二十八.梅はすっぱい(2)
日子に用があって来たのだが、あいにく今日は他用で外出中らしく、戻りは愛美も聞いていないらしい。
仕方なく踵を返し、しばらく歩いたときだった。
「辛気臭え顔してんな、オマエ」
いきなり近くで聞こえた声に、驚き顔を上げれば、目の前に長身の若い男が立っていた。首や耳、手首に金の装飾をいくつもつけている。金髪にサングラス。表情もよくわからなかった。
――やばい。
見た瞬間、悠はそう思った。
人を見た目で判断してはいけません、という話を散々耳にするが、見た目で判断することにより、自分の身を守っていることもあると思う。人間、誰もが見た目だけで判断せずに他者と接することができるわけではない。そのくらい、簡単にわかるはずだ。
そのまま一歩退いたときだった。
気づかないうちに誰かいたようで、悠の体は大きく傾いた。
「すみませ――」
「……別に」
反射的に振り向きつつ謝れば、フードを被った子供が立っていた。顔が隠れているせいか、男か女かわからないし、どっちともとれる声だった。
そのままさっさと家に帰ろうとしたときだ。
「……どこいく?」
その場を去ろうとした悠に、フードをかぶったの子供が向けた言葉。たった一言にもかかわらず、その言葉を聞いた途端、悠は足が竦んだ。額に冷汗が浮かぶのがわかる。目の前にいるのは子供。だけど、肉食動物を前にした、草食動物のように、その存在から目を逸らせないでいた。
妙な緊迫感がその場を支配する。
悠の本能は告げる。
――逃げろ、と。
「火ノ根」
金髪の男の一言で、火ノ根と呼ばれた子供は、男の元へ駆けて行った。
「お前は加減をしらないからなぁ」
くしゃくしゃにフードの上から頭を撫でる男。一方、火ノ根と呼ばれる子供は嫌がる様子一つ見せずにされるがままになっていた。
なんだ、あいつは。
先ほどとは打って変わって違う雰囲気を纏う子供を見ていた。
ただの子供じゃない。何者なんだ?
そう思ったときだ。
「……にしても」
男の視線が悠に向けられた。サングラス越しに微かに見えた男の視線に、思わず背筋が凍る。
「オマエ、自覚ないのか」
いきなり何をいうのか?
「……何の、ことですか?」
そう返せば、男は大口を開いて笑った。わけがわからない。
「こりゃ……まあ、これで面白い」
涙を拭うほど笑った男は、いきなり表情を消した。その変貌ぶりに、怖じ気付く。
「なんでこんな奴に世話焼きたがるのか、イマイチわかんねぇ」
男はポケットから煙草を取り出すと、一本口に加えた。
ねぇ、と火ノ根が男の袖を引っ張りながら非難するが、男はそれを無視した。
「俺はオマエがどうなろうが知ったこっちゃない。今すぐここでくたばったって驚かない。……けどな、このままじゃあなぁ」
報われねぇと天に煙を吐いて呟いた。
「一言だけ、言っておく」
サングラス越しに見えた瞳。そこからは、真剣な眼差しを感じた。
「オマエ、このままじゃ死ぬぞ?」
何を言い出すかと思えば。
悠はため息を吐き出した。
馬鹿馬鹿しい。そう簡単に死んでたまるか。
信じていないことがわかったのか、男は悠の顔に向けて煙草の煙を吐き出した。
嗅ぎなれない臭いに悠はむせた。
この男、非常識すぎるだろ。
涙目になりながらも、怒りの眼差しを向けだが、それでも男にはきいていなかった。
「……どっちにしろ、俺には関係ねぇか」
男はぽつりとつぶやいたあと煙草の火を消した。
そのときだ。
あいだに割って入ってきた人が一人。男を睨むその人は、フードをかぶった子供が殺気にも似た雰囲気を向けても動じなかった。
「なんでお前がこんなところにいるんだよ」
後をつけるにもほどがあるだろ。
「……時雨」
「さっさと消えて」
時雨は、聞いてるこちらが冷りとするほどさめた声音で言い放った。
男は、ふんっと鼻で笑うと腕を組み、口元に笑を浮かべると、こう言った。
「それじゃあ、結局自分の首絞めてるのと同じだろ?」
「お前には関係ない」
「あるね」
頭をかくと、男は首を回した。その余裕がどこからきているのか知りたいくらい、男からは不安や焦りが微塵も感じられない。
「最初はさ、迷子になったと思ったわけ」
何が、とは悠も時雨も聞かなかった。
「でも、どうやら自分から首ツッコんでるみたいだし。俺としてはさっさと連れ戻したいんだけど」
「……それなら、そうすればいいんじゃないか」
悠が口を挟めば、男は小さく鼻で笑った。
「オマエ、積み木で遊んだことあるか?」
「まあ、そりゃあ……」
いきなり、この人は何を言い出すんだだろうか。
「それなら、わかるだろ? 何の変哲もねえ木の欠片。ただそれを組み合わせて作っただけのものだけど、他人に壊されたくねえってことくらい」
まあ、それはそうだ。
頷き返せば、男はそれと同じだという。
「けど、まあ知らなかったふりでもすれば、『どうしようもなかった』ってことで処理されっかな。ま、とにもかくにも関係あんだよ、わかったか?」
そう言って、男は時雨の方を見た。時雨はただ無表情でそれを受け返す。
「あんたが何をしようが関係ねえ。……砂時計の砂は、流れるしかないんだよ」
「そんなことない」
今にも噛み付きそうな勢いの時雨を見て、悠は目を丸くした。
何をそこまで必死になっているのか、よくわからない。
そう思っていれば、喉に違和感を覚え、思いっきり咳き込んだ。
涙で滲む視界の中、時雨の怯える顔が目に入った。
いつもより、長引く咳。どうにかして止めようと喉に力を入れてみるが効果なし。
時雨が何か声をかけてきたようだが、それもよく聞き取れなかった。
――このままじゃ、死ぬぞ?
男の言葉が脳裏をよぎる。
本当に死ぬのかな?
そのとき、背中をさする手のぬくもりを感じた。時雨かと思ったが、違った。
そこにいたのは、心配そうな顔でこちらを見る日子だった。
「いい加減にしてください。貴方はこんなところで油を売っている暇なんかないはずでは?」
「なんだよ、俺を厄介者みたいな扱いして」
「実際、貴方は厄介者ですよ、国見」
そう言うと、国見と呼ばれた男は生半可な返事をしながら、火ノ根を連れて、その場を去って行った。
「大丈夫ですか、ユウさん」
「……ええ、なんとか」
大分咳が収まり、呼吸するのも楽になった。
普段、息をしているという意識が薄い分、その器官の働きが急に鈍くなったり、止まったりした途端、そのありがたさを実感する。
悠はあたりを見回して、先程までいた人物を探した。
「ヒコさん、ここに俺と同じ学校の制服を着た女の子、見なかった?」
「女の子? ごめんなさい、見なかったわ」
――どこ行ったんだ、時雨。
◇
私は一体、どうすればいいというのだろう。
時雨は一人、通りすぎる人々など眼中にない様子で街中を歩いていた。
あの男、国見に言われた言葉が、頭の中で反響する。
あまりにもひどくて両手を耳に当ててみたが、さらに声が大きくなった気がした。
ああ――馬鹿馬鹿しい。
時雨は、力なく動かしていた両足を止め、耳から両手を外した。
自分には、力がない。
守る力がない。
そして――。
何をすればいいのか、わからない。
まわりを囲むように騒ぐ雑音が、責め立てているような気がした。




