動も中途半端だ。
それでも、いつか王都へ行く理由が1つできた。
300年前。
《万物の生成》。
そして、その使い手が遺したという品。
もし今もどこかに存在しているなら、見てみたい。それが自分の《生成》と関係しているのか、それともまったく別のものなのかは、確かめるまで分からない。
◇
「ミア、時間だぞ」
席へ戻ったコウイチが声をかけると、ミアは本から顔を上げた。
「……もうですか?」
その返事に、コウイチは一瞬だけ足を止めた。
図書室へ入る前は、自分には読めないからと外で待とうとしていた。それが今は、本を閉じることを少し惜しんでいる。
「2時間だからな」
「そうですか……」
ミアは開いていたページをもう1度見てから、名残惜しそうに本を閉じた。
「途中だったのか?」
「はい。森にいる鳥のことが書いてあって……鳴き声で危険を知らせる種類がいるそうです」
「索敵に使えそうか?」
何気なく聞くと、ミアは少し考えた。
「まだ分かりません。でも、本当にそうなのか森で聞いてみたいです」
「なるほどな」
コウイチは思わず口元を緩めた。
本に書かれていたから正しい、とそのまま受け入れるのではなく、実際に確かめてみたいらしい。
それなら、悪くない。
「また来ればいいだろ」
「いいんですか?」
「俺もまだ調べたいことがあるしな」
そう答えると、ミアの耳が僅かに立った。
「はい」
今度の返事は、図書室へ入った時より明らかに嬉しそうだった。
ミアは自分で本を元の棚へ戻し、コウイチと一緒に図書室を出た。
◇
商業ギルドを出て通りを歩き始めると、ミアが隣からコウイチを見上げた。
「何か分かりましたか?」
「少しな」
「どんなことですか?」
コウイチは歩きながら考えた。
《万物の生成》という技能が300年前に存在したと記録されていること。自分の《生成》と似ているかもしれないこと。その使い手が作った物が今も残っている可能性があり、王都へ行けばさらに記録を調べられるかもしれないこと。
確かに分かったことはある。
なのに、図書室へ入る前より疑問は増えていた。
「……分からないことが増えた」
ミアが隣で首を傾げた。
「それは、分かったって言うんですか?」
「俺も今それを考えてた」
少し間があって、ミアが笑った。
それから数歩進んだところで、今度はコウイチから聞いた。
「ミアは?」
「え?」
「本。何か分かったか?」
ミアは少し考えてから答えた。
「知らないことが、たくさんありました」
「それは分かったとは言わないんじゃないか?」
「でも、知らなかったことを知りました」
「……なるほど」
さっきの仕返しをされたような気がして、コウイチは笑った。
ミアも楽しそうに笑ってから、少しだけ前を向いて歩いた。
「本って、面白いんですね」
その言葉は、ひどく何気ないものだった。
コウイチも深く考えず、
「面白い本もある」
と答えただけだった。
けれどミアは、もう次に図書室へ来たら何を読もうか考えているようで、森の鳥の本の続きを読みたい、その後は魔物についてもう少し難しい本にも挑戦してみたいと話し始めた。
コウイチはそれを聞きながら、時計を覚え始めた頃の自分を少しだけ思い出していた。
分からないから、知りたくなる。
知れば、その先にまた分からないものが見つかる。
それを面倒だと思う人間もいるのだろうが、自分は昔から嫌いではなかった。
どうやらミアも、少し似ているらしい。
300年前の人間が何者だったのかも、《万物の生成》と自分の《生成》が同じものなのかも、今はまだ分からない。
ミアがこれから何を知り、何を覚えていくのかも分からない。
ただ、今日この図書室で、2人とも昨日までは知らなかったものを1つずつ見つけた。
そして、知りたいと思うものが少し増えた。
今は、それで十分だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の感想や印象に残った場面など、ひと言でもいただけると今後の執筆の励みになります。




