8.転生者は見た
アサヒが編入してきて数日。あれから寮の同室者としてアサヒとは関わっているけれど、彼女、この学院でやっていけるのか本当に心配になってきた。
というのも、貴族以外の出の者もいるけど、基本的にここは王国中の貴族の令嬢令息が集う学院だ。上流階級の人間たちは振る舞いや体裁をとても気にする。そんな中で、男爵家のアサヒの言葉使いや態度が明らかに平民のそれでは、周囲の人たちから悪い目で見られても仕方ない。それに今彼女が在籍しているのはSクラス。つまり私やアルバート、エレーナたちと同じクラスなのだが、そこでなにかやらかしてしまってはもう退学ものだ。彼女がSクラスになった理由はゲーム補正によるものかもしれないけど、これではあまりにひどいと思う。
そこで私はささやかながら彼女に学院での注意やマナーを教えることにした。このままでは同室者が何も言わないのかと、こちらが反感を買ってしまう。どうせゲーム補正をするなら素養や家柄についてもチート設定をつけてくれても良かったんじゃないかと、心の中でゲーム制作者に愚痴を言うくらい構わないわよね。
幸いにもアサヒは素直な子ではある。天真爛漫というか、幼稚さが目立ってしまうがそれは彼女の良いところだと思っておこう。クレアとはまた違った可愛さを持っているが、どうやらクレアの方が聡いようだ。
「重心は左足よ、いい?じゃあ、今言ったとおりにやってみて?」
学院の講義がない休みの日が来るたびに、午前中はマナーを教えることに決めた。今日は基本中の基本として、挨拶の姿勢について最低限のレベルを教えている。正直馬に乗ったり牛を追いかけていた私が淑女のマナーだなんて言っていると抱腹ものだけど、それはまあ、棚に上げておいて。
「こ、こう?」
アサヒはスカートの裾を両手で持ち上げて、ぎこちなく姿勢を低くしてお辞儀をした。形は合っている。慣れていないだけなので、とりあえず覚えてもらって後は自分で実践していってもらうしかない。あんまりとやかく言うのも彼女に合わなさそうだし。
礼儀が全くなっていなかったわけではないので、お礼を言うときなんかは頭を下げたり腰を折ったりしていた。けれど、それでは貴族の淑女とはお世辞にも言えない。まだ学ぼうという姿勢があるだけいいでしょう。他にもカトラリーの使い方や言葉使いとか、表向きを整えるだけでもまだまだある。これは、学院側に彼女専用の講義でも用意してもらったほうがいいのではないか。
本当にこの世界はゲームの世界観ではあるけれど、どうやら人物は同じではないようだと、アサヒを見ていたら思わされる。
ところで、ゲームで彼女はどうやって攻略対象たちと出会っていたっけ。なんだか肝心なところが思い出せない。最も、ヒロインでも悪役令嬢でもない私からすれば関係ないのだけど、どうせなら見てみたいじゃない?気分はそうね、プレイしていたゲームがアニメ化したり舞台化したりするワクワク感、といったところかしら。・・・アニメって単語、懐かしいわね。
そもそも攻略対象って、誰だっけ。
ひとりは言わずもがな、あのアルバートでしょう。そして寮長であり同級生のドエトル、同じく同級生のブラッド。あとは、うーん、他学年の生徒だったかしら。
恐らくドエトルとは、編入してきたときの出会いがはじまりのイベントだと思うの。あんなにはっきり仲良くなられちゃ、そうだとしか思えないわよね。あれ、だとしたらクラスでアルバートとブラッドには会っているはず。なのに彼女の口から未だドエトルの名前しか出てこないのはなぜ?ひょっとしてイベント見逃している?
でもよくよく考えてみれば、確かアルバートはエレーナと婚約関係にあったはず。そこにアサヒが首を突っ込めば、どちらかが斬られることになるのは必至。少し穏やかではないわね。
どうしたものかと考えているとアサヒの特別教室が終わる時間になり、お昼の鐘がカランカランと華麗に鳴り響いた。ここの寮は朝の8時、昼の12時、夜は6時になると鐘が鳴る。エルラントでは鶏を飼っている家もあって、彼らの鳴き声が朝を知らせてくれる鐘だった。最も、夜明けと共に鳴くのでここのものと比べると随分早い鐘だ。
「今日はこれでおしまいね。ちゃんと覚えたかしら?」
「うん!フィオナありがとう!」
そう言ってアサヒは今日教えたばかりのお辞儀を披露してくれた。うんうん、この分なら形だけはなんとかなりそう。だが言葉使いが伴っていないのでなんだかちぐはぐな印象を受ける。
今日はこの後クレアに呼ばれていることを思い出した。一緒にお昼ご飯を食べようと誘われているのである。
アサヒは鏡でさっと身なりを整え直すと、どこかに行くようで鞄を下げて扉へ向かっている。
「どこかに行くの?」
私の言葉にくるりと振り返ると、アサヒは屈託のない笑顔で嬉しそうに言った。
「ドエトルさんに呼ばれてるの!お昼一緒にしましょうって」
早いわね、ドエトル。ゲームのキャラクターより3割増しくらいで女たらしになっているんじゃないかしら、あの人。
いってらっしゃいとアサヒを見送って、私はうん?と頭を捻る。
そういえば、確かすごくはじめの方で、ドエトルに何事か誘われるイベントがあったわよね。そこでまた誰かと出会っていなかったっけ・・・?もしかしてそれが今回のアルバートとの出会いイベントだったりする?
「少し、追いかけてみましょうか」
クレアとの約束には遅れないようにしないといけないけど、見てみたいものはある。とりあえずクレアのもとにすぐに行けるよう、私も鞄を持って寮の部屋を出た。
えーと、たぶんドエトルとのイベントは中庭だったはず。というか、だいたいのイベントが中庭なのよね、あのゲーム。今になればもうちょっと凝ったストーリーに出来なかったのかと思う。剣はあって騎士団もいるけど魔法は存在しないし、ヒロインのアサヒは特別な能力があったわけでもない。いえ、人を虜にする摩訶不思議な能力はあったわ。
廊下を進んで階段を下りていく。相変わらず豪勢な仕様だと、ぴかぴかに磨かれた手すりを見て思った。
最後の段を下りたとき、話し声が聞こえてきた。どちらもよく聞く声で、片方は少し焦ったような声音だ。
「本当にごめんなさい、私、前を見てなくて・・・っ」
声は曲がり角の少し向こうから聞こえてきた。そっと私が覗くと、ひとりの女の子が地面に座り込んでいる。そしてもうひとり向こうに見えるのは、ブラッドだった。よく見れば座り込んでいるのはアサヒだ。
まさかと思うけど、これがブラッドとの出会いイベント・・・?
どうやら曲がり角で急いでいたアサヒと歩いていたブラッドがぶつかったようで、周囲にはアサヒの鞄とブラッドが持っていたであろう本や紙が散乱していた。アサヒは申し訳なさそうに謝っていて、ブラッドは相変わらず無表情でなにやらなだめているよう。彼らの出会いがこんなにベタなものだなんて思いもしなかった。
「もういいから、ほら立って」
そう言ってブラッドはアサヒの鞄を拾い上げ、彼女に手を差し出している。彼もやればできるじゃない。いつも辺りにそっけなさを振りまいているけれど、ちゃんとしているのね。さすがは伯爵家令息といったところか。
「あ、ありがとうございます」
アサヒはブラッドの手を取って立ち上がった。彼女は向こうを向いているせいで表情はわからないが、おそらくしょんぼりとした顔をしているに違いない。同室者なので短期間でも彼女の人となりは理解できている。
アサヒに鞄を渡すと、ブラッドは自分の荷物を拾い上げる。そして、なんでもないような顔で、気を付けなよと言った。
「ほら、急いでるんでしょ、早く行けば?」
「・・・優しいんだね、ブラッドさん」
「は?」
突然のアサヒの言葉に動揺しているブラッド。それもそうだ、彼にとっては脈絡なく唐突に放たれる言葉は理解しがたい。私も正直、そこでその台詞が出てくる彼女の思考回路が分からない。
「ううん、なんでもない。ありがとう!」
きっと今アサヒは満面の笑顔を向けていることだろう。ブラッドは瞬きもせずそれをじっと見つめている。そしてアサヒはそのまま固まっているブラッドの横をすり抜けて寮の入り口へと駆けていった。・・・次は走っては駄目ってことを教えなくちゃいけないわね。
ふふ、面白いものが見られたわ。あんなにびっくりしているブラッドは初めて見た。そういえば彼は周囲から冷たい人だとよく誤解されている。確かにぶっきらぼうなところがあるけど、実際には見た目よりずっと優しく思いやりがあるのだから、もっと他の人たちにも優しくすれば良いのに。もったいないわよと私が言うと、いつも彼は必要ないと言っていた。腑に落ちないわ。
これからどうなるのだろうと今後の展開に期待した私は、クレアとの約束を思い出す。いけない、もう行かなくては。寮の食堂に向かって足を踏み出したとき、後ろから声を掛けられた。
「フィオナ?」
誰だろうと思ったけれど、当然ブラッドだった。つい存在を忘れてしまって私ははっとした。振り返れば絶妙な顔をした彼がそこにいる。私はつい今し方来ましたと言わんばかりに笑顔を作って誤魔化した。鋭い彼のことだ、無駄かもしれないが。
「あらブラッド、奇遇ね」
「・・・角の向こうから誰かが見ていれば、君は気にする?それともしない?」
「ごめんなさい」
ブラッドが少し怒ったような声色でそう言ってのけたので、私は素直に謝ることにする。そうよね、覗き見なんて悪いことよね、やっぱり。
私の様子を見てか、ブラッドははぁーとため息をついた。
「いや、そうじゃなくて。どうしてそのあと声をかけてくれないの」
ん?ひょっとして彼は怒っているのではなくて拗ねているのかしら。幼い頃、よくエディがこんな雰囲気を出していたような。
「ごめんなさいね、クレアと食堂で約束していて」
というか、今すでに遅れているのかもしれない。一抹の不安が私の頭をよぎる。
「あぁ・・・」
私が事情を軽く話すと、ブラッドは、今度は少し呆れたような目で見てきた。最近、時々ブラッドは私とクレアに対してこんな目を向けることが増えてきた。なにか変なとこでもあるのだろうか。
「僕も行く」
ブラッドは短くそう告げると、私の返答も待たずに足早に食堂へと歩いていく。はっと気づいて彼を追いかけたときにはもう数メートルの差ができていた。早い。
約束の時間には案の定少し遅れていて、食堂に着いた途端クレアが抱き着いてきた。淑女がそんなことするものじゃないわよと思いつつ、心配してたんだよと声をかけられてしまっては許すほかない。
そのあとはクレアたちとお昼を共にし、午後のひとときを過ごした。