第30話◇ 二人で覚えた技
ミアの声を聞いた瞬間、コウイチは地面を蹴った。
自分の目には、まだ見えていない。
グレイヴァルが傷ついた前脚を庇いながら身体を捻り、反対側の前脚を振り出そうとしていることは分かる。首の付け根にある硬い皮膚が僅かにずれたことも見えていたが、その奥へ本当に槍が通るのか、それともミアが自分には見えていない別の何かを捉えているのかまでは判断できなかった。
普段のコウイチなら確かめる。
《鑑定》を使えるなら使い、もう1度相手の動きを見られるなら見る。分からないことを分からないままにして、自分の命を賭けるような真似はしない。
だが、今は確かめている時間がない。
「そこです!」
もう1度、ミアの声が飛ぶ。
その一言を頼りに、コウイチは自分で狙いを探そうとするのをやめた。ミアが見ていた首の付け根へ槍を向け、踏み込みを止めずに身体を前へ運ぶ。
足が地面を捉え、そこから生まれた力が腰を通って上半身へ抜けていく。肩を前へ出しながら、何度も藁束を突いて身体へ染み込ませてきた動きを崩さず、腕で無理に押し込むのではなく、身体の中を通ってきた力ごと穂先へ送り出す。
ここまでは、普通の突きだ。
その動きを邪魔しないまま魔力を重ねると、掌から槍へ流れ込んだ力が柄を通り、穂先へ集まっていくのが分かった。
以前は《穿牙》を使おうとした瞬間に身体が固まり、足、腰、肩、腕、魔力と覚えた手順を1つずつなぞっていた。
今は違う。
身体はもう動いている。
グレイヴァルの首が捻られ、硬い皮膚の重なりがほんの僅かに開いた。
ミアが見つけた場所。
なら、突く。
「――《穿牙》!」
穂先が入った瞬間、これまで硬い体表へ槍を当てた時とはまるで違う感触が手へ返ってきた。重なった防御の隙間へ穂先が入り、そのまま身体を通してきた力と穂先へ集めた魔力が一気に奥へ抜けていく。
グレイヴァルの巨体が大きく震えた。
鳴き声にもならない音を漏らしながら前脚を振り上げたため、コウイチはすぐに槍を引き抜いて後ろへ跳んだが、反撃は来なかった。振り上げられた前脚は途中で力を失い、そのまま地面へ落ちると、岩のような巨体も支えを失ってゆっくりと傾いていった。
地面へ倒れた衝撃で、岩間に砂埃が舞う。
「コウイチ様!」
「まだ来るな!」
外にはもう1頭いる。
コウイチは倒れたグレイヴァルへ槍を向けたまま様子を見た。完全に動かなくなったことを確認してから《鑑定》Lv1を使うと、生命活動が停止していることが確認できた。
そこでようやく、詰めていた息を吐く。
自分のステータスを開くと、通常スキルの欄に新しい名前が増えていた。
【通常スキル】《槍術》Lv2/《投擲》Lv1
【戦技】《穿牙》Lv1
「……出た」
「え?」
「《穿牙》。覚えた」
ミアの耳がぴんと立った。
「本当ですか!?」
「ああ」
「やりましたね!」
ぱっと表情を明るくしたミアを見ていると、コウイチにも自然と笑みが浮かんだ。
「いや、ミアのおかげだろ」
「でも、貫いたのはコウイチ様です」
「場所を見つけたのはミアだろ」
「でも私は、そこって言っただけです」
「それが一番大事だったんだよ。俺には見えてなかったんだから」
ミアは少し困ったように考え込んでから、やがて嬉しそうに笑った。
「では、二人で覚えたことにしましょう」
「そうするか」
コウイチも笑ったところで、岩間の外から低い唸り声が響いてきた。
まだ終わってはいない。
◇
倒したグレイヴァルを《アイテムボックス》へ収納すると、コウイチはミアとともに岩間の奥へ下がった。
入口の向こうには、もう1頭がいる。先ほどまで岩へ身体をぶつけていた個体だ。
「……どうする?」
ミアが小声で尋ねる。
「逃げる」
コウイチは即答した。
「でも、《穿牙》を覚えましたよね」
「覚えた。けど、次も同じように出せるとは限らないだろ」
初めて成立した一撃だ。魔力も消費しているし、傷めた肩には今も鈍い痛みが残っている。1頭倒せたからといって、もう1頭まで相手にする理由はなかった。
依頼はあくまで調査であり、相手がD相当だと判明した時点で目的は果たしている。
「それに、さっきの場所もこの個体で同じとは限らないからな」
「はい」
ミアも頷いた。
コウイチは岩間の奥へ視線を向ける。先ほど崩落で塞がれた通路の横には、まだ確認できていない細い隙間がある。戦闘中はグレイヴァルが奥まで押し込んできたため、ミアも十分に調べる余裕がなかった場所だ。
倒した個体を収納したことで、岩間の中にはようやく動ける空間ができている。
「あっちを確認しよう。抜けられなかったら戻る」
「はい」
ミアが先に細い隙間へ近づき、耳を動かしながら向こう側の様子を確かめた。
「風が通っています。でも、行き止まりじゃないかは分かりません」
「分かった。無理に進まないで、途中まで確認しよう」
2人は外のグレイヴァルの動きを警戒しながら、細い隙間へ身体を入れた。コウイチが槍を持って後ろを警戒し、ミアが先に進んで道の様子を確かめる。
途中で岩の重なりが狭くなり、コウイチは一度足を止めた。
「この先、通れるか?」
ミアが身体を横にして先を覗き、戻ってくる。
「少し狭いですけど、向こうに明かりが見えます。私たちなら通れそうです」
「崩れそうなところは?」
「上の岩は動いていないと思います。でも、絶対とは言えません」
「なら、急いで抜けよう。ただし足元は見ろ」
2人は身体を横にして狭い部分を抜け、岩場の反対側へ出た。そこから採石場へ直接戻る道はなかったが、少し離れた斜面を回れば、来た時の脇道へ合流できそうだった。
ミアが耳を澄ませる。
「追ってきています。でも、まだ岩の向こうです」
「なら、距離を取ろう」
コウイチは走り出す前に周囲を確認した。足場の悪い場所を無理に駆け下りれば、転倒して追いつかれる危険がある。2人は岩陰を使いながら斜面を回り、見通しのよい脇道へ出てから速度を上げた。
背後ではしばらく重い足音が聞こえていたが、やがて遠ざかっていく。
「……止まったか?」
「たぶん。まだ遠くにいますけど、こちらへは来ていないと思います」
「なら、追われてないうちに戻ろう」
コウイチは肩の痛みを確かめながら歩き出した。走れないほどではないが、無理をすれば動きが鈍る。今日はもう戦闘をするつもりはなかった。
◇
採石場へ戻ると、待っていた作業員たちがすぐに駆け寄ってきた。
「どうだった?」
「グレイヴァルっていう魔獣がいた。D相当だ」
「Dだと……?」
採石場の男の顔色が変わる。
「少なくとも2頭確認した。1頭は倒したけど、もう1頭は岩場に残ってる」
「2頭もいるのか……」
「他にもいるかもしれない。ただ、俺たちが確認したのは2頭だけだから、そこまでは分からない」
コウイチは岩場の方向を示しながら、擬態していた場所と、逃げる時に通った経路を説明した。
「岩に紛れて待ち伏せする。近くにいても見つけにくいから、ギルドから討伐隊か調査の追加が来るまでは、あの岩場へ近づかない方がいい」
「分かった。作業員にも伝える」
「荷車を動かすなら、街道沿いも気をつけてくれ。どこまで出てくるかは確認できてない」
男は青ざめながらも頷き、すぐに作業員たちへ作業中止と岩場への立ち入り禁止を伝えに向かった。
コウイチはその背中を見送ってからミアと顔を合わせる。
「帰るか」
「はい」
今度こそ、仕事を終わらせるために。
◇
ラグナードへ戻った頃には、すでに夕方になっていた。
そのまま冒険者ギルドへ向かい、受付で採石場の状況を報告すると、グレイヴァルという名前を聞いた瞬間、受付嬢の表情が変わった。
「グレイヴァル……本当にですか?」
「ああ。《鑑定》でも確認した。危険度はD相当。少なくとも2頭いて、1頭は倒したけど、もう1頭は岩場に残ってる」
「少々お待ちください」
すぐに奥から別の職員が呼ばれ、襲撃地点や擬態の特徴、確認した個体数について詳しく聞かれた。コウイチは自分たちが実際に確認したことだけを答え、他にもいる可能性について尋ねられた時には、分からないとはっきり伝えた。
ミアも、匂いや音で近くにいることは感じたものの、擬態している場所までは分からなかったこと、岩場では音が反響して位置を特定しにくかったことを説明した。
しばらくすると受付嬢が記録をまとめ、依頼書へ完了を示す印を押した。
「まず、調査依頼については完了です。魔物の種類と生息地点まで確認されていますので、規定通り銀貨5枚をお支払いします」
「分かった」
「それと今回、当初Eランク相当として受注していただいた依頼で、実際にはD相当の魔物と遭遇しています。ギルド側の事前情報と実際の危険度に差がありましたので、危険度上昇に対する追加報酬として銀貨5枚が支払われます」
コウイチは少し目を見開いた。
「追加があるのか」
「はい。今回のような調査依頼では、ギルドから提示した危険度を超える事態に遭遇する可能性があります。事前情報との差によって発生した危険については、規定に応じて追加報酬が支払われます」
なるほど、とコウイチは頷いた。
危険度が上がったのに報酬が同じなら、未知の魔物を調べる依頼など誰も受けたがらなくなる。
「合計で銀貨10枚か」
「依頼に関する報酬は、です」
「……まだある?」
「グレイヴァルを1頭討伐されたんですよね?」
「ああ。丸ごと持ってきてる」
「でしたら、解体場で確認させてください。グレイヴァルはDランク相当の魔物ですので、素材価値もEランクの魔物とはかなり違います」
「分かった。ただ、全部売るかは解体してから決めたい」
受付嬢が頷いた。
「承知しました。加工や商業利用に使える素材を持ち帰りたいということですね」
「ああ。状態と値段を見てから決める」
コウイチは依頼報酬の銀貨10枚を受け取り、ミアとともに解体場へ向かった。
◇
解体場では、担当の職員が奥の作業場を空けてくれた。
周囲から見えない場所まで案内されてから、コウイチはマジックバッグを開き、《アイテムボックス》からグレイヴァルを取り出す。
岩のような巨体が床へ現れると、解体担当の男が驚いたように近づいてきた。
「こりゃ立派だな。しかも外皮の傷が少ねえ」
「首のところが致命傷だ」
「なるほど。こいつは背中と肩の硬皮が防具素材になるし、前脚の爪も武器や加工品に使える。魔石もあるからな」
男は傷の状態を確かめながら、素材の用途を説明してくれた。
「全部売れば、どのくらいになる?」
「解体してみねえと正確には言えねえが、状態が良ければ銀貨20枚は超えるだろうな」
「じゃあ、まず解体を頼む。硬皮と爪は、加工に使えそうなものをいくつか残したい」
「分かった。残す分は解体後に選べばいい」
解体には時間がかかるため、コウイチはその間にギルドの治療窓口へ向かった。肩を岩壁へぶつけたことを伝え、腕の動きや痛む場所を確認してもらう。
骨に明らかな異常はなさそうだったが、強い打撲があるため、無理な訓練は避けるよう注意された。コウイチは必要な処置を受け、翌日の状態を見てからバルガスのところへ行くことにした。
「明日は休んだ方がいいです」
ミアが心配そうに言った。
「そうだな。さすがに今日の肩で槍振ったら、バルガスにも怒られそうだ」
「たぶん、かなり怒られます」
「……それは避けたいな」
ミアが少し笑った。
しばらく待ってから解体場へ戻ると、作業台の上にはグレイヴァルの素材が種類ごとに分けられていた。
「終わったぞ。こっちが硬皮、こっちが爪。それから魔石と、肉などのその他の素材だ」
男が1つずつ示してくれる。
背中と肩の硬皮は、岩のような見た目に反して、裏側には加工できそうな柔軟さがあった。特に傷の少ない大きな部分は、防具に使うなら価値が高そうだ。
「これは革として加工できるのか?」
「できる。ただし普通の狼革とは違う。硬い部分を残すようになめす必要があるから、扱える職人は限られるな」
「なるほど……」
コウイチは硬皮を手に取り、表面と裏側を確かめた。防具を作る予定がすぐにあるわけではないが、こうした素材がどう加工されるのかは知っておきたい。
先日読んだ商業概論のことも頭に浮かぶ。
同じ材料を再現することだけが、物を作る方法ではない。必要な働きを持つ素材を探し、別の形で利用することもできる。
なら、この硬皮にも防具以外の使い道があるかもしれない。
「こっちの爪は?」
「硬いし摩耗にも強い。武器の先端や加工道具に使う職人もいる。大きいものはそのまま素材になるし、小さいものも削れば使えるぞ」
コウイチは爪を1つ手に取った。
「これ、少し残していい?」
「もちろん。お前さんの素材だ。売る分だけ決めてくれりゃいい」
魔石については、今のところ自分で加工する予定がない。高値で売れるなら、今回は換金しておく方がよさそうだった。
コウイチは背中の傷が少ない硬皮2枚と、状態の良い爪2本を選び、持ち帰ることにした。残りの硬皮と爪、魔石、肉などはギルドへ売却する。
「じゃあ、残した分を除いて査定してくれ」
「おう」
男が帳簿を確認し、内訳を説明した。
全素材を売却した場合の査定額は、硬皮が銀貨14枚、爪が銀貨4枚、魔石が銀貨4枚、肉などのその他素材が銀貨2枚。合計で銀貨24枚だった。
そのうち、持ち帰る硬皮2枚は銀貨6枚相当、爪2本は銀貨2枚相当になる。売却する素材の額は銀貨16枚で、解体料銀貨2枚を差し引くと、受け取りは銀貨14枚となった。
「全部売れば、解体料を引いて銀貨22枚。今回は14枚か」
「銀貨8枚分、持ち帰るんですね」
「そういうこと。売れば金になるけど、使い道を調べてからでも遅くないだろ」
ミアが頷いた。
コウイチは持ち帰る硬皮と爪を《アイテムボックス》へ収納し、残りの素材を売却した。これで今回の解体と精算はすべて完了だ。
◇
受付へ戻ると、依頼の記録について追加の説明があった。
「今回の報告内容と撤退判断については、ギルド側でもきちんと記録しておきます。残った1頭を無理に追わず、採石場へ警告したうえで戻ったことも含めてです」
「それって、Dランクへの昇格にも関係する?」
「はい。依頼を正確に遂行した実績として評価されます。ただし、今回1頭を討伐できたからといって、すぐにDランクへ昇格できるという意味ではありません」
「分かってるよ」
「本当に?」
「信用ないな」
「今日D相当を倒したEランク冒険者が、その日のうちに勘違いする例は珍しくありませんので」
「なるほど。それなら念押ししたくなる気持ちは分かる」
受付嬢が少し笑った。
「ただ、今回の依頼は、危険度が想定を超えた時点で撤退することも条件に含まれていました。お2人は無理に討伐を続けず、必要な情報を持ち帰っています。その点はきちんと評価されます」
その言葉に、コウイチは少しだけ表情を変えた。
以前なら、銀貨の枚数だけを見ていたかもしれない。だが、今は違う。
「……信用も稼げた?」
「はい」
受付嬢が頷く。
「今回は、かなり」
隣にいたミアが嬉しそうにコウイチを見た。
コウイチも手の中にある銀貨の袋を軽く持ち上げてみる。
調査報酬と追加報酬で銀貨10枚。素材の売却で銀貨14枚。合わせて銀貨24枚を受け取り、さらに銀貨8枚相当の硬皮と爪を手元に残した。
金も稼いだ。
信用も稼いだ。
そして――新しい技も手に入れた。
「帰るか、ミア」
「はい」
◇
ギルドを出ると、夕暮れのラグナードには店じまいを始める商人の声と、仕事を終えた人々の話し声が入り混じっていた。
朝ここを出た時には、自分が《穿牙》を覚えて帰ってくるとは思っていなかった。
コウイチは歩きながら槍を握る手へ視線を落とした。あの一撃を放った感覚はまだはっきり残っていたが、それ以上に耳へ残っている声があった。
――そこです。
自分には見えなかった。それでも、ミアの声を聞いた瞬間に槍を突いた。
なぜあの時、迷わず踏み込めたのか。
考えてみても、今はまだ上手く説明できない。コウイチはそれ以上考えるのをやめ、隣を歩くミアへ夕飯の話を振った。
「夕飯、何食う?」
「お肉がいいです」
「今日も?」
「今日は頑張りました」
「それ言われると弱いな」
ミアが小さく笑い、コウイチもつられて笑った。
肩はまだ痛むが、今夜はゆっくり休めばいい。手元には新しい素材があり、ギルドからの信用も少し積み上がった。
そして、槍にはまだ1度しか成功していない新しい技がある。
悪くない1日だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の感想や印象に残った場面など、ひと言でもいただけると今後の執筆の励みになります。




