冷
巨大な氷の塊の中に、ザビトの身体は浮かんでいた。
「うむ」
森の中へと移動したマオは満足げな顔で、ザビトの入った氷の結晶を湖の中心に浮かせると、全神経を集中した。
はっきり言って、再びザビトが起きる確率は五分五分だ。前回のように傷を受けた直後に時間停止をかけているわけではないため、より死に近くなっている。
(それでも、死さえも覆してくれんでしょ? ザビト)
マオは全身の魔力を手の先に込め、氷の塊へと魔力を注いでいった。
また再び会えるようにと、願いを込めて。
決して冥界になんか、渡しはしないと執着を込めて。
──ゴゴゴ。
巨大な魔力に反応して地鳴りが鳴り始め、鳥たちが一斉に飛び立っていく。
地上の動物たちは慌てた様子で巣に戻っていった。
普段のマオなら動物たちを気にかけ、慌てて魔法を止めていただろう。
しかし、今のマオには動物たちを気遣う余裕も、自分が魔王だとバレるリスクを考える余裕もなかった。
ただ、もう一度あのニヒルな嗤いを見たいのだ。
「──起きて、ザビト」
マオの声に反応するように、氷の塊が虹色に輝いた。
そして──
「──大層なお出迎えで、泣けてくるねぇ」
割れた氷の中から湖に落下したザビトは、急いで水面に浮かぶとマオをジト目で見た。
再開にサプライズはつきものだ。
マオは笑顔で湖に飛び込む。水しぶきが盛大にザビトにかかった。
「おかえり、ザビト!」
◆◆ ◆
──失敗した。
ユウマは口から血を垂れ流しながら、ステンドグラスを見上げた。
ここは街外れの教会跡だ。誰もやって来る人はいない。
ほこりのかぶった木製の長椅子に座りながら、ユウマは正面上部にあるステンドグラスに手を伸ばした。
光を透過して七色に光るそれは、今のユウマには眩しかった。
魔法陣を破壊された反動で、身体の至る所から血が噴き出ている。しかし気にならなかった。
ずっと、勇者に憧れていた。
光の当たる世界で、生きていたいと思っていた。
ユウマは異世界出身者ではない。オーテルの孤児だった。
周りに馴染めず、一人で遊んでいたユウマを拾ったのが、『主様』だった。
主様は色んな事を教えてくれた。この世界での生き方、地球という異世界の文化、魔法の使い方、勇者としての心構え。
ユウマは自分がニセ勇者に選ばれたことに誇りを持っていた。『主様』のためなら、勇者として世界さえ欺こうと思っていた。
そうして皆から勇者と崇められ、笑顔を向けられている内に忘れていたのかもしれない。
本当は自分は、賞賛を受けるような人間ではないということを。
“ニセモノ”の勇者である、ということを。
「がはっ」
口から血の塊が吐き出る。マオという少女から受けた傷は、思った以上に深かった。
治癒魔法さえかけて貰えれば、勇者の祝福で回復できるだろうが、今のユウマに回復魔法をかけようとする人間など残っていない。
いや、一人だけいるが、その人は今ユウマが一番会いたくて、一番会いたくない人であった。
目から雫が自然と流れた。それは血と交じり合い、赤い涙となっていった。
「惨めだね、ゆーま」
気が付くと隣に、人が座っていた。気配など全く感じられなかった。
しかし、ユウマは驚くことなく『主様』に返事をした。
手は震えない。顔は血だらけで涙も合わさりぐちゃぐちゃだったが、気にしなかった。
「主様……お願いがあります……」
「うん、何だいゆーま?」
全てを包み込むような、優しい声。
この声にどれほど救われたか。どれほど、力になりたかったか。
でも、自分では無理だった。
ユウマは目を閉じた。
「全てを、終わらせてください……」
空中のほこりが、ステンドグラス越しの光に反射してキラキラと光っていた。
主様はユウマの頭を撫でると、聖母を思わせるような顔をした。
「その願いは聞けないかな」
「……主様?」
「自分で犯した責任は、自分でとならきゃね」
瞬間、ユウマの背中に悪寒が走った。
自分は失敗してしまった。神の祝福まで授けてもらったのに、負けて生き延びてしまった。
せめて最後は主様の手で葬って欲しかった。終わらせて欲しかった。
でも、それさえも聞いてもらえない。
「主様……!」
「安心しなよ、そのケガだともって24時間くらいだろうから。ゆっくり世界とおさらばすればいいよ」
「お願いします、主様……! 貴方様の手で!」
「やだよ、なんで僕が直々に手を下さなくちゃいけないんだい? 自分の価値を高く見積もりすぎじゃないかな」
主様は退屈そうに立ち上がると、空間に転移魔法を出現させた。
本当にこれでお別れなのだ。罰されることもないまま、自分は死んでいくのだ。
「あ……あああ……!」
ユウマは主様に手を伸ばした。その手は主様に届くことなく、空中を掴んだ。
「そうそう、ゆーまに渡していた勇者の剣だけど、あれただの鉄くずだから」
「……え?」
何よりも誇りとして大事にしていた剣。それさえもニセモノだったのか。
教会が、ひんやりと冷たくなっていく。
主様は裾を翻すと、転移魔法の円に入っていった。
「それじゃあね。ばいばい、ゆーま」
「主様!」
外は雨が降り始めていた。主様のいなくなった空間を、ユウマはただただ手を伸ばしていた。
「……寒いよ、主様……」
それから一か月後、廃協会に雨宿りに来た冒険者が腐敗した死体となったユウマを見つけるのだが、それはまた先のお話。




