第13話◇ 値札のついた人間
翌朝、コウイチは朝食を済ませると、そのまま商業ギルドへ向かった。
本来なら掲示板で需要を確認してから黒狼の森へ向かうつもりだったが、その前に確かめておきたいことがある。昨日、商業ギルドへ登録して街の店を回ったことで、売れる物や作れる物の幅はさらに広がった。その一方で、一人でできることの限界もはっきり見え始めている。
森で素材を仕入れ、冒険者ギルドへ解体を頼み、使える素材を選別する。そこから《生成》で商品や加工素材へ変え、商業ギルドで需要を確認しながら店も回る。今はまだ何とかなるが、このまま扱う物が増えれば、いずれ時間の方が足りなくなる。
だから人手は欲しい。
問題は、誰でもいいわけではないことだった。
朝の商業ギルドにはすでに多くの人間が出入りしており、入口近くでは荷車から木箱を降ろす男たちの声が響いている。受付の奥へ目を向けると、昨日対応してくれた男性職員がいたため、他の商人との話が終わるのを待ってから声を掛けた。
「昨日はどうも」
「コウイチさんですね。今日は何かお探しですか?」
「商品じゃなくて、人のことで聞きたいんです」
「人材ですか?」
「はい。ここで働く人を紹介してもらうことはできます?」
「もちろんです。商人同士の取引だけでなく、人材の仲介も扱っています。どのような方をお探しでしょう?」
聞かれて、コウイチは昨夜考えていた条件を頭の中で整理した。
「できれば魔物の解体ができる人ですね。森から戻ったあとの素材処理を任せたいのと、場合によっては商品の運搬や納品も頼みたい。毎日必要というわけじゃないですけど、長く働いてもらえる人がいいです」
「それでしたら、元冒険者か猟師の経験者が候補になりますね。荷運びだけなら日雇いでも足りますが、解体まで任せられる人材を長期で雇うとなると、給金はそれなりに上がります」
職員から聞いた相場は、今のコウイチでも絶対に払えない額ではなかった。経験者になれば当然給金は高くなり、住み込みで雇うなら食事や寝床も必要になる。
それ自体は問題ない。商売を広げるなら、人件費がかかることくらいは分かっている。
コウイチが知りたいのは、そこではなかった。
「雇った人間に、仕事で知ったことを外で話さないよう契約することはできますか?」
「守秘契約ですね。それでしたら可能です」
「どのくらい強いんです?」
職員がわずかに首を傾げた。
「強い、と言いますと?」
「例えば契約を破って秘密を話そうとした時に、そもそも話せなくなるとか」
「ああ……そういう意味ですか」
そこで職員の表情が少し変わった。
「一般的な雇用契約には、そこまでの力はありません。守秘義務を入れておけば、違反した場合に解雇したり、内容によっては商業ギルドを通して賠償を求めたりできます。ただ、本人が秘密を話すこと自体を魔法で止めるわけではありません」
「つまり、漏れたあとで罰することはできても、漏れること自体は防げない?」
「そういうことになります」
予想していた答えではあった。
《生成》のことを誰かに知られ、その情報が外へ出たあとで賠償金を取れても意味はない。《アイテムボックス》も同じで、これまで慎重に隠してきたものを「契約を守ってくれるだろう」という期待だけで他人に見せる気にはなれなかった。
「もっと強い契約はないんですか?」
「ないわけではありません。魔法的な強制力を持たせる契約も存在します。ただし本人の同意が必要ですし、費用も高いので、普通の雇用で使うものではありませんね」
職員はそこで少し困ったように笑った。
「それに、働く前からそこまで警戒されていると分かれば、腕のいい人ほど別の雇い主を探すと思いますよ」
「……まあ、そうでしょうね」
自分が逆の立場でも嫌だろう。初対面の相手から「信用していないから魔法で縛らせろ」と言われて、それでも喜んで働こうと思う人間は少ないはずだ。
「随分、秘密を気にされるんですね。特殊な仕事なんですか?」
「加工方法を知られたくないんです。櫛や革製品みたいな物を扱ってるんで」
「ああ、職人の製法ですか。それなら同じように気にされる方はいますよ」
幸い、それ以上踏み込んで聞かれることはなかった。
しかし、そうなると結局は振り出しに戻る。人手が欲しいから雇いたいのに、雇えば自分の秘密を知られる可能性が高くなる。その危険を避けようとすれば、今度は相手から警戒される。
コウイチが黙って考えていると、職員が少し間を置いて口を開いた。
「そこまで長く身近に置くつもりなら、奴隷を購入するという方法もありますが」
「……奴隷?」
言葉自体を知らなかったわけではない。
この街へ来てから、それらしい者を何度か見かけていた。主人らしい人間の後ろで荷物を運ぶ獣人や、店先で働く首輪を着けた者もいたので、この世界に奴隷制度があることには気づいている。
ただ、自分が奴隷を買うという発想には結びついていなかった。
「普通に売買されてるんですか?」
「許可制ですが、王国では合法です。正規の奴隷商館は商業ギルドにも登録されていますし、契約内容も王国法に従って管理されています」
「契約というのは?」
「購入時に魔法契約を結びます。主人へ故意に危害を加えない、逃亡しない、窃盗をしないといった基本条件ですね。契約の範囲内なら追加条件を入れることもできます」
「仕事で知った秘密を、意図的に外へ漏らさないっていう条件も?」
「可能だったはずです。ただ、私は奴隷契約の専門ではありませんから、細かいところは奴隷商館で確認してください。何でも命令できる魔法ではありませんし、契約で縛れる内容にも限界があります」
その説明を聞いて、昨夜から噛み合わなかったものが少し形になった。
奴隷なら信用できる、という話ではない。相手が自分を嫌うこともあるだろうし、性格が合わないこともある。命令されなければ動きたくない者だっているかもしれない。
ただ、自分にとって致命的な裏切りだけを契約で防げるなら話は違った。
信用できる人間を探すのではなく、全面的に信用しなくても仕事を任せられる仕組みを使う。今のコウイチには、その違いが大きかった。
「この街にも奴隷商館が?」
「ありますよ。商業区の外れに正規の店があります。うちから紹介されたと言えば、無理に買わされるようなこともないでしょう」
「場所を教えてもらえます?」
「見に行かれますか?」
「まずは相場を知りたいんです。買えるかどうかも分からないので」
「それがいいでしょう。奴隷は購入費だけでなく、その後の食費や住居費もかかりますからね」
場所を教えてもらい、コウイチは礼を言って受付を離れた。
本来ならこのまま黒狼の森へ向かう予定だったが、今日は予定を変えることにした。人手の問題は、この先商売を広げるなら避けて通れない。
何より、自分の目で見なければ判断できなかった。
◇
教えられた奴隷商館は、コウイチが想像していた場所とはかなり違っていた。
薄暗い路地裏に鉄格子のはまった建物でもあるのかと思っていたが、実際には商業区の外れに建つ大きな石造りの建物だった。入口には衛兵らしい男まで立っており、壁も看板もきちんと手入れされている。
そこに堂々と掲げられた【ガルディ奴隷商館】という文字がなければ、少し大きな商会と勘違いしたかもしれない。
扉を開けると、すぐに40代ほどの身なりの整った男が近づいてきた。
「いらっしゃいませ。奴隷をお探しでしょうか?」
「まだ買うと決めたわけじゃないんですが、商業ギルドで紹介されて。見るだけでも構いませんか?」
「もちろんでございます。用途がお決まりでしたら、条件に合う者をご案内いたしますが」
人を売っている場所とは思えないほど、ごく普通の接客だった。その自然さに、かえってコウイチは戸惑った。
「仕事を手伝わせたいんです。できれば魔物の解体ができる者を探してます」
「冒険者の方ですか?」
「一応」
「それでしたら元冒険者か狩猟経験者がよろしいでしょう。荷運びだけでしたら安価な者もおりますが、解体まで任せるとなると技能持ちになりますので、どうしても値段は上がります」
「どのくらい?」
「能力次第です。実際にご覧になった方が早いでしょう」
男の後について廊下を進み、最初に案内された部屋へ入ったところで、コウイチはまた自分の想像が外れていたことを知った。
室内は明るく、大きな窓から陽が差し込んでいる。床は綺麗に掃除され、壁際に並ぶ10人ほどの男女も清潔な服を着ていた。人間だけでなく獣人や耳の長い種族も混じっており、コウイチたちが入ると全員が姿勢を正した。
「こちらは当館でも評価の高い者たちです。読み書きや計算ができる者、家事技能を持つ者、護衛や戦闘経験のある者などですね。教育済みですので、購入後すぐ仕事を任せられる者も多くおります」
奴隷商人が、その中から体格のいい獣人の男を示した。
「こちらは元Cランク冒険者で、剣術と護衛技能を持っています。魔物の解体経験もございますから、お客様のご希望には近いかと」
確かに条件だけなら申し分ない。武器を持っていないにもかかわらず立ち姿に隙が少なく、戦闘経験があることはコウイチにも何となく分かった。
「いくらです?」
「金貨12枚です」
思わず聞き間違いかと思った。
「……12枚?」
「はい」
「金貨で?」
「もちろんでございます」
さすがに手が出ない。
コウイチの反応を見た奴隷商人も事情を察したらしく、嫌な顔をすることなく「もう少し価格を抑えた者もおります」と別の区画へ案内してくれた。
次の部屋は先ほどより人数が多く、服装も簡素だった。農作業経験者や荷運び、家事のできる者、簡単な読み書きができる者など、何か1つ仕事に使える技能を持つ者が中心らしい。
その中に、コウイチが求めていた解体経験者もいた。
「この者は元猟師です。大型獣までなら問題なく処理できますし、森にも慣れております。戦闘技能はそれほど高くありませんが、護身程度ならできますよ」
「値段は?」
「金貨6枚です」
先ほど12枚と聞いたせいで一瞬安く感じたものの、冷静に考えれば十分すぎるほど高い。しかも購入後には食事や寝床が必要になり、森へ連れていくなら装備まで用意しなければならない。
「……今の俺には厳しいですね」
「ご予算はどの程度でしょう?」
「まだ決めてません。今日は奴隷がどのくらいするのか知りたくて来ただけなので」
「なるほど。それでしたら、安価な者もご覧になりますか?」
「まだいるんですか?」
「おります。ただし、何らかの事情を抱えている者になりますが」
奴隷商人は、少しだけ言葉を選んでから説明した。
年齢が高い者、怪我で以前の仕事ができなくなった者、役立つ技能を持たない者、過去の主人との間で問題を起こした者。買い手から見て何かしらの不安材料がある奴隷は、当然ながら価格も下がるらしい。
「いわゆる、訳ありということですか」
「身も蓋もない言い方をすれば、そうなります」
「……見せてください」
◇
建物の奥へ進むにつれ、少しずつ雰囲気が変わっていった。
とはいえ、地下牢のような場所へ連れていかれたわけではない。廊下は掃除されているし、嫌な臭いもしない。ただ、最初の区画に比べれば窓は小さく、置かれている家具も古い。奴隷たちの服も清潔ではあるものの簡素で、商品として見栄えよく整えるために金をかけていないことは分かった。
「こちらが、当館で訳ありとして扱っている者たちです」
最初に紹介されたのは、片目を失った中年の男だった。元兵士で戦闘経験は豊富だが、視野が狭くなったことで護衛としての評価が大きく落ちたらしい。
その隣には料理技能を持つ年配の女性がおり、腕に問題はないものの、年齢を理由に長期で買いたがる客が少ないという。さらに奥には、古傷の影響で片腕が十分に動かない獣人や、魔力は持っているのに魔法技能を覚えられなかった青年もいた。
奴隷商人は、それぞれの長所と問題点を淡々と説明していく。
聞いているうちに、コウイチにもこの商館の考え方が見えてきた。
最初の部屋にいた者たちは、高い金を払ってでも欲しいと思わせる能力を持っている。次の部屋は、価格に見合った仕事ができる一般的な労働力。そしてここにいるのは、買い手が何かしらの不安を抱く者たちなのだろう。
人間が、能力と状態によって値踏みされている。
頭では奴隷商館なのだから当然だと理解していても、実際に目の前で見ると妙な感覚が残った。
そこで、コウイチはまだ《鑑定》を使っていないことに気づいた。
グレンから、人に対する《鑑定》は魔力で身体を探られるようなものだと教えられて以来、他人へ気軽に使うことは避けている。
「ここでは《鑑定》を使っても?」
奴隷商人はすぐに頷いた。
「購入を検討される方には認めております。本人にも、購入前に能力を確認されることは説明済みです。ただし、必要以上に何度も使うのはお控えください」
「分かりました。気になる者だけにします」
許可があるとはいえ、片っ端から見る必要はない。
そう考えながら部屋の奥へ進んだところで、視界の端に揺れるものが見えた。
尻尾だった。
壁際の椅子に、若い犬獣人の女性が座っている。
茶色がかった髪の間から同じ色の犬耳が伸び、尻尾は椅子の横へ力なく垂れていた。服は他の奴隷と同じ簡素なものだが、痩せ細っているわけでもなく、目立った怪我があるようにも見えない。
年齢も若そうで、少なくとも外見だけなら、なぜ彼女がこの区画にいるのか分からなかった。
「あの子は?」
「ああ……あの娘ですか」
それまで淀みなく説明していた奴隷商人が、わずかに間を置いた。
「お勧めはしませんよ」
その言い方が気になった。
「何か問題が?」
「問題が何なのか分からない、というのが問題でしてね」
意味が分からず、コウイチはもう一度彼女を見る。こちらに気づいた犬獣人の女性は一瞬だけ顔を上げたものの、目が合うとすぐに視線を落とした。
「犬獣人で18歳。健康状態に問題はありません。本来、犬獣人は体力がありますし、嗅覚にも優れていますから、狩猟や護衛の補助として需要があります。ただ、この娘には使える技能が何もないんですよ」
「何も?」
「剣術も格闘もありませんし、狩猟技能もない。魔法も使えず、読み書きも十分ではありません。家事も簡単な掃除や洗濯程度ですね」
コウイチが探している人材とは、ほとんど正反対だった。
魔物を解体できる者を探しに来たのに、彼女には解体どころか狩猟技能すらない。それなら安い労働力として扱われるのだろうと思ったが、奴隷商人の話はそこで終わらなかった。
「ただ、それだけなら普通の労働奴隷として扱っていました。この娘には、固有スキルが1つあるんです」
コウイチの意識が、その言葉に引っ掛かった。
「固有スキル?」
「ええ。ただし、何なのか分かりません」
「分からないっていうのは?」
「《鑑定》しても《???》としか表示されないんですよ」
奴隷商人によれば、それが分かった当初は商館側も期待したらしい。固有スキルは希少で、能力次第では奴隷としての価格が大きく跳ね上がるため、何人もの鑑定士へ金を払って調べてもらったという。
ところが、誰が見ても結果は同じだった。
《???》。
本人にも使い方は分からず、発動した形跡もない。
「珍しいだけで、害はない可能性もあるんじゃ?」
「もちろんあります。ただ、逆もありますからね」
「逆?」
「固有スキルだからといって、本人にとって都合のいいものとは限りません。身体を害するものや、寿命を削るもの、特定の条件で暴走するようなものも過去には確認されています。正体が分からない以上、こちらとしても安全ですとは保証できません」
そこでようやく、コウイチにも彼女が訳ありになった理由が分かった。
能力がないことよりも、何が起きるか分からないことの方が問題なのだ。普通に考えれば、金を払ってまでそんな危険を抱え込む必要はない。
「値段は?」
「金貨3枚です」
「技能がないのに?」
「これでもかなり下げています。若く健康な犬獣人なら、本来はもっと高いですからね。戦闘技能か狩猟技能の1つでも持っていれば、この値段では出せません」
「技能がなくても値段がつくんですね」
「若く健康な成人であれば、技能がなくても一定の買い手はおります。単純な労働力を求める方もいますし……まあ、そういう用途も含めて需要はありますから」
最後の言葉が何を意味するのかは、聞かなくても分かった。
コウイチにとってはどうでもいい情報だった。自分が欲しいのは仕事を任せられる人間であり、その目的だけを考えるなら、目の前の犬獣人へ金貨3枚を払う理由はほとんどない。
解体はできない。戦えない。読み書きも十分ではなく、正体不明の固有スキルという不安材料まである。
普通なら、ここで候補から外す。
ただ、せっかく《鑑定》の許可をもらっている。
「この子を見ても?」
「どうぞ」
コウイチは犬獣人の女性へ視線を向け、意識を集中させた。
《鑑定》
MPが47から45へ減る。
視界に情報が浮かんだ。
【名前】ミア
【種族】犬獣人
【年齢】18
【Lv】1
【HP】31/31
【MP】14/14
STR:8
VIT:9
AGI:13
DEX:12
INT:8
MND:10
【通常スキル】
なし
【固有スキル】
《???》(未覚醒)
「……」
奴隷商人の説明通り、通常スキルは何もない。
能力値も飛び抜けて高いわけではない。ただ、体格を考えればAGIとDEXは悪くないように見えた。少なくとも、まったく使い道のない人間という印象ではない。
そして何より、固有スキルに付いている表示が気になった。
《???》(未覚醒)
何もないなら、《なし》でいいはずだ。
だが《???》で、しかも未覚醒。
少なくとも何かが存在し、それがまだ表へ出ていない。そう考えるのが自然だった。
「……未覚醒」
小さく漏れた声に、奴隷商人が反応した。
「何かございましたか?」
「いや……この固有スキルについて、本当に何も分かってないんですか?」
「ええ。先ほど申し上げた通り、複数の鑑定士に確認させています。何か見えましたか?」
コウイチは一瞬だけ考えた。
「いえ。《???》としか」
咄嗟に情報を伏せた。
複数の鑑定士が見ても《???》しか確認できなかったのなら、《未覚醒》という表示は自分にしか見えていない可能性がある。ここでわざわざ教える理由はなかった。
もちろん、未覚醒だからといって強い能力とは限らない。何の役にも立たないかもしれないし、奴隷商人が言ったように、目覚めた時に本人や周囲へ害を及ぼす可能性だってある。
正体不明であること自体は変わらなかった。
それでも、他の人間には見えていない情報を、自分だけが1つ持っている。その事実は引っ掛かった。
コウイチはしばらく考えたあと、ミアの前まで歩いた。
近づくと、垂れていた耳がわずかに動いた。
「名前は?」
彼女はすぐには答えなかった。
顔を上げたものの、その目にあるのは期待より警戒に近い。自分を買うかもしれない人間を見ているのだから、当然といえば当然だった。
やがて奴隷商人へ視線を向け、答えるよう促されてから、小さな声を出した。
「……ミアです」
「ミアか」
それ以上、コウイチは何も聞かなかった。
今の段階で聞いたところで、彼女自身にも固有スキルのことは分からないだろう。それより、商館側が彼女をどう扱ってきたのかを知る方が先だった。
「ここには、どのくらいいるんです?」
「半年ほどになりますね。何度か購入を検討された方はいましたが、《???》について説明すると、皆さん別の者を選ばれまして」
「でしょうね」
コウイチ自身、《未覚醒》という表示を見ていなければ、わざわざ金貨3枚を払ってまで彼女を選ぼうとは思わなかったはずだ。
同じ金を使うなら、さらに貯めて技能持ちを買った方がいい。少なくとも、今欲しい仕事だけを考えるなら、その方が遥かに合理的だった。
「金貨3枚でしたよね」
「はい」
高い。
今の自分が、その場の思いつきで出せる金額ではない。
しかも、どうにか金貨3枚だけを用意しても意味はない。購入したその日から食事は2人分になり、服や靴も必要になる。仕事を覚えさせるなら道具を揃えなければならず、いずれ森へ連れていくなら武器や防具も必要になるだろう。
商売に使う資金まで吐き出してしまえば、せっかく回り始めた稼ぎそのものが止まってしまう。
買うなら、金貨3枚では足りない。最低でも、もう1枚は余裕として残したい。
「取り置きはできます?」
「可能ですが、前金をいただきます。期間によって金額も変わりますよ」
コウイチは少し考えてから首を横に振った。
「やめておきます。まだ買うと決めたわけじゃないんで」
「賢明かと。人を1人抱えることになりますから、勢いで決めるような買い物ではありません」
「この子が、しばらくここにいる可能性は?」
「それは何とも申し上げられません。半年おりますから可能性はありますが、明日買われないとも限りませんので」
「そうですよね」
商品なのだから当然の答えだった。
もう一度ミアを見ると、彼女は先ほどと同じように視線を伏せている。自分が買われるかもしれないという話を目の前でされているのに、大きな反応は見せない。
半年もこうして買い手に値踏みされ続けていれば、慣れるものなのだろうか。それとも、もう期待しなくなっただけなのか。
そこまで考えたところで、コウイチは自分の思考を止めた。
同情で買うわけではない。
自分が必要としているのは人手であり、秘密を守れる環境であり、将来的に仕事を任せられる人間だ。金貨3枚は、その目的に対して払えると判断して初めて出す金だ。
「今日は帰ります」
「承知しました。ご縁がございましたら、またお越しください」
奴隷商人に見送られ、コウイチは来た道を戻った。
部屋を出る直前、背後で衣擦れの音がしたような気がしたが、振り返ることはしなかった。
◇
奴隷商館を出ると、昼前の明るい日差しに目を細めた。
大通りでは荷車が行き交い、商人が客を呼び込み、パンを焼く匂いまで漂っている。ついさっきまで建物の中で人間に金貨何枚という値段がつけられていたことなど、外から見ているだけでは想像もつかない。
歩きながら考えてみても、本来なら選ぶべき相手は明らかだった。
金貨12枚の元Cランク冒険者は論外としても、金貨6枚の元猟師なら、まさに自分が欲しかった解体技術を持っている。資金さえ用意できれば、その日から仕事を任せられる可能性も高い。
それに比べて、ミアには欲しかった技能が1つもない。もし彼女を買えば、仕事を教えるところから始めることになる。それどころか、正体不明の固有スキルという余計な不確定要素まで抱え込む。
どう考えても効率は悪い。
それでも頭から離れないのは、元猟師ではなかった。
【固有スキル】
《???》(未覚醒)
正体が分からないから気になるだけではない。
他の誰にも見えていないらしい情報を、自分だけが見つけたから気になる。
商売で考えるなら、それは大きな違いだった。全員が同じ情報を持っている市場なら、安い物には安いなりの理由がある。しかし、自分だけが他人の知らない情報を持っているなら、市場の値段が本当の価値と同じとは限らない。
もっとも、今回はその「価値」が本当に価値なのかさえ分からない。
「……ずいぶん高い賭けだな」
コウイチは苦笑した。
売れるか分からない物を《アイテムボックス》へ入れておく程度なら、失うものはほとんどない。しかし今度考えているのは金貨3枚で、しかも相手は商品ではなく、一人の人間だ。
だから、珍しいというだけで決めるわけにはいかなかった。
それでも奴隷という仕組み自体は、今のコウイチが抱えていた問題に一つの答えを示している。普通に人を雇えば、秘密を守ってくれると信じる必要がある。だが、魔法契約で故意の漏洩だけでも防げるなら、最初から相手のすべてを信用する必要はない。
今のコウイチには、信頼より契約の方がまだ信じやすかった。
その考えに気分のいいものはなかったが、綺麗事だけで秘密を守れるわけでもない。
ミアを買うかどうかは別として、奴隷を購入するという選択肢は残しておいていいだろう。
問題は金だった。
◇
午後から黒狼の森へ入ったコウイチは、普段より浅い範囲だけを回ることにした。
午前中を使ってしまった以上、無理に奥へ入り、日没ぎりぎりまで狩りをする理由はない。商業ギルドで見た需要を思い出しながら獲物を選び、ホーンラビット2匹とグレイウルフ1匹を仕留めたところで帰路についた。
以前なら、それだけでも十分な成果だと思っていただろう。今も悪い狩りではない。危険を抑えながら確実に仕入れられたのだから、それでいい。
ただ、その日は魔物を収納するたびに、別のことを考えている自分がいた。
グレイウルフの皮は加工済みの革へ変えられる。そこから小銭入れやポーチにもできるし、加工革のまま需要があるなら、その状態で持っておくこともできる。
ホーンラビットの角は留め具にできる。
魔物をそのまま金へ換えるのではなく、売る物と残す物を分け、素材の価値をどこまで上げるかを考える。昨日まで少しずつ試していたことが、商業ギルドへ登録したことで一つの流れになり始めていた。
夕方、冒険者ギルドへ戻ると、その日の獲物を解体所へ出した。
ホーンラビット2匹とグレイウルフ1匹。
「残す物は?」
「ラビットは角を。グレイウルフは状態のいい皮と、牙や爪もお願いします。あとは売れる物を買い取りで」
「分かった」
以前なら、少しでも金になる部位はその場で売ることが多かった。今は、それが素材として何に変えられるかまで考えてから残す物を選ぶようになっている。
しばらく待つと、状態のいいグレイウルフの皮と牙、爪、それにホーンラビットの角が戻ってきた。肉や状態の悪い部位などは売却し、解体料を差し引いた分を受け取る。
大きな稼ぎではない。
それでも、素材の価値はここで終わりではなかった。
解体所を離れながら、コウイチは改めて考えた。
金貨3枚を用意するだけでは足りない。
購入後の生活費や服、仕事道具、それに商売を続けるための資金まで考えれば、自由に使える金として最低でも金貨4枚は欲しい。
だからといって、危険な魔物へ無理に挑んで稼ぎを増やすつもりはなかった。
必要なのは、危険を増やすことではない。
同じ一日から得られる利益を増やすことだ。
バルガスから槍を教わったことで、フォレストボアも以前より安全に狩れるようになった。商業ギルドへ行けば、その時に求められている素材や商品も分かる。《生成》を使えば、素材のまま売るより価値を上げられる物もある。
さらに《アイテムボックス》があるため、今日売れなくても、余ったMPを商品へ変えて保管しておける。
それらを組み合わせれば、今までとは稼ぎ方そのものを変えられるかもしれない。
◇
宿へ戻って夕食を済ませると、コウイチは今日手に入れた素材を取り出した。
朝にミアへ《鑑定》Lv2を使ったため、現在のMPは45。午後の狩りでは《鑑定》を使っていないので、そのまま残っている。
まず、グレイウルフの皮から手をつけた。
【素材補助生成】
対象:加工済みグレイウルフ革
理解度:87%
使用素材:グレイウルフの皮
【投入MP:1】
生成予測品質:C
今すぐ防具にする予定はない。中間素材として使うならC品質で十分だと判断し、今日手に入れた皮を加工済みの革へ変えた。
MPは45から44へ。
次に、今日残したホーンラビットの角と手持ちの角を合わせ、すでに何度か売れているC品質の角製留め具を6個作る。
MPは44から38へ減った。
加工済みの革も、ただ貯めておくだけではない。
昨日構造を覚えた小銭入れとポーチなら、加工済み革からC品質をMP1で作れる。手持ちの加工革を使い、小銭入れを4個、ポーチも4個追加した。
MPは38から30へ。
さらに、素材なしでも作れ、売れなくても自分で使えるB品質の小型ナイフを2本追加する。
MPは30から26へ減った。
そこで一度手を止めた。
まだMPは残っているが、今日増やしたのは留め具、小銭入れ、ポーチ、ナイフと複数種類に分かれている。加工済み革も残してあり、牙や爪、未加工のフォレストボアの牙など、あとから用途を選べる素材も《アイテムボックス》の中にある。
これ以上使えないわけではない。
ただ、今夜同じ物をさらに増やす必要もなかった。
「……こんなところか」
MPを使い切ることが目的ではない。一晩眠れば戻る分を、意味もなく残すのが惜しいだけだ。
売れる実績がある物や、用途が広い物へ変えられるところまでは変える。それ以上は、明日また需要を見てから決めればいい。
コウイチは生成した品と残った素材を《アイテムボックス》へ収納した。
そして、今日一日の流れを改めて頭の中で組み直す。
朝は商業ギルドで需要を確認し、森ではその中から安全に狙える獲物を選ぶ。戻ったら素材のまま売る物と残す物を分け、解体後の素材から価値を上げられる物を《生成》する。売り先がまだ決まっていない物でも、需要がありそうな汎用品なら余ったMPで在庫へ変えておけばいい。
すぐに売れなくても構わない。《アイテムボックス》へ入れておけば腐るわけでもなく、置き場所にも困らない。
ただし、同じ商品ばかり増やしても街の需要そのものが増えるわけではない。
だから種類を増やす。
素材のまま持つ物、加工した状態で持つ物、完成品として持つ物。それぞれを使い分ければ、売り方の選択肢も増える。
一つ一つは、すでに始めていることだった。
それを最初から一つの流れとして回せば、どこまで利益を増やせるのか。
そこまで考えたところで、昼間見た犬獣人の姿が頭に浮かんだ。
半年売れ残っているなら、しばらく残っている可能性はある。ただし奴隷商人が言った通り、明日誰かに買われる可能性もあった。
その時は縁がなかった。
そう考えればいい。
それでも、もし金を用意して戻った時に彼女がいなかったら、自分はどう感じるのだろう。
コウイチはそこまで考えて眉を寄せた。
「……まだ買うって決めたわけでもないだろ」
誰に言うでもなく呟き、椅子の背へ身体を預ける。
頭に残っているのは、彼女の顔よりも、やはりあの表示だった。
【固有スキル】
《???》(未覚醒)
何の能力なのかは分からない。
役に立つ保証もない。
それでも、他の誰にも見えていないものを自分だけが見ているのなら、その正体を確かめたいという気持ちは消えなかった。
買うかどうかを決めるのは、その時でいい。
まずは、選べるだけの金を作る。
ミアを買うなら金貨3枚。その後まで考えるなら、最低でも金貨4枚。
今日の終了MPは26。
コウイチは明日になればまた回復するその力と、《アイテムボックス》に少しずつ増えていく商品を思い浮かべながら、どうすれば同じ一日からもっと利益を残せるのかを考え始めた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の感想や印象に残った場面など、ひと言でもいただけると今後の執筆の励みになります。




