第23話 私の中の新さん
昼から始まった『特殊な部隊』の宴会は混乱を極めた。
誠はいつもの飲み会のかなめの定番である『殺人カクテル』と誠が名付けたアルコール度数70度超えのラムやウォッカを混ぜ、誠を潰すためだけにかなめが作る酒の脅威にはじめはびくびくしていた。
その誠にとってのこの飲み会での一番の恐怖の対象であるかなめですら目の前の信じられない光景を見てただ焼鳥と自分の愛飲のラム『レモンハート』を口に運ぶのが精いっぱいというありさまだった。
その原因は他でもなくいつもなら絶対に見ることが不可能と思われていた酒豪のランが明らかに酒に飲まれているようにしか見えないと言う光景があるからだった。
そもそもランはこの月島屋に足を運ぶことは滅多にない。
『アタシがいるとオメー等が好きに飲めねーだろーからアタシは特別な用がねー限りは行かねえけど、アタシはオメー等の面倒を見るのが仕事だから飲み代は出してやる』という彼女に言わせれば粋な上司の当然やるべきことという主義からランが酒を飲む光景を見る機会は作戦終了後の運用艦『ふさ』での飲み会や、ここ月島屋で行われる歓送迎会、そしてランが飲ませたいと思った部下を連れて自分の好きな寿司屋やカラオケスナックなどばかりで、そもそも月島屋で酒を飲むランを見る機会は誠もこれまで数回しかなかった。
そしてランは、なぜかビールには弱いものの、日本酒や蒸留酒はいくら飲んでもほとんど酔わなかった。
誠が見ていても本人は秘密にしているつもりらしいが体重16キロの彼女の体積から考えると物理法則を疑いたくなるような量の最高級のランお気に入りの酒をまるで水のように飲む様は見ているこちらが気持ち悪くなるほどである。
そのランが開けた酒瓶を前に誠の頭の中で物理法則より先に、医学が降参していた。
その酒豪のちっちゃな副隊長のランは月島屋に常備してあるお気に入りの日本酒が一升入る大杯『武蔵野』へ何度も酒を注がせ、そのたびに傾けた。そしてその度に部下に目をやりその酒を飲む手が止まるのを睨んで無言の圧力で、部下たちにも同じ速度で飲むよう迫った。
しかも、いつもなら少し飲んでも余裕があるように笑顔を浮かべるだけのランがまるで島田やアメリアが完全に酔っぱらって暴れ始める直前のような状態でご機嫌に怒鳴り散らし、気が向くと部下達に酌をして回る様はどう見てもいつものランとはあまりに違うことは、誠にもよく分かった。
「でも、今日のクバルカ中佐……普通じゃないわね。あんなクバルカ中佐を見たのは私は初めてだわ。これで何升め?ちょっと待ってね、開いた一升瓶を数えるから……一本、二本、三本……これで四升。あのちっちゃい身体のどこにそんな量の酒が入るのかしら?まあ、量はいつもより少し多い程度だけど……ここぞというとき以外に部下にお酌をするクバルカ中佐なんて……私も初めて見たわよ」
昼から飲み始めて、日が西に傾く頃。女将の春子は誠とかなめとカウラとアメリアの座るテーブルに歩み寄ってきてそう尋ねてきた。
女将が先頭になって来店してきたランの顔を見た瞬間に今日は貸切と言うことになり、安心したランは珍しく理性がぶっ飛んだ調子でいつも着ているやくざ風の柄の綿入れの半纏と着流しを脱いで胸と腹に巻いた晒に褌一丁という姿で背中に毘沙門天の刺青風のシールを見せびらかしながら彼女には頭の上がらない整備班長の島田と島田の彼女のサラに説教を続けていた。
「まあ、あれだ。叔父貴に女が出来たのが気に入らねえ……だから荒れてるんだろ?そもそもランの姐御はあんななりだ。しかも永遠に成長は見込めねえんだ。そのくせなんだか分かんねえけどあの究極の『駄目人間』の一番の被害者の癖に叔父貴の事が気になって仕方がねえんだから。叔父貴は絶対にロリコンじゃねえし、むしろどうでもいい話なのに聞かれなくても自分から熟女マニアだとか言いふらして喜んでる。それを明らかに叔父貴のタイプの年増じゃないお鳶に油揚げをさらわれた状態になったわけだ。勝負で負けるのが何より嫌いな姐御に取っちゃあこの事態は面白いわけがねえ」
いつものラム『レモンハート』を飲みながらかなめはそう言って苦笑いを浮かべた。そんなかなめの言葉に春子は少し衝撃を受けたように引きつった笑みを浮かべた。
そんなかなめの声を聞くとランが春子にも自分の払いで飲んでいいと言うことでビール瓶へ伸ばした指がわずかに震えた。
「そう……そうよね、新さんくらいの人に惹かれる女の人が現れても何も不思議なことはないわ。さっき西君やひよこちゃんからその話を詳しく聞いた時は私も同じ気持ちだもの」
春子のそう言う口調にはどこか陰があった。
「春子さん。春子さんの隊長への評価はずいぶんと高いのね。確かにそれなりにしゃんとすれば東都ナンバーワンホストと間違うような高身長の引き締まったイケメンなのは事実だけど、30秒も会話をするとすぐに『駄目人間』であることが誰にでも分かる様な隊長よ?でも、もしかして……隊長の事好きだったの?私には理解できないけど……人それぞれだもんね、こういう話は」
アメリアは興味ありげに春子の方に目をやった。
「アメリアさんはずいぶんと新さんのことを悪く言うのね。新さんが何をしてきたかはここではクバルカ中佐の次くらいに知っているはずなのに。そうよ、私は新さんの事は好きよ……でも新さんは私には届かない存在。いくらそんなことは自分は気にはしていないとか言って『駄目人間』を装ってみてもどこかしら私なんかから見ると甲武国の偉い貴族で軍人貴族としての地金が見えちゃうときがあるものね」
まるで自分に言い聞かせるようにそう言いながらビールを飲む春子の姿を見ると冷やかすつもりだったアメリアもそれ以上何も言えなくなっていた。
「まあ、新さんはそれが嫌でより自分を駄目に見せようとしているみたいだけど、そんな演技で駄目な人間をしていても、昔その新さんが私も二度と思い出したくもない救いようのない心底駄目な男が身近にいた私にはその違いぐらい分かるわよ。そんな新さんなんかに私みたいな中卒の元風俗嬢じゃ釣り合わないわ」
そう言いながら春子はカウンターからグラスを持ってきてビールを注いだ。
「女将さん……アンタの理屈は少しおかしくねえか?今のアンタは月島屋の女将だ。昔何をしてたかなんて関係ねえよ。それなら売春が非合法のこの東和で軍の情報を得るために男と寝てたアタシの立場がねえだろうが」
相変らずラムをちびりちびりと飲みながら、俯いてビールを飲んでいる春子にかなめが笑いかけた。
それにうなずいていたのが隣でいつも通り烏龍茶を飲んでいたカウラだった。
「それなら今日来たお蔦も釣り合わないことになるな。あの女は甲武の尋常小学校を出たらすぐに女郎屋に売られた貧農の娘だと言う話だ。学歴で女を選べという話ならお蔦は小卒で女将は中卒だから女将の方が上だと言うことになるな。それにお蔦はそもそも花街の花魁だぞ?じゃあ、売春が禁止されている東和の市民である女将の方がどう見ても格上のように私には見えるのだが……」
静かに烏龍茶を飲んでいたカウラはそう言って春子を見上げた。
「これだから東和の常識しか知らない上にうぶなだけが売りの小隊長には話をしても無駄なんだってことが良く分かるねえ。花街の太夫……しかもその番付で一番になった太夫はそんな女の中でも別格なんだよ。名門貴族の奥方にもかつてそういう経歴を持っている人間は数人いるんだ。まず、そこまで成り上がった花魁の身請けの金額がそんな金持ちの貴族でもなければ出せる額じゃねえ。西の野郎が一億とか言ってたらしいが、ありゃ身請け代だけ見ても甘いな。花街の格ってもんはアイツにはわかっちゃいねえ。安く見積もっても三百万円……ああ、甲武円のレートを東和円に換算すると大体3億円が相場だな。そんな女を手に入れたんだ。叔父貴が浮かれねえわけがねえ」
かなめは静かにそう言った。
「3億円!凄い……でもそんな人身売買が普通に行われている甲武はやはりおかしいと思います」
誠はかなめの出した金額に驚きながらも正直な感想を口にしていた。
「そう……3億円の女と今新さんはしているのね……吉原にも一晩で一億稼ぐなんて触れ込みのキャバ嬢やホストはいたけど、あれは好景気で金を持て余した成金相手の話よ。貧しい甲武でそれだけの値が付く女となれば、意味が違うわね、実際のところはそうじゃないことは私も知ってるわよ。それに甲武はそれこそ貧しいことで有名だもの。そこでのお金がどれほどの価値か……そうなると東和でもこの百年語り継がれるような伝説のキャバ嬢やホストと同格の人と新さんは結ばれたのね……」
ビールを飲みながら遠くを見るような目で春子はそう言った。
「ただ、あのお蔦。年の頃から考えて3億じゃ済まねえだろうな……それにあの世界を知り尽くしている親父のことだ。ただ楼主に身請け代を出せば話が済む世界だとあの世界を見ているほど甘い男じゃねえ。そもそも甲武四大公家筆頭の貴族様が身請けするとなったら値切るような野暮な真似はしねえだろうからな。店が吹っかけてきたら言い値を出すだろうな……その他、甲武四大公家が身請けをするとなると他の店に金を配ると言う風習が花街にはあるが……その金は少なく見積もって10億……それに最後の花魁道中の衣装代や花代だなんだで20億ぐらいは使っていてもおかしくねえな」
かなめはいやらしい笑みを浮かべながら周りを見回した。
「20億の女ねえ……そりゃあ隊長が夢中になるわけだわ……でも、もうあれから6時間は経つわよ。さすがのあの性欲お化けも休んでるんじゃないの?」
アメリアは感慨深げにそう言うと夜メニューに切り替わって出てきたボンジリを口に運んだ。
「あら、たぶんそんなことはないと思うわよ。私は知っているもの。あの人が女に合わせている時と、本気で欲しがっている時の違いくらいはね……まあ、途中で何度も気を失うとそこで休んでくれてその度に笑顔で語りかけてくる新さんの顔を今でも思い出せるわ」
春子はそう言ってビールを飲みつつ悲し気に微笑んだ。
「やっぱり叔父貴の奴、女将さんにまで手を出してたのか!これじゃあ安城さんが見限るわけだ!あの色情狂が!」
かなめはそう言ってラムの入ったグラスをテーブルに叩きつけた。
「もう昔の話よ。そう、新さんが東和に来て3年目。私が悪いヒモに騙されて……それこそ今日は命が無いんじゃないかと言う日に一緒にあの男が待つ部屋についてきてくれて……その男を一発殴りつけて追い返してしまった頃……その後、何度か私たちはそういう関係になった……でも、ある日突然新さんはこの東和から姿を消しちゃったのよ。新さんの紹介で高級店に移った後にテレビで遼南内戦の有力軍閥の首領としてインタビューに答えている新さんを見て思ったわ……この人には平和は似合わない人なんだってね。あの人にはこの東和の平和な日常は退屈に過ぎるのよ……あの人は戦う人だったのね。そして私はただその帰りを待つ女……でも聞いた話では待った甲斐も無かったみたいね」
春子はそう言って空いたグラスにビールを注いだ。その瞳には涙が浮かんでいた。
「戦う男ねえ……確かに私も運航部の部長に就任するかどうか聞かれた際に渡された資料で隊長の過去は知ってるけど……その時は春子さんと同じことを思ったものよ。実際に会うまではもっと好戦的で情熱に満ちた人物なんじゃないかとね。でも、会って話をしてみるとまるでその経歴の持ち主が口にするとは思えない話しかしないじゃない……誠ちゃんは先入観無しに隊長を見ることになったから聞くけど……初めて隊に来て隊長を見た時どう思った?戦う男に見えた?」
アメリアは急に誠に向き直るとそう尋ねてきた。
「僕が隊長に……あの人は実家の剣道場によく来てましたけどその時も変な人だなあと言うくらいの印象で、ここに来た時もあの人に戦いの匂いなんて感じませんでしたよ。まるで典型的な人間失格の『駄目人間』。人をおもちゃにして喜ぶ大人になり切れない子供。そんな感じにしか見えませんでしたよ。確かに午前中の隊長とお蔦さんの話でそれはうわべだけって言うことらしいのは頭では理解しているつもりなんですけど……それでも今日の帰り方にしろ、やっぱり隊長は『駄目人間』にしか見えないですよ」
誠は初対面の嵯峨に関する印象を正直に答えた。戦いということなら会ってすぐにその発する迫力から畏怖を感じた幼女にしか見えないランの方がよっぽど『戦う女』という言葉がふさわしかった。
そんなランは相変わらず背中の毘沙門天の刺青風のシールを見せびらかしながら島田とサラを懇々と説教していた。
「確かに、アタシがこの部隊に配属になって叔父貴と再会した時は以前のギラギラしたところが消えていたな。それを指摘すると『俺ももういい年だよ』とはぐらかされたもんだ。見た年格好がまるで変わらねえのに何言ってんだかと思ったけどな。まあ、そのことをネタにお袋の話をすると震えあがるのは以前と変わらなかったのは面白かったけど。春子さん。戦いの場に一番最近までいたアタシはそう見てる。叔父貴はもう『戦う男』じゃねえよ」
そこまで言うとかなめは静かに口にしていたグラスを置いた。
「叔父貴は今は『戦いを恐れない男』に変わったんだ。女将さんもそこは誤解しねえでおいた方がいい」
この場にいる女性の中で一番戦闘的なかなめの言葉だけに聞いていた誠にはその言葉は説得力がある言葉に聞こえた。
そしてそのままかなめはじっと春子を見つめて話を続けた。
「金払いのいい夜の女相手の吉原からこんな田舎町の豊川に店を移したのは小夏のガキの教育上の理由だけじゃねえんだろ?だったらなんでその思いをこれまでずっと叔父貴に黙ってたんだよ!そもそもあんな甲武から来て今日から叔父貴の女になりますからよろしくって言って叔父貴がそう言うのを断らないことを良いことに持っていく女なんかに叔父貴を取られて悔しくねえのかよ!今からでも叔父貴の所に乗り込んであの女から叔父貴を奪ってこいよ!アタシはお蔦が悪い女じゃねえことは認めるが、春子さんの方が叔父貴にはふさわしいと思ってるんだ。こりゃあアタシの本音だよ」
かなめは強い口調で春子にそう言った。
「でも、もう遅いんでしょ?お蔦さんは二十九年待ったんでしょ?待ったと言うよりも諦めていたんでしょ?それでも思い続けていたなんて話を聞いた時点で、自分は敵わないと分かったわ。たぶんそんな自分を待ち続けて星を超えて会いに来た女に新さんは夢中……男の心なんてそんなものよ。私もそんな話はこの店を吉原で始めた頃から若いそういうお店の女の子から散々聞かされてはかなめさんと同じようなことを言って返してきたもの。でも、それはその子にその人を諦めさせるため。その人の中でその男の姿を消してしまうのにはそれが一番だと思ったから……でも私は私の中の新さんを消してしまいたくはないの。だから私は新さんにとっては昔の女としてこれからは生きていくつもりよ。私はそれでもいい、私も新さんはいい思い出に変えるわ……本当は安城少佐のような私から見ればいつも新さんの隣りで戦える人と結ばれればと思ってたんだけど……世の中思うようにはいかないものね……」
春子はあくまで大人の女性として諭すようにかなめにそう言った。
そんな年上の女性の話を聞きながら誠は嵯峨と言う男から見ると見た目と頭以外に何の取り柄もない『駄目人間』に思いを打ち明けるまともな女性が複数いるという事実と自分に思いを打ち明ける女性がどこか社会的にアウトな存在であることを思い出して苦いビールを飲んだ。




