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越前を根切りする

 八月、信長は旗下の将兵を率いて越前へと兵を進めた。陸路と海路から攻め寄せ、越前衆を蹴散らせ破竹の勢いで進んで行った。これにより一揆勢は壊乱し、国中に散り散りに逃げ出した。これに対して信長は追撃の手を緩めず山中に押し入ってでも捕らえ切り捨てるように命じた。


 一万二千程の人々が捕らえられ処刑され、国外に連れ拐われた者を含めるとその数は三万から四万に及んだという。


 越前の大半は柴田勝家に与えられ、不破、佐々、前田の三名が与力として与えられた。


 十月、本願寺と和睦が成立する。


 十一月、信長は右近衛大将に任じられる。これは源頼朝以来の武家の重職である。


 そんな最中、勝頼率いる武田軍が攻囲中の岩村城の救援に出てきた。武田軍は織田本陣を夜襲したが、これに素早く反応した織田勢の逆撃に合い失敗する。夜襲の失敗を知った岩村城の城兵は夜襲衆の収容を試みたが、そこを信忠が先陣を駆け突入落城した。この報を聞いた勝頼は甲斐に撤収していった。


 同月、信忠は信長より家督を譲られ、尾張と美濃を与えられた。信長は佐久間信盛邸に移った。


 天正四(一五七六)年正月、信長は安土に築城を命じた。奉行には丹羽長秀が任じられた。信長は城内に天主を築くようにと命じ、分国から職人が集められた。各々技巧を凝らし、唐風なものも取り入れるようにと命じられていた。


 これと合わせて京にも館を建てようと思い至り、村井貞勝に仔細を申し付けた。

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