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三方ヶ原の戦い

 十一月、遠江(現在の静岡県西部)から急報が届く。


 甲斐(現在の群馬県)の武田家が徳川家配下の城を包囲。


 この報を受けた信長は、ただちに佐久間信盛らを大将として援軍を送った。急いで徳川の居城浜松城に参陣したが、その時にはすでに落城してしまっていた。城を落とした武田軍は次の目標に向けて進軍し、浜松城に近づいていた。


 武田軍が三方ヶ原に向けて進軍していると聞いた家康は、籠城から一転して野戦を仕掛けるべく出陣した。戦国最強と名高い武田軍に野戦を仕掛けるのは愚の骨頂であるが、地理的有利の場ではその限りではないと判断したようだ。


 三方ヶ原は台地で、武田軍が下り道を進軍中に後から攻撃すれば勝てると思われた。しかし武田軍は台地の上で待ち構えており、兵の数・質共に劣る織田・徳川軍に勝ち目はなくたちまち崩れてしまった。合戦開始時刻や本田忠勝らの活躍により家康が討ち取られることは無かったが、織田・徳川軍は多数が撃ち取られてしまった。


 大勝した武田軍は兵を引いた。

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