第29話◇ 分からない相手
翌朝、コウイチがミアと一緒に訓練場へ顔を出すと、バルガスは昨日と同じ場所で槍を手にしていた。
「今日はちゃんと来たな」
「昨日も来ただろ」
「そうだったか?」
「昨日あれだけ突かせといて忘れるなよ」
バルガスは笑いながら、コウイチの肩や脚へ視線を向けた。
「身体はどうだ?」
「少し重いけど、痛めたところはない。朝起きて動かしてみたけど、普通に動ける」
「ならいい。無理してまで来る必要はねえからな」
「昨日は休んだら帰れって言ったのに?」
「商売の本読んで休むのと、身体を休めるのは違うだろ」
それは確かにそうだった。
コウイチは練習用の槍を受け取ると、昨日の訓練で掴みかけた感覚を思い返した。
「昨日より、普通の突きは少し分かった気がする」
「ほう」
「でも、まだ《穿牙》は使えない」
「じゃあ使えねえんだろ」
「身も蓋もないな」
「分かったつもりになっても、槍が出なきゃ相手は倒せねえぞ」
言い方は乱暴だが、言っていることは間違っていない。昨日は良い突きが何度か出たものの、同じ感覚を再現しようとすると力んでしまい、結局最後まで安定させることはできなかった。
「分かったよ。昨日より少し分かったけど、まだできない」
「最初からそう言え」
「だから今そう言っただろ」
「なら突け」
バルガスが顎で藁束を示した。
「今日も?」
「嫌なら帰れ」
「それ昨日も聞いた」
隣にいたミアが小さく笑った。
◇
昨日と同じように、まずは普通の突きから始める。
ただ、感覚は少し変わっていた。
足、腰、肩、腕と1つずつ確認しながら身体を動かすのではなく、目の前の藁束へ穂先を届かせることだけを意識する。何度も繰り返すうちに、身体のどこかへ余計な力が入った時には、バルガスに指摘される前から自分でも違和感を覚えるようになってきた。
もちろん、良い突きが続くわけではない。深く穂先が入った直後に同じ感覚を再現しようとして力み、次の1回では昨日より酷い突きになることさえある。
「昨日よりはマシだな」
「それ、褒めてる?」
「褒めてほしくて槍振ってんのか?」
「もう聞かない」
「それがいい」
相変わらず腹の立つ教え方だった。
それでも、以前のように何を直されているのか分からないということは減っている。
短い組ごとに休憩を挟みながら午前中の訓練を続け、コウイチが水を飲んでいる間には、ミアが木製の短剣を握り、バルガスの投げる木球を避ける練習をしていた。
《急所看破》を覚えたからといって、すぐに実戦で自在に使えるわけではない。バルガスはミアに攻撃させるより、相手が動く前に何が変わるのかを見ることを繰り返させていた。
「飛んでくる球ばっかり見るな! 俺の肩を見ろ!」
「はい!」
「だからって肩だけ見んな。足も腰も目もあるだろうが」
「はい!」
左右どちらから投げるのか、上から来るのか下から来るのか。ミアは何度も失敗しながら、それでも少しずつ木球が放たれる前に身体を動かせるようになっていく。
しばらく続けたところで、バルガスが木球を拾いながら口を開いた。
「それとな、ミア。お前の《急所看破》がどこまで通じるスキルなのか、俺は知らねえ」
「はい」
「だから、スキル覚えたから何でも分かるなんて思うなよ。分からねえ相手が出てきたら、分からねえって言え。適当に答えを作る方が危ねえ」
ミアは少し考えてから、しっかり頷いた。
「分かりました」
その言葉を聞きながら、コウイチも覚えておこうと思った。
スキルを得たからといって万能になるわけではない。それは自分の《鑑定》だって同じで、見える情報が増えたところで、どう判断するかまで教えてくれるわけではなかった。
◇
午後、2人は冒険者ギルドへ向かった。
午前中にかなり身体を動かしたばかりなので、無理に依頼を受ける必要はない。それでもバルガスから「藁ばっかり突いてても槍は上手くならねえ」と言われたこともあり、実戦経験を積めそうな依頼があれば確認するつもりだった。
掲示板の前でEランク依頼を眺めていると、いつもの受付嬢から声をかけられた。
「コウイチさん。少しよろしいですか?」
「何かある?」
「お2人にお願いできそうな依頼が1件あります。ただ……少し判断が難しい依頼でして」
その言い方が気になり、コウイチはミアと一緒に受付へ向かった。
差し出された依頼書には、ラグナードから南東へ伸びる街道沿いにある小さな採石場の名前が書かれている。
「魔物?」
「その可能性が高いです。3日前から採石場へ向かう荷車が何度か襲われていまして、今のところ死者はいませんが、馬が1頭やられています。昨日は護衛についていたFランク冒険者も腕を負傷しました」
「相手は確認できてないの?」
「姿を見た者はいるのですが、証言が一致していません。大きな獣だったという者もいれば、岩のような身体だったという者もいます。襲撃が夕方だったこともあり、はっきり確認できなかったようです」
コウイチは依頼書へ目を落とした。
「ランクは?」
「現時点ではEランクの調査依頼として扱っています。ただし、対象がEランクを超えると判断した場合には戦闘を避け、情報を持ち帰ってください」
なるほど、とコウイチは頷いた。
討伐ではなく、あくまで調査が目的ということらしい。
「報酬は?」
「調査のみなら銀貨3枚。種類と生息場所まで確認できれば銀貨5枚です。討伐可能な魔物だった場合には、通常通り素材の買取も行います」
「危険だと判断して逃げても、依頼失敗にはならない?」
「なりません。むしろ、危険だと分かっているのに無理をして戦う方が問題です」
「期限は?」
「受注日を含む3日以内です。調査を継続するのが危険だと判断した場合は、期限を待たずに戻って報告してください」
以前なら報酬と危険だけを比べていたかもしれないが、今はギルドからの信用を積むという目的もある。未知の相手を調べ、危険なら撤退して正確に報告するという仕事なら、今の自分たちには悪くない依頼に思えた。
「どうする?」
ミアへ尋ねると、彼女は少し考えてから頷いた。
「行きたいです。知らない魔物なら、《急所看破》がどこまで使えるのか確かめられるかもしれません」
「調査が目的だからな。スキルを試すために危険な相手へ近づくわけじゃないぞ」
「はい。分からなかったら、分からないって言います」
午前中に言われたことをきちんと覚えているらしい。
「ならいいか」
コウイチは依頼書を受付嬢へ返した。
「受ける。ただ、今日はもう午後だし、採石場まで2時間半かかるんだろ? 明日の朝に出発したい」
「その方がよろしいかと思います。現地の作業員にも、明日の朝に到着予定だと伝えておきます」
「ああ。今日は準備だけにしておく」
正式な受注手続きを済ませ、2人は採石場までの道と、最後に襲撃があった場所を地図で確認した。街道から分かれる脇道の位置や、周辺に大きな岩場があることも聞き、日没前に戻れない場合は無理に行動を続けず、採石場の作業員と相談して安全な場所で待機することにした。
宿へ戻ると、コウイチは装備を点検し、ミアと翌日の行動を確認した。
「知らない相手だから、倒そうとしなくていい。見つけられたら、まず距離を取って情報を持ち帰る」
「はい」
「それと、相手が1頭とは限らない。逃げ道を確かめてから近づこう」
「分かりました」
ミアは頷き、自分の短剣と防具を確かめた。
コウイチも槍の穂先を確認しながら、翌日は訓練ではなく調査が仕事なのだと、改めて自分へ言い聞かせた。
◇
翌朝、2人は朝食を済ませてからラグナードを出発した。
採石場までは徒歩で2時間半ほどかかった。
街道から途中で脇道へ入り、岩の露出した丘陵地を進んでいく。赤岩の谷ほど荒れてはいないものの木々は少なく、遠くまで見渡せる場所が多い。
採石場へ着くと作業は止まっており、10人ほどの作業員が建物の周辺に集まっていた。荷車も動かされておらず、普段なら響いているはずの石を砕く音も聞こえない。
「冒険者ギルドから来ました」
コウイチが声をかけると、50代ほどの男が近づいてきた。
「助かった。昨日から仕事にならなくてな」
「襲われた場所を教えてもらえますか?」
「こっちだ」
男に案内されて採石場の外れへ向かうと、壊れた荷車の一部がそのまま残されていた。車輪は外れ、荷台の側面には何か硬いものを叩きつけたような深い傷が刻まれている。
コウイチがしゃがんで傷を確認している横で、ミアは地面へ視線を落とした。
「何かある?」
「足跡があります。こっちから来て……荷車の近くまでは分かるんですけど、戻った跡がよく分かりません」
「飛んだとか?」
「ブレードホークみたいな羽の跡はありません」
採石場の男が話を聞いていたのか、岩場の方を指差した。
「昨日襲われた奴は、あっちへ消えたって言ってたぞ」
そこには採石場のさらに奥へ続く灰色の岩場があり、高さこそそれほどないものの、大きな岩がいくつも重なるように転がっている。
「行ってみるか」
「はい」
作業員たちには建物から出ないよう伝え、2人で岩場へ向かった。
近づくにつれて地面は土から石へ変わり、足跡を追うのも難しくなる。コウイチは時折振り返って採石場へ戻る方向を確認し、ミアも周囲の音や匂いを確かめながら進んだ。
それでも岩場の奥へ入ると、大きな岩が視界を遮り、来た道を見通せない場所が増えてくる。コウイチはそれ以上深く進む前に、周囲の地形を確認した。
「この先は、入るなら逃げ道を先に見ておきたいな」
「はい。右は崖になってます。左は岩が多いですけど、人なら通れそうな隙間があります」
ミアが示した岩の重なりには、狭い通路のような空間があった。ただ、奥まで続いているかはここからでは分からない。
「無理に奥へ行かないで、まずこの辺りを調べよう」
「分かりました」
2人は岩場の入口に近い場所で、足跡や傷を確認しながら調査を続けた。
やがてミアが足を止めた。
「匂いはします。でも……変です」
「変?」
「近くにいるような気がするんですけど、場所が分かりません」
ミアの耳が何度も向きを変える。
森の中なら茂みや木々が視界を遮るが、ここは岩が多いとはいえ、それなりに見通しが利く。それなのに姿が見えないということが、かえってコウイチには不気味だった。
槍を握り直したところで、右側から石の転がる音が聞こえた。
2人が同時に振り向いたものの、そこに見えるのは大小の岩だけだった。
「ミア?」
「……分かりません」
迷わず答えた。
午前中のバルガスの言葉を守っている。
「なら決めつけない。1回戻って、分かったことだけ報告しよう」
「はい」
戦う必要はない。何かが近くにいる可能性を確認できただけでも、調査として持ち帰れる情報はある。
コウイチが来た道へ身体を向けた、その時だった。
左後方にあった大きな岩が、不自然に動いた。
最初は崩れただけかと思ったが、灰色の塊はゆっくりと持ち上がり、その下から4本の太い脚が現れた。背中から肩にかけて岩のような突起が幾重にも並び、長い前脚を地面へついた姿は、さっきまでそこに転がっていた岩そのものにしか見えない。
「こんなの分かるかよ……」
コウイチは槍を構えながら《鑑定》を使った。
【グレイヴァル】
【危険度:D相当】
【特徴:岩場に擬態して獲物を待ち伏せする大型魔獣。強靭な前脚と硬質化した体表を持つ】
「D相当だ。ミア、戻るぞ」
「はい!」
答えを聞くより早く、グレイヴァルが身体を沈めた。
次の瞬間には巨体が地面を蹴り、体格からは想像できない速度で迫ってくる。コウイチは正面から受けずに横へ跳びながら槍を振り、顔へ穂先を向けることで僅かに軌道を逸らした。
そのまま通り過ぎたグレイヴァルの前脚が岩へ叩きつけられると、鈍い音とともに拳ほどの石片が飛び散った。
まともに受ければ、今の自分では耐えられない。
「走るぞ!」
依頼は調査だ。
D相当と確認できた以上、これ以上戦う理由はない。
2人は採石場へ続く道へ向かって走り出したが、数十メートルも進まないうちに、前を走っていたミアが急に足を止めた。
「コウイチ様、前です!」
岩陰から、もう1頭のグレイヴァルがゆっくりと姿を現した。
後ろからは最初の1頭が追ってきている。
挟まれた。
コウイチは足を止めたまま周囲へ視線を走らせた。戦うしかないと決める前に、まず逃げられる場所を探す。
「右は?」
「崖です!」
「左から回れる?」
「岩が多すぎます。走ったら追いつかれると思います!」
左へ目を向けると、先ほど確認した大きな岩の重なりがある。人間なら通れそうな細い隙間があり、グレイヴァルの体格なら、少なくとも2頭同時には入ってこられない。
「あそこへ行く!」
「はい!」
2人で岩間へ走り込み、コウイチはすぐに振り返った。
予想通り、入口はグレイヴァルが1頭ずつ入るのがやっとの幅しかない。逃げ道ではないかもしれないが、少なくとも2頭を同時に相手にするよりはましだった。
「ミア、奥に抜けられる場所がないか探してくれ。俺がこいつを抑える」
「分かりました!」
コウイチが槍を構えると、最初のグレイヴァルが岩間へ身体を押し込むように入ってきた。
狭い場所なら巨体を活かしにくいはずだと考え、正面から仕掛けずに前脚が届くのを待つ。振り下ろされた瞬間に半歩下がって爪を避け、その前脚が戻るところへ、昨日から何度も繰り返してきた普通の突きを放った。
足から生まれた力を腰で止めず、肩から槍へ流す。
穂先は狙い通り前脚へ当たったものの、硬質化した皮膚に弾かれ、ほとんど傷をつけられなかった。それでも衝撃そのものは伝わったのか、グレイヴァルが低い唸り声を上げる。
「脚まで硬いのか……」
「コウイチ様!」
「何か分かった?」
「まだです!」
「分かった。逃げ道を優先してくれ!」
次に横から振られた前脚を槍の柄で外へ逸らしたが、それだけでも両腕に重い衝撃が伝わり、指先が痺れた。続けて首へ穂先を伸ばしてみても、僅かに皮膚へ食い込んだだけで止められる。
《穿牙》なら通るのではないか。
一瞬そう考えたが、すぐに頭から追い出した。
昨日より普通の突きが良くなったからといって、まだ使えない技を命のかかった場面で試すほど、今のコウイチは無謀ではなかった。
「コウイチ様、奥へ抜けられそうです!」
「行ける?」
「狭いですけど、私たちなら通れます!」
「よし、先に行け!」
ミアが岩の隙間へ身体を滑り込ませ、コウイチもグレイヴァルを牽制しながら後を追おうとする。
ところが、目の前のグレイヴァルが突然後退した。
狭い場所で戦うのを嫌ったのかと考えた直後、外に残っていたもう1頭が、横から岩へ巨体を叩きつけた。
轟音とともに頭上から小石が降り注ぐ。
「まずい!」
続けて2度目の衝撃が響き、今度は人の頭より大きな岩が崩れ落ちて、ミアが通ろうとしていた隙間を塞いだ。
「ミア!」
「大丈夫です!」
怪我はない。
だが、抜け道は塞がれた。
コウイチは目の前のグレイヴァルと、背後を塞いだ岩を交互に確認しながら息を整えた。
状況が変わった以上、判断も変えなければならない。ここから逃げるには、少なくとも目の前の1頭をどうにかして岩間の入口を確保する必要がある。
「ミア、奥に他の隙間は?」
「岩が重なっていて、まだ全部は見られていません。崩れたところの横にも細い隙間がありますけど、向こうへ続いているかは分かりません」
「分かった。無理に入るな。まずは入口を確保する」
コウイチは槍を構え直した。
狭い岩間には、グレイヴァルが1頭ずつ入ってくるだけの幅がある。その奥には崩落で塞がれた通路と、まだ確認できていない岩の重なりがあり、左右には人間なら身体を寄せて退避できる程度の窪みがいくつかあった。
戦うしかない状況ではある。
だが、ここで相手を倒すことが目的ではない。入口を空けて逃げられるなら、それでいい。
「ミア、俺の後ろから離れすぎるな。何か見えたら教えてくれ。ただし、無理に弱点を探さなくていい」
「はい」
グレイヴァルが再び身体を沈めた。
コウイチは穂先を向けながら、今度はただ避けて反撃するのではなく、相手の身体がどう動いているのかを見ることに意識を向ける。
前脚を振る時、肩はどう動くのか。首はどこまで傾くのか。その動作の間に、硬い体表のどこかが開くことはないのか。
右の前脚が伸びてくる。
軌道から身体を外し、その戻りへ合わせて肩口へ槍を突き込んだが、やはり穂先は弾かれた。続いて左の前脚が振られると、今度は下がらず内側へ踏み込み、間近で首の下を確認しながら槍を伸ばす。
それでも硬い。
「ミア!」
「まだ分かりません!」
「了解!」
焦る必要はない。
そう思っていても、状況は待ってくれなかった。
外にいるもう1頭が時折岩へ身体をぶつけるたび、頭上から細かな石が落ちてくる。このまま時間をかければ、岩間そのものを崩される可能性がある。
コウイチは入口側へ押し返すため、グレイヴァルの前脚を牽制しながら位置を変えた。相手が身体ごと前へ出てきたところを岩壁ぎりぎりまで引きつけ、横へずれながら脇腹へ槍を突き込む。
穂先はこれまでより深く入り、引き抜くと僅かに血が流れた。
絶対に通らないわけではない。
しかし、この程度の傷を何度重ねれば倒せるのか分からないうえ、こちらは1回でもまともに攻撃を受ければ致命傷になりかねない。
「コウイチ様」
「何?」
「この魔物、攻撃する時も身体を守っています」
「……どういうこと?」
「ロックリザードは曲がる時に脚の内側が開きましたし、ストーンエイプは腕を振ったあと、ブレードホークは掴む直前に守れない場所ができました。でも、この魔物は前脚を振っても身体があまり開きません」
言われてみれば、確かにそうだった。
長い前脚で距離を保ったまま攻撃し、硬い肩と首を常にこちらへ向けているため、攻撃の瞬間を狙っても柔らかそうな部分がほとんど露出しない。
「分かった。無理に攻撃の隙だけ探さなくていい。動きが変わったら教えてくれ」
「はい」
グレイヴァルが低く唸り、右前脚を振り上げる。
コウイチは攻撃を避けながら入口側へ回り込もうとしたが、相手が身体を横へ寄せて進路を塞いだため、再び岩間の奥へ下がらざるを得なかった。
その時、グレイヴァルが前脚を振り上げず、身体全体を低く沈めた。
「来ます!」
巨体が一気に加速した。
コウイチは正面から受けず、先ほど確認した岩壁の窪みへ身体を寄せてやり過ごそうとした。しかし、狭い岩間では完全に軌道から外れることができず、肩へ衝撃を受けて岩壁へ叩きつけられた。
「ぐっ……!」
一瞬息が詰まり、肩から背中へ鈍い痛みが走った。
「コウイチ様!」
「大丈夫!」
腕も脚も動く。
骨までやられた感覚はないが、肩を動かすと痛みが走る。無傷では済まなかった。
グレイヴァルはそのまま数歩進んだところで急停止し、狭い岩間で身体を反転させようとする。
「――そこ……」
ミアの声が聞こえた。
コウイチは痛む肩を押さえながら顔を上げた。
「見つけた?」
「たぶん……。攻撃する時じゃありません」
「じゃあ、いつ?」
「止まる時です。突進したあと、止まるために身体を沈めた時だけ、前脚の付け根が少し開きました」
「そこが弱い?」
「……まだ分かりません。一瞬しか見えませんでした」
確信はない。
《急所看破》を持っているからといって、弱点が光って見えるわけでも、答えが頭の中へ流れ込んでくるわけでもない。
「分かった。次に同じ動きがあったら教えてくれ。ただし、俺が無理に突進を受ける必要はない。入口を空けることを優先する」
「はい」
コウイチは肩の痛みを確かめながら槍を構え直した。
グレイヴァルがこちらへ向き直り、前脚で地面を掻く。
先ほどと同じ突進の前触れに見える。
コウイチは岩壁の窪みと、相手が通れる幅をもう1度確認した。今度は正面から受けるのではなく、相手が進み始める前に横へ逃げられる位置を取る。
グレイヴァルが地面を蹴った。
「来ます!」
コウイチは早めに身体を横へ移し、岩壁の窪みへ退避した。巨体がすぐ脇を通り過ぎ、岩間の奥へ進んでいく。
そのままグレイヴァルが止まるために前脚へ力をかけた瞬間、ミアの声が飛んだ。
「今です!」
コウイチは窪みから踏み出し、ミアが見つけた前脚の付け根へ普通の突きを放った。
足から腰へ伝わった力を途中で止めず、そのまま肩から槍へ送り込むと、これまで硬い体表に弾かれていた穂先が今度は深く食い込んだ。
「――ギャァッ!」
グレイヴァルが初めて大きな悲鳴を上げた。
コウイチがすぐに槍を引き抜くと、傷口から血が流れ落ちる。
「通った!」
「はい!」
少なくとも、他の場所よりは明らかに柔らかい。
ただし、今の一撃でも致命傷には届いていなかった。
グレイヴァルは自分が傷つけられたことを理解したらしく、低い唸り声を上げながら前脚を地面へ激しく叩きつけている。さらに外からもう1頭の鳴き声と岩へ体当たりする音が響き、頭上から細かな石が落ちてきた。
長引かせる余裕はない。
コウイチは血の流れる前脚の付け根を見ながら、先ほどの感触を思い返した。
あそこなら、槍は通る。
もし足から生まれた力を途中で殺さず、すべて穂先へ集め、そのうえで魔力まで重ねることができれば、今の一撃よりさらに深く届くかもしれない。
《穿牙》。
その技が頭をよぎったが、コウイチはすぐに考えるのをやめた。
今は、使えるかどうか分からない技へ頼る場面ではない。
グレイヴァルが再び身を沈めるのを見て、槍を構え直す。
「コウイチ様。次……さっきと違うかもしれません」
「分かる?」
「分かりません。でも、嫌な感じがします」
その答えで十分だった。
「じゃあ、決めつけない」
「はい」
グレイヴァルが地面を蹴った。
先ほどと同じ突進かと思ったが、こちらへ迫る途中で巨体が僅かに捻られ、長い前脚が勢いを乗せたまま横薙ぎに振られる。
「横です!」
ミアの声に反応してコウイチは槍の柄を差し込み、前脚の軌道を外へ逸らしながら身体を沈めた。それでも衝撃を完全には逃がせず、さっき岩壁へぶつけた肩に痛みが走る。
同じ攻撃を繰り返すだけの相手ではない。
しかも前脚の付け根を傷つけられたグレイヴァルは、明らかにその場所を庇うようになっていた。身体を僅かに傾け、柔らかい部分をこちらへ見せないよう動いている。
「ミア、さっきの場所は?」
「狙えないと思います」
「分かった。他を探す」
グレイヴァルが再び前脚を振り上げ、コウイチは半歩下がって軌道から身体を逃がした。
「まだ」
間を置かずに振り下ろされたもう1撃は槍の柄で外へ逸らしたものの、受け流しただけでも傷めた肩には鈍い痛みが走り、激しい攻防を続けてきたせいで呼吸も少しずつ乱れ始めている。それでも、ミアから合図は出ない。
無理に答えを作っていない。
コウイチも急かさなかった。
グレイヴァルが傷ついた前脚を庇いながら身体を捻り、今度は反対側の脚を前へ出して攻撃しようとする。その動きを追っていたミアの視線が、前脚の付け根から肩へ、さらに首へとゆっくり移っていった。
「……違う」
「何が?」
「さっきの場所じゃありません。傷を庇ってるから、動きが変わってます」
コウイチにも、それは分かった。
問題は、その変化によって何が起きているのかだ。
グレイヴァルが傷ついた側を守るように身体を傾けるたび、反対側の肩が大きく前へ出る。さらに攻撃へ移ろうと首を捻った瞬間、顎の下から首の付け根にかけて重なっていた硬い皮膚が僅かにずれた。
ほんの一瞬だった。
「……見えました」
ミアの声が変わった。
「次も分かる?」
「やってみます」
コウイチはそれ以上聞かなかった。
槍を構え直しながら呼吸を整え、肩や腕に入っていた余計な力を抜いていく。
普通の突きがあって、その先に《穿牙》がある。
バルガスの言葉を思い出しながら、目の前の魔物へ意識を集中させる。
グレイヴァルが前脚を振り上げた。
「まだです!」
コウイチは攻撃を避けながら待つ。
傷ついた脚を庇ったグレイヴァルが身体を傾け、反対側から次の一撃を放とうとするが、ミアの声はまだ続かない。
「まだ!」
焦らない。
自分で弱点を探そうとすれば、どうしても目が首元へ向かう。しかしコウイチには、どの瞬間なら槍が通るのかまでは分からなかった。
グレイヴァルが身体を捻る。
首の付け根にある硬い皮膚が動いたようにも見えたが、それが本当にミアの見ているものと同じなのか、自信はない。
「次です!」
ミアの声に合わせ、コウイチは槍を握り直した。
ここから先は、自分で確かめている時間がない。
グレイヴァルが傷ついた前脚を庇いながら大きく身体を捻り、長い前脚を振り出そうとする。その動きに合わせて首の付け根が僅かに伸びたが、コウイチの目には、そこが本当に弱点なのかまでは見えなかった。
「コウイチ様――」
ミアの声が聞こえた。
自分には分からない。
それでも、待った。
「そこです!」
その一言を聞いた瞬間、コウイチは地面を蹴った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の感想や印象に残った場面など、ひと言でもいただけると今後の執筆の励みになります。




