第20話◇ 届かない一撃
翌朝、コウイチはミアを連れてバルガスの訓練場を訪れた。
いつもならミアの短剣訓練を横で見ながら、自分も槍の基礎を繰り返すところだが、今日は少し目的が違う。昨夜から頭に残っている疑問を、槍を教えてくれた本人に聞いてみるつもりだった。
バルガスはいつものように訓練用の槍を1本持って現れると、2人を見比べて顎をしゃくった。
「今日はどうする。嬢ちゃんは昨日の続きでいいとして、お前も突きからやるか?」
「その前に、聞きたいことがあるんです」
「なんだ?」
コウイチは自分の槍へ目を落とした。
「槍で、一撃で相手を仕留めるような技ってありますか?」
バルガスの眉がわずかに上がる。
「あるぞ」
「教えてください」
「嫌だ」
「……なんでです?」
あまりに早い返答に思わず聞き返すと、バルガスは面倒そうに頭を掻いた。
「今のお前に教えたところで使えねえからだよ。形だけ真似して身体を壊すのが関の山だ」
「使えるかどうかは、やってみないと分からないでしょう」
「言うようになったじゃねえか」
バルガスが笑う。
以前なら、ここまで食い下がらなかったかもしれない。だが、ミアと一緒に森へ入るようになってから、自分1人で戦っていた頃にはなかった問題がはっきり見えるようになった。
ミアが敵の懐へ入れば、槍を自由に突き込める場所は狭くなる。味方のすぐ近くへ何度も穂先を出すわけにはいかないし、大きく払えばミアまで巻き込みかねない。
必要なのは、闇雲に攻撃回数を増やすことではなく、ここだという瞬間に確実に終わらせられる一撃だった。
「……分かった。そこまで言うなら見せてやる」
バルガスは訓練用の槍を置き、壁際から別の1本を取ってきた。
「嬢ちゃん、そこの盾を持ってきてくれ。ただし手で持つんじゃねえぞ。台に立てろ」
「はい」
ミアが運んできたのは、何枚もの板を重ねた分厚い木盾だった。表面には無数の傷が刻まれているが、普通に槍で突いた程度では簡単に抜けそうにはない。
それを数歩離れた台へ固定すると、バルガスが盾の正面へ立った。
「よく見てろ」
槍を構えたバルガスを見て、コウイチも自然と姿勢を正した。
何か特別な構えをするのかと思ったが、そうではない。穂先を盾へ向け、腰を落とした姿勢は、自分が何度も教わった基本の構えと大して変わらなかった。
ただ、踏み出す直前だけ、バルガスの身体から余計な力が消えたように見えた。
足が地面を捉え、腰が動く。その動きが背中から肩へ抜け、腕を通って1本の槍へつながっていくところまでは見えたが、その先が分からない。
次の瞬間にはバルガスの身体が前へ出ており、乾いた音が訓練場へ響いた。槍の穂先が、分厚い盾の裏側から突き出している。
「……は?」
何枚もの板を重ねた盾の中央に、綺麗な穴が開いていた。
横にいたミアも目を丸くしている。
「今の……槍で?」
「見りゃ分かるだろ」
バルガスは盾から槍を引き抜くと、何事もなかったように肩へ担いだ。
「《穿牙》って戦技だ。俺が現役の頃に使ってた」
「戦技……」
「スキルとは少し違う。身体の使い方と魔力の流れを組み合わせて、一瞬だけ技としてまとめるんだ」
コウイチは、今見た動きを頭の中でもう一度なぞった。
踏み込みから腰が動き、その力が肩から腕へ伝わっていたことくらいは、《槍術》を覚えた今なら分かる。だが、なぜあれほどの威力になったのかまでは理解できなかった。
「もう1回やってもらえません?」
「嫌だよ」
「今度はもう少し分かる気がするんですけど」
「見るだけで覚えようとすんな。そんな簡単なら俺の何年分が1日で終わるんだ」
言われてみれば、その通りだった。
「戦技ってのは、形だけ知っても使えねえ。足、腰、肩、腕。それに魔力の流れを、一瞬で噛み合わせる必要がある。どれか1つでもズレりゃ、ただの強い突きだ」
「だから教えられない?」
「教えられないとは言ってねえ。今のお前じゃ使えねえって言ったんだ」
微妙な違いだが、その言い方なら可能性はある。
「じゃあ、何からやればいいです?」
バルガスは少しだけ口元を上げた。
「そう来ると思ったよ。槍を持て」
言われるまま構えると、バルガスが数歩離れたところへ立った。
「いつも通り突いてみろ」
コウイチは地面を踏み、槍を前へ突き出した。
「駄目だ」
「まだ1回ですよ」
「1回見りゃ分かる。もう1度」
今度は少し強く踏み込む。
「もっと駄目だ。お前、強く突こうとした瞬間に肩へ力が入ってるぞ」
言われてみれば、確かにそうだった。威力を出そうと意識するほど、腕で槍を押し出してしまう。
「《穿牙》は腕力でぶち抜く技じゃねえ。足で生んだ力を途中で殺さず、穂先まで運ぶんだ。まずそこからだ」
それから何度突いても、バルガスの「違う」が飛んできた。
足を意識すれば腰が遅れ、腰を合わせようとすると肩へ力が入る。肩の力を抜けば今度は穂先がぶれ、1つ直そうとすると別のところが崩れるせいで、最初のうちは何を直しているのかさえ分からなくなった。
少し離れた場所では、ミアも短剣を握って訓練している。
「嬢ちゃん、刃を見るな。相手の身体を見ろ」
「身体ですか?」
「腕が動く前に肩が動く。踏み込む前には腰か脚が動く。獣人なら耳も使え。足が地面を蹴る音も、息を吐く音も、相手が動く前には何かしら変わる」
ミアの耳がぴくりと動いた。
「音も……ですか?」
「お前には俺よりいい耳があるんだろ。だったら使わねえ理由がねえ。相手が動いてから避けるんじゃ遅い。動く前を見つけろ」
「はい」
ミアは訓練用の人形へ向き直り、今度は短剣だけではなく、その肩や腰へ視線を移していた。
《索敵》を身につけたばかりのミアにとっては、森の中だけでなく戦闘中にも耳を使えるようになることが次の課題なのだろう。
コウイチがそんな様子を眺めていると、すぐに怒声が飛んできた。
「人の心配してねえで、自分の腰を気にしろ」
「心配じゃなくて見てただけですよ」
「もっと悪いわ。集中しろ」
元Aランクという肩書きは、こういう時だけ妙に説得力がある。
昼近くまで続けても、《穿牙》らしい一撃は1度も出なかった。
◇
その日、宿へ戻ったあとも、コウイチは訓練場で言われたことを何度も思い返していた。
足で生んだ力を、途中で殺さず穂先まで運ぶ。言葉にすれば簡単だが、実際にやるとどこかへ力を入れた瞬間に別の場所が崩れる。自分では同じように動いたつもりでも、バルガスから見ればまるで違うらしい。
それでも、朝より分かることは増えていた。最初に《穿牙》を見た時には、ただ凄まじい突きにしか見えなかったが、今は少なくとも、腕だけで出している技ではないことや、踏み込みから全身の動きをつなげていることまでは理解できる。
ただ、分かったからといって使えるわけではない。
そこが《生成》とは違った。
物なら、形や構造を理解するほど再現へ近づいていく。だが技術は、頭で理解しただけでは自分の身体がその通りに動いてくれない。
「面倒だな……」
そう呟きながらも、嫌ではなかった。
これまで《鑑定》や《生成》のおかげで、分からないものでも情報を集めれば近道できることが多かった。だが今回は、少なくとも今のところ、その近道が見つからない。
試しに槍を持ち、ゆっくり踏み込んでみる。威力を出すことは考えず、足から腰へ、腰から上半身へと動きをつなげることだけを意識した。
何度か繰り返してみたが、バルガスの一撃にはほど遠い。それでも、ただ闇雲に突くよりは意味がある気がした。
◇
翌朝、訓練場へ着いて何度か槍を突いたところで、バルガスが眉をひそめた。
「お前、昨日1人でやったな?」
「分かります?」
「分かる。変なところに力入ってるからな」
「昨日より良くなってるつもりだったんですけど」
「つもりで上手くなるなら苦労しねえよ」
バルガスはコウイチの背後へ回ると、肩を軽く叩いた。
「ここに力を入れるな。槍を押すんじゃねえ。腰が動いた結果として腕が前へ出るようにしろ」
「……結果として?」
「考えすぎんな。最初はゆっくりでいい」
言われた通り、今度は威力を出そうとせずに身体を動かした。足を踏み込むと同時に腰を動かし、肩を前へ押し出すのではなく、その動きについていくように腕を伸ばしていく。
何度か繰り返しているうちに、1度だけ妙な感覚があった。
力を入れたつもりはないのに、槍だけが今までより軽く前へ伸びた。
「今のだ」
バルガスの声が飛ぶ。
「え?」
「今の感覚を忘れんな。もう1回」
同じように動こうとしたが、今度はできなかった。もう1度試しても違う。
「再現できないんですけど」
「最初からできりゃ苦労しねえ」
「今のをもう少し具体的に教えてくれません?」
「だから全部聞くな。自分の身体だろ」
「教える気あります?」
「昨日も聞いたな、それ」
少し離れたところでミアが笑った。
「ミアまで笑うなよ」
「笑ってません」
「それ最近の逃げ方だろ」
「訓練してください」
「……はいはい」
口ではそう返しながら、コウイチはもう一度槍を構えた。
先ほどの感覚は再現できない。それでも、目指すものが何も分からなかった昨日とは違い、ほんの一瞬だけとはいえ「これかもしれない」と思える感覚があった。
その違いは大きかった。
◇
それから数日間、同じ訓練を続けた。
思ったほど簡単には進まず、昨日できたことが今日はできない日もあれば、自分では駄目だと思った突きをバルガスに「今のは悪くねえ」と言われることもある。
回数を重ねれば必ず上手くなるわけでもない。間違った動きを繰り返せば、その間違いに身体が慣れてしまう。
何が違うのかを考え、バルガスに直され、自分の身体で試す。その繰り返しだった。
ある日の訓練のあと、コウイチはバルガスに尋ねた。
「《穿牙》を覚えるまで、どれくらいかかったんです?」
「俺か?」
バルガスは少し考えたあと、何でもないことのように答えた。
「1年半くらいだな」
「……先に言ってくださいよ」
思わず漏れた言葉に、少し離れたところで短剣を構えていたミアが吹き出した。
「笑うところじゃないだろ」
「すみません」
謝っているのに、まだ口元が笑っている。
バルガスも面白そうにこちらを見ていた。
「別にお前も1年半かかるとは言ってねえよ。覚える奴によって違うし、実戦の中で突然掴む奴もいる。ただし、1つだけ覚えとけ」
それまで笑っていたバルガスの表情が少し変わる。
「《穿牙》は、硬いところを力任せにぶち抜くための技じゃねえ。相手の一番脆い場所へ、持ってる力をまとめて通すための技だ」
「一番脆い場所……」
「いくら綺麗に突けても、そこを外せば意味がねえ。身体の使い方ばっかり気にして、肝心の相手を見なくなったら本末転倒だぞ」
コウイチは、その言葉を頭の中で繰り返した。
相手の一番脆い場所へ、一番強い一撃を通す。言葉にすれば単純だが、動いている魔物を相手に、どこへ突けば最も効くのかを瞬間的に判断し、その場所へ正しい身体の使い方で槍を通さなければならない。
身体の動きだけ覚えれば完成する技ではないらしい。
ふと視線を向けると、ミアが訓練用の人形と向き合っていた。
以前なら短剣を構えれば、まず相手の武器があるはずの腕を見ていたが、今は肩へ視線を移し、腰を見て、ときどき耳まで動かしている。
「嬢ちゃん。今、どこ見てた?」
「右肩です」
「なんでだ?」
「右腕が動く前に、少し上がったので」
「音は?」
「足が動いた時に、少し擦れる音がしました」
「それを忘れんな。お前は目だけで戦う必要はねえんだからな」
ミアが真剣な顔で頷く。
その様子を見ながら、コウイチは自分の槍を握り直した。
自分は、一撃を確実に届かせるための身体の使い方を学んでいる。ミアは、自分の目と耳を使って相手が動き出す前の変化を拾おうとしている。
やっていることは違っても、どちらもただ武器を振るだけでは足りないという点では同じだった。
「コウイチ、ぼさっとすんな」
「分かってますよ」
「なら構えろ」
コウイチは槍を正面へ向けた。
《穿牙》にはまだ届かないが、最初にバルガスの一撃を見た時と違い、今は自分に何が足りないのかが少しずつ見えるようになっている。
「もう1回お願いします」
「言われなくてもやらせるよ」
バルガスが訓練用の盾を指す。
その横では、ミアも再び短剣を構えていた。
コウイチは息を整え、肩へ余計な力を入れないよう意識しながら地面を踏み込む。
伸びた槍は、まだバルガスの一撃にはほど遠い。それでも、届かない理由すら分からなかった最初の日よりは、確かに前へ進んでいた。
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