表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

28/49

将軍の挙兵

 元亀四(一五七三)年、松永久秀が降伏する。城は明け渡され、城番が送られる。久秀は赦免の礼を述べに岐阜へと向かい、名物を刀を献上した。


 久秀は降伏したが、逆に敵対行動をとる人物もいた。将軍足利義昭公である。信長としては幕府の権力を手に入れる為の駒に過ぎず、それ以上の働きなど期待していない。むしろ行動されると逆に迷惑でさえあった。


 しかし無駄に張り切ったのか調子に乗ったのか、義昭公は独自の行動をとる。その事に対して信長は十七項目もの苦言の書状を義昭公に送っている。余計なことせずに俺の言う通りにしとけ、もしくは大人しくしとけと忠告していた。


 義昭公はこの書状を無視、四面楚歌の信長を叩くのは今が好機と挙兵する。結果だけ言うと、この挙兵は鎮圧された。信長も最初は和議を申し入れるが無視され武力で制圧、最終的に和議が成立した。


 信長の名代として俺が送られたのだが、最近まで一緒にいたので少し気まずい。この乱で信長が岐阜から京に向かう途中に、細川藤孝と荒木村重が信長への忠節の証として兵を率いて出迎えに来ていた。俺はそのついでに付いて行き織田家に帰還した。すぐ京に行かされたけど。


 義昭公の挙兵騒ぎは収まった訳だがこれで諦めるとは考えられないので、次の事態の備えとして大船の建造が命じられた。この船は一度に三千から五千の兵を輸送出来るよう計画され、完成した船は全長約五十四メートル、幅十二メートルの大きさだ。船を漕ぐ為の櫓は百本も使われている。


 この船を琵琶湖に浮かべて、琵琶湖沿岸のどこにでも迅速に兵を送ることが可能になった。


 そして大船は建造すぐに使われることになった。岐阜が本拠の信長が京に出るには近江、琵琶湖沿岸を通るのが一番早くて楽だ。ならそこを封鎖するのは敵対勢力からしたら当然の行動と言える。


 またも義昭公が挙兵する。これを知った信長は、早速完成したばかりの大船を用いて兵を輸送する。迅速に大量の兵を送り込まれた敵は驚いて降伏してきた。


 こうして御所は制圧され、義昭公も捕らえられる。さすがの信長も将軍殺しは避けたかったのか、将軍追放という形で室町幕府は閉ざされた。


 その後も大船を用いた琵琶湖沿岸の制圧は続行され、敵対勢力は駆逐されていった。淀城に籠る敵も蹴散らされて、義昭公の挙兵に端を発する混乱は終息する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ