3-5 身近な敵
最初に感じたのは、額に乗せられた冷たい布の感触だった。
重たいまぶたをゆっくりと開くと、見慣れた馬車の天井がぼんやりと視界に映る。
「あれ……?」
体を起こそうとした瞬間、全身が鉛のように重く、思わず小さくうめき声が漏れた。
「気が付いたか」
聞き慣れた低い声に、セラフィナはゆっくりと目を開けた。
「……ヴァルト?」
どうして馬車にいるんだろう。
最後の記憶をたどると、泉のほとりで休憩して──そこでぷつりと途切れている。
「お前、泉で倒れていたぞ。高熱だ、無茶をしすぎたな」
「熱……」
そう言われると身体が重いし、熱い気がする。
「エルフに診てもらったが、ただの風邪らしい。薬を貰ってきたから、夕飯を食べたら飲め」
「わかった、ありがとう」
今まで色々あった。少し無茶をしすぎたのかもしれない。風邪という身近な敵を今の今まで忘れていた。
「……それで、その夕飯なんだが」
ヴァルトが珍しく歯切れの悪い声を出し、視線を泳がせた。
セラフィナが不思議そうに首を傾げると、何やら独特な香りのする湯気の立つ器を差し出した。
中には、どろりとした紫色のスープ。上には見たこともないトゲトゲした葉っぱが乗っている。
「エルフが作ったものだ。『人間の口に合うかは知らんが、風邪にはこれだ』と言っていた」
「これは……お粥、なの……?」
覗き込むセラフィナの顔が、少し引きつる。いくら身体に良いとはいえ、魔女の怪しい薬品にしか見えない。
「安心しろ、毒見はした。味は……」
ヴァルトは言葉を切り、苦虫を噛み潰したような顔をしている。セラフィナは意を決し、匙を口へと運んだ。
「食べられそうか」
ヴァルトは心配そうに見つめている。
「干し草の味がする……」
そう答えるセラフィナを見て、うんうんとヴァルトは頷くとこう言った。
「……馬の気持ちがわかった気がした」
「んふっ……」
ヴァルトは至って大真面目に答えているのだが、これがまたツボに入る。
「ふふっ……ごほっごほ……」
「おい、大丈夫か」
慌ててヴァルトが背中をさする。
「ちょっと、気管に葉っぱが……笑わせるから……」
「笑わせたつもりはないが」
「そうよね、知ってる」
ふふっと笑い合い、んえーと言いながら完食したセラフィナは早々に寝ることにした。
「これでばっちり、明日には元気になるはず!」
「おい、あまり大きな声を出すな。……頼むぞ、明日には出発したい」
ヴァルトはセラフィナに二枚目の毛布をかけながら囁いた。
「ちょっと、毛布をあたしに渡したら今度はあんたが風邪引くわよ」
「それは困るな」
ヴァルトは肩をすくめ、毛布を半分だけ自分に掛け直した。
「いつも通り寝るとするか」
「そうね、いつも通りが一番よ」
馬車の荷台に二人は横になり、他愛も無い話をしていた。いつのまにやら荷台には静寂がやってきた。
そして、夜が明けた。
「おはよう!!」
「朝からうるさいな……おはよう。調子はどうだ」
「あれ凄いのね、あのお粥。もうすっかり元気よ」
ふんっ、と荷台の中で力こぶを作ってみせるセラフィナ。それを見て、安堵からため息をつくヴァルト。
「粥を作ってくれたエルフに挨拶してから出発するか」
「ええ、そうね」
軽く身だしなみを整え、集落に入る。
探していたエルフは向こうから来てくれた。
「あっ、あなた!風邪引いたって聞いたけど、もう大丈夫なのかしら?」
さすがはエルフ。心配していても少し偉そうな声音だ。
「ええ、もう大丈夫よ。あのお粥のおかげでね!」
「美味しかったでしょう?自信作だったんだからきっと美味しかったに違いないわ」
「……ええ、とっても個性的なお味だったわ!」
言えるわけがない。干し草の味がしたなんて。
エルフの女性は満足そうに胸を張っている。
「今回は助けられたわ。ありがとう」
セラフィナが深く頭を下げると、エルフは照れ隠しをするようにそっぽを向いた。
「患者を放っておくほど薄情じゃないわ」
「ふふ、また今度近くに来たら寄らせてもらうわね」
「あらそう、次はもっと美味しいのを用意するわ」
「そ、それは楽しみにしてるわね」
少しだけ引きつった笑顔で答えるセラフィナを見て、ヴァルトは肩を震わせた。
「笑ったわね」
「いや」
短いやり取りを交わし、二人は集落の出口へ向かう。
エルフは相変わらず気ままに歩き去っていく。セラフィナは苦笑しながら手を振り、馬車へ戻った。
「さぁ、やっと王都に帰れるわよ〜」
馬車がゆっくりと動き始める。
森の中を吹き抜ける風が木々を揺らし、エルフたちの姿は少しずつ緑に溶けていった。
「王都に戻ったら、パンケーキ……」
セラフィナがうっとりと惚けている。
「その前にミリエルに会って呪いの話をするぞ」
「えーー!まあ、そっちが先か……」
馬車は王都に向けて、街道を走り出した。




