第1話 天狗の娘がやってきた
魔道師──という人種がいる。
天上道、修羅道、人間道、畜生道、餓鬼道、地獄道──以て六道。
その六道を乗り越えて、我が道だけを突き進もうとする道。
──それが魔道。
しかし、字面の意味合いだけで魔法使いのようなファンタジーな人々のことを指すと思われがちだ。
実際、魔法使いも裸足で逃げ出す輩が掃いて捨てるほどいた。
無数の刀剣を自在に操り、魔剣と畏怖される剣術を会得した魔道師がいる。
様々な乗り物と変形合体して巨大ロボットになる魔道師がいる。
森羅万象の隅々に至るまでの情報を読み、説き、識り、その情報を編纂し続けるアカシックレコードの如き魔道師がいる。
そして、自分の性別をファッション感覚で変え、あらゆる生命力を自由に操れる魔道師がいる。
それは他ならぬ自分──源信一郎だった。
「……そんなことができる魔道師でも、掃除は自分でやるしかないんだよね」
信一郎はいらない雑貨を段ボール箱に詰めながらぼやいた。
生命を司る魔道師『木魂』──それが信一郎の魔道師としての顔だった。
外見的には黒髪ロングが似合う女らしすぎる草食系男子だが、内側にはそうした常識を超越した能力を潜めているのだ。
信一郎自身、自分を疑いたくなることもしばしばあった。
しかし、そんなデタラメな能力も掃除には役立てられない。
地道に部屋を片付けるしかなかった。
「先生なら箒に命を吹き込んで掃除をやらせたりできるじゃありやせんか?」
僧衣にたすき掛けで掃除機をかける幽谷響が尋ねてきた。
音界を統べる魔道師『幽谷響』──名前もズバリ、幽谷響という男だ。
おそらく偽名だろう。本名は誰も知らない。
いつの頃からか信一郎の家に住み着いた流浪の魔道師だ。
今ではすっかり居候気取りで、厚かましいことこの上ない。だが、ちゃんと家賃を払っているので追い出すこともできなかった。
満タンにした段ボール箱を廊下に押しやりながら信一郎は答えた。
「そんな真似できないよ。その箒が竹箒なら竹に残っている生命力を引き出して、辺り一面を竹林に変えるくらいはできるけど、その箒を新しい生き物になんてできやしない。それこそ本当に魔法じゃないか」
生命を操る『木魂』の能力にも、自ずと限界はあるのだ。
「とある世界的ネズミの有名な映画みたいには行きやせんか?」
「……素直にディズニーの『魔法使いの弟子』って言えよ。遠回しだな」
あの魔法みたいな能力を極めている魔道師もいることはいるだろう。
だが、信一郎はついぞお目に掛かったことがない。
「ところで先生、季節外れな大掃除を始められたのは何故でやすかい?」
「あれ、言わなかったっけ? この春から居候が増えるんだよ」
信一郎の家は広い──屋敷と言っても過言ではない。
帰る家がいくつもあった、と陰口を叩かれるほど女性を囲っていたとされる信一郎の祖父。顔もよく覚えてないが、お大尽だったらしい。
その祖父が亡くり、遺産の分配で信一郎は屋敷のひとつを与えられた。
一人暮らしの学者見習いには分相応だが、故あって大学生の頃からこの屋敷で暮らしている。しかし、信一郎が使うのは自分の寝室と大学で使う書籍を収める書斎の二つぐらい。だから部屋は余りに余っている。
そこを幽谷響や様々な魔道師が宿代わりに使っているのだ。
この余っている部屋を貸し出す話がまとまっていた。
「拙僧のような輩が住み着くんでやすかい?」
「そんな住所不定なのは君だけで十分だ……そうじゃなくて、みんなのお嬢さんを何人か預かることになったんだよ」
魔道師だって人間──親兄弟もいれば妻子もいる。
知り合いの魔道師には、家庭を持っている者も少なくない。
そうした子持ちの魔道師たちが、娘を預けたいと頼み込んできたのだ。
信一郎の一人暮らし。それも幽谷響を筆頭に得体の知れない魔道師がよく訪れる環境に、大事な娘を預けるというのは親として心配じゃないのだろうか?
そんな常識的観点から問い質してみた。
それに対する彼らの答えは以下の通りである。
『ウチのマイルは身持ちが堅ぇから大丈夫さ。下手に言い寄ったら膾切りにされるからな。どっちかっていうと、そっちの後始末のが面倒だぜ』
『貞操観念? ウチの茜にもそれぐらいあるでしょう。手を出したら火傷じゃすみませんからね。まあ、これで世間勉強をしてくれればいいのですが……』
『むしろウチのアリスが先生のお宅を壊さないことを祈ってるんですが』
違う──そういう心配じゃない。
男である信一郎に女の子を預けるのはどうか? と訊いたのだ。
『先生、年下には興味ねぇだろ。それに半分女みてえなもんじゃねえか』
『え? 先生は女性では……あ、本当は男性でしたか、これは失礼』
『正常に機能する卵巣と子宮を持っている以上、先生は女性ですよ。むしろ女性の肉体におまけとして男性機能がくっついてるようなものです。もうそろそろ自分は男だと言い張るのを諦めるべきでは?』
全員──信一郎を男と見なしていなかった。
「どうかしやしたか先生? いきなりすごい勢いで落ち込んでやせんか?」
「なんでもない……ちょっと嫌なことを思い出しただけだから……」
気を取り直して、彼女たちを預かることになった経緯を説明する。
「なんでも高校進学を気に上京する子が多くてね。ここから通うのが理想的らしいんだよ。そんなこんなで引き受けてたら三人も預かることになっちゃってさ。だから倉庫代わりにしてた部屋の大掃除だよ」
「そういうことでございやしたか。して、どちらのお嬢さんを預かるんで?」
信一郎の答えよりも早く、玄関からよく通った声が聞こえてきた。
「御免──源信一郎先生は御在宅であらせられるか?」
時代がかった口調だが、その声は若々しい少女のものだった。
「……どうやら到着したみたいだね」
「だから、どこのお嬢さんでございやすか? こんなお堅い喋り方をするお嬢さんってのは?」
その問いを聞き流して信一郎は玄関へと向かう。幽谷響もついてくる。
玄関で待っていたのは──金髪碧眼の美少女だった。
信一郎たちを見つめる凜とした碧い瞳、可憐な面立ちは日本人離れしていると言うより人間離れした神々しい美しさ。腰までたなびく長い金髪は朝日で染め上げたように輝いている。
長身というわけではないが小顔でスタイルが良いから頭身があり、幼さを残しながらも大人びた雰囲気を醸し出していた。
何より気圧されるのは自信に満ちた佇まい──威風堂々としている。
ドレスのように高級そうな衣服を普段着のように着こなすが、それが彼女には似合っていた。
「えっと……どちらさま、かな?」
彼女の顔を見た瞬間、信一郎は戸惑ってしまった。
てっきりあの人の娘さんがやってきたと思っていた。
なのに、現れたのは外国人の美少女。
初対面のはずなのに、少女は信一郎を知っているような顔をしている。
少女は楚々とした仕草でお辞儀をし、礼儀正しく名乗った。
「貴方が源信一郎先生ですね、お初にお目に掛かります。私は『白山神通坊』の白山通と『龍の魔女』ギガトリアームズ・T・アルデュナが一子、シラヤマ・ギガトリアームズ・T・ティアーナ・マイルと申します」
以後、よろしくお願い申し上げます、と堅い口調とは裏腹に少女らしい笑顔を浮かべた。
「き、君が通さんの娘さんの参ちゃん?」
まだ困惑気味の信一郎をマイルは上目遣いに窺っている。
「はい、その通りですが……もしや父上は私のことを『白山参』としか伝えておりませんでしたか? それでは当惑されるのも無理ありません。私は御覧の通り、母上譲りの外見ですので……」
彼女はすまなそうに自分の金色の髪を撫でた。
確かに母親譲りなのだろう。
白山には悪いが父親の遺伝子がかけらも見当たらない。
白山が妻帯者で高校生になる娘がいると聞いた時も驚いたが、その奥さんが外国人で、娘がお姫様みたいな金髪の美少女だなんて知らされてなかった。
もっと詳細を聞いておくべきだったと後悔したが、白山は大雑把だから何を聞いても無駄だったろう。
「これはまた……お久しゅうございやす、姫さん。大きくなられやしたな。それに大層お美しくなられた……正直、見違えやしたぜ」
「ん? おお、幽谷響ではないか。久し振りだな。そなたも息災で何よりだ」
おかげさまで、と幽谷響は丁重に頭を下げた。
「そういえば姫さんも今年で十六、高校生になる時分でやしたか」
「うむ、まだまだ父上や母上の庇護に頼らねばならぬ身だが、こうして独り立ちの第一歩とも言える機会を与えていただいた私は果報者だ。これを機により一層精進せねばと身が引き締まる思いだぞ」
なんて殊勝な性格だ。とても白山の娘とは思えない。
多分、母親であるアルデュナさんの教育が行き届いているのだろう。
口調、態度、あらゆる面で品位を感じさせた。
それでいて高潔な振る舞いが凛々しい。
「立ち話もなんだから上がってよ。お部屋の準備もできてるしね」
「ありがとうございます。それでは早速、荷物を運び入れさせていただきます」
マイルはポンポンと柔らかく手を打った。
「──皆の者、頼む」
玄関が開くと黒服にサングラスの屈強な男たちがなだれ込んできた。
手に大小の荷物を抱えたものから、クローゼットや机やベッドを数人かがりで運び込む者までいる。
彼らはマイルのために用意した空き部屋を、たった数分で彼女の暮らせる部屋にしてしまった。
「お嬢、全ての荷解き完了致しました」
部屋が片付いた後、屋敷の庭に集まった黒服の男たちはマイルへと跪いた。
呆気にとられている信一郎に、幽谷響がそっと耳打ちする。
「……ありゃあ全員『白山神通坊』傘下の魔道師ですぜ。つまり白山の旦那の弟子にして子分でさ」
マイルは臣下に告げる姫君のように黒服たちへと言い付けた。
「皆の者、ご苦労であった。これより私は三年間、こちらの源信一郎先生の許で暮らし、東王大学付属高等学校にて勉学に励む。その間、白山の地の守護及び統治、並びに父上や母上のことをよろしく頼むぞ」
「お嬢! どうぞご心配なく……安心して勉学に励んでくだせえ!」
「白山の土地と旦那様や奥方様はアッシらが命に代えてもお守りいたしやす!」
「我等一同、お嬢のご帰還を心よりお待ちしておりやすぜ!」
お嬢、お嬢、お嬢、と繰り返される熱狂的なお嬢コール。
涙声や嗚咽まで混じっている。
「これ、大の男が涙を流すでない。春と夏と冬の休みには必ず帰るゆえ……」
マイルは困ったように微笑みながら縋ってくる黒服たちを宥めた。
その黒服の中から、リーダー格らしい男がそっと信一郎に忍び寄る。
「源先生、お嬢様のことをよろしくお願いいたします。これは通様とアルデュナ様から……心付けとのことです」
やたらと大きなスーツケースを渡された。
付け届けだ──中身について聞くのは不粋だろう。
黒服たちを帰らせた後、応接間で一服する信一郎たち。
「それにしても早かったね。まだ卒業式が終わって間もないんじゃない?」
「はい、先日、白山の地にある中学校にて無事卒業式を終えました」
マイルは丁寧な所作でお茶を一口啜った。
「早めに信一郎先生の許を訪れた理由は、こちらの生活に慣れておきたかったためです。それと……」
マイルは言いにくそうに信一郎を見つめていた。
チラチラと横目で幽谷響も見ている。
まるで信一郎と幽谷響に用があった、と言わんばかりの仕草だ。
すると幽谷響が唐突に違う話を切り出してきた。
「ところで姫さん、白山の旦那……いえ、お父上がどちらにいらっしゃるか御存知ありやせんか?」
「うぬ、父上の居所だと?」
突拍子もない質問でもないが、マイルは少し慌てたように応じた。
「へい、急だったもんで取り次ぐ暇もなかったんでやすが、ちょいと野暮用を頼みたいんでさ。しかし、どうしても連絡が取れやせん。姫さんなら御存知かと思ったんでやすが……お父上は今どちらに?」
「連絡が取れぬのか、致し方あるまい。父上は母上と共に旅行中だ」
久し振りの夫婦水入らずを邪魔されたくないとかで、あらゆる連絡手段を絶っているらしい。マイルや黒服たちも連絡を取りにくいそうだ。
「私に手が掛からなくなったゆえ、母上が『新婚気分を取り戻したい』と申しておったのでな。その母上に首根っこを掴まれて連れて行かれたぞ。おそらく三ヶ月は日本に戻らぬであろう」
「……相変わらずの恐妻っぷりでございやすねえ」
幽谷響が呆れるのを余所に、マイルは思いつく二人の行き先を並べる。
「おそらく二人でアマゾン奥地の泥龍を狩っているか、ギアナ高地で岩龍を討っているか、カイラス山で仙龍を仕留めているか……いずれにせよ、夫婦水入らずでドラゴン狩りを楽しんでいることだろう」
仲睦まじい2人を想像しているのか、マイルは穏やかに微笑んでいる。
一方、信一郎は聞き慣れないファンタジーな単語に首を傾げた。
「……ねえ幽谷響、ドラゴン狩りって何?」
「さて、拙僧の理解も及びやせん……詮索しない方が身のためかと」
白山夫婦には謎が多いらしい。
「それはさておき、困りやしたね。今度の仕事は白山の旦那が適任と思っていたので、お力を拝借したかったんでやすよ。その旦那に頼めないとなると大急ぎで代役を探すしか……」
「──ならば私が引き受けよう」
幽谷響の悩みを一蹴するようにマイルが断言した。
「え? 姫さんが……いや、しかし、それはいくら何でも……」
これには幽谷響も難色を示した。
いくら後継者と目されている魔道師の娘だとしても、マイルはまだ未成年。
それもつい先日まで中学生だった女の子なのだ。
まだ幼い彼女に任せるのは躊躇われるらしい。
まして幽谷響が頼ろうとしたのは彼女の父親である白山通。
力業で一軍すら屠る実力者だ。
しかし、幽谷響の心配など何処吹く風でマイルは続けた。
「父上を頼みにするとは即ち『白山神通坊』の力を頼るということ。ならば、その仕事は私が承ろう。有事の際には『白山神通坊』の名代を務めよと父上から命じられておるからな。案ずるでない」
それにだな、とマイルはお茶を一口啜った。
「今後そなたから『白山神通坊』に依頼する事案は全て私に委ねる──と、父上から言付かっておる」
「なんと……本当でございやすか?」
「嘘偽りを申さぬ。それが私の矜持のひとつだ」
それでも疑っている幽谷響に、マイルは駄目押しするように重ねた。
「これは父上から私への課題でもあるのだ。『幽谷響からの仕事を引き受け、魔道師の世渡りがどんなものかを学んでこい』、父上はそう仰っておられた……信一郎先生の許に預けられた理由のひとつもそれだ」
幽谷響がここを拠点にしているのを知っているからだ。
「魔道師とは何か、外道とはどういものかを見極めてこいとも仰っていた」
「……なるほど、魔道師としての社会勉強ってことでございやすかね」
承知いたしやした、と諦めるように幽谷響は了承した。
「それじゃあ着いて早々で悪いんでやすが、明日から御同行を願えやすか?」
「おいおい、随分と急だな。マイルちゃんは今日到着したばかりなんだぞ?」
「だから言ったじゃありやせんか、急な話だと」
マイルを慮る信一郎に対して、幽谷響はしれっとした態度で答えてきた。
そして、肝心のマイルはと言えば、お茶を飲み終えて満面の笑顔。
「うむ、遠征か、私は構わぬぞ。楽しみだな」
──やる気満々だったりする。




