第22話◇ 新しい仕入れ先
翌朝、森へ向かう前に革製品を納めようと、コウイチはミアといつもの商人の店へ立ち寄った。
赤岩の谷という名前を初めて聞いたのは、その時だった。
「コウイチさん、紅硬草って知ってるか?」
受け取った商品を確認しながら、商人が何気なく尋ねてくる。
「いや、知らない。薬草?」
「薬にも使うが、俺が欲しいのはそっちじゃない。煮出した汁が革の染色や防腐に使えるんだよ。最近どうにも入荷が少なくてな」
そう言いながら商人が帳簿をめくるのを見て、コウイチは少しだけ興味を持った。
ラグナードへ来たばかりの頃なら、知らない素材の話など聞き流していただろう。しかし今では、品薄という言葉を聞けば、その理由と値段くらいは確認する癖がついている。
「どこで採れる?」
「街から東へ歩いて2時間ほど行った赤岩の谷だ。名前くらいは聞いたことないか?」
「ないな」
「黒狼の森ばっかり行ってりゃそうなるか」
笑われたが、その通りなので言い返せない。
ラグナードへ来てから1か月以上経つものの、コウイチが素材を集める場所はほとんど黒狼の森に限られていた。魔物の種類も地形もある程度把握しており、危険な場所も分かっている。安定して稼げる場所がある以上、わざわざ未知の土地へ行く必要を感じなかったのだ。
だが、今回は目の前に仕事がある。
「いくら?」
「やっぱりそこを聞くか」
「そこを聞かないで採りに行く奴いるの?」
「冒険者なら結構いるぞ」
「俺は商売もしてるから」
商人は苦笑しながら帳簿へ視線を戻し、少し考えてから答えた。
「品質にもよるが、10束で銀貨6枚出す。できれば根を傷めずに採ってきてくれ。乾燥して変色してるのは値を落とすぞ」
「10束で銀貨6枚か……」
採取依頼としては悪くない。それに革加工に使われる素材なら、将来的に自分の商品へ利用できる可能性もある。
とはいえ、値段だけで知らない土地へ向かうほど、コウイチは楽観的ではなかった。
「危険度は?」
その質問に、商人の表情がわずかに変わる。
「黒狼の森より少し上だな。Eランクなら入ること自体は珍しくないが、1人では勧めん。岩場にしかいない魔物もいる」
「どんなの?」
「俺に魔物の講義までさせる気か? 詳しく知りたいなら冒険者ギルドで聞け。ただ、ロックリザードには気をつけろ。あいつの背中は槍や剣が簡単には通らん」
「硬いのか」
「ああ。下手に手を出せば武器を弾かれて、そのまま噛みつかれるぞ」
硬いという言葉を聞いた瞬間、コウイチの頭に《穿牙》が浮かんだ。だが、それを試すためだけに未知の土地へ行くつもりはない。まず仕事として割に合うのかを確認し、それから判断すればいい。
「分かった。ギルドでも調べてから決める」
「頼むよ。10束以上採れたら、それも同じ割合で買い取る」
店を出ると、外で待っていたミアが隣へ並んだ。
「行くんですか?」
「まだ決めてない」
「顔は行く顔です」
「俺ってそんなに分かりやすい?」
「最近は、少し」
思わず横を見ると、ミアは何でもないような顔で前を向いている。
「……まあ、行くつもりではあるけど」
以前なら、1人で未知の場所へ向かうことは避けただろう。だが今はミアがいて、《索敵》Lv1も覚えている。
だからといって安全になるわけではない。それでも、1人だった頃には断っていた仕事を選択肢に入れられるようになった。
その変化を、コウイチは悪くないと思った。
その日の午後、2人は冒険者ギルドへ立ち寄り、赤岩の谷について詳しい話を聞いた。Eランク冒険者も採取や狩猟に利用する場所らしいが、岩陰に潜む魔物が多く、見通しが良いから安全だと思い込んだ初心者ほど怪我をすると受付嬢から念を押される。
特に注意するよう言われたのが、商人からも名前を聞いたロックリザードだった。
大型犬より一回り大きな蜥蜴型の魔物で、討伐推奨はEランク。岩に似た硬い鱗が背中を覆っており、動きそのものは極端に速くないものの、短距離からの突進と噛みつきには注意が必要らしい。
推奨ランクと聞いた特徴からすれば、単体なら今の自分たちでも対処できる可能性はある。ただし、初めての魔物である以上、実際に動きを見るまでは油断できない。
そこまで確認してから、コウイチは商人から頼まれた採取を引き受けることにした。
◇
翌朝、2人は早めに宿を出て、赤岩の谷へ向かった。
街道を外れて東へ進むにつれて、周囲の景色は少しずつ変わっていった。黒狼の森へ向かう時は、進むほど木々が増え、頭上を覆う枝葉のせいで昼間でも薄暗くなっていくのだが、今日は反対に緑が減り、足元の土も乾いていく。
やがて赤茶けた石が目立つようになり、午前中には視界を遮る木々がほとんどなくなっていた。
「……すごいな」
思わず声が漏れた。
赤茶色の岩山が幾重にも重なり、その間を細い道が縫うように奥へ続いている。遠くには切り立った崖が見え、そのさらに上を鳥らしき影がゆっくり旋回していた。黒狼の森では数十メートル先を見ることさえ難しいが、ここでは空がどこまでも広く感じられる。
「これなら魔物も見つけやすそうだな」
そう言ってから、ミアが返事をしないことに気づいた。
「ミア?」
「……少し待ってください」
立ち止まったミアの犬耳が忙しなく動いている。やがて右手の岩壁へ顔を向けたかと思うと、今度は反対側を見る。
「何かいる?」
「……たぶん。でも、右から聞こえた音が、こっちからも聞こえるんです」
「2匹いるってこと?」
「分かりません。森と違って音が返ってくるので、遠いのか近いのかも……まだ、よく分からなくて」
ミアは申し訳なさそうに耳を伏せた。
言われてみれば、風が岩の間を抜ける音さえ何度か形を変えて返ってくる。木々や枝葉に囲まれた森とは、音の聞こえ方そのものが違うのだろう。
「じゃあ、分からないままでいいよ」
「でも……」
「分かったふりされる方が危ないからな。自信がない時はそう言ってくれれば、俺もそのつもりで動ける」
ミアが一瞬だけ目を見開いた。先日の商品を駄目にした時のことを思い出したのかもしれない。
「……はい」
小さく頷いたミアを見て、コウイチは槍を持ち直した。
◇
目的の紅硬草は、思っていた以上に見つからなかった。
商人から聞いていた特徴は、赤みを帯びた細長い葉と、岩の隙間へ深く伸びる太い根。それだけなら簡単に見つかりそうなものだが、実際に歩いてみると似た植物がいくつも生えている。
「これじゃないですか?」
ミアが岩陰に生えている草を指差したので、《鑑定》Lv1を使ってみる。
【名称】赤針草
【品質】C
「違う」
「……似てます」
「俺も《鑑定》なかったら間違える自信あるよ」
さらに進んだところで、今度はコウイチがそれらしい草を見つけた。《鑑定》Lv1で確認したが、こちらも別の植物だった。
【名称】岩紅草
【品質】C
「これも違うな」
「コウイチ様も間違えてます」
「似てるんだから仕方ないだろ」
「はい」
「なんでちょっと嬉しそうなの?」
「気のせいです」
最近、本当に言うようになった。
そんなやり取りをしながら歩いていると、不意にミアが足を止めた。先ほどまでとは違い、犬耳が一方向へ向いたまま動かない。
「……今度は?」
「います」
声にも先ほどまでの迷いがなかった。
「自信ある?」
「はい。近いです」
「方向は?」
ミアは少しだけ迷ってから、前方の岩場を指差した。
「あっちです。ただ……1匹だと思いますけど、数まではまだ自信がありません」
「十分だよ」
コウイチは槍を構え、足音を抑えながらゆっくり進んだ。だが、見えるのは赤茶けた岩と乾いた土、その隙間に生える小さな草だけだった。
「どこ?」
「……います。私にも見えませんけど、さっき石を踏む音がしました」
さらに2歩進んだところで、岩だと思っていたものが動いた。
「――っ!」
反射的に槍を向ける。
4本の太い脚で身体を持ち上げたそれは、頭から尾まで1メートル半ほどあり、全身を灰褐色の鱗に覆われていた。地面すれすれまで低く構えた姿は、確かに周囲の岩と見分けがつきにくい。
「こいつか……」
《鑑定》Lv1を使う。
【名称】ロックリザード
【討伐推奨】E
「やっぱりロックリザードだ」
「硬そうです」
「らしいよ。まずは動きを見よう。無理に前へ出なくていいから」
「はい」
ミアが短剣を抜くのを確認してから、コウイチは1歩前へ出た。
その瞬間、ロックリザードが低く身体を沈め、一気に間合いを詰めてきた。聞いていたほど遅くない。コウイチは正面から飛び込んでくる頭を槍で牽制しながら横へかわしたが、すれ違ったロックリザードはそのまま身体をひねり、太い尾を横薙ぎに振ってきた。
「うおっ」
槍の柄で受けた瞬間、想像していた以上の重さが両腕へ伝わり、身体ごと半歩押し戻された。それでも受け止められないほどではなく、先ほどの突進も含めて動きそのものは目で追えている。
これなら戦えると判断して距離を取り直したコウイチは、岩のような鱗が幾重にも重なるロックリザードの背中へ目を向けた。普通に槍を突き立てたところで、簡単には通りそうにない。
バルガスからは、硬いところを力任せに貫く技ではないと教わっている。それでも目の前の鱗を見ていると、今までの突きより力を通せるのか確かめてみたいという考えが浮かんでしまった。
「コウイチ様?」
「1回だけ、動きを試してみる。危ないと思ったらすぐやめるから、ミアは離れてて」
「……はい」
コウイチは槍を構え直し、バルガスに何度も教えられた身体の動きを頭の中でなぞった。力で突こうとせず、足で生み出した力を腰へつなぎ、肩で殺さず腕を通して穂先まで運ぶ。まずは普段の突きの中で、訓練場で覚えた感覚を確かめるつもりだった。
ロックリザードがこちらへ向き直るのを待ち、踏み込める間合いに入った瞬間、コウイチは地面を蹴った。
だが、硬い背中を前にすると、どうしても威力を出したくなる。踏み込みと同時に腰を前へ送り、流れを途切れさせないよう槍を突き出したところで、無意識に肩へ力が入り、最後に魔力まで穂先へ集中させてしまった。
槍が背中を捉えた瞬間、岩を直接突いたような衝撃が腕を駆け上がる。
「ぐっ!」
穂先が鱗の表面を滑り、身体がわずかに前へ流れた。弾かれたと理解した時には、ロックリザードがすでにこちらへ頭を向けていた。
「コウイチ様!」
ミアの声とほとんど同時に魔物が飛び込んでくる。コウイチは咄嗟に身体を後ろへ逃がし、目の前を通り過ぎた牙が革鎧の胸元を掠めるのを感じながら、着地と同時にさらに距離を取った。
「っ……」
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫。鎧も裂けてない」
胸元を確認してから息を整える。
今のは技の失敗以前の問題だった。《穿牙》を成功させることばかり考えて、目の前の魔物への意識が薄れていた。訓練場ならバルガスに怒鳴られるだけで済むが、実戦ではその一瞬が怪我や死につながる。
「もう試さない。こいつは普通に倒す」
「はい」
ロックリザードが再び身体を沈めた。
今度は技の形を追わず、相手の動きだけを見る。突進を横へかわしながら槍の穂先を腹側へ滑り込ませると、背中とは明らかに違う感触とともに刃が入った。しかし致命傷には浅く、暴れたロックリザードが身体をひねったため、コウイチは無理をせず槍を抜いて距離を取る。
その間にミアが反対側へ回り込んでいた。
正面から打ち合うのではなく、ロックリザードがコウイチへ意識を向けている間に位置を変え、短剣を構えながら相手の動きをじっと見ている。尾が振られれば下がり、噛みついてくれば距離を取るものの、なかなか自分から攻撃しようとはしない。
「ミア!」
「……もう少しだけ!」
何を待っているのか分からなかったが、少なくとも怯えて動けない様子ではない。コウイチはロックリザードの正面で槍を動かし、注意を引きつけた。
やがて魔物が再び飛び込んでくる。槍の柄で頭の軌道をわずかに逸らすと、ロックリザードはコウイチの横を抜け、そのまま前脚を踏ん張って身体を反転させようとした。
「そこ……!」
ミアが動いた。
短剣が前脚の付け根へ深く入った瞬間、ロックリザードがこれまでとは違う甲高い声を上げる。
「ギィッ!」
刺したミア自身も一瞬驚いたようだったが、すぐに短剣を引き抜いて距離を取った。
「ミア、下がって!」
「はい!」
傷ついた前脚を庇うようになったことで、ロックリザードの動きが明らかに鈍った。コウイチはもう《穿牙》を意識せず、魔物がミアへ向き直ろうとした瞬間に横から踏み込み、露出した腹へ槍を深く突き込んだ。
暴れる前に引き抜いて再び距離を取り、動きが鈍ったところでもう一度急所へ通す。ロックリザードの身体が大きく震え、そのまま地面へ崩れ落ちた。
2人ともすぐには近づかず、完全に動きが止まったことを確認してから、コウイチはようやく槍を下ろした。
「……終わったな。ミア、怪我は?」
「ありません。コウイチ様は?」
「俺も大丈夫」
胸元の革鎧には牙が掠めた跡が残っているものの、傷までは届いていない。それを確認してから、コウイチは倒れたロックリザードの前へしゃがみ込んだ。
「さっきの、狙ったの?」
「……はい」
「前脚のところ?」
「はい」
「なんでそこだと思った?」
ミアはすぐには答えず、先ほど自分が短剣を刺した場所を見つめながら、戦闘を思い返すように耳を動かした。
「何度か見ていたら、身体の向きを変える時だけ前の脚が止まっていたんです。それで……その時だけ、ここの鱗の隙間が少し広くなっていました」
「それを戦いながら見てたの?」
「バルガスさんに、武器じゃなくて身体を見ろって言われたので」
言われたことを、そのまま繰り返していたわけではない。自分の目と耳で確かめながら、実戦の中で使い始めている。
「音も何か違った?」
「少しだけ。向きを変える前に石を擦る音がして、そのあと息を吐いていました。でも……まだ毎回同じかは分かりません」
「なら次に会った時、また見てみよう」
「はい」
コウイチもロックリザードの身体へ目を向けた。
背中を覆う鱗は死んだあとでも硬く、先ほど槍を突き立てた部分には傷が残っているものの、深く貫けてはいない。それに対して、ミアが狙った前脚の付け根には短剣がかなり深く入った跡がある。
そこでバルガスの言葉が蘇った。
一番弱いところを、一番強く突く。
自分は硬い背中を見た瞬間、《穿牙》なら貫けるかもしれないと考えた。だが、バルガスは一度も「硬いものを貫け」とは言っていない。
「……俺、逆のことしてたのか?」
「逆ですか?」
「いや。まだちゃんとは分からない」
コウイチは傷ついた背中と、ミアが刺した前脚の付け根をもう一度見比べた。力を込めることばかり考えていた自分より、相手の動きを見続けていたミアの方が、結果として深い傷を与えている。
今度はロックリザードの背皮へ《鑑定》Lv1を使った。
【名称】ロックリザードの背皮
【品質】C
【用途】軽装防具・革製品素材
「この皮、やっぱり素材になるな」
「売れるんですか?」
「たぶん。でも実際の値段は街に戻って聞かないと分からない」
硬い背中を指で叩いてみると、革というより薄い板を重ねたような感触が返ってくる。これだけ丈夫なら防具に使われるというのも納得できる。
そして値段が分からないと気づいた途端、先ほどまで魔物として見ていたロックリザードが、少し違って見え始めた。
新しい素材が手に入ったことを考え、コウイチは自分でも現金なものだと思いながら、死体を《アイテムボックス》へ収納した。
◇
紅硬草を見つけたのは、それから1時間ほど後だった。
谷底を流れる細い水の近くで、赤い岩の割れ目から細長い葉が伸びているのをミアが見つけた。
「これ……似てませんか?」
「どれどれ」
《鑑定》Lv1を使う。
【名称】紅硬草
【品質】C
「当たり」
「ありました!」
嬉しそうにミアの尻尾が大きく動いた。
「でも、ここにあるのは3束くらいだな。10束必要だから、あと7束」
「探します」
「うん。ただし、帰りの時間も考えて切り上げるよ。初めての場所で欲を出すのは危ないから」
「はい」
コウイチは岩の隙間へ伸びる根を傷めないよう、周囲の土を少しずつ掘りながら紅硬草を取り出した。ミアにも根を途中で切らないよう伝え、2人で水気のある岩場を中心に探していく。
その後さらに2か所で紅硬草を見つけ、合計12束を確保したところで、コウイチは探索を切り上げることにした。まだ日は高かったが、街まで2時間ほど歩くことを考えれば、これ以上奥へ進む必要はない。
途中でもう一度ミアがロックリザードらしき音を拾ったが、谷に反響して距離も数も判断できなかったため、無理に確かめには行かなかった。
「気になりますか?」
帰り道で何度か振り返るコウイチを見て、ミアが尋ねた。
「少しね。まだ何があるのかほとんど知らないから」
赤い岩と乾いた風、その向こうへどこまでも続いていく谷は、黒狼の森とはまるで違う場所だった。知らないからこそ危険でもあるが、同時に何が採れるのか分からないということでもあり、その感覚は少しだけ面白かった。
◇
ラグナードへ戻ったのは、夕方になる少し前だった。
2人はまず冒険者ギルドへ向かい、ロックリザードの解体を依頼した。当然ながら解体料は取られ、代金を支払いながらコウイチは少しだけ考える。
「やっぱり自分で解体できた方がいいのかな……」
「覚えますか?」
「いや、今のところはいいかな。何でも自分でやろうとしたら時間が足りなくなるし」
金を払って任せられる仕事まで全部抱える必要はない。それより今は《穿牙》の訓練や《生成》、商売に使う時間の方が重要だった。
「解体には少しかかるぞ」
「じゃあ、その間に商人のところへ行ってくる。あとで取りに来てもいい?」
「ああ。預かり札を渡すから、戻ったらそれを見せてくれ」
コウイチは預かり札を受け取り、ミアと一緒に紅硬草を頼んできた商人の店へ向かった。
「お、もう行ってきたのか」
「12束ある」
「見せてくれ」
商人は受け取った紅硬草を1本ずつ確かめ、根や葉の状態を見ながら何度か頷いた。
「悪くないな。初めてにしちゃ上出来だ。10束で銀貨6枚だから、残り2束も同じ割合で買い取って、全部で銀貨7枚と銅貨20枚でどうだ?」
「それでいい」
これで頼まれた仕事は終わった。コウイチは代金を受け取り、商人へロックリザードも狩ったことを伝える。
「背皮も売りたいんだけど、解体がまだ終わってないんだ。あとで持ってきてもいい?」
「ロックリザードまで狩ったのか? そりゃ見てみたいな。店を閉める前なら待ってるよ」
「分かった。終わったら持ってくる」
2人は再び冒険者ギルドへ戻った。
解体所では、ちょうどロックリザードの処理が終わったところだった。預かり札を渡して背皮や爪、肉を受け取り、コウイチは商人の店へ引き返す。
「お、戻ったか」
「約束の皮、持ってきた」
「見せてくれ」
コウイチは魔法袋へ手を入れるふりをしながら、《アイテムボックス》からロックリザードの背皮を取り出した。
カウンターの上へ広げた途端、商人の眉が上がる。
「……本当に狩ってきたんだな」
「1匹だけ。これ、高い?」
「高いかどうかも知らずに持って帰ってきたのか」
「初めてなんだから仕方ないだろ」
「普通はギルドで相場くらい聞くだろ」
「危険度とか戦い方を聞いてたら、そこまで頭が回らなかった」
商人は呆れた顔をしながらも、背皮を手に取ると仕事の顔に戻った。指で表面を押し、裏側を確認し、光へかざしながら状態を見ていく。
「ロックリザードの背皮は軽い割に丈夫でな。革鎧そのものというより、補強材として結構需要がある。これくらいの大きさなら、状態が良ければ銀貨7枚くらいだ」
「7枚?」
思っていたより高い。紅硬草10束よりも、1匹の背皮の方が値がつく。
「じゃあ、これも7枚?」
「話は最後まで聞け」
その言い方で嫌な予感がした。
商人の指が、背皮の中央付近で止まる。
「ここだ」
見覚えがあった。《穿牙》を試そうとして、コウイチが槍を弾かれた場所だった。鱗が何枚か割れ、その下の皮にも傷が入っている。
「使えない?」
「使えるさ。ただし、防具の補強材として切り出せる面積が減る。この状態なら……銀貨5枚だな」
「5枚?」
「ああ」
「ここが使えないだけで、2枚も変わるのか」
「防具に使う皮へ自分で穴を開けて持ってきて、満額で買えって方がおかしいだろ」
「……確かに」
反論できなかった。
商人は爪や肉についても値をつけてくれたが、コウイチの頭に一番強く残ったのは、槍でつけた傷によって消えた銀貨2枚だった。
「もったいなかったですね」
隣からミアが言う。
「……そうだな」
「銀貨2枚です」
「具体的に言わなくていいよ」
「コウイチ様が気にしてそうだったので」
「気にしてるから言わなくていいんだよ」
そのやり取りを聞いていた商人が笑った。
「なんだ。もう尻に敷かれてんのか?」
「違う」
「違います」
2人の声が重なり、商人がさらに笑った。
◇
店を出てからも、コウイチの頭には銀貨2枚の差が残っていた。
もちろん、今日1日として見れば十分な稼ぎになっている。紅硬草だけで銀貨7枚と銅貨20枚になり、ロックリザードも背皮だけで銀貨5枚、さらに爪や肉にも値がついたのだから、初めての土地へ足を延ばした成果としては悪くない。
ただ、同じ1匹を倒しても、倒し方次第で値段が変わる。これまでにも素材を傷つけない方がいいことくらいは分かっていたが、銀貨2枚という具体的な差を見せられると意味が違った。
「……倒し方か」
「どうしました?」
「魔物って倒せばいいと思ってたけど、売るなら倒し方まで考えた方がいいんだなって」
「皮を売るなら、皮を傷つけない方がいいです」
「そう。言われてみれば当たり前なんだけどな」
苦笑しながら昼間の戦闘を思い返す。
自分はロックリザードの硬い背中を見て、《穿牙》なら貫けるのではないかと考えた。ミアは違った。相手の動きを見続け、身体を反転させる瞬間にできた前脚の付け根の隙間へ短剣を入れた。
もし、あそこへ一撃で致命傷を与えられたなら、戦闘時間を短くできるだけではなく、価値の高い背皮にもほとんど傷をつけずに済む。
一番弱いところを、一番強く突く。
バルガスの言葉が、訓練場で聞いた時とは少し違う意味を持ち始めていた。
「……そういうことなのか?」
「《穿牙》ですか?」
「うん」
コウイチは昼間の戦闘を、もう一度頭の中で組み立ててみた。背中へ突いた時には威力ばかり考え、相手の動きが見えなくなっていた。一方でミアは、すぐに攻撃するのではなく、動きを観察して隙間が開く瞬間を待っていた。
何度突いたかではなく、何を理解して、どこへ通すかが重要なのかもしれない。まだ《穿牙》を使えるわけではないが、少なくとも今までの考え方を変える必要があることは分かった。
「……やっぱり、回数だけじゃないんだな」
呟いたコウイチの隣で、ミアが何か考えるように耳を動かしていた。
「ミア」
「はい」
「今日、ロックリザードの脚を刺した時のこと、覚えてる?」
「覚えてます」
「次に会ったら、同じところが開くか見ててくれる?」
ミアの耳がぴくりと立った。
「音も聞いていいですか?」
「もちろん」
「向きを変える前に石を擦る音がしていました。それから、身体が止まった時だけ息の音も少し違ったので……次は、もう少しちゃんと聞けると思います」
「じゃあ、それも頼む」
「はい」
嬉しそうに頷いたミアを見ながら、コウイチは再び歩き出した。
紅硬草だけを考えるなら、頼まれた仕事はもう終わっている。だが、赤岩の谷にはロックリザードがいる。その背皮は高く売れ、爪も肉も金になるうえ、まだ見つけていない素材がある可能性も高い。
そして、あの硬い魔物と戦ったことで、《穿牙》についても1つ分かった。次に戦う時は、もう硬い背中を狙うつもりはない。
「ミア」
「はい?」
「赤岩の谷、また行こう」
「紅硬草を採りにですか?」
「それもあるけど、せっかく新しい場所を見つけたんだ。何が採れて、何が売れるのか、もう少し調べてみたい」
「新しい仕入れ先ですね」
「そういうこと。次もギルドや商人の需要を確認してから行こう」
ミアの尻尾が小さく揺れた。
黒狼の森だけでも、おそらく生きていくことはできる。慣れた魔物を狩り、知っている素材を集め、それを商品へ変えていけば、以前よりずっと安定して金を稼げるようになっている。
それでも、今日初めて別の土地へ足を踏み入れただけで、知らなかった素材を見つけ、知らなかった魔物と戦い、その経験から槍についても新しいことを学んだ。
世界は、思っていたよりずっと広い。なら、仕入れ先を1つに決めてしまうのは、やはり少しもったいない。
コウイチはそんなことを考えながら、ミアと並んで宿への道を歩いていった。




