地球
青年は名前を『キョウスケ』と名乗った。
隣の町にある学院で、異世界学を学んでいる学生らしい。
カフェで向かいに座って話している間もおどおどとした態度は変わらず、目が合うことはなかった。
「いっぱしの学生がなんで伊達眼鏡なんてつけて、『黒龍の翼』の紋章が入った書類を持っているんだ?」
ザビトの疑問に、キョウスケは肩をビクつかせると慌てて返答した。
「あ、あの、えと。僕は異世界学を学んでいるんですけど」
「おう」
「そ、その中でも『地球』に興味がありまして……」
キョウスケは本を一冊開くと、ザビトの前に差し出した。
その本はザビトが貧民街に住んでいた際に、拾って読んでいた本の中に含まれていたものだった。
確か題名は『異世界転生における、神の加護について』だったはずだ。
それが裏社会を牛耳っている『黒龍の翼』と何の関係があるのか、ザビトは続きを促した。
キョウスケは本を大事そうに撫でながら話す。
「『黒龍の翼』は、異世界転生者がもつ能力を、人為的に作り出せないかと研究しているんです」
「……ほう?」
それは初耳だった。ザビトは目を見開いて、興味を示した。
ザビトの態度が少しだけ柔和になったので、キョウスケは息を一つ吐き出すと饒舌に話始めた。
「そのため、異世界の知識を集めているらしくて。僕の研究結果が欲しいらしくて……」
「脅されて、『黒龍の翼』で研究しているってわけか」
「そ、そういうことです……」
今にも泣きだしそうな顔で、キョウスケは頭を伏せた。
ガラスのコップに入っていた氷がカランッと音を立てて、少しだけ崩れていく。
コップに付いた水滴は、二人の姿を反射させながらゆっくりと滴り落ちていった。
「なるほどねぇ」
ザビトはコップの氷をクルクルと回すと、氷を一つまみし、口の中に放り込んだ。
ガリガリと音を立てて、氷をかみ砕いて行く。
「『黒龍の翼』が裏社会を牛耳ったのは、ここ10年の話だ。それまでは、裏社会は統率なんて取れたもんじゃない、群雄割拠の時代だった」
「……よくご存じですね」
「あぁ、少しだけ裏の社会にお世話になったからな」
思い出したくもない記憶に、ザビトは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
毎日が死と隣り合わせで、血反吐を吐きながらなんとか生きていた。
今自分が生きているのは、ほとんど悪運の強さのおかげのようなものだ。計算や策ではどうにもならない不測の事態など、山のようにあった。
元からあったあくどさが磨かれたのは、丁度その時期だ。
だからこそ、分かることがある。
「お前、いつまで演技続けてるんだ?」
「……え?」
ザビトの冷めた目線に、キョウスケは意味が分からないといったような顔をした。
しかしザビトには、それが全て『演技』であることが分かっていた。
「違和感その1。眼鏡に度が入ってねえ。お洒落に気を使ってるようでもないし、何か気弱に見せたい意図があったんだろ?」
「……」
「違和感その2。都合よく黒龍の翼の資料が、俺に見えるように落ちてきたのがあえて見せたようにしか見えねえ。重要な書類ほど、ちゃんと隠すものだよな?」
「……」
「そしてこれが決定的だった。違和感その3──」
ザビトは獲物を捕まえたような目で、ニヤリと笑った。
「お前、学生証持ってねえじゃん」
ザビトの片手には、キョウスケの懐から盗んだ財布があった。
キョウスケはすぐに自分の胸元を確認するが、そこに財布が無いことを認めると、力なく微笑んだ。
「いつの間に盗んだんですか……」
「さっきちょいとな、で、質問の答えは?」
「……今日家に学生証忘れちゃったんですよ、誤解させてしまったようで申し訳ありません」
「なら、学生番号教えてくれよ、今学院に連絡するから」
ザビトの容赦ない言葉に、キョウスケは困ったような顔をすると、
「……どうしても、言わないとダメですか?」
「俺に話を信じて欲しいならな」
「分かりました……では」
キョウスケは学籍番号を迷いなく告げた。
ガラス玉のようなキョウスケの目と、やっと絡み合う。
ここで拒否されるかどもると思っていたザビトは、不意を突かれる形になった。
表面上は余裕な笑みを浮かべつつ、頭を回転させる。
(本当に学生なのか? ならこの違和感の正体は何だ? 俺の考えすぎか?)
警戒心を持つのがあほらしくなるほど、向かいに座るキョウスケは無味無臭だ。しかし無味無臭すぎてくさいのだ。
偶然も重なれば策略である。あまり固執した考えに至るのは良くないが、喉の奥に魚の骨が引っ掛かったような違和感がずっと消えないのだ。
疑われていると悟ったキョウスケは、眉を寄せたまま、コップに口をつけ一口飲むと、ザビトに語り掛けた。
「……信じてくれませんか?」
「悪いな、疑うのは性みたいなものだ。気にしないでくれ」
ザビトは財布をキョウスケに返すと、掌をひらひらと振った。
コップの氷は、すべて解けて水になっていた。水面に反射するように、赤色の花が映っていた。
「お前は『黒龍の翼』を抜けたいのか?」
「はい、今すぐにでも……でも抜けたらどうなるか……」
「俺の知り合いを紹介してもいいぞ。ただし、異世界の研究をやめるのが条件だ」
ザビトの提案に、キョウスケは瞳を揺らした。
そして机の上に置いてあった本を抱きしめると、泣きそうな声で、でもはっきりとザビトに自分の気持ちを言った。
「それは……出来ません」
「何でだ?」
「……異世界の文献が読めなくなるくらいなら、僕は生きている意味がありません」
「死ぬよりましだろ」
「そんなことありません!」
キョウスケはガバッと顔を上げると、ザビトに鋭い目線を向けた。
気弱な様子はどこへやら、その目は炎が宿っていた。
「地球の日本という場所では、『科学』というものが魔法の代わりに発展しています。『電気』『ガス』『水道』が生活の源になっており、魔法が無いのに過疎地域まで生活出来るようになっているんです! 魔法が無いんですよ!? 信じられますか!?」
キョウスケの突然の熱弁に、ザビトは目を瞬かせた。
よほど地球が好きらしい。キョウスケの熱弁は止まらない。
「それに、都心部にいけば『ビル』が発展しており、『コンクリート』というものの建物がひしめき合っているんです。その高さは何十階にもおよび、人々は『エレベーター』という鉄の箱で上下の階を行き来するんです。浮遊魔法を使う必要がないんですよ、どういう原理なのでしょうか!?」
「……」
「『バス』『電車』『車』といった移動手段も最高の発明ですが、なんといってもそれが日常に溶け込んでいるのがすごい。誰も『車』が『走っている』風景を疑問に思わないんですよ。それだけではありません。医療も発展しており、出産の死亡率は3万分の1というじゃありませんか! これは奇跡的な数字と言っても──」
「……ホントに地球が好きなんだな」
ザビトの独り言に、キョウスケは目を太陽のようにキラキラさせながら答えた。
「はい! 大好きです!」
何処からどう見ても、気弱な研究気質の好青年だ。ザビトは自分の感覚が鈍っているのかと、心の中で首を傾げた。
それからもキョウスケは地球の話を嬉しそうに話しており、ザビトは聞き役に回った。本を大量に読んでいるザビトでも初めて聞く情報があり、興味深かったのもある。
気が付けば外は日が沈み、暗くなっていた。
「なるほどな、『地球』では『インターネット』という通信の仕組みがあるんだな。スマホとは別に、『パソコン』や『タブレット』なんかでも使うことが出来るのか。しかも『テレビ』で情報を随時流している、と」
「はい、使うためにはインターネットを契約しないといけないみたいですけど」
「ふーん。召喚獣契約みたいなものか?」
キョウスケの話は夢物語みたいなものばかりで、そんな世界が本当にあるのかとザビトは知識の一つとして仕入れるようにした。
魔法が無い世界など、信じられない。基礎魔法さえ使えないザビトだが、使っている道具は全て魔道具だ。魔法を練り込められた道具を愛用している。
それが異世界では『電気』が重要な位置を占めているらしい。しかも水や風を動かす運動力で電気を作るだけでなく、『原子』というものでも作られているらしい。
本当に、知らない事ばかりだ。ザビトはお代わりしたお茶を飲み干した。そしてチラリと外を見る。
街の提灯に火がつけられており、すっかり昼間の風景とは変わっていた。
キョウスケも外を見て、慌てた様子で立ち上がった。
「もうこんな時間だったんですか!? け、研究室にいかないと!」
バッグに本を詰めるキョウスケに、ザビトは声を掛ける。
「面白い話ありがとよ。もし困ったことがあれば『貧民街のアニキ』と呼ばれてる奴に会いに行けばいい。俺の紹介だと言えば、助けてくれるはずだ」
「あ、ありがとうございます!」
何回も頭を下げるキョウスケに、ザビトは軽く手を振って答えた。
店の扉を出たところまで移動すると、キョウスケが振り返った。
「では、ありがとうございました!」
「おう、また話聞かせてくれよ」
ザビトの言葉にキョウスケはニッコリ笑うと、答えた。
やけに肌に突き刺ささる冷たい風が、二人の間をすり抜けていく。
「また会えますよ。近いうちにきっと、ね」
太陽みたいだったキョウスケの目が、夜に溶け込むように昏くなった。
ザビトはそれに気づかない。欠伸をかみ殺していた。
そのままキョウスケはザビトに手を振ると、夜の人ごみの中へと消えていった。




