第21話◇ 失敗の値段
《穿牙》の訓練を始めてから、コウイチの1日は以前より忙しくなった。
朝はミアと一緒にバルガスの訓練場へ向かい、昼からは商業ギルドで需要を確認して森へ入るか、持ち帰った素材を《生成》で商品に変える。夕方には商人へ商品を持ち込み、宿へ戻ってからも時間があれば槍を握った。
やることは増えたが、不思議と嫌ではなかった。日本にいた頃、仕事に追われる忙しさには息苦しさしか感じなかった記憶がある。それに比べれば、今は自分で何をするか決め、その結果がそのまま金や強さとして返ってくる。失敗すれば損をするし、森では命を落とす可能性さえあるのだから気楽とは言えないが、少なくとも誰かの顔色を窺いながら働くよりはずっと性に合っていた。
ただ、《穿牙》だけは思うように進んでいない。
「肩」
バルガスの声が飛んできた瞬間、コウイチは突き出しかけた槍を止めた。
「またですか?」
「まただ。お前は威力を出そうとするとすぐ肩に力が入る。何度言わせんだ」
「分かってはいるんですけどね」
「分かっててできねえなら、まだ分かってねえんだよ」
言い返せずに息を吐き、コウイチは構え直した。今度は力を入れることより、踏み込んだ足から腰、肩、腕へと動きをつなげることだけを意識する。
槍は前より軽く伸びたが、バルガスが見せた一撃とは比べるまでもなかった。
「今のは悪くねえ。けど、まだ槍を突いてるだけだな」
「何が足りないんです?」
「それを俺に全部聞こうとするな。自分で考えろ」
「教える気あります?」
「あるから毎朝付き合ってんだろうが」
横から小さな笑い声が聞こえた。
見ると、少し離れたところで短剣を構えていたミアが慌てて顔を逸らす。
「最近よく笑うな」
「笑ってません」
「いや、今は笑ってただろ」
「訓練してください」
「……誰に似たんだよ」
「少なくとも俺じゃねえな」
バルガスが即答した。
コウイチはため息をつきながら槍を構え直したものの、以前なら考えられなかったやり取りをしていることに気づいて、口元がわずかに緩んだ。
◇
その日の午後、宿へ戻ったコウイチは、以前から用意していた革製品と、今日新しく《生成》した商品をテーブルの上へ並べていた。
最近、商業ギルドで需要が伸びていると聞いた小型の革袋と財布で、材料には以前から集めていたグレイウルフの革を使っている。どれも品質はBだった。
同じ商品を大量に作れば買い手側が在庫を抱えることになると学んでからは、同じ種類を無計画に作り続けるようなことはしていない。それでも複数の店へ少量ずつ卸せば十分な利益になるし、何より加工前の素材をそのまま売るより金になる。
今日は、後処理を別に行うことで《生成》の負担を減らせないか、試験的に仕上げ前の状態でも作っていた。以前からの在庫には完成状態まで生成したものが混じっており、今日の生成で使ったMPは合計12。これ以上は無理をせず、残りの仕上げを済ませてから次の取引へ回すつもりだった。
問題は、一人ですべてをやると時間がかかることだった。
「ミア、ちょっといい?」
「はい」
洗濯物を畳んでいたミアが近づいてくる。
「これ、仕上げを頼める?」
コウイチは小さな容器を差し出した。中には革製品の手入れに使う油が入っている。
「この油を薄く塗っておいてほしい。つけすぎるとべたつくから、表面に馴染ませるくらいでいい」
「薄く、ですね」
「うん。布はこれを使って」
やり方を一度見せると、ミアは真剣な顔で手元を見ていた。
「分かりました」
「じゃあ頼む。俺は商業ギルドへ行ってくる」
「一人で、ですか?」
「すぐ戻るよ。明日以降の相場を見てくるだけだから」
ミアが小さく頷く。
任せると言っても難しい作業ではない。実際に一つやって見せたし、ミアは細かな作業も比較的丁寧だった。何より、何でも自分でやっていたら人を増やした意味がない。
「終わったら休んでていいから」
「はい。いってらっしゃいませ」
「行ってきます」
扉を閉めてから数歩歩いたところで、コウイチは少しだけ足を緩めた。いってらっしゃい、行ってきます。ただそれだけの会話なのに妙に耳に残り、日本でも使っていたはずの言葉を、最後に誰かへ自然に返したのがいつだったか思い出せなかった。
◇
商業ギルドでいくつかの相場を確認し、宿へ戻ったのは1時間ほど後だった。
部屋の扉を開ける。
「ただいま」
返事がない。いつもならミアの耳なら扉を開ける前に気づくことすらあるので、コウイチは不思議に思いながら中へ入った。
「ミア?」
部屋の奥にいたミアは、テーブルの前で立ったまま、並べられた革製品を見つめていた。呼びかけに振り返った顔を見て、コウイチは足を止める。
「……申し訳ありません」
「何かあった?」
ミアは答えず、テーブルの上へ視線を落とした。
そこには仕上げを頼んだ革袋と財布が並んでいたが、近づいてみると一部だけ色がおかしい。表面に濃淡ができ、縫い目の周辺までわずかに形が崩れている。
「あー……」
手に取って触ると、革が妙に柔らかかった。油を吸いすぎたような感触に、コウイチは眉を寄せる。
「これ、油塗った?」
「はい。教えていただいた通り、少しずつ塗りました。でも時間が経ったら色が変わって……」
「全部?」
「いえ。おかしくなったのは……12個です」
12個。
頭の中で売値を計算しそうになり、途中でやめた。安くはないが、まずは何が起きたのかを確かめる方が先だった。
「申し訳ありません」
もう一度ミアが頭を下げる。
コウイチは傷んだ財布へ《鑑定》Lv2を使った。
【名称】革財布
【品質】C
【状態】油分過多・形状不良
【構造】革本体に大きな破損なし/縫製部に歪み
「……油分が多すぎるのか」
革そのものが完全に駄目になったわけではないが、仕上げとしては明らかに失敗している。柔らかくなりすぎた部分に力がかかり、縫い目や形が歪んでしまったらしい。
「なんで12個だけなんだ……?」
他の商品を手に取ると、こちらは問題なく仕上がっていた。同じように油を塗ったはずなのに、表面の状態はむしろ綺麗になっている。
コウイチは無事だった革袋へ、もう一度《鑑定》Lv2を使った。
【名称】革袋
【品質】B
【状態】仕上げ済み・良好
【構造】油分は適量/形状に異常なし
2つの表示を見比べたところで、生成時の違いを思い出した。
「……あ」
以前から用意していた12個は、完成状態を意識して《生成》したものだった。革の乾燥を防ぐための仕上げまで含めており、すでに適量の油分が馴染んでいる。
一方、今日新しく作ったものは、後処理を省いて試した品だった。
その二種類を同じ場所に置き、どちらが仕上げ済みなのかをミアへ説明していなかった。
「これ、俺のミスだな」
顔を上げると、ミアがこちらを見ていた。
「……え?」
「こっちの12個は、最初から油を馴染ませた状態で生成してある。それを他のと一緒に置いたんだ」
「でも、作業をしたのは私です」
「そうだけど、見分け方を教えてないだろ」
コウイチは無事だった革袋と、傷んだ財布を一つずつ持ち上げた。
「俺は《鑑定》すれば分かるから、たぶん無意識に見れば分かるつもりになってた。でもミアには《鑑定》がないんだから、分かるわけないよな」
「ですが……」
「まあ、12個は痛いけど」
正直に言うと、ミアの耳がぺたりと伏せた。
「あ、ごめん。責めてるわけじゃない」
「損をさせてしまいました」
「したな」
そこまで否定するつもりはない。商品は傷んだし、予定していた利益も減った。失敗そのものをなかったことにしても仕方がない。
「申し訳――」
「謝るのはもういいよ。それより、次どうするか考えよう」
ミアが顔を上げた。
「次……ですか?」
「同じ失敗をもう1回やる方が困るからな」
コウイチは仕上げ済みの商品と、後処理を省いた商品をテーブルへ並べ、ミアに手招きした。
「触ってみて」
「……はい」
「こっちは最初から仕上げてある。こっちは油を塗る前の状態だ」
ミアが恐る恐る指先を伸ばし、それぞれの表面を撫でた。何度か触り比べるうちに、わずかな違いを感じ取ったらしい。
「こちらの方が……少し滑らかです」
「分かる?」
「はい。でも、少しだけです」
「匂いは?」
「匂い……」
ミアは二つを順番に鼻へ近づけた。
「……違います」
「どんな感じ?」
「こちらは革の匂いが強いです。でも、こっちは少し油の匂いがします」
「俺にはほとんど分からないな」
自分でも嗅いでみたが、どちらも革の匂いにしか感じない。コウイチは少し考え、仕上げ済みの商品をミアへ渡した。
「じゃあ、この匂いも覚えておいて。ただ、匂いだけで判断するのはやめよう。似たものもあるだろうし、毎回同じとは限らないからな」
「はい」
「次からは仕上げ済みと未仕上げを別の場所に置く。容器も分けて、俺がどっちか分かるようにしておくよ」
コウイチはテーブルの上を片づけながら、置き場所を二つに分けて見せた。
「こっちは仕上げ前。こっちは完成品。作業するのは仕上げ前の方だけで、完成品には何もしない」
「分かりました」
「それでも分からなかったら、無理にやらずに置いといてくれ。俺が戻ってから確認する」
「……それでいいんですか?」
「何が?」
ミアは商品を持ったまま、しばらく何も言わなかった。やがて意を決したように口を開く。
「罰は……ないのですか?」
「罰?」
意味が分からず聞き返す。
「商品を12個も駄目にしました」
「それは分かってるけど」
「なら……」
そこでようやく、ミアが何を言っているのか理解した。同時に、帰ってきた時から感じていた違和感にも気づく。
ミアの手が、ほんのわずかに震えていた。目の前の商品を怖がっているわけではない。自分の反応を待っているのだ。
その姿を見た瞬間、遠いはずの日本の記憶が不意に浮かんだ。何かが起きれば、まず誰が悪いのかを決められ、結論が出てから自分の言葉を求められた。説明しようとすれば言い訳だと言われ、黙れば認めたことにされる。何を話しても疑われたあの頃の感覚を思い出し、コウイチは小さく息を吐いた。
同じことをする気にはなれなかった。
「罰を与えたら、この12個が元に戻るの?」
「……え?」
「戻らないだろ」
「はい」
「だったら意味ないじゃん」
ミアが瞬きをする。
「原因は分かった。俺の説明も足りなかったし、ミアも次から分からなかったら確認する。それで同じ失敗をしなくなるなら、その方がいい」
「怒らないんですか?」
「怒ったら銀貨が戻ってくるなら怒るけど」
ミアは何も言わない。
コウイチは傷んだ財布を一つ持ち上げ、改めて眺めた。
「まあ……戻ってくるなら、結構怒れるな」
「……ふっ」
小さな音がした。
見ると、ミアが慌てて口元を押さえている。
「今、笑った?」
「笑ってません」
「いや、笑っただろ」
「……少しだけです」
「人が損してるのに」
「すみません」
「それも冗談だから謝らなくていいよ」
そう言うと、今度は先ほどより少しだけ自然に笑った。まだ肩には力が入っているが、伏せていた耳は元へ戻っている。
「ただし、分からないまま勝手に進めるのは駄目だからな。次は必ず確認してくれ」
「……はい」
「同じ失敗を繰り返さないために、今こうして話してるんだから」
「分からなかったら、確認します」
「よし」
話は終わりだと思って傷んだ商品を片づけ始めると、ミアも隣へ来た。
「これは、捨てるんですか?」
「いや。ちょっと待って」
コウイチは先ほど確認した状態を思い返しながら、革を手に取った。見た目と形が崩れているため、このまま商品として売るのは難しいが、革そのものが完全に使えなくなったわけではない。
「ほどけば一部は使えるかもしれないな」
「直せるんですか?」
「同じ商品に戻すのは難しいと思う。でも素材として使えるなら、全部が損ってわけじゃない」
《生成》で別の商品へ作り直すこともできるだろう。ただし、傷んだ部分を除けば使える素材は減るし、再加工には手間もMPもかかる。予定していた売上がそのまま戻ってくるわけではなかった。
ミアが興味深そうに覗き込む。
その横顔を見ながら、コウイチは少し考えた。
一人でやっていた時なら、こんな失敗は起きなかっただろう。自分で生成し、自分で《鑑定》し、自分で仕上げるなら、間違える可能性は低い。
だが、それではいつまで経っても一人だ。
誰かに仕事を任せるなら、自分に見えているものが相手にも見えているとは限らない。その当たり前のことを、今日は12個分の革製品を使って覚えたことになる。
「……授業料としては高いな」
「やっぱり怒ってます?」
「そっちじゃない。俺の勉強代」
ミアは不思議そうな顔をしていた。
◇
その夜、ミアが寝支度を始めたあとも、コウイチはしばらく机に向かっていた。
傷んだ革製品のうち再利用できそうな部分を分けながら、昼間の訓練を思い返す。最初に《穿牙》を見た時より、足から腰へ力をつなげる感覚は少しずつ分かってきたが、バルガスの一撃にはまだ届かない。
最近は、訓練場の盾を突いているだけでは足りないものがあるようにも感じていた。
バルガスが言っていた。《穿牙》は、相手の一番脆い場所へ力を通す技だ。
盾は動かないし、呼吸もしない。こちらへ襲いかかってくることもなければ、攻撃を避けようと身体の向きを変えることもない。ならば、動く相手を前にした時に何が違うのか、実戦の中で確かめる必要もあるのかもしれない。
ただし、未完成の技を無理に使って怪我をするつもりはなかった。まずは訓練場で覚えた身体の使い方を、普段の戦闘でも意識できるか試してみたい。
「明日は森に行くか……」
そこまで考えたところで、ミアがベッドへ腰を下ろした。
「ミア、寝る前にちょっと見てもいい?」
「はい。今日は何か変わりましたか?」
「それを確認したいんだよ」
許可をもらい、《鑑定》Lv3を使う。
【名前】ミア 【種族】犬獣人 【年齢】18 【Lv】6
【HP】51/51 【MP】24/24 【STR】13 【VIT】14 【AGI】33 【DEX】22 【INT】13 【MND】15
【通常スキル】《短剣術》Lv1/《索敵》Lv1
【固有スキル】《???》(未覚醒) 【覚醒進捗】43%
「……上がってる」
「何か上がりました?」
「うん。前に見た時は31%だったのが、43%になってる」
「そんなに変わったんですか?」
「12%もな」
今日は森へ行っていない。魔物も倒していないし、ミアのレベルも上がっていない。新しいスキルを覚えたわけでもないのに、覚醒進捗だけが大きく増えていた。
コウイチは椅子へ背を預けた。
「戦闘だけじゃないのか……?」
これまで、レベルや戦闘経験が関係しているのではないかと考えていた。だが、今日の出来事を考えれば、少なくとも戦闘やレベルアップだけが条件ではないらしい。
商売を手伝わせた。商品を任せ、失敗したあとには一緒に原因を調べた。革の匂いを覚えさせ、次からは分からなかったら確認するように話した。
どれが関係しているのか、それともまったく別の何かなのか。考えてみても答えは出なかった。
「……分からないな」
「何がです?」
「こっちの話」
「またですか」
少し呆れたような声が返ってくる。
コウイチは苦笑しながら《鑑定》を閉じた。今日のMP消費は、商品の生成で12、革製品への《鑑定》Lv2を2回で4、今の《鑑定》Lv3で4。合計20を使っていたが、まだ余裕はある。
「もう寝よう。明日も早いし」
「はい」
灯りを消すと、部屋は静かになった。
コウイチはベッドへ横になり、昼間のことを思い出した。あれほど怯える必要がある失敗だったとは、自分には思えない。それでもミアは震えていた。
彼女が奴隷商館へ来る前にどんな生活をしていたのか、コウイチは詳しく聞いていない。本人が話したくないことまで聞き出すつもりもなかったが、あの反応には何か理由があるのだろう。
《穿牙》は、何をすれば上達するのか少しずつ分かってきた。理解し、試し、間違いを直せばいい。だが、ミアの43%だけは、いまだに何を理解すればいいのかさえ分からない。
明日は森へ行こう。動く相手を前にしても、訓練場で覚えた身体の使い方を崩さずにいられるか、まずは安全な範囲で確かめてみたい。
そう考えて目を閉じると、暗闇の向こうから小さな声が聞こえた。
「……コウイチ様」
「起きてたの?」
「少しだけ」
「どうした?」
しばらく返事がなかった。
「今日は……ありがとうございました」
昼間のことだろう。
「別に。俺も悪かったし」
「それでもです」
何に対する礼なのか、コウイチにはよく分からなかった。
「……おやすみ、ミア」
「はい。おやすみなさい」
再び静かになった部屋で、コウイチは目を閉じた。
明日はまた失敗するかもしれない。今度は革製品ではなく、自分の槍で。それでも、失敗した理由が分かるなら次に生かせる。
もちろん、命まで授業料にするつもりはない。
少なくとも今は、そう思えるようになっていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の感想や印象に残った場面など、ひと言でもいただけると今後の執筆の励みになります。




