第9話 濡れ衣は晴れた、評判は落ちた
誠は、隊中へ噂を触れ回っていたアンを捕まえ、第一会議室へ連れてきた。
室内で待っていたのは、互いに一歩も譲らずにらみ合うお蔦と茜だった。
「おう、神前ご苦労さん。アンよ。あることないこと隊に触れ回っていらん混乱を招きやがって。困ったもんだ。推測で余計なことを話すのは大人のすることじゃないぞ。お前さんも元少年兵ならデマの怖さは戦場で身に染みて分かってるはずだろ?それを思い出したらとっとと席に着け」
会議室の黒板の前に座っていた嵯峨はそう言ってアンを情けない目つきで見つめた。
「不潔な人間に言われたくないですね!女を金で買う人に説教されたくありません!」
アンはそう言うと渋々会議室の第二小隊の下座の席に座った。
「アンの言いたいことは分かったから。それよりも……ひよこは……また遅刻か。ひよこが来れば俺の潔白は確実なものになると思うんだけど……まあいいや。始めようか」
そう言うと嵯峨は隣に座っているお蔦達に目をやった。
「お蔦さん。俺が相模屋を出てから29年……苦労したんだろうねえ……」
嵯峨は優しい口調でお蔦にそう言った。それまでの鬼の形相だったお蔦の表情が崩れた。
「そうだよ……新さんに会いたい一心で……私も他の男に買われても思うことは新さんの事ばかり……どの男も新さんほどアタシを酔わせてはくれなかった。世の中に新さんよりいい男なんていないんだ。そして今新さんはアタシの手に届くところにいる……それもすっかりいい男になっちまって……これ以上の幸せはアタシにはないよ」
嵯峨は一瞬だけ言葉を失った。いつもの軽口を探すように視線を泳がせ、それから困ったように笑った。
「お父様。今すごくいい顔をしてらっしゃいますね。でも、その性格ゆえにいらぬ誤解を招いて部下達の不興を買うなんて自業自得ですわね。いい気味ですわ」
「叔父貴。女を泣かせるのは主義に反するんじゃねえのか?ひでえ奴だな」
「隊長不潔です」
「隊長。どんなプレイをしてたの?甲武の女郎屋のエロさってどんなものか興味があるのよ。次のエロゲは甲武の廓モノにしましょう!」
茜、かなめ、カウラ、アメリアはそれぞれ勝手なことを口にしながら嵯峨に目をやった。
「別に僕としては大歓迎なんだがね。嵯峨家存続を考えれば義父上に後妻を迎えたいと考えていたところだ。妾の数人くらいいて当然だと思うよ。というかぜひ欲しいくらいだ」
「かえで様の先見の明。もっともなことだと思います」
「でもやっぱり隊長は不潔ですよ」
第二小隊の面々、かえではやけに落ち着いていてリンはかえでに同意しアンは汚いものを見るような目で嵯峨を見つめた。
「だから。お前さん達本当に好き勝手なこと言って楽しいの?そもそも最初にはっきりとこれだけは言っておくけど、俺がそういうことをしたいと言う目的で俺の方からお蔦さんを呼んだわけじゃないんだよ。お蔦ちゃんは俺を求めてはるばる甲武から東和にやって来たわけ。しかも29年の時を超えてだよ……いい話じゃないの……神前。こういうのが俺が本当にモテるって言うことなんだ、分かる?遼州人も努力すれば俺みたいにモテモテになれるんだ。良い希望になったろ?俺は甲武にいた時はそれはもうモテるようにひたすら努力した。その努力は惜しまなかった。そしてその結果こうしてはるばる星を超えてまで俺を追って来る女性が現れるほどのモテ男になれた。良いだろ?」
嵯峨は急に元気になって自慢げに誠に向けて笑った。
「こんだけの大騒動を起こしておいて言いたいことはそれですか?隊長には反省と言う言葉はないんですか?」
誠もまた軽蔑の視線を嵯峨に投げた。確かに嵯峨はモテているらしい。誠も『モテない宇宙人』である遼州人である以上、当然モテたい。ただ、そのために何をしたのかを聞いていない以上それを参考には出来ないと誠は心に決めていた。
「それにしてもひよこは遅いなあ……アイツは苦労人だから多少の遅刻くらいは大目に見てやっているんだが……アイツが来ないことには俺の濡れ衣はいつまで経っても晴れやしないよ。それじゃあ困るんだけどなあ……アイツが来れば俺の濡れ衣なんて一発で晴れるのに」
嵯峨がそんなことを言っているところに会議室の扉が開いた。
そこに立っていたひよこも、ほかの誰もと同じように、信じていたものに裏切られた表情を浮かべていた。
「おう、ひよこよ。いいところに来たな……ってなんだよその目は?お前さんも西に嘘を吹き込まれて俺のこと軽蔑してるんだ……アイツも真面目な奴だと思っていたが意外とこういうゴシップが好きなんだな。人の不幸は蜜の味ってところか?でも、俺はこれを幸福に変えてみせる。というか既に変わってるんだけどね。ひよこが真実を語ってくれればここにいる誰もが俺を祝福して涙を流すことだろうね、こんなに俺の勝利が確定した戦いなんてこれまで俺は経験したことがないくらいだ」
相変わらずひょうひょうとしている嵯峨を見ながらひよこが嫌々席に着いた。
「隊長!最初に言っておきますが、愛は尊いものです!それをおもちゃにしている甲武の売春制度を私は認めません!愛は純粋!唯一無二!決して弄んではいけない貴重な宝なんですよ!いくら性に穢れた地球人の国の甲武で育ったからと言ってやって良いことと悪いことが有ります!」
珍しく厳しい言葉でひよこはそう言った。
「制度が悪い。そんなことは俺も分かってるよ。でもさあ、それを廃止するなら、その前に彼女たちが生きられる仕事と食い扶持を用意しなきゃならない……そんなこと今の破綻寸前で貴族が派閥争いにうつつを抜かしているあの国に出来ると思う?」
嵯峨の声から、いつもの軽さが少し消えた。
「でも、明日それを全部なくしたら、売られずに済んだ女たちは何を食って生きる?今の甲武じゃ育てた作物のほとんどを地主に取られ、食うこともままならない小作人なんて珍しくないんだ。義兄貴が宰相になっても、まだ変えられない現実なんだ。だから、その制度を廃止して小作人は一家で仲良くみんな飢え死にしてアホな武家貴族の領主だけが生き残る国に甲武をしたいわけ?それじゃあ今の地球圏と何にも違いがないじゃないの」
嵯峨の言葉にはどこか力がないように誠には思えた。どうにもならない現実がある。それを変えようと戦うかなめやかえでの父・西園寺義基の前にも、多くの壁が立ちはだかっている。救いを求める手が見えていても、今は見捨てざるを得ない人々がいる。嵯峨の自嘲気味な笑みを見て、誠はそういう現実を語っているのだと感じた。
「それにお蔦が俺の所に来たのはその唯一無二で純粋な愛のなせる業なんだ。その愛のおかげでこうしてはるばる甲武から俺に会いたい一心でこの東和まで来てくれる……いい話じゃないの。それに女郎には年季と言って決まった期間があるわけ。どう考えてもお蔦は年季が明けてる。つまり、今のお蔦は身体を売っている女じゃない。お蔦がここに来たのは純然たる自由意志だ。そのお蔦がここにいるということは俺に対する純粋な愛だと言う結論が導けるよね?これは東和でよくある店の中で料金とは別に『自由恋愛』なんて言い張るような見せかけじゃない。本物の愛なの。そう言い切って間違いないわけなの。分かる?」
余裕の笑みを浮かべながら嵯峨は平然とそう言い放った。
「それはそうですけど……やっぱり私には……それに本当に愛なんですか?私はいつもみたいに隊長に騙されているんじゃないかと疑っています……それと隊長が行っているお店の『自由恋愛』って何です?そんなお金で生まれる愛ってないと思うんですけど……」
「お父様、自重してください。そのことに関しては私はそういう相談を受けていた弁護士として異議の申し立てをしなければなりません」
戸惑う純粋なひよこにかつて風俗店で違法営業をしている店の嬢の相談を受けていたこともある茜が鋭い口調で嵯峨に釘を刺した。
「茜は純粋に俺に法的な責任があるかってことにしか興味がないんでしょ?そういう角度から見るとまあ愛の尊さなんてものよりも俺の立場の微妙さが今問題になってくるんだろうね。でも俺には一切やましいところがないから俺はこれだけ余裕の顔が出来るわけなんだ。それよりひよこ先生。不死人の男と地球人女性が長期間夫婦生活を続けた場合、身体にどんな変化が起きる?まずそれをここにいる全員に説明してあげて。そうすれば俺の公金横領の容疑は晴れるから。まずそれからお願いできないかな?これは法術に関する純粋な科学的見地での意見が聞きたいの。愛とか恋とか関係なしにお願い。純粋に法術の研究者の客観的意見を私情を交えずに説明してあげて」
嵯峨は唐突にとんでもないことを口走った。
「それは……愛が芽生えるんじゃないですか?」
ひよこの頭はポエムを愛するポエム脳だった。嵯峨はあきれ果てたようにため息をつくと再びひよこを見つめた。
「だからー!そういうのは要らないって俺は言ったじゃん!俺さあ、私情を交えずにとか純粋に法術研究者としての見地からの意見が欲しいってしっかり言ったよね?聞いてなかったの?全く天然ぽわぽわ娘は話にならないよ。じゃあ、もっと分かりやすくてひよこにも倫理的に大丈夫な表現を使うとだな……地球人と不死人の遼州人が夫婦として日常的に体液交換を伴う接触を繰り返した場合だよ。法術的な形質が相手へ定着する可能性はあるのか?これなら俺の言いたいことがよく分かるだろ?お前さんも医療の現場に携わる専門家だ。いわば科学者の端くれだ。愛とか恋とかそういう話じゃなくて純粋に科学的見地からの言葉を俺は聞きたいの!純粋に科学的にそういう状況になったら法術に関して起きうる現象を具体的に科学的用語でここにいる全員の前で言って!お願いだから!」
この場にいるかえでとリン以外の全員の軽蔑の視線が嵯峨に突き立てられた。
「隊長……やっぱり……この人とはそういう関係だったんですね」
「叔父貴!やっぱりそれか!そう来たか!」
カウラの声が静かな部屋に響いた。一方のかなめはいかにもいやらしい笑みを浮かべていた。
「隊長……なんとなくわかりますけど……それにしても隊長は随分と生々しい表現を使うんですね。それはあくまで医療関係者、法術研究者としての意見を求めてるんですよね?そういうことであれば不死人の遼州人と地球人が長期間、夫婦として極めて濃密な身体接触を続けた場合、法術的な形質が相手に定着する例があります。理論上は、その地球人側も高い確率で不死人化します……ということはそこの和服の女の人達も……不死人になった地球人?隊長とこの女の人はそういう関係にあったんですか?やっぱり不潔じゃないですか!」
ひよこはそこでようやく、お蔦の若さの理由に気づいた。そして怒気を孕んだ雰囲気で泣きはらしていた目を拭っているお蔦に目をやった。
「別に不潔も何も女郎の仕事はそういう仕事なんだもん仕方がないじゃん。つまりそういうこと。俺とお蔦は十六から十八までそういう関係だった。その間に俺の法術的な形質がお蔦に定着した。だからお蔦は年を取ってないの。俺は田川宿の女郎屋の相模屋を出て高等予科から陸軍大学校に入ったその時からお蔦とは会っていない。つまり、今回の『武悪』の導入の交渉に関してもお蔦は関係ない。というか女郎屋の年季は30になると明けるから今のお蔦さんは女郎ですらない。普通の俺を慕う美しい永遠の美貌を誇る女性と言うわけ。俺の今の幸せな状況。理解してくれたかな?皆さん?つまり、俺は横領もその金での身請けもしていない。俺は金銭面では完全に無罪。はい、ここ重要ね♪」
嵯峨はそう言って勝ち誇ったような表情で周りを見回した。ひよこの説明によって、お蔦が若い理由と、嵯峨が二十九年間彼女に会っていなかったという主張には筋が通った。嵯峨は勝ち誇っていたが要するに嵯峨は東和ではそういうことをすれば犯罪の年齢の時に好き勝手していただけということが分かっただけのように誠には感じられた。
「確かに、『金銭面では』と限定をつければ……ですわね?お父様。ずいぶん得意げにおっしゃいますけれど、それはご自慢のおつもりですか?お父様がおモテになるのはいいですがそれとお父様の状況は何も変わりませんよ。確かに金銭的な問題をお父様が起こしていないことだけはこれで明白になりました。しかし、社会に生きる人としての倫理的な問題、特に売春を悪とする東和に生きる人としての倫理の側面から見るとそこにはやましいことしか私には感じられません。お父様のおっしゃりたいことは要するに昔の悪事を今暴露しただけにしか私には聞こえませんの。先延ばしにした問題のツケを今お父様は払わされている。そのようにしか私には見えませんわ」
茜は得意げな父を見ながら冷たくそう言い放った。明らかに茜は自分の金銭的潔白にしか興味がない様子の父親を倫理的に追い詰めることに目的を変更したようにこの場にいる全員が理解していた。




