第28話◇ 普通の一撃
翌朝、コウイチがミアと一緒に訓練場へ顔を出すと、バルガスはすでに槍を手にしていた。
朝早くから何人かの冒険者が身体を動かしており、木剣を打ち合わせる音や掛け声があちこちから聞こえている。その一角で、バルガスは壁へ背を預けるように立ち、こちらの姿を見つけると露骨に眉を寄せた。
「昨日来ると思ってたんだがな」
「ちょっと調べ物をしてて」
「ほう」
バルガスが槍を肩へ担ぎながら、面白くもなさそうにコウイチを見る。
「《穿牙》より大事な調べ物か?」
「……商売の本を読んでた」
「帰れ」
「まだ来たばっかりだろ」
隣でミアが吹き出した。
「笑ってないで助けてくれよ」
「すみません。でも、昨日もスキルの本は読んでませんでしたから」
「お前、どっちの味方?」
「知るか。とりあえず昨日サボった分、今日は多めにやれ」
「結局そうなるのか……」
予想していた通りの展開にコウイチが息を吐くと、バルガスは壁際に立てかけてあった練習用の槍を顎で示した。文句を言ったところで訓練がなくなるわけではない。コウイチは自分の槍をミアへ預け、練習用の槍を手に取った。
「それで?」
「ん?」
「わざわざ来たってことは、何か聞きてえことがあるんだろ」
相変わらず勘がいい。
「一昨日、ブレードホークと戦ったんだ」
「飛ぶ奴か」
「ああ。最後に槍で仕留めたんだけど、その時の突きが今までより良かった。足から腰へ力を伝えて、肩から腕へつなげる感じも、前より分かった気がしたんだ」
「へえ」
「でも、《穿牙》はまだ使えない」
「そりゃそうだろ」
「……即答かよ」
少しくらい考える素振りを見せてもいいだろうと思ったが、バルガスの顔を見る限り、本当に当たり前のことを言われたらしい。
「普通の突きが良くなったなら、《穿牙》にも近づいてると思わない?」
「近づいてはいるだろうな」
「じゃあ、何が足りないんだ?」
「お前、今《穿牙》をどうやって出そうとしてる?」
聞かれて、コウイチは少し考えた。
「踏み込みから力を腰へ伝えて、肩、腕、槍までつなげる。それと同時に魔力を穂先へ集めて、一番弱いところを――」
「それだ」
「……何が?」
「今のお前は、全部を1つずつやろうとしてる」
コウイチは眉を寄せた。
「そのために練習してるんだけど」
「仕組みを知るために1つずつ動かすのは間違っちゃいねえ。だが、いつまでも順番を追ってたら、1つの突きにならねえだろ」
「……ああ、そういうことか」
「頭で分かっただけだろ。だから、今日はそこを直す」
バルガスはコウイチの持っていた練習槍を取り上げた。
「いいか。お前が今言ったことは全部間違っちゃいねえ。足を使う、腰を回す、肩を出す、腕だけで突かねえ。そこへ魔力を乗せて、相手の一番弱いところを狙う。それが全部噛み合えば《穿牙》になる」
「なら合ってるじゃないか」
「ああ。頭ではな」
バルガスは数歩離れると、何でもない動きで槍を構えた。以前《穿牙》を見せてもらった時のような気配はなく、特別な構えを取ったわけでもなかった。
「よく見とけ」
そう言って、正面へ槍を突き出した。
ただの突きだった。少なくとも、コウイチにはそう見えた。それでも穂先が前へ伸びた瞬間、ほとんど音も立てずに空気を裂き、最初から最後まで槍の軸がまったくぶれていない。
「今の、何かスキル使った?」
「何も使ってねえ」
「……普通の突き?」
「そうだ」
槍を返されたコウイチは、自分でも同じように突いてみる。
踏み込み、腰を使い、肩から腕へ力を伝える。一昨日ブレードホークへ放った一撃の感覚を思い出しながら槍を伸ばすと、自分としては悪くない突きが出た。
だが、横からバルガスの槍が伸びてきて、穂先を軽く弾かれた。
「力みすぎ」
「今ので?」
「肩に力入ってんだろ。それと、踏み込む時に上体が先に出てる」
「……細かいな」
「必殺技覚えに来た奴が、細けえこと嫌がってどうすんだ」
言い返せない。
「もう1回」
今度は肩の力を抜き、上体が先に出ないよう意識して踏み込んだが、また槍を弾かれた。
「腰が遅い」
「さっき肩って言っただろ」
「肩直したら腰の悪さが見えるようになったんだよ」
「終わりないな、これ」
「あると思ってたのか?」
横を見ると、ミアまで真剣な顔で頷いている。
「ミアまで納得するなよ」
「でも、一昨日の最後より少し違います」
「分かるの?」
「はい。あの時の方が自然だった気がします」
意外な言葉に、コウイチは槍を下ろした。
「一昨日の方が?」
「上手く言えませんけど……今は、すごく考えてるように見えます」
バルガスが鼻で笑った。
「お前より分かってんじゃねえか」
「昨日覚えた《急所看破》のおかげか?」
「スキルを覚えたのは一昨日だろ」
「……そうだった」
ミアが小さく笑ってから、首を傾げた。
「スキルのおかげかは分かりません。でも、バルガスさんに教わってから、突く前の腰や肩をよく見るようになったので……」
「どこが違う?」
「今は、腰が動いてから肩が動くのを、コウイチ様が1つずつ確かめているように見えます。一昨日の最後は、もっと一緒に動いていた気がします」
言われてみれば、ブレードホークを仕留めた時は今ほど考えていなかった。飛び立とうとする相手を逃がさないことに集中し、バルガスから何度も直された動きを身体のまま使った。その結果として、足から腰、肩、腕へ力がつながった。
だが今は、足を動かしてから腰を回し、肩を出して腕を伸ばす、と自分で順番を追っている。
「……考えすぎてる?」
「やっと気づいたか」
バルガスがコウイチの頭を槍の柄で軽く小突いた。
「教わったばっかりなんだから考えるのは当たり前だ。だがな、実戦で『次は腰、その次は肩』なんてやってたら、その間に死んでるぞ」
「それはそうだけど」
「だから身体に覚えさせるんだよ」
バルガスは訓練場の端に置かれていた藁束を指差した。
「今日は《穿牙》禁止だ」
「え?」
「魔力も使うな。あれを普通に突け」
「それだけ?」
「それだけだ」
「何回?」
バルガスが笑った。嫌な笑い方だった。
「考えなくてもちゃんと突けるまで」
「回数を聞いたんだけど」
「だから答えただろ」
「答えてないよ」
「まあ、身体が動かなくなるまでやらせる気はねえよ。変な癖がつく前に止める」
どうやら昨日休んだことを、少し後悔することになりそうだった。
◇
最初のうちは、まだよかった。
藁束へ向かって構え、踏み込みながら槍を突く。穂先が藁へ沈んだら引き抜き、元の位置へ戻って再び構える。
バルガスは横から細かく修正を入れてくる。
「足幅が広い」
「腰止まってるぞ」
「肩に力入れんな」
「槍を押すな。突け」
繰り返しているうちに、今度は自分が何を直そうとしているのか分からなくなってきた。肩を意識すれば腰が遅れ、腰を意識すると踏み込みが不自然になり、全部をまとめて直そうとすれば身体全体が固まって、最初より酷い突きになる。
「もう1回」
バルガスは数回ごとに動きを確認し、姿勢が崩れ始めると一度止めさせた。
「休め。今のまま続けても変な癖がつくだけだ」
「まだできるけど」
「できるかどうかじゃねえ。ちゃんと動けるかどうかだ」
コウイチは水を飲み、脚と肩を軽く動かしてから再び槍を握った。
少し離れた場所では、ミアも木製の短剣を手に訓練を始めていた。バルガスが不規則に投げる小さな木球を避けながら、球そのものではなく投げる前の身体を読む練習をしているらしい。
「ミア! 球が飛んでから避けるな!」
「はい!」
「肩だけ見ても駄目だ。腰も脚も使う。獣人なら耳も使え。足が動く音も、息が変わる音もあるだろうが」
「はい!」
左右どちらから投げるのか、上から来るのか下から来るのか。ミアは何度も失敗しながら、それでも少しずつ木球が放たれる前に身体を動かせるようになっていく。
しばらく続けたところで、バルガスは木球を置き、今度は木剣を手に取った。
「次は避けるだけじゃねえ。俺が攻撃する時、どこが空くか見てみろ」
「はい」
「ただし、見つけたからってすぐ突っ込むな。最初は見て、分かったら言え」
ミアが頷くと、バルガスはゆっくりと木剣を振った。大きく横へ振る動作、上から振り下ろす動作、踏み込んで突く動作。それぞれの前後で身体のどこが動き、どこが一時的に守りにくくなるのかを、ミアは短剣を構えたまま観察していく。
「今のは?」
「腕を振ったあと、脇が少し空きました」
「そうだ。だが、相手が次に何をするか分かってる時だけじゃ、実戦じゃ使えねえぞ」
今度はバルガスが動きを変え、途中で振りを止めたり、別の方向へ木剣を出したりする。ミアが踏み込もうとしたところで、木剣の先がその進路を塞いだ。
「ほら、今入ってたら打たれてる」
「……はい」
「スキルを覚えたからって、何でも分かるわけじゃねえ。分からねえ時は無理に入らず、まず見る。それからだ」
「分かりました」
ミアは短剣を握り直し、今度は少し距離を取ってバルガスの動きを追い始めた。
コウイチはその様子を横目に見ながら、再び藁束へ向き直る。
「余所見すんな!」
「はい!」
すぐに自分も怒られた。
◇
昼を過ぎる頃には、腕よりも脚と腰の方が重くなっていた。
以前なら槍の訓練で最初に悲鳴を上げるのは腕だった。それが変わってきたこと自体、身体全体を使えるようになってきた証拠なのかもしれない。
昼食と長めの休憩を挟んでから、午後も短い組ごとに訓練を続けた。疲労で姿勢が崩れればバルガスが止め、呼吸が整ってから再開する。ひたすら数を増やすのではなく、同じ動きを崩さずに繰り返せるかを確かめるための時間だった。
「なあ、バルガス」
「何だ」
「《穿牙》って、最初から《穿牙》として練習したの?」
バルガスは少し考えてから首を振った。
「いや。俺も最初は師匠に突きばっかりやらされた」
「どのくらい?」
「忘れた」
「前は覚えるのに1年半くらいって言ってたじゃん」
「《穿牙》を使えるようになるまでだ。普通の突きの練習なんざ、その後もずっとやってる」
「……今も?」
「当たり前だろ」
バルガスは元Aランク冒険者だ。引退した今でさえ、コウイチからすれば槍の腕を比べること自体が馬鹿らしいほど離れている。その男が、今でも普通の突きを練習する。
「技を覚えりゃ、基礎がいらなくなると思ってたか?」
「そこまでは思ってないけど」
「似たようなもんだ。お前は《穿牙》を覚えたら、普通の突きとは別に必殺技が1個増えると思ってる」
「違うの?」
「逆だ」
バルガスは自分の槍を手に取ると、近くの藁束へ穂先を向けた。
「普通の突きがあって、その先に《穿牙》がある。別の技じゃねえ」
そのまま槍を突き出す。先ほどと同じ、何でもない一撃だった。
「足から出した力を途中で殺さず、全部穂先まで持っていく。相手の一番弱いところへ、それを一番いい瞬間に叩き込む。そこへ魔力まで乗せりゃ《穿牙》になる」
バルガスは槍を引いた。
「なのにお前は、《穿牙》を出そうとした途端に普通の突きまで下手になる」
「……言い方」
「事実だ」
否定できないのが腹立たしい。
「だから今日は忘れろ。《穿牙》なんて技は知らねえと思え」
「それで覚えられるのか?」
「知らん」
「知らないのかよ」
「俺はお前の身体じゃねえからな」
バルガスはそう言って笑った。
「ただ、普段できねえことが、いきなり必殺技になったりしねえよ」
以前にも聞いた言葉だった。その時は意味を理解したつもりになっていたが、今になって少し違って聞こえる。
コウイチはもう1度、藁束の前へ立った。
《穿牙》は考えない。魔力も使わない。目の前の藁束へ槍を届かせることだけを意識する。
踏み込もうとしたところで、また足から腰へ力を移して――と考え始め、コウイチは一度構えを解いた。
「何やってる?」
「考えないようにしようとしてる」
「考えないこと考えてどうすんだ」
「難しいな!」
ミアが小さく笑った。
「じゃあどうすればいい?」
「知らん。突け」
「雑になってない?」
「いいから突け」
仕方なく構え直す。
今度は身体の順番を追うのではなく、ただ穂先を藁束の中心へ届かせる。踏み込みと同時に槍を伸ばし、穂先が藁へ沈む感触だけを見る。
「もう1回」
引き抜いて元へ戻り、再び突く。
「もう1回」
何度も繰り返しているうちに、バルガスの声が少なくなっていった。最初は1回ごとに何か言われていたのに、いつの間にか数回に1度しか修正が入らない。
コウイチ自身にも、少しずつ違いが分かるようになってきた。
上手く突けた時は、腕にそれほど力を入れていないのに穂先が深く入る。逆に力んだ時ほど肩や腕へ衝撃が戻り、槍が途中で止まる。
力を増やすことより、途中で邪魔をしないことの方が大事なのかもしれない。
足で生まれた動きを腰で止めず、肩で止めず、腕で無理に押し込まず、そのまま槍へ渡す。
そう考えた瞬間、昔の記憶が不意に浮かんだ。
まだ日本で仕事をしていた頃、道具を力任せに扱ったコウイチへ、年上の職人が呆れたように言ったことがある。
『力入れりゃいいってもんじゃねえよ。道具にはな、一番力が伝わる使い方があるんだ』
当時は加工道具の話だった。槍とは何の関係もない。それでも今は、同じことを言われている気がした。
「……そういうことか?」
「何がだ?」
「いや」
コウイチは槍を構え直した。
力を入れるのではなく、伝える。
それだけを意識する。
足を踏み出した瞬間に生まれた勢いを腰へ通し、そこから上半身へ運びながら、最後に腕で槍を押すのではなく、流れてきた力と一緒に前へ送り出した。
穂先が藁束へ深く沈む。
それまでより明らかに深いのに、腕へ返ってきた衝撃は小さかった。
バルガスが何も言わない。
「今のは?」
尋ねると、少し間を置いてから返事が来た。
「もう1回やれ」
「良かったなら良かったって言えよ」
「同じの出せたら言ってやる」
コウイチはもう1度構えた。
今の感覚を再現しようと意識した途端、肩へ僅かに力が入る。突き出した槍は、先ほどより明らかに浅いところで止まった。
「……あれ?」
「ほらな」
「今できたじゃん」
「だから?」
「いや、だから同じように――」
「それができねえから練習してんだろ」
その通りだった。
分かったと思った瞬間、それを再現しようとして余計な力が入る。頭で理解したからといって、身体まで同じように動くわけではない。
コウイチは苦笑しながら槍を引き抜いた。
「面倒だな」
「やめるか?」
「いや」
もう1度構える。
「続ける」
今度は、バルガスが少しだけ笑った。
◇
訓練を終えた頃には、腕だけでなく脚も腰も重くなっていた。
ただ、以前のように身体が動かなくなるまで追い込まれたわけではない。バルガスは最後の組で姿勢が崩れ始めたところで訓練を切り上げ、明日までに疲労を抜いておくよう言った。
宿へ戻る途中、隣を歩くミアも疲れているらしく、いつもより少し歩く速度が遅い。
「バルガスさん、厳しいですね」
「今さら?」
「今日は特にです」
「昨日行かなかったせいかな」
「たぶん」
「やっぱり?」
ミアが笑う。
宿へ戻ると、コウイチは椅子へ腰を下ろし、しばらく動く気になれなかった。それでも今日の訓練で掴みかけた感覚が、頭から離れなかった。
良い突きは何度か出た。だが、それを出そうと思って再現できるわけではない。
以前は《穿牙》という特別な技を、普通の突きとは別に覚えようとしていた。今なら、バルガスが言っていた意味も少し分かってきた気がする。
普通の突きがあり、その動きを正しくつないだ先へ、弱点を狙う判断と魔力が加わる。
だから、今日1度も魔力を使わなかったことは無駄ではないのだろう。
「分かってるのに、できないんだよな」
「私もそうでした」
「《急所看破》?」
「はい。ロックリザードの時は何となく分かったんですけど、次の魔物でも同じようにできるかは分かりませんでした。ストーンエイプもブレードホークも違いましたし……」
「それを何度か確かめて、やっとスキルになった」
「たぶん、そうだと思います」
ミアも最初からできたわけではない。見て、考えて、試して、違う相手にも通じるものを探し続けた結果、《急所看破》という形になった。
なら、自分も同じなのかもしれない。
コウイチは今日バルガスに言われた言葉を思い返した。
普通の突きがあって、その先に《穿牙》がある。
今なら、その意味が少し分かる。
けれど、理解できたことと使えることは同じではない。今日の自分は、良い突きを何度か出せたにすぎず、まだ《穿牙》へ必要な魔力の連動すら安定していない。
「明日も行くんですか?」
ミアに聞かれ、少し考える。
脚も腰もかなり重い。正直、休みたい。
「……行く。朝起きて、身体が動けばな」
「バルガスさん、喜びますね」
「喜ぶかな、あの人」
「たぶん、もっと突けって言います」
「それ、喜んでるの俺じゃなくてバルガスだろ」
ミアが楽しそうに笑った。
コウイチもつられて笑いながら、壁へ立てかけた槍へ目を向ける。
まだ《穿牙》は使えない。それでも昨日までとは違い、今は自分が何につまずいているのかが少し見えている。
なら、焦る必要はない。
まずは、普通の一撃を、ちゃんと突けるようになればいい。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の感想や印象に残った場面など、ひと言でもいただけると今後の執筆の励みになります。




