第4話 梅の花を知らない少年
「おい、西。もうそろそろ始業時間だけど……ひよこちゃんが来てないよな?あの人は弟の弁当を作ったりとか、病気のお母さんの世話とか大変だから。お前の彼女なんだろ?少しは気を遣って何か役に立つようなことをしてやればいいのに。お前は結構貯金とかしてるんだから朝のお弁当が簡単に作れるような冷凍食品を一緒に買いに行ってあげるとか……気を遣えよ、まったく。島田先輩が認めてくれている割には俺でも気づくことに気付かないなんて……まだまだだな」
大野を見送った誠はまたゲームを始めた西に声をかけた。
「神前さん。冷凍食品については僕から一度ひよこさんに提案済みです。でもひよこさんが嫌だと言うからしていないだけです。確かに神前さんの言う通り弟のお弁当とかお母さんの病気の世話とか色々あって……隊長もその辺は分かってるんで大目に見てくれています。……ちなみに僕とのデートの時はきっちり時間を守ってくれますよ。それに最近は彼女の家に遊びに行くことも多いんでその時はお母さんの話し相手とかしてあげています。こう見えても僕も気を遣っているんですよ。それに僕は気を使えるのが売りなんで、神前さんの思いつくようなことはもうしてます!それにそんなお買い物でお話しするのも楽しいですし」
ゲーム機から目を離さず誠になど意見される必要はないという調子でそう答える西に彼女いない歴=年齢の誠は怒りを覚えた。
時計の針は八時四十分を指そうとしていた。
「そうか、のろけごちそうさま。お前が気を使えるのは十分わかってるからそんなことだろうとは思ってた。これから先は遅刻直前に飛び込んでくるサラさんくらいのもんだからその時にゲートを上げればいいだろうな。それじゃあゲートを下ろすか」
誠はそう言うとゲートのスイッチを押した。黄色と黒のストライプのゲートが降りてこれで一応の当直の任務は終わったことになる。
ゲートの上げ下げも年上の誠がすべてやり十代の西とアンはひたすら携帯ゲーム機に夢中で黙り込んでいる。
昨夜から西とアンは、仮眠時間以外ほとんどゲームをしていた。テレビをつければ『集中できない』と消され、二時間ごとの巡回もゲート操作も結局ほとんど誠一人。
星を眺めて夜を過ごした、と言えば聞こえはいいが、実際は二月末の寒空の下で暇を持て余していただけだった。
「交代要員の人……早く来ないかな……二月も末だっていうのに寒くて……整備班の人も大変だな。ひたすら夜はこたつでじっとしていて2時間ごとに隊の巡回。そして出勤時間帯にはゲートの上げ下げが延々と続く。面倒くさいったらありゃしない。まあ、今日は2時間ごとの巡回もゲートの上げ下げもやったのは僕だけで、西とアンはずっとゲームをしてたけどな。お前ら本当にこの状況がクバルカ中佐にバレるということは考えて……たな……あの人いきなり4時にあの高級車でゲート前でクラクションを鳴らしてぼんやりしている僕たちを叩き起こして隊に入って来たから。その時だけはお前らもちゃんと宿直室から出て最敬礼してたもんな。本当に現金な奴だよ」
誠は守衛室の窓枠に頬杖をついてぼんやりとたたずんでいた。
「神前さん。そんなに寒いんだったらこたつに入れば良いじゃないですか。それにいちいち車が通るたびにゲートの操作なんか誰もしてないですよ。神前さんが几帳面すぎるんです。それにうちで怖い人ってクバルカ中佐と西園寺さんと班長だけじゃないですか?後の人はみんな僕には優しいですよ?神前さんにはどうか知らないですけど……僕を怒る人ってこの三人で99%を占めてますから」
相変わらずゲーム機から目を離さずに西はさもそれが当然のようにそう言った。しかし、誠にはそういう気分にはなれなかった。誠は意外と細かいことを気にするタイプだと自分でも思っていた。規則で車が通っていないときはゲートを下げると決まっている以上、意地でも下げないと気が済まない。そんな生真面目なところは誠自身も損な性格だと思ってはいた。
それに誠にはこたつに入りたくない別の理由があった。
西の正面に座っている『男の娘』アンが原因だった。
定時制中学に通うアンは、見た目だけなら完全に少女だった。しかも恋愛面ではかなり奔放で、本人も誠に好意があることを隠そうとしない。彼氏がいるにもかかわらず、何かと誠へ意味深な言葉を投げてくるのである。
アンは、その彼氏を『初恋の青年士官に似ている誠の代わりだ』と公言していた。そればかりか、『いつでも誠に抱かれていい』と口にしたことも、一度や二度ではない。
もともと紅顔の美少年だったアンは、今や完全な女装男子となり、男装の麗人である日野かえでと隊内女性人気を二分していた。
さらに、かえでとアメリアが悪乗りして作った誠の身体データ由来の怪しげなグッズまでアンの手に渡っていた。以来、アンは時折、誠が読まなかったことにしたい内容の感想を送りつけてくる。
そのようなアンの隣に座り続けることを考えれば寒い窓際に立つ方が、こたつへ近づくよりはるかに安全だった。
そのようなどう考えても誠をロックオンしているとしか思えないアンに近づくことはその方面にまったく興味のない誠からすれば、禁じられた世界の扉に一歩近づくことになる。
その結果一番大笑いして喜ぶアメリアの糸目とその部下の運航部の女子の大半の顔が想像できるだけあって誠は自分を見つめてくるアンから思わず目を逸らした。
「神前先輩。隣空いてますよ。そんな痩せ我慢して寒いところに立っていないで温まったらどうですか?何なら二人で温まりますか?」
ゲーム機から目を離して誠を見つめてきたアンの妖艶な笑みに誠は苦笑いを浮かべた。
「いいんだ。僕は寒いのが好きなんだよ。それにもうそろそろ梅も見ごろだ……太陽もこんなに照ってるから日向に居る方が健康的で好きなんだ」
誠はまったく興味のない梅の開花時期の話で時間をつないでアンの興味が再びゲームに戻ってくれることを心の中で祈っていた。
「そうですか……梅というと時々お弁当の中に入っている実がなる木のことですか?あの実は意外と僕は好きなんですよ。でもどんな花が咲くんですか?僕は見たことがないんで見てみたいです。僕の国は砂漠とオアシスにナツメヤシとかはありますけど梅の木は無いんで。一面広がるのは土の山と岩の山ばかりで……神前先輩。一緒に梅を見に行きませんか?そしてそのまま……」
アンは妖しい笑みを浮かべて誠を見つめてきた。
「そのまま先へ進む気はないの!それにお前には彼氏がいるんだろ?浮気じゃないのか?それにそのことがお前の小隊の小隊長で僕の『許婚』を自称している日野少佐にバレたらどうするんだよ!アンにはあの人に勝てる自信はあるのか?僕には……絶対ない」
誠は自分の初デートの相手が男だったという事実になることは何とか避けようと妖艶な笑みで誠を誘うアンに全力の断りを入れた。
「神前先輩が相手なら僕は本気になれます!それに日野少佐も多少の浮気は男の甲斐性だって言ってましたよ?違うんですか?」
とろけるような視線を送ってくるアン。そして日頃は『誠以外の男の生存権は僕が不愉快と感じない範囲内で許す』と言っているほどの男を蔑視しているかえでがそんなことを言うわけがないのでこれはアンが自分を誘惑するための嘘だと判断して、誠はアンが言うことをこれからしばらくは完全に無視することに決めた。
「でも梅ですか……あれっていいですよね……僕は好きですよ。桜も好きですけど梅は香りがいいですから。アン、梅も桜みたいに枝いっぱいに花が咲くぞ。梅の名所はこの辺りにはあまりないけど、桜ならサラさんと毎年その時期になるとバイクで出かけている班長に聞けば色々教えてくれると思うぞ」
誠とアンの会話に聞き耳を立てていたらしい西がそうアンに耳打ちした。
「え?梅って桜みたいに一斉に咲くんですか……見てみたいな……梅。島田班長が知らないならクバルカ中佐って和風なこと詳しそうですよね。それに僕が何を聞いても答えてくれる日野少佐も知ってそうだな……」
どうやらアンの意識で誠が占めていた部分は見事に咲き誇る見たことの無い桜に似た花の梅に置き換えられたようだった。その言葉を聞いて、誠は初めて気づいた。自分にはありふれた梅の花も、アンにとってはまだ一度も見たことのない景色なのだと。
「いや、まだ東和に来て一年経っていないかえでさんより梅ならクバルカ中佐が詳しいんじゃないか。あの人、古い寺や庭園には妙に詳しいからな。そういうものを見ながら手にした『関の孫六』の手入れをする……いや良い……自分でどう見ても8歳女児のクバルカ中佐が江戸時代の旗本みたいなことをしている光景を想像してみたらなんだかわけが分からなくなってきた」
誠の目から見て、ランが暇な時にしていそうなことと言えば、何かを食べているか、愛刀『関の孫六』の手入れをしているかのどちらかだった。そこから連想した『梅の咲く古寺で刀を手入れする八歳女児』という光景があまりにシュールで、誠は自分で想像しておきながら絶句した。
しかし、年中機動部隊の詰め所で『関の孫六』の手入れをしている8歳女児にしか見えないランは知っていても時代劇の旗本の刀を手入れしている光景は知らないアンはただ咲き誇る梅に心を奪われているようなので少し安心した。
そんな誠だが、そんな誠の視線の先でニヤリと笑う西の顔には『これは神前さんへの貸しだ』と言っているように見えて誠はどんよりした気分で再び視線を守衛室の外へと移した。




