第10話 お蔦は第二の母なのか
「おい、茜。そりゃないんじゃないの?確かに東和の倫理的に俺の戦争に行くまでの行動が問題だらけなのは俺も否定しない。あの頃の俺は滅茶苦茶だったのは俺も認める!でも、それがすべて許されているのが甲武だったし、それが当たり前だった。そんなやけっぱちな雰囲気があの大戦争の前の若い軍人達の間では当たり前だったんだよ。でも俺はその中でも線を引いていた。金さえあれば何でもできる?それじゃあこれから戦争を始めようとしている地球圏の偉い人と同じじゃないの。高貴な血を持てば何もしてもかまわない?俺は親を選んで生まれてきたわけじゃない」
倫理の面からどこまでも自分を追い詰めようとする茜を見て、嵯峨は、自分が『駄目人間』であることだけは否定できないと諦めたように言った。
「時代のせいにして逃げるつもりはないよ。あの頃の俺が滅茶苦茶だったのは事実だ」
嵯峨は一度言葉を切り、笑顔のお蔦を見た。
「でも、時代が人間から選択肢を奪うこともある。軍学校の生徒も、岡場所の女たちも、みんな戦争へ向かう国の中で息が詰まりそうになっていた。俺とお蔦さんじゃ立場は違う。それでも、どちらも籠の鳥だったんだ。あんな時代でも俺は生きたいように生きたかったが、生きられなかった。でもその中で一生懸命しがらみから逃げて生きていた。戦争が迫る息苦しい国の中でも、ひずみを最も集めていた場所が岡場所だった。そこには、そのひずみに押し込められながら、それでも生きようとする女たちが大勢いた。少なくとも、当時の俺にはそう見えた……そう見えるほどあの頃のあの国の若い軍学校の生徒たちは追い詰められてたんだよ。あそこのしがらみについてはお蔦とより最近までそこにいたリンが詳しいがね」
嵯峨はどこか寂しげにそうつぶやくと一同を見回した。
「まあ俺は恵まれていると言えたね。そもそもが……甲武四大公家筆頭の西園寺家の三男坊という食うのも将来もある程度保証された身だ。そしてその後に継いだ甲武四大公家末席の嵯峨家を継ぐことも当時の開戦に向けて突っ走る政府への当てつけとして義父も決めていた。決まりきったレールを決まったように生きるしかない人生……この東和で、あの戦争でほとんどのそれまでの価値観がひっくり返った甲武しか知らないかなめ坊やかえでの知らないあの時代。俺もお蔦さんもどちらもまるで籠の鳥ってことは同じだったというのがそこでお蔦さんと生きていた俺が出した答えだったんだ。まあ、そんな人生論以前の問題だ」
そこまで言うといったん笑顔のお蔦を見ると今度は明らかに父親の顔をして茜を見つめる嵯峨がいた。
「そもそもだ……茜。お前さんがこの世に生を受けたのはお蔦さんのおかげなんだよ?もしお蔦さんがいなければ俺はお前さんの母親のエリーゼには歯牙にもかけられなかったのは間違いないんだから。だからお前さんがこの世に生を受けることもあり得なかった。そう考えるとお蔦さんはいわば第二の母親みたいなもんだ。そこんところを考えてくれないかな?」
嵯峨は冷酷な表情で自分を見つめてくる娘の茜にそう言い放った。
「お父様……ついに色ボケが過ぎておかしくなったんですわね。私の母はエリーゼ・シュトロンベルグ・嵯峨。他の誰でもありませんわ!お母様がいろいろと問題のある女性であったことは存じておりますがそれは責任の所在のすり替えにしか私には聞こえませんわ!」
茜は強い調子でそう言い切った。そこに少し慌てたような色がにじんでいるのが誠には不思議に思えた。
「そのエリーゼの色々あった問題に関することが問題なんだよね。アイツは『社交界の華』なんて呼ばれていたが、実際には一人の男じゃ満足できない女だったんだ。舞踏会で気に入った男を連れ帰ることも珍しくなかったし、俺と付き合ってからもその癖はなかなか治らなかったんだよね。あの女と朝まで共にできる男なんてごくわずか……その一人が俺だったと言うこと。この意味は……たぶん茜にはわからないだろうねえ……」
嵯峨ははっきりとそう言い切った。
その嵯峨の言葉に思い当たることが数多くあるように自然に茜は俯いていた。
「お父様。お母様の男癖の悪さは否定しません。それと私の出生がどう関係ありますの?それにそんなことは自慢にはなりません。そんな母を反面教師にして私は清く正しく生きています!」
茜はうつむいたまま少し怯んだようにそう言い返した。
「アイツはね。常に夜を共にする男が二桁いるほどの女だったんだ。まあ、『社交界の華』なんて呼ばれる女はほぼ全員がそんなものだと俺はあの時分かったね。俺にもそれと似たような貴族の『社交界の華』を目指す女が色々と寄ってきたよ。でも、そんな女の中でもたまたまエリーゼとは気が合った。そして本音を話す間柄になった時にはアイツは俺に本音を話したみたいだよ。まあ、アレが本音だったのかどうかは……今となっては正直分からんけど。でも、あの時のあいつ目は本気だったと思いたい。でも俺と付き合うようになっても気に入った男を舞踏会でお持ち帰りする癖は治らなかった。ああいうのを典型的な『悪女』って呼ぶのかね?そんな女に引っかかった俺も俺なんだけどさ」
少し悲しそうにそう言うと嵯峨はちらりと茜を見つめた。茜は口を真一文字に結んだままで父をにらみつけている。
「お前も知っての通りエリーゼは男を次々に替えていた。だが、あれは快楽だけではなく、誰かに本当の自分を受け止めてほしいという飢えだったのかもしれない。そう思わなきゃ俺もやってられないね」
少し悲しげに放たれた嵯峨の言葉に茜は顔を赤らめてうつむいた。
「アイツに言わせるとそんな中でも俺は次に一番夜を共にしたいと思える男だったらしいんだわ。アイツは本当に俺に抱かれるのが好きでね。お前さんを身ごもったあたりでは他の男には目もくれない時期が、一時的にあったのは確かだ。俺には本音が言えるっていつでもアイツが二人の朝に交わす最初の言葉だった。そんなこんなで結果としてお前さんが生まれたわけだ。お蔦さんから教わったのは、ただ女を抱くやり方じゃない。相手が何を怖がって、何を求めているかを見ることだった。だからエリーゼも俺には本音を話した。そうでなければ、お前さんは生まれてなかったかもしれない。そもそもエリーゼが本音を話せるほど相手の心を見ることを教えてくれたのは他でもないお蔦さんだよ。そんな当たり前の理屈くらい大人なんだから分かるでしょ?」
嵯峨は恥じることなく胸を張って堂々とそう言い切った。
「叔父貴、エロ自慢か?その割にはきっちり叔父貴が出征した後にはエリーゼ叔母さんは間男作ってよろしくやってたらしいじゃねえか。そっちの方が叔父貴より上手かったんじゃねえのか?」
かなめは得意げな嵯峨に向けて冷やかすようにそう言った。嵯峨は咳ばらいをすると改めて茜を見つめた。
「たぶんエリーゼは俺の劣化版としてその間男と付き合ってたんじゃないかな。連中も俺の代わりをまともに務めることもできずに本音も聞けずにエリーゼは天国に行ったみたいだ……本当にお蔦さんには色々と教わったもんだよ」
嵯峨は言ってることがめちゃくちゃな割に良い顔をして天井を見上げた。
「そうさね。新さんは高等予科の学生さんなのにうちの店に来たんだが、新さんは最初、自分のことばかりで女の気持ちなんて分かっちゃいなかった。だからアタシ達が教えてやったのさ。相手を見ることも、待つこともね。でも結果としてこうして新さんの隣にいられる自分が一番だと思えるアタシが今ここにいる。相模屋でも誰とでも笑って受け入れる中でも私を一番だと選んでくれた。最後の新さんとの一年……あの幸せは一生の宝物だよ。あの出会いと別れは必然で、そのためのアタシの苦労だったのかね……それを新さんの実の娘さんが認めてくれていないというのが少し悲しいかもしれないね。でもいいさ、アタシには新さんがいる……それだけでいいんだよ」
お蔦はうっとりした表情で嵯峨を見つめた。
「ほら見ろ。俺がエリーゼを落とせたのはお蔦さん達のおかげなんだ。だから茜。お前はそのおかげでこの世に生を受けたんだ!感謝しろよ!ついでに俺の給料!いい加減に全部没収ってのもいい加減止めてくれ!お蔦さんを迎えるとなると俺のボロアパートでは男の面子が立たねえんだ。なあ……自分がこの世に生を受けた感謝のつもりで……そこんところを……ね?」
嵯峨は急にしおらしくなって娘の茜に頭を下げた。
「お父様……何をおっしゃりたいのかしら?お蔦さんのおかげで私が生を受けたことは理解しました。母の事は義基伯父様から聞いていますのでそんなこともあるだろうと私でも推測がつきます。でもお父様が『駄目人間』であるという事実に変わりはありません。しかもあのアパートの契約書には住人は一人限定という条項は有りません。隣の部屋には一家四人で暮らしている家族が同じ広さの部屋に住んでいます。お父様の面子?そのようなものは私には関係ありませんわ」
茜は怒りにこめかみを引きつらせながらそう言った。
「茜……それって酷くない?虐待ってそういう身勝手から生まれるものだと俺は思うよ。それ以前に俺って……こう言うのもなんだけど高給取りじゃん?甲武国の憲兵少将の給料と東和共和国の特務大佐の給料。どっちも二重で出てるの俺も知ってるの。それとこの部隊の隊長の手当て……結構手厚いんだ……それと俺の住宅手当が八万円なのは俺でも知ってるんだよ!俺の給料の一部に過ぎない住宅手当の中からも三万円もちょろまかしやがって!それなのに小遣い三万円に管理費込みのアパートの家賃二万円で生活してるんだよね……隣の家族は夫婦はどちらも病気持ちで働けないから生活保護を受けてあのアパートに住んでるの。それともなにか?茜は俺の小遣いを市の代わりに生活保護としてあげているつもりなのか?それなら俺は仕事なんか辞める!ニートになる!そうすれば今より収入は増える!」
厭味ったらしく嵯峨はそう言って娘を見つめた。
「え?新さんは甲武の最高位の貴族だろ?将軍様だろ?それが物価の高い東和で5万円で生活してる?なんだいそれは!お城とまでは言わなくてもお屋敷の一つや二つ持ってても当然じゃないのかい!おい青い瞳のアンタ!アンタは新さんの娘なんだろ?親孝行という心は無いのかい!父親が明日をも知れぬ暮らしをしている……なんてかわいそうなんだろうねえ……新さん。アタシ等はいいよ、そのボロアパート。甲武の狭い長屋みたいなもんだろ?だったら狭い長屋だろうが、新さんと一緒ならアタシには立派なお屋敷だよ!お金がない?だったらアタシが稼ぐよ!新さんと一緒にいられるのならなんだってする!そのことでここにいる誰にも口出しされたくないね!」
嵯峨の境遇にキレたお蔦はそう言って茜をにらみつけた。
「僕もお蔦さんの意見には賛同するね。お蔦さん、あなたがその美しい手を汚す必要などないよ。僕は美しい女性にはすべて手を差し伸べるのをモットーにしているんだ。それに先ほどから聞いていれば茜お姉さまは義父上に厳しすぎる。茜お姉さまはお蔦さんの真心に気付かないのかい?それは僕から見ると人として、自分を育て、大学卒業まで見守ってくれた父の娘としてどうかと思うよ。さらに言うと今の義父上の暮らしぶりは養女となって嵯峨家の家格を継いだ娘である僕の顔が立たないんだ。もし義父上の暮らしが甲武海軍のかつての同僚の武家貴族の間抜けたちに知れたら僕はいい笑いものだ」
そう言ったのは意外にも嵯峨の義理の娘で嵯峨家を継がせたかえでだった。一同は意外な人物の発言に視線を金髪の男装の令嬢へと向けた。
「甲武国は貴族制の国だ。貴族にはその生まれ持った誇りがある。嵯峨家当主として、前当主である義父上にはそれにふさわしい暮らしをしてもらわないと顔が立たないんだよ。跡目を継いだ先代を毎食、賞味期限間近のカップ麺を安く譲ってもらって済ませ、夜は安酒を飲んで寝るような暮らしをさせているなんて言うことが本国に知れたら僕の立つ瀬がないからね。東和の市民の茜お姉さまには理解できないことかもしれないがそれが今の甲武の現実なんだ。その辺は理解しておいてもらいたいね」
かえではそう言って茜に流麗な美しい顔を向けた。
「かえでさん。何がおっしゃりたいのかしら?ここは東和共和国です。貴族の面目などというものはここでは通用しません」
茜の表情は相変わらずふしだらな父に対する怒りに震えていた。
「茜お姉さまがどうしてもその金が欲しいというならそれもよし。だったら僕が屋敷の一つも手配してあげるのが義娘としての当然の責務じゃないかと思うんだ。まあ、今日すぐに出来る話ではないね。リン、千要にそれなりの僕の気に入った旅館があったね。あれを今すぐ丸ごと抑えてくれ。屋敷が見つかるまでは義父上とお蔦さんにはそちらを使ってもらうようにする」
「心得ました。早速手配します」
余裕の表情を浮かべるかえでは副官のリンにそう言って指示を出した。リンはすぐさま携帯端末を取り出して入力を始めた。
「かえでさん。あなたはお父様に甘すぎます!お父様は『駄目人間』です!これ以上堕落させてどうするんですか!」
かえでの言葉に明らかに余計なことをするなというように茜は立ち上がって怒りをむき出しの顔で抗議した。
「堕落?僕にはそんな話には聞こえなかったけど……これは見解の相違だね。僕には素晴らしい愛の話に聞こえたんだけどな。それにこの愛は堕落ではないよ。ああ、男を知らないお姉さまには不潔には思えるかもしれないが、これは少なくとも義父上の生活を安定させる助けにはなるとお姉さまも納得してもらえると思うのだがね。これが現在の甲武での当たり前の在り方なんだ。甲武の制度が気に入らないなら、国家ごと変えるしかない。でも東和は他国を侵略しない。それなら、今ここで甲武の常識だけを否定しても仕方がないだろう?」
かえでは余裕の笑みを浮かべてそう言った。
そんな余裕のあるかえでの態度とそれを満足げに見守る嵯峨の笑顔を見比べながら茜はひたすら悔しそうに歯ぎしりをしていた。




