第14話◇ 一ヶ月の値段
翌朝から、コウイチの動き方は少し変わった。
これまでは朝食を済ませれば、そのまま黒狼の森へ向かうことが多かった。だが商業ギルドへ登録してからは、まず掲示板を確認し、その日に何が求められているのかを見てから森へ入るようにした。
何が売れるのか分からないまま獲物を探すのではなく、必要とされている素材を知ったうえで、その中から自分が安全に狙える魔物を選ぶ。それだけの違いだったが、実際にやってみると森を見る目まで少し変わった。
グレイウルフの皮に需要がある日もあれば、フォレストボアの牙が不足している日もある。逆に、前日まで高かった素材が、別の冒険者たちの持ち込みで急に余ることもあった。
商業ギルドの掲示板を眺めながら、コウイチは少しずつその感覚を覚えていった。
「今日はグレイウルフの皮が欲しい店があるのか」
「はい。ただしC品質以上で3枚までです」
昨日から顔を覚えられ始めた男性職員が、掲示板の横で帳簿を確認する。
「フォレストボアの牙も需要はありますが、櫛は今のところ余っています。別の加工品なら相談できますよ」
「見本はあります?」
「いくつかあります」
見せてもらったのは、牙を削って作った小さな髪留めだった。
コウイチは実物を手に取り、形と素材を確認する。すぐに《生成》を試すのではなく、どこに力がかかるのか、どうやって髪へ留めるのかを聞き、店で売られている価格帯も大まかに確認した。
そのうえで《鑑定》を使う。
細かな金具まで完全には理解できなかったが、構造そのものはそれほど複雑ではない。
売り先が決まっている物は優先して作る。
まだ売り先が決まっていない物でも、小銭入れやポーチ、留め具のように用途が広く、《アイテムボックス》へ保管して困らない物なら余ったMPで在庫にしておく。
ただし、同じ物だけを大量に増やしても街の需要そのものが増えるわけではない。
この一ヶ月で試したいのは、その配分だった。
◇
黒狼の森で最初に見つけたのは、3匹で行動しているグレイウルフだった。
商業ギルドでは皮を求められている。それでも、だからといって3匹を相手にする理由にはならない。
木々の間からしばらく様子を見たが、群れの距離は近く、こちらが1匹へ攻撃すれば残りもすぐ動くだろう。囲まれる可能性まで考えれば、今日の仕入れとしては条件が悪い。
コウイチはその場を離れた。
少し遠回りして森を進むと、今度は単独で行動しているグレイウルフを見つけた。
こちらなら狙える。
槍を構え、相手が飛び込んでくるのを待つ。
グレイウルフの速さには何度戦っても緊張するが、バルガスから教わった足運びを意識するようになってから、以前ほど身体が固まることはなくなっていた。
飛び込んできたところへ槍先を合わせ、肩口へ浅く突きを入れる。そのまま深追いせずに槍を戻し、相手が着地して振り返る間に距離を取り直した。
こちらから詰めれば槍の長さを捨てることになる。
もう一度飛び込ませ、次は首を狙った。
一撃では倒れなかったが、無理に押し込まず、すぐに槍を引く。何度か同じ攻防を繰り返した末に、グレイウルフは地面へ倒れた。
戦闘が終わったあと、コウイチは傷の位置を確認した。
余計な場所を刺していない。
「……皮も悪くなさそうだな」
以前なら、まず倒せたかどうかしか考えられなかった。
今は怪我をしないことが最優先で、その次に素材をなるべく傷めず仕入れられたかまで考えられるようになっている。
だからといって、慣れたつもりになる気はなかった。
現場仕事をしていた頃にも、少し慣れ始めた人間の方が事故を起こすことがあると聞いた。作業そのものを知らない時より、できると思い始めた時の方が警戒が薄れる。
この森での事故は、そのまま死につながる。
慣れた分だけ慎重になるくらいで、ちょうどよかった。
コウイチは死体を《アイテムボックス》へ収納すると、次の獲物を探した。
◇
最初の数日は、それまでと比べて急に稼ぎが何倍にも増えたわけではなかった。
ホーンラビットやグレイウルフを中心に狩り、条件が良ければフォレストボアを1匹、さらに余裕がある日だけ2匹目まで狙う。安全な条件が揃わなければ、需要があっても見送った。
違っていたのは、森から戻った後だった。
冒険者ギルドで解体を頼み、需要の低い部位や肉はその場で売る。牙や角、状態のいい皮などは残し、宿へ戻ってから加工済み素材や完成品へ変えていく。
商業ギルドで注文が入っている物があれば、それを優先する。
角製留め具。
牙を使った細い留め針。
小銭入れ。
ポーチ。
まだ売り先の決まっていない物でも、余ったMPで作る価値があると判断すれば少量ずつ増やして《アイテムボックス》へ入れた。
売れなければ、すぐに損になるわけではない。
保管場所は必要ないし、少なくとも翌朝になればMPはまた回復する。
ただし、一つの商品ばかり増やしても仕方がない。
そのことだけは忘れないようにした。
◇
フォレストボアの牙を使った髪留めを初めて作った時は、思ったほどうまくいかなかった。
商業ギルドで見せてもらった物を参考に形そのものは作れたが、留め金の構造への理解が足りなかったらしく、予想より必要なMPが大きい。
「……これじゃ割に合わないな」
完成した物を見ながら、翌日もう一度店へ行った。
今度は実際に髪留めを扱っている店主へ使い方を聞き、壊れやすい部分や金具の組み合わせも見せてもらう。古くなって売り物にならない品まで触らせてもらい、《鑑定》で改めて確認すると、以前より構造が分かるようになった。
その夜にもう一度《生成》を試すと、必要なMPは下がっていた。
知れば知るほど、作りやすくなる。
《生成》を使い始めてから何度も経験していることだが、改めて確認するとやはり不思議だった。
そして、その感覚には覚えがある。
槍を使い始めた頃は、ただ突くことしかできなかった。それがバルガスから足の位置や槍の戻し方を教わり、「なぜそう動くのか」を理解した途端に、同じ動作でも身体への馴染み方が変わった。
もしかすると《生成》という技能は、物を生み出すだけではなく、自分が物事を理解することそのものに何か関係しているのかもしれない。
そう考えることはあった。
ただ、今のところ確かめる方法はない。
答えのないことを考え続けるより、目の前の稼ぎを安定させる方が先だった。
◇
10日ほど経つ頃には、商業ギルドでも顔を覚えられるようになっていた。
「コウイチさん、先日の髪留めですが、B品質で3つ欲しいそうです」
「同じ店ですか?」
「別の店です。前の品を見た商人から話が回ったらしくて」
「3つだけ?」
「3つだけです」
「十分です」
むしろ、そのくらいの方がありがたい。
同じ品を10個、20個と持ち込んでも、全部すぐに売れるとは限らない。3個なら3個作り、余った素材とMPは別の商品へ回せばいい。
「それと、今週はグレイウルフの皮が少し余っています」
「持ち込みが増えた?」
「ええ。逆にフォレストボアの皮が足りません」
「なら、今日は条件が良ければボアを狙います」
「ずいぶん商人らしくなりましたね」
「冒険者なんですけどね」
職員が笑った。
コウイチも少し笑いながら掲示板を見直した。
価格が高い魔物を狙うのではない。
売れる物の中から、自分が安全に仕入れられるものを選ぶ。
その基準を決めてから、無駄な戦闘は明らかに減った。
◇
それでも、森がこちらの都合に合わせてくれるわけではない。
ある日、フォレストボアの痕跡を追っていたところで、4匹のグレイウルフと鉢合わせた。
距離が近い。
向こうもこちらに気づいている。
一瞬だけ、今なら戦えるのではないかという考えが浮かんだ。
《槍術》もある。
レベルも上がっている。
防具もB品質だ。
だが、その考えはすぐに捨てた。
4匹を相手にする必要がない。
コウイチはすぐに逃げた。
木々の間を使って直線的な追跡を避け、狭い場所へ入りながら群れとの距離を広げる。途中で1匹だけかなり近くまで追ってきたが、すぐに戦わず、残り3匹と完全に離れたことを確認してから槍を構えた。
結果的にはその1匹だけを倒した。
残りを追うことはしなかった。
その夜、装備を確認しながら、コウイチは少しだけ笑った。
以前なら、逃げたことを失敗だと思ったかもしれない。
今は違う。
怪我をせず宿へ戻り、その日の夜も商品を作れる。
それなら十分だった。
◇
その頃、レベルも1つ上がった。
森で単独のグレイウルフとフォレストボアを倒した日の帰り、身体の奥から熱が広がった。
【レベルが上がりました】
【Lv】7 → 8
【HP】70 → 78
【MP】47 → 53
STR:19 → 21
VIT:20 → 22
AGI:20 → 22
DEX:25 → 28
INT:24 → 26
MND:22 → 24
強くなった。
ただ、それで狙う魔物を変えるつもりはなかった。
同じフォレストボアでも、以前より余裕を持って戦えるなら、それだけで意味がある。
より危険な相手へ進むためではなく、今の仕入れをさらに安全にするために強くなる。
その考えは変わらなかった。
◇
投げナイフの練習も続けていた。
毎朝長時間やるほどではないが、森へ入る前や宿へ戻った後、邪魔にならない場所を見つけて10数回ずつ投げる。バルガスから教わった距離と回転を意識し、まずは3歩程度の距離から確実に刃を向けることを優先した。
慣れてからは少しずつ距離を伸ばす。
最初の頃は柄から木へ当たることも珍しくなかったが、繰り返すうちに3〜4メートル程度なら狙った範囲へ飛ばせる回数が増えていった。
実戦で目や喉へ正確に当てるような腕はない。
それで構わなかった。
槍を構え直すための一瞬を作れればいい。
20日ほど経ったある夜、何気なくステータスを確認した時、新しい文字が増えていることに気づいた。
【投擲】Lv1
「……やっとか」
思わず笑った。
《槍術》を得た時ほどの驚きはなかった。
むしろ、これだけ練習してようやく技能として形になったことに、妙な納得がある。
木へ何度も投げ、失敗し、バルガスから教わり、森でも実際に使ってきた。それだけ繰り返して、ようやくLv1になった。
普通なら、このくらい時間がかかるのかもしれない。
そう考えると、1週間で《槍術》Lv1を得たことの方が、やはり妙だった。
《生成》と理解。
その二つの関係がまた頭に浮かんだが、この日も答えは出なかった。
◇
さらに数日が経った頃、もう一度レベルが上がった。
この日も狩りの数を増やしたわけではない。
条件のいい場所でフォレストボアを1匹、帰り道で単独のグレイウルフを1匹倒しただけだった。
【レベルが上がりました】
【Lv】8 → 9
【HP】78 → 86
【MP】53 → 59
STR:21 → 23
VIT:22 → 24
AGI:22 → 24
DEX:28 → 31
INT:26 → 28
MND:24 → 26
同じ頃、《槍術》もLv2へ上がった。
槍の扱いが劇的に変わったわけではない。それでも突いた後の戻しや、相手との距離の取り方が以前より自然になり、戦闘中に考えなければならないことが少し減っている。
成長した実感はある。
だからこそ、無茶をしない。
その方が長く稼げる。
◇
月の終わりが近づいたある日、冒険者ギルドの解体所へフォレストボア2匹を持ち込んだところで、受付嬢から呼び止められた。
この日は他にホーンラビットを数匹仕留めていたが、グレイウルフとは条件が合わず戦っていない。
受付へ行くと、いつもの席ではなく、少し奥の机へ案内された。
「何かありました?」
「そろそろ、こちらが困るんです」
「困る?」
受付嬢は書類をコウイチの方へ向けた。
この1か月の討伐記録や依頼達成の履歴が並んでいる。
グレイウルフ。
フォレストボア。
薬草や素材の採取。
途中から受けるようになった討伐依頼。
無理な依頼は受けず、引き受けたものはきちんと終わらせていた。
「コウイチさん、まだFランクですよね」
「そうですね」
「最近フォレストボアを持ってくるFランクって、こちらとしては扱いに困るんですよ」
「前にも似たようなこと言われた気がします」
「言いました」
受付嬢は少し呆れたように息を吐いた。
「Fランクは、本来なら冒険者になったばかりの人が薬草採取や簡単な仕事を覚えるためのランクです。討伐実績もありますし、依頼の放棄もない。ギルド内で問題も起こしていませんから、Eランクへの条件はもう満たしています」
「試験は?」
「FからEならありません。最低限、冒険者として仕事ができると判断されれば昇格できます」
「それならお願いします」
「もう手続きしてあります」
「早いですね」
「断られるとは思ってませんでしたから」
冒険者証を預け、少し待つと更新されたものが戻ってきた。
【冒険者証】
【名前:コウイチ】
【ランク:E】
大きな変化ではない。
急に強くなったわけでもなく、明日から何倍も稼げるようになるわけでもない。
それでも、この街へ来たばかりの頃に身分証代わりとして登録したFランクから、一つ上がった。
「……Eランクか」
「おめでとうございます。今さらフォレストボアを持ってくる人に言うのも変な感じですけど」
「いや。結構嬉しいですよ」
それは本心だった。
この世界へ来たばかりの頃は、ホーンラビット1匹を相手にするだけでも必死だった。
今でも強い冒険者から見れば大したことはないのだろうが、少なくともあの頃よりは、この世界で生き残る方法を覚えている。
「ただし、ランクが上がったからって危険な場所へ行かないでくださいね」
「行きませんよ」
「即答ですね」
「死ぬの嫌なんで」
受付嬢が少し笑った。
◇
1か月の終わりが近づく頃には、商業ギルドへ行くと掲示板を見る前に声を掛けられることも増えていた。
「コウイチさん、今日はフォレストボアの牙あります?」
「素材ですか? 加工品ですか?」
「両方です。髪留めを4つ欲しい店があるのと、牙を素材のまま欲しい職人もいます」
「櫛は?」
「今週は要りません」
「なら髪留め4つと、牙は2本そのままで」
そんなやり取りが自然にできるようになったことに、自分でも少し驚いていた。
1か月前は、銅貨数枚の違いを気にしながら店を1軒ずつ回っていた。それが今では、商業ギルドを通して複数の店や職人へ品を流している。
もちろん、大商人になったわけではない。
一度に扱う量はまだ少なく、信用等級も第五級のままだ。
それでも取引実績は少しずつ増えていた。
注文がある物を優先して作り、余ったMPは小銭入れ、ポーチ、留め具、ナイフなどへ分散して在庫化する。加工済み革もすべて完成品へ変えず、一部はそのまま残した。
その結果、《アイテムボックス》の中には、少しずつ商品が増えていった。
売れないわけではない。
ただ、街で売れる速度より作れる速度の方が速い。
それでも保管には困らないため、無理に値段を下げて吐き出す必要はなかった。
いつか売れる場所が増えれば、その時に出せばいい。
◇
奴隷商館を訪れてから、ほぼ1か月が経った夜。
コウイチは宿の机に、小さな革袋と商業ギルドで受け取った取引記録を並べていた。
毎日の収支を1銅貨単位まで暗記しているわけではない。ただ、宿代や食費、解体料、装備の補修費、材料費、商業ギルドへ支払った手数料など、大きな出入りだけは記録している。
この1か月で一番変わったのは、素材をそのまま売るだけではなくなったことだった。
肉や不要な部位は冒険者ギルドで売る。
皮や牙、角などは必要に応じて残す。
加工済み素材として持つ物もあれば、櫛や髪留め、留め具、ナイフ、小銭入れやポーチへ変える物もある。
売れる物を1種類だけ大量に作るのではなく、複数の店や用途へ少しずつ分ける。
その積み重ねで、少しずつ現金が増えた。
全部の商品が売れたわけではない。
《アイテムボックス》には、まだ売れていない革小物や留め具、ナイフ、加工済み革も残っている。
それでも、生活費や解体料、商売を続けるために必要な銀貨や銅貨を残したうえで、自由に使える金がようやく目標へ届いていた。
コウイチは革袋から金貨を取り出した。
1枚。
2枚。
3枚。
そして4枚。
机の上に並べる。
「……本当に貯まったな」
ミアを買うなら金貨3枚。
その後の服や食事、仕事道具、商売を止めないための余裕まで考えて、最低でも4枚。
1か月前に自分で決めた金額だった。
もちろん、4枚全部を使うつもりはない。
普段の生活に使う銀貨や銅貨は別に残してあり、《アイテムボックス》には素材や商品もある。
だからこそ、ようやく「買える状態になった」と言える。
そこまで考えると、1か月前に見た犬獣人の姿が頭に浮かんだ。
【固有スキル:《???》】
【状態:未覚醒】
一ヶ月経っても、正体が分かったわけではない。
むしろこの1か月で商売について少し分かるようになった分、金貨3枚という金額の重さも以前より理解している。
同じ金を商売へ回せば、もっと利益を増やせるかもしれない。
さらに金を貯めれば、最初から解体技能を持った奴隷にも手が届く。
合理性だけで考えれば、その方が正しい。
それでも、自分だけが見た《未覚醒》という表示は頭から消えなかった。
他の人間には危険にしか見えないものに、自分だけが1つ余計な情報を持っている。
それを確かめるために金貨3枚を払う。
馬鹿な賭けなのかもしれない。
だが、1か月考えたうえで、それでも気になっているのなら、少なくとも衝動ではなかった。
「……まだいたら、か」
コウイチは4枚の金貨を革袋へ戻した。
半年売れ残っていたからといって、この1か月も残っている保証はない。
もし誰かに買われていたなら、その時は縁がなかったと思えばいい。
そう考えているはずなのに、少しだけ落ち着かない。
コウイチは革袋を《アイテムボックス》へ収め、Eランクへ更新された冒険者証と商業ギルドの登録証を手に取った。
1か月前とは違う。
冒険者としてはEランクになり、レベルも9まで上がった。商売もまだ小さいながら、毎日の流れができ始めている。
金貨4枚を貯めても、明日の宿代を心配する必要はない。
なら、あとは自分で確かめればいい。
明日、もう一度ガルディ奴隷商館へ行く。
その夜、コウイチはいつもより少しだけ寝つくまでに時間がかかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の感想や印象に残った場面など、ひと言でもいただけると今後の執筆の励みになります。




