第24話 変わったのは髪形だけ
次の日、誠はいつも通りの時間に出勤すると好奇心から隊長室の少し開いた扉を覗き込んだ。
誠は、嵯峨が今日は休むものと決めつけていた。
『今日は面白いレースがあるから休む』とランへ連絡し、そのままオートレース場へ出かけたことは一度や二度ではない。そのたびにランの怒りはなぜか誠へ向かい、嵯峨の仕事を代わる代償として一日中走らされた。
昔の自分を知る女性と三十年ぶりに再会した翌日なら、なおさら出勤するはずがない。誠は絶対にあの『駄目人間』である嵯峨は今日はサボると思っていた。
しかし、隊長室にはごく普通にいつも通りの書類と競走車券の予想紙と吸い殻で、作業面がほとんど見えない机で普通に書類に目を通している嵯峨の姿があったので誠はあっけに取られて立ち尽くしていた。
「誰だ?覗き込んでるのは……どうせ神前だろ?入れよ。遠慮しなくていいからさ。俺も仕事の区切りがいいところだから……何か相談?お前さん本当に学習能力が島田の舎弟だってよく分かるね。俺に相談なんかしてもほとんどの場合は解決策なんか提示せずに俺が面白がるだけだっていい加減学習したら?」
そこにはいつもと変わらぬ顔の嵯峨が居るのが分かった。誠は言われるがままに隊長室に入った。
「まあ、無駄話はこれくらいにしてだ。昨日はお疲れさんだね。そしてありがとうと感謝の言葉の一つもかけるのが人としての礼儀なのかもしれないね」
意外にも嵯峨は誠に素直に礼を言った。性格の悪いことは分かっている嵯峨から思いがけず素直な礼を言われ、誠は返事を忘れた。
「それにしてもいきなりお蔦の奴をお前さんが連れてきたときは心臓が止まるかと思ったよ。ああ、そこで『お前は不死人だろ!』ってツッコミを期待してたけどそれは無いんだ……まあいいや。そこはそれ、俺も長く生きてるからそのくらいのことがあってもおかしくないことくらいは察してたから、むしろお蔦さんを見てからはどうやって茜の経済封鎖から逃れるかしか考えていなかったんだ」
軽い口調で何ごともなかったように語る嵯峨だが、要するに茜から給料を取り戻すいいチャンスとして自分が利用されたことに誠は少し腹を立てた。
「ああ、今、俺を最低の男だと言う顔をしたね?じゃあ、それで良いよ。半分は間違ってないから。それよりまあお蔦さんは時を超えた感動の再会もできたし、昨日は……ふっふっふっ……神前は童貞だから俺とお蔦の間でどんなことがあったのか聞きたいでしょ?昨夜の完全版が聞きたいなら有料ね。本人による官能小説の朗読なんだから、安くはないよ当然、タダじゃないけど。当たり前だよね」
そう言って笑う嵯峨の顔はいつもと変わらぬどこか抜けたところのあるやたらと若く見える姿だった。いつもと違うところと言えば、いつもは乱れの目立つ髪がきっちり整えられていて、髭もきれいに剃られていて若く見える顔がさらに若く見えるくらいのものだった。
ただ、それだけで『誰が見てもはっきり分かる駄目人間』から、『見た目は格好いいのに、話していると絶望感しか覚えない駄目人間』へ外見だけを偽装した上位型に進化した程度だった。
誠にとっては嵯峨が『どうしようもない救いようがない駄目人間』であると言う見方に特に変わるところはなかった。
「隊長。確かに見た目は昨日よりかなりマシになったのは僕も認めますけど、根本的にまだ『救いようがない駄目人間』ですから。それより僕が信じられないのは昨日はあんな時間から一日中抱き合ってたのに平気なんて……そもそも僕としてはそっちの方が気になるんですけど……本当に休みなしで?そもそもあなたは何者ですか?」
誠はかなめの言う『二十億の女』と再会して浮かれて『駄目人間』の度合いに加速がついているだろう嵯峨を想像していたので少し拍子抜けした。
そしてつい誠はブラウン管や端末の画面の向こう側でしか見たことが無い現実について聞きたくないはずなのに、常識外れな話への疑問が勝ってしまった。
「あのさあ、神前。俺を『救いようがない駄目人間』まで貶める必要は無いんじゃないの?確かに『駄目人間』であることは認めると言うかそこを譲ってしまうと俺の存在価値が半減するからそこの認識が揺らがなかったのは俺の狙い通りだとはいえるけど、『救いようがない』ってつけるのは酷いと思わない?それになんで俺がそんな一日で変わるの?確かに人間は一日で変わることもある。そんな場面には俺も散々出会ってきた。でもお蔦さんと俺は昔そう言う関係に長くあった間柄だよ?それが今日会いました、じゃあ寝ましょう、はい変わりました……って人間出来ていると思う?」
そう正論を指摘されてしまうと自分の女性経験の無さから誠は何も言えなかった。
「第一、俺は昔のお蔦さんを知っている。お蔦さんも昔の俺を知っている。そしてお互い昔の自分を知っている。その二人が昔を思い出しながら出会う。この出会いに何か俺を急激に変えるような要素があると思う?そりゃあお前さんの人生経験の不足が言わせる現象にしか俺には見えないね。昨日から今朝までだってお前さんが妄想しているようなことを間に挟みながら二人で昔のことを話して……ああ、夜半からはお蔦さんの意識は……ああ、ここから先は有料だから止めとく。この二人の間柄に俺やお蔦さんが新たな何かに目覚めそうな要素があるの?あるなら言ってみて……俺は神前みたいに童貞時代を長く過ごしたわけじゃないからそのあたりは俺にとっては新鮮で興味深いんだ……言って良いよ」
朝から卑猥な話を平気でするところも嵯峨は昨日の嵯峨と何一つ変わるところはなかった。誠はやはりこの男は『救いようがない駄目人間』だと言う意識しか持てなかった。
さらに人の一番気にしていることをさりげなく付け加えるなどその悪質性はさらに増したようにしか誠には感じなかった。
「そんな花魁の意識が……なんて、あんた本当に何者ですか?不死人ってみんなそうなんですか?そもそもそんなことばかりしていて飽きないんですか?普通の人間なら死んじゃうんじゃ無いですか?ああ、隊長は不死人でしたね……でも僕からするとそんな……本当に隊長の身体はどうなってるんですか?」
誠は半分呆れつつ嵯峨にそう言った。
「そんなに驚くこと?そこって?俺とそう言う関係になった女性は最終的に意識が無くなるのは俺にとっては普通のことなんだけど……でもお前さんにとってはどうやら違うんだよね?まあ、どうやら神前はケチだからお金をくれないみたいだから具体的に俺がお蔦と何をしたかは教えてあげない。でも良いじゃないのさ、お前さんがお金をくれないから金を払わない客には話せないようなことをして、その間に色々今思っていることとかを話したりしているうちに俺たちは昔のまんまだったと言う確認をしただけの話だよ。ああ、お蔦さんは今頃は宿で寝てるんじゃないかな?だからどうしたの?俺としては普通の話なんだけど、もっと具体的な話が聞きたかったらお金をちょうだい」
「アタシなら払うぞ!だから詳細まで全部吐け!具体的に!詳しくだ!」
またもやとんでもないことを童貞の誠に言いだす嵯峨に誠はあきれ果てた。その時隊長室の扉が開いて聞き慣れた女性のハスキーな叫びが響いた。
無遠慮に隊長室の扉を勢い良く開けてあからさまにいやらしい笑みを浮かべてそう叫んだのはかなめだった。その後ろではかなめを引き留められなかったことを謝るように頭を下げているカウラの姿がある。
「具体的に?話せるけど……そうすると神前がタダでその話を聞いて得しちゃうのは俺には面白くないな。だからいくらお金を積まれても言わない。今の俺は敢えていつもの俺と違うところを挙げるとすればちょっと寝不足なだけ。だから今の俺はごく普通。それより俺って昨日、早退したじゃん。その分仕事が溜まってるの。だから俺はお仕事をしたいの。いい加減出て行ってくれるかな?」
嵯峨は迷惑そうにそう言うと目の前の書類の束に手を伸ばそうとした。
しかし、かなめはまったく出ていくつもりはないと言うように嵯峨の机の前で腕組みをして相変わらずニヤニヤ笑っている。その袖を引っ張ってかなめを隊長室から連れ出そうとするカウラが誠には少し可哀そうに思えてきた。
「そりゃあ凄いや。花街の花魁の腰を抜かすほどとは……確かにその内容を具体的に知りたいのはやまやまなんだが、その話をするとピュア以外に何の取り柄もねえカウラがその売りを失ってただの胸が無い緑髪女になっちまうから止めとくよ。それより叔父貴、いっそのことAV男優にでもなった方がいいんじゃねえのか?あの手の女を手玉に取れる才能はこんなゴミ溜めみたいな部屋で書類にシャチハタ押す仕事よりも世の中のためになるかも知んねえぞ。それに有名になれるぞ?どうだ?なんならアメリアのコネを使ってプロダクションを紹介してやるぞ?ちゃんと紹介料がアタシの手に入るようにはしとくけど」
かなめは相変わらず下卑た笑顔を浮かべて嵯峨を見つめた。
「おい、西園寺!私の胸と話の内容に何の関係がある!」
こういう話を嵯峨とかなめがあけっぴろげにするときは黙っていることが多いカウラもそこまでかなめに悪く言われたらつい口もはさみたくなっていた様だった。
「かなめ坊よ。それって俺になんかメリットあるの?今聞く限り、アメリアとかなめ坊が得するだけで俺には何一ついいことが無いようにしか聞こえないんだけどな。確かにそうすると俺好みの熟女を抱けることもあるみたいだけど……あの仕事もあの仕事で結構大変みたいだよ?テレビを見ていて元セクシー女優のタレントとかいるけどその人たちの言ってること俺には理解不能だし、見た目もお蔦よりも落ちるから俺には興味がないの」
誠はその嵯峨の言葉を聞いて隊長室でもテレビを見ているところを見たことが無い嵯峨がいつ元セクシー女優のタレントの出てくるような番組を見ていたのか不思議に思っていた。
「でも事実、お蔦さんはどう見ても俺から見たら娘にしか見えない……と言うかリアルの娘の茜の妹にしても年が離れすぎているようにしか見えないが……そこはお蔦さんと初めて会った俺に心を戻して何とか頑張ってみた訳だ。アイツと一緒に居ると昔の俺に戻れる。人間というものは本当に不思議なものだよね」
嵯峨は誠の聞きたいような色っぽい話をわざと避けてかなめにそう言い返した。誠はやはりこの男が『脳内ピンクの駄目人間』を卒業する日は、未来永劫来ないことだけははっきりと理解した。
結局、お蔦の来訪で変わったものといえば、嵯峨の髪形と、安城に完全に振られたという隊内の共通認識くらいだった。




