第27話◇ 寄り道
翌朝、目を覚ましたコウイチが最初に考えたのは、バルガスのところへ行けば今日も散々槍を振らされるのだろう、という少し気の重いことだった。
昨日のブレードホーク戦では、足から腰、肩、腕へと力がつながる感覚を、以前よりはっきり掴めた。それでも《穿牙》を使えるようになったわけではない。良い突きが出たからこそ、何が足りないのかが余計に気になっていた。
とはいえ、バルガスのところへ行く前に確かめておきたいことが1つある。
「《急所看破》か……」
朝食を食べながら呟くと、向かいに座っていたミアが顔を上げた。
「私のスキルですか?」
「ああ。昨日からちょっと気になっててな」
《短剣術》や《索敵》なら、名前を聞けばどんなスキルなのか大体想像できる。しかし《急所看破》というスキルが存在することを、コウイチは昨日まで知らなかった。
もちろん、自分が知らなかっただけと言われればそれまでだ。この世界へ来てからまだ日が浅いのだから、知らないことが山ほどあるのは当然だった。
ただ、ミアが何日も魔物の動きを観察し、ロックリザード、ストーンエイプ、ブレードホークと異なる相手から共通するものを見つけた結果、それまで持っていなかったスキルを手に入れたという事実は興味深い。
「ミアは《急所看破》なんてスキルがあるの、知ってた?」
「いいえ。聞いたこともありませんでした」
「だよな」
奴隷商館にいたミアが知らないからといって珍しいスキルとは限らないが、少なくとも誰でも知っているようなものではなさそうだ。
そこで、ふと思う。
戦闘以外はどうなのだろう。
自分が知っているスキルには《槍術》や《短剣術》のような武器系だけでなく、《索敵》もあれば《投擲》もある。ならば商人が長年取引を続けることで、商売に関係するスキルを身につけることがあってもおかしくはない。
「《交渉》とかあるのかな」
「交渉ですか?」
「商人が持ってそうなスキル。あとは……《値切り》とか」
「値切るのもスキルになるんですか?」
「知らないから調べるんだよ」
コウイチが笑うと、ミアも少し笑った。
もし本当に交渉を有利にするようなスキルが存在するのなら、自分が覚えられるかどうかとは別に知っておいた方がいい。取引相手がそうした能力を持っている可能性まで考えれば、知らずに商売を続けるよりはるかにましだろう。
「バルガスさんのところへ行くんじゃなかったんですか?」
「行くよ。その前に商業ギルドへ寄ってみる。スキルのことなら何か資料があるかもしれない」
「私も行きます」
「ああ。ただ、先に昨日の素材を片づけてからな」
昨日預けたブレードホーク3匹の査定は、まだ受け取っていない。商業ギルドへ向かう前に、冒険者ギルドで確認しておくつもりだった。
◇
朝食を終えた2人は、まず冒険者ギルドの解体受付へ向かった。
「おう、昨日の鳥か。ちょうど終わってるぞ」
解体担当が帳簿を開く。
翼羽は3匹分で銀貨3枚。鉤爪や嘴などの加工素材が銀貨2枚、肉やその他の売却分が銀貨1枚。合わせて銀貨6枚だった。ただし、1匹目は翼を傷つけているため、使える羽の量が少なくなっている。
「本当ならもう少し取れたんだがな。翼を切ってるから、その分は引いてある」
「飛ばれたままだと倒せなかったからな。そこは仕方ない」
「まあ、命と素材を天秤にかけるようなもんじゃねえしな」
解体料の銀貨1枚を差し引くと、受け取りは銀貨5枚となった。
「昨日の依頼報酬が銀貨5枚だから、合わせて銀貨10枚か」
「悪くないですね」
「うん。飛ぶ相手は面倒だったけど、これなら十分だな」
コウイチは査定額を確認し、素材をギルドへ売却した。これで昨日の依頼に関する精算はすべて終わった。
「さて、商業ギルドに行くか」
ギルドを出ると、ミアが隣から尋ねてきた。
「それで、バルガスさんのところへ行くんですか?」
「ああ。その前に、ちょっと調べ物をしたい」
「何か仕入れるんですか?」
「いや、今朝話してたスキルのこと。商業ギルドに資料がないか聞いてみようと思ってな」
「私のスキルですね」
「そう。ついでに商人が覚えるようなスキルもあるのか、調べてみたい」
ミアは少し考えてから頷いた。
「私も行きます」
「ああ。じゃあ、先にそっちを済ませるか」
少し調べ物をして、それからバルガスのところへ行けばいい。
この時のコウイチは、本当にその程度に考えていた。
◇
商業ギルドへ入ると、朝から何人もの商人が受付を行き来していた。
素材を持ち込んでいる者もいれば、帳簿らしきものを抱えて職員と話している者もいる。以前なら自分とは関係のない光景として眺めていたかもしれないが、最近では交わされている言葉の意味が少しずつ分かるようになってきた。
納品、仕入れ、紹介状、商会、運送。
この街には、自分がまだ知らない金の流れがいくらでもある。
コウイチは空いている受付を見つけると、何度か顔を合わせている30代ほどの男性職員の前へ向かった。
「おはようございます、コウイチさん。本日は納品ですか?」
「いや、今日はちょっと聞きたいことがあって」
「何でしょう?」
「スキルについて調べられる本ってありますか?」
職員が少し意外そうな顔をした。
「スキルですか?」
「ああ。戦闘系だけじゃなくて、商人が覚えるようなスキルがあるのか知りたいんだ」
「なるほど。それでしたら、図書室をご利用になりますか?」
「……図書室?」
「はい」
「そんなのあったの?」
職員が笑った。
「ありますよ。ただ、普段コウイチさんが利用されている窓口とは場所が違いますので、ご存じない方もいます」
「先に知りたかったな」
「聞かれませんでしたから」
「それ言われると何も返せないな」
ミアが隣で小さく笑っている。
「誰でも使えるの?」
「商業ギルドの会員であれば利用できます。ただし有料です。第五級会員の場合、1回2時間で銀貨1枚になります」
「銀貨1枚……」
思わず聞き返した。
宿代や食費に困っていた頃なら、それだけで諦めていた金額だ。読むだけで銀貨1枚と言われれば、森へ行って薬草でも集めた方がいいと考えていただろう。
だが、今は少し違う。
商売を始めてから、知らないことで失う金が意外と大きいことを何度も経験している。需要を知らずに作れば売れ残り、相場を知らずに持ち込めば安く買われ、素材の扱いを知らなければ価値そのものを落とす。
銀貨1枚で何か1つでも使える知識が得られるなら、十分に元は取れる。
「分かった。使わせてくれ」
「かしこまりました。お連れの方も入室されますか?」
コウイチがミアを見る。
「どうする?」
「一緒に行ってもいいですか?」
「もちろん」
追加料金を確認すると、従者として同行するだけなら必要ないらしい。同行者も資料を閲覧できるが、持ち出しは禁止されており、破損させた場合には会員が責任を負う。利用時間は図書室へ入室してから2時間で、延長する場合は再度料金が必要とのことだった。
銀貨1枚を支払うと、職員は小さな木札を差し出した。
「こちらを図書室の係員へお渡しください」
「延長は?」
「もう1度料金をお支払いいただければ可能です」
「なるほど。商業ギルドらしいな」
「商業ギルドですから」
当然のように返され、コウイチは苦笑した。
◇
図書室は、普段使っている受付から奥へ進み、階段を上がった2階にあった。
木札を係員へ渡して中へ入ると、思っていたより広い。
壁際には背の高い本棚が並び、中央には本を広げるための机がいくつも置かれている。日本にいた頃の図書館とは比べものにならないほど小さいが、本そのものが高価なこの世界でこれだけの数を揃えていることを考えれば、銀貨1枚という料金にも納得できた。
「いっぱいありますね……」
ミアが小声で言った。
「ああ。思ったより多いな」
本棚には分類を示す札がつけられており、帳簿、契約、税、交易、地理、素材、加工、魔物、歴史といった文字が並んでいる。
スキルに関する本を探しに来たはずなのだが、コウイチの足は自然とゆっくりになった。
素材。
加工。
交易。
どれも気になる。
「まずスキルだな」
自分に言い聞かせるように呟いて棚の間を進んでいると、商業関係の本が集められた一角で、少し厚めの本が目に入った。
『アルカディア王国商業概論』
いかにも堅そうな題名だった。
普段なら手を伸ばさなかったかもしれない。だが、背表紙の横に書かれた小さな説明に「主要交易品及び領地間取引」とあるのを見つけ、コウイチは足を止めた。
「……ちょっとだけ」
「スキルは?」
「分かってる。目次だけ」
ミアに先回りされながら本を棚から抜き、近くの机へ運んだ。
表紙を開き、目次へ目を通す。
王国内の主要街道。
領地間交易と通行税。
商業ギルドによる取引保証。
都市ごとの主要産業。
領主による保護品目と専売。
読み進める前から、知らない言葉がいくつもある。
「……これ、目次だけじゃ済まないな」
「やっぱりですか?」
向かいへ座ったミアが、少し楽しそうに言った。
「ちょっと読む」
「はい」
最初に開いたのは、領地間交易について書かれた章だった。
これまでコウイチは、ラグナードの中で何が売れるのかを中心に考えてきた。森で手に入る素材をどう加工すれば価値が上がるか、商人が何を欲しがっているか、いくらなら買うのか。その範囲であれば、少しずつ感覚を掴み始めている。
ところが本には、同じ商品でも売る場所が変われば価値そのものが変わると書かれていた。
ある領地では普通に採れる鉱石が、鉱山を持たない別の領地では高値になる。ただし、そこへ運べば差額がそのまま利益になるわけではなく、街道を使うための費用や護衛代、領境で徴収される税、途中で商品を失う危険まで考えなければならない。
読みながら、コウイチは以前売った角細工を思い出した。
ラグナードでは珍しくなくても、角そのものが手に入りにくい土地へ持っていけば価格は変わるのだろうか。逆に、高く売れるからと大量に運べば、今度はその土地で値崩れする可能性もある。
以前、商人から櫛を1つしか買わないと言われた時と同じだ。
売れる物と、売れる量は違う。
その考えを街1つではなく、領地や国という大きさまで広げればいいらしい。
「面白いな……」
「そうなんですか?」
「うん。俺、今までラグナードの中しか見てなかったみたいだ」
ミアは本を覗き込んだものの、難しい文字が多いせいか、すぐに困ったような顔になった。
「何て書いてあるんですか?」
「同じ物でも、場所が変われば値段が変わるって話だな。ただ、高い場所まで持っていくにも金がかかるから、その差が全部儲けになるわけじゃない」
「遠くまで運ぶからですか?」
「そう。運ぶ人間にも金を払うし、護衛も必要になる。途中で魔物に襲われるかもしれないし、領地を跨ぐ時に税を取られることもあるみたいだ」
「大変ですね」
「だから儲かるんだろうな」
誰でも簡単に運べるなら、価格差などすぐになくなる。危険や手間があるからこそ、その間をつなぐ商人に利益が生まれる。
その先を読み進めると、領主についての記述が増えてきた。
領内で作られる商品を保護するため、外から入ってくる同種の商品へ高い税を課すことがある一方で、逆に領内で不足している物資については税を軽くする場合もあるらしい。さらに塩や特定の鉱物など、領主が流通そのものを管理する品も存在する。
コウイチはそこで読む速度を落とした。
何を作れるかだけでは駄目なのだ。
売れる物を作ったとしても、それをどこで、誰に、どう売るかによっては領主の利益とぶつかることもある。今の自分にはまだ遠い話に思えるが、知らずに踏み込むよりはいい。
ページをめくっていくと、今度は都市ごとの産業について書かれていた。
鍛冶で栄えた街、織物を主要産業とする街、薬草の集積地として発展した街。同じ王国内でも、土地によって人の仕事も流れる商品もかなり違う。
その中に、数十年前の染料について書かれた短い記述があった。
かつて王国南部の一部地域でしか採れない植物から作られていた染料が高値で取引されていたものの、別の地方に住む職人が、異なる植物と鉱物を組み合わせることで近い色と耐久性を持つ染料を作り出した。その結果、衣料品の価格にまで影響が出たという。
コウイチは、その部分をもう1度読んだ。
元と同じ材料ではない。
それでも、同じような結果を出している。
「……そういう考え方もあるのか」
「何かありました?」
「染料の話。同じ材料がなくても、別の材料を使って同じような物を作った人がいるらしい」
「すごい人ですね」
「ああ」
コウイチは頷きながら、少し前に《生成》で作った物を思い出していた。
自分はこれまで、知っている物をどう再現するかという考え方をしてきた。だが、必要なのは本当に同じ材料なのだろうか。
求めている結果が同じなら、この世界にある別の材料を使う方法だってあるのかもしれない。
例えば、同じ色を出すことが目的なら、元の植物を再現することより、別の材料で同じ色と耐久性を得る方が重要になる。形や材質をそのまま真似ることと、必要な働きを満たすことは、必ずしも同じではないのだ。
もっとも、今の自分に染料を作る予定はない。
頭の片隅に残しておけば十分だろう。
そう思ってページをめくった先には、今度は交易路の変化によって衰退した街について書かれていた。
読む。
その次には、商業ギルドが商人同士の契約を保証する仕組みが書かれていた。
さらに読む。
ふと、スキルの本も探さないとな、と頭をよぎった。しかし、次の頁に書かれた商会同士の取引保証の仕組みが気になり、結局そのまま読み進めてしまう。
日本にいた頃、商売について専門的に勉強した経験などない。それでも、自分で物を作り、それを売るようになった今なら、本に書かれていることがただの知識ではなく、自分の金に直接つながる話として読める。
だから面白い。
分からない言葉が出てくれば前のページへ戻り、ラグナードで経験したことと似た話があれば、そこで手を止めて考える。ミアにも分かりやすい部分は説明しながら読んでいたため、思っていた以上に時間が過ぎていたらしい。
「失礼します」
声をかけられて顔を上げると、入口にいた係員が立っていた。
「ご利用時間、残り10分です」
「……もう?」
「はい」
窓を見ると、図書室へ入った時より太陽がかなり高くなっている。
コウイチは開いたままの本へ視線を戻した。
まだ半分も読めていない。
「延長すると銀貨1枚だったよな」
「はい。さらに2時間ご利用いただけます」
財布のことを考えれば払えない金額ではない。むしろ、今読んでいる内容だけでも銀貨1枚の価値はあったと思う。
だが今日は、この後にバルガスのところへ行くつもりだった。
「……今日はやめとく」
「かしこまりました」
係員が離れていくと、向かいに座っていたミアが首を傾げた。
「コウイチ様」
「ん?」
「スキルを調べるんじゃなかったんですか?」
コウイチは手元の『アルカディア王国商業概論』を見た。
「……そのつもりだったんだけどな」
「全然調べてません」
「言わなくても分かってるよ」
苦笑しながら本を閉じ、元の棚へ戻す。
その途中で、最初に探そうとしていたスキル関係の本が置かれている一角を見つけた。
今日はもう時間がない。それでも、どの辺りにあるのかだけ覚えておく。
「今度はこっちだな」
「商売の本を開かなければいいですね」
「……気をつける」
利用時間が終わる少し前に、2人は図書室を出た。
◇
階段を下りながら、ミアが何か思い出したように口を開いた。
「バルガスさんのところは?」
コウイチは足を止め、窓から差し込む光を見た。
図書室へ入った時には、少し調べてから向かえばいいと思っていた。それが、すでに2時間。ここから訓練場へ行けば、まだ十分に時間はある。
あるのだが――昨日の戦闘で身体に残っている疲れと、この2時間で頭へ詰め込んだ知識を思うと、今日は商業ギルドの用事を済ませて、少し整理する方がよさそうな気もする。
何より、明日バルガスのところへ行けば、どうせ嫌というほど槍を振らされる。
「……明日にする」
「いいんですか?」
「今日は商業ギルドで調べ物する日ってことにしよう」
「スキルは調べてませんけど」
「ミア、最近ちょっと言うようになったよな」
ミアがはにかむように笑った。
コウイチも苦笑しながら階段を下りる。
結局、知りたかった《急所看破》については何も分からなかったし、商人がどんなスキルを持つのかも調べられなかった。それでも、銀貨1枚を無駄にしたとは思わない。
ラグナードの市場だけを見ていた自分には知らなかった商売が、この国にはいくらでもある。それを知れただけでも、今日は十分だった。
スキルについては、また来ればいい。
次こそ寄り道せず、最初からスキルの棚を調べよう。
そう考えながら、コウイチはミアと並んで商業ギルドを後にした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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