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遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』と『戦時の青春』と『初デート』と  作者: 橋本 直
第四章 『特殊な部隊』の隊長の青春

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第18話 一つのすれ違いが作った歴史

「でもお蔦さん。藤の屋へ移って太夫になったって話だったけど、あそこでどうやってそこまで上り詰めたんだい?まだ二十三の売れ盛りとはいえあの藤の屋の太夫とくればなりたいです、はいどうぞというわけにはいかないだろうしね……苦労したんじゃないの?」


 嵯峨はお蔦に向けてそう語りかけた。


「だから言ったじゃないのさ。アタシは花街の藤の屋に移ったって。そこで花魁になり、花魁の中では下位にあたる格子から始めて三か月で太夫になった。自慢じゃないけどこんなに早く出世した女はこれまで見たことが無いと花街でも話題になったくらいだ。お美代さんの話はそりゃあ巷で有名で相模屋から移った子はみんな太夫になったけどアタシがやっぱりその中でも一番だった。でもそれだけじゃないよ……三味線とか小唄や都々逸なんかを教えてくれたのは全部新さんじゃないのさ。いや、新さんに感謝しなきゃならないのはむしろそこから先で、政治家が来ればその相手が何を考えてるかぴたりと当てる、商会の主が来れば酒の相手をしながらその社長か重役が困っている相談にもきっちり乗れる。そんな花魁が当時の花街にアタシの他に誰がいたかって言うんだよ!小娘のアタシが口にする理屈に、偉い先生方が唸らされるのを見るのはそりゃあアタシには痛快だったね。まるでアタシ自身が新さんになった気分だったよ。中でも自慢なのが軍需会社の社長が、政府の無理な増産命令を断れず困っていることを見抜いて、義基さまにつながる東和から金属を買っているという商社をやってる他の子の客へ相談をつないだことがあったねえ……こんなことはアタシじゃ無きゃ無理な相談だね」

挿絵(By みてみん)

 得意げにそう語るお蔦を見ながら嵯峨が風俗へ通う理由のすべてが高尚だとは、誠にも到底思えなかった。それでも誠にもようやく、嵯峨にとって花街が単なる遊興の場ではなく、人間と情報の集まる場所でもあったことが分かってきた。


 お蔦の語る花街が単なる遊興の場ではなく、政治と金と女の意地がせめぎ合うもう一つの戦場だと言いたいのだと。


「時勢は戦争直前ということで客足は鈍いんだけど、そんな中でも藤の屋に来るのは政府の偉い人……しかも立場的に厄介な立場にある人ばかりだったんだ。そんな中、『今日は厄介な客が来てる』となればいつだってアタシの出番だった。そんな時に役立ったのが、新さんから教わったことばかりだったんだ。アタシを呼べば最高の女を抱けるだけじゃなくてわざわざ三味線を弾かせるためだけに芸者を呼ぶ必要も無い……偉い人の気分をよくするためのものが分かってるその筋でも一流の幇間すらいらないんだ。そりゃあ重宝もされるわね。それにさすが花街の大店だけあった。出される料理も戦時中だというのに東和から取り寄せた一流の食材を使った料理が出ることも太夫になった甲斐があったね。客も武骨で雑な軍人なんか一人も来ないで遊び慣れたあるお方のお知り合いばかり。それは良い思いをしたよ」


 お蔦は得意げに一同を見回した。


「まあ、叔父貴は聞いた話じゃお袋にしごかれてる間以外は居候の芸人達に色々芸を習ってたらしいからな。そんぐらいの事出来て当然か……それに政治だの経済だのは昔っから叔父貴の得意分野だろ?それを馬鹿にでも分かるように教えるなんざ叔父貴には得意なはず……でもそれなら神前はいつまで経ってもそっちの方がアタシ以下なのは神前がお蔦より馬鹿ってことか?叔父貴……オメエにはそんな教育は神前には一切しねえつもりだな?全部ランの姐御とアメリアがやるから自分はやりたくないって……叔父貴は男には徹底的に厳しいんだな。赤松提督も叔父貴には苦労されたって親父に会いに来るたびに嘆いてたぞ……叔父貴が本局に嫌われるのも男に厳しすぎるせいかと思ったが、人事部長は女だったな。ますます理由が分からねえ。気に食わねえ」


 かなめは不愉快そうにそう言って嵯峨を見つめた。


「かなめ坊。だって、ランとアメリアがやりたいって言うんだから俺が邪魔したら迷惑じゃん?それに二人とも俺がそれなりにそういうことを教えてやったんだからこれは俺が直接教えているのと同じ。まあ、俺が男に厳しいというのは否定しないけどね。何しろ学校には男しかいない環境で、しかもそいつらのほとんどが俺のことが気に食わないっていう環境で育ったんだから仕方がないじゃないの。だから俺は男には厳しいし、もっと良くなりたいって女を見ると手を差し伸べたくなる。そういう性分にしたのは甲武の学校制度なの。でも、お蔦さん、太夫かい……あの世界じゃそれこそそうなれば……年季が明けてもその顔を見たさに飲み食いさせる店でも持てば一生食うに困らない最上級の地位だもんな。だけどそんな誰もが羨むような太夫を俺は生まれてこのかた一度も抱いたことはねえな。いや、お蔦さんを抱いたってことは俺は太夫格の女を抱いてたってことか。そりゃあ鼻が高い。しかもそれが俺のちょっとしたお遊びにお蔦さんが飽きずに付き合ってくれたからと言ってもらえるとますますうれしい話だね」


 嵯峨はそう言って遠くを見るような視線を天井に向けながらタバコをふかした。


「そうだよ、しかもアタシを買うのはみんな新さんの知ってるあるお方の関係者の上客ばかり……おかげで花魁の中でもアタシは一番の花魁と花街でも称されるようになった。ただ、そのおかげで毎日憲兵隊が店に来るようになった。あのお方は当局に目を付けられている。昨日の客も売国奴だ。憲兵の連中は毎日のようにそう言って店の前でそうすごんで去っていくんだ。アタシは嫌いだよ、憲兵は」


 得意げにお蔦は嵯峨に向けてそう言い放った。


「俺も一応そのお蔦さんが嫌いな憲兵なんだけどね。お蔦さんの言ってるそのお方はどうせ義兄貴(あにき)なんだろ……俺の悪事は全部義父(おやじ)に筒抜けだったからな。俺より派手に遊んでた義兄貴がそんなことに気付かないわけがないよね。当時は義兄貴は戦争に反対して外務省を出仕を禁じられて謹慎してたんだっけ……あの俺より派手に遊んでた義兄貴にも困ったもんだ」


 嵯峨は困ったような表情で嵯峨の義兄、現甲武国宰相西園寺義基の柔和な顔を思い出し、その娘であるかなめとかえでの方に目をやった。


「なんだよ叔父貴。結局は叔父貴は爺さんと親父の手の上で遊んでただけじゃねえか。随分と偉そうなこと言ってた割にはあっけない落ちじゃねえか」


 かなめは軽蔑したように嵯峨に向けてそう言った。


「ああ、今考えてみると頭が回るともてはやされただけの餓鬼である俺が周りを利用するつもりが利用されてただけだったってことだな。かなめ坊も非正規部隊で敵味方入り乱れる作戦行動を数多くこなしてたんだからそんな経験の一つや二つあるんじゃないの?だから策士は一日にしてならずだよ。つまらない舞踏会の女達にお蔦さんの面影が無いことに気付いてうんざりしていた俺は近づいてはいけない悪女だと知りながら、いつの間にかエリーゼに夢中になっていた。もうお蔦さんに会えないとなるとこの浮気女をなんとか俺一人に引き留めようと必死だったんだ。でも……今考えてみるとそもそもあの女を独占することなんて無茶な話だったんだな……もしエリーゼが生きていたとしてもたぶんすべてを投げ捨てて俺の所まで来ることなんてあり得ないね。アイツのことだから常に目についた男の中で一番の男を探し続ける。まあ、その過程で俺以上の男がいればそこに落ち着くんじゃないの。だからエリーゼだったらここには来ないわな」


 そう言って嵯峨は嵯峨とエリーゼの娘である茜を見つめた。


「お父様。またお母様をそのように……!」


 必死になって抵抗する茜にはすでに疲労の色が見えているのが誠にも分かった。


「違うにしても限度ってもんがあるだろうが。お前さんの潔癖症は甲武だったら病気扱いされるぞ。甲武じゃ25過ぎた女が独身でいるのは異常なことなんだ。ああ、かなめとかえでのことな。こいつら甲武の貴族連中の間じゃ完全に異常者認定されてるから大丈夫。それでもこの二人に言い寄る馬鹿がいる……どうせ四大公家の権威と荘園が欲しい欲の皮の突っ張った野郎ばかりだがな。神前、頼むからどっちか貰ってやってくれないかな?ああ、神前はかえでの『許婚』だった。もうかえでは売約済みか。それなら安心だ」


 嵯峨はそう言ってため息をついた。そして異常者扱いされた割に平然としているかなめとかえでを見てまた再び大きなため息をついた。


 かえでは得意げに前髪を整え、かなめは不機嫌そうに頬を膨らませ、カウラは無表情のままじっと嵯峨を見つめる。


「あのー、カウラ。その目怖いんだけど。そのうち戦争が始まったけど、俺は戦争が始まるとすぐに任務で東和に行っちまってそれ以来甲武にゃ顔を出さなかったんだが……苦労したんじゃないのかい?お蔦さん?確かにあの戦争では鏡都にはほとんど空襲は無かったけど、周辺のコロニーはかなり手ひどくやられたからな。周辺のコロニーからの物資をつなぐ交通網や生命維持に必要な電力供給網なんかのインフラが滅茶苦茶になったら鏡都のあの人口を支えるなんてそもそも無理なんだ。そうなったらどうなるかは当時その場にいなかった俺にでも分かるよ」


 嵯峨はそう言ってお蔦を見つめた。


「まず、戦争がはじまると政府は『風紀を乱す』という理由で花街に圧力をかけてきたね。その風紀を乱すと言っている偉い軍人さんが他の店に毎晩通っているのを知ってるアタシ等には何言ってんだいと思ったけどそんなことを一言でも言おうもんなら憲兵や警察がとっ捕まえに来るのが当時のご時世さ。だからそんな偉い人達の鶴の一声で多くの店が無くなって、そこの女達は軍需工場の女工に徴用された……でもそんな中で藤の屋は店を開き続けたんだ」


 厳しい表情でお蔦はそう言った。


「お蔦さんが言うところの偉い人にとっての目の上のたん瘤だった太閤と関白である義親父と義兄か……そう言うことにうるさい警察も太閤の名や関白太政大臣の威光には逆らえねえからな。でも、客は酷いのが来たろ?当時は町じゃ軍人がさも偉そうに威張ってたって……まあ、俺も憲兵隊に居た口だから偉い事は言えねえが当時の鏡都じゃ軍人は神様扱いだったらしいから」


 苦々し気な笑みを浮かべて嵯峨はそう言った。


「他にもやってる店に来るのは偉い軍人さんばかりだったけど藤の屋は無粋な軍人に敷居は跨がせなかったよ。軍人さんには何でもさせるのが売りって店はそれはそれは流行って配給の物も全部一番にそこに行くから最初のうちは藤の屋もかなり危なかったんだ。それじゃあやっていけないって思ってたらある御仁が毎日のようにアタシと残った格子格の遊女目当てに来るようになった……ってここまで言えば新さんならその御仁が誰かは分かるよね?」


 お蔦は笑みを浮かべてかなめとかえでに目をやった。


「また義兄貴だろ?あの恐妻家。よく康子義姉(ねえ)さんの目を盗んでそんなこと出来たな……俺は女好きを自認しているけど義兄貴のそれは俺以上だ。45になってそっちの方が大人しくなるまで結婚しなかったぐらいだからな。その結果が……あの『鬼姫』とこの目の前の変態娘二人。最悪だな。俺の方が娘には恵まれてるよ。今もにらむくらいで済んで、少なくとも警官から声をかけられたことは無いし。銃の不法所持の疑いとか、公然わいせつ罪なんかで親を呼ばれたらさすがの俺でも恥ずかしい」


 嵯峨は呆れたようにそう言った。

挿絵(By みてみん)

「うるせえ叔父貴!余計なお世話だ!そのこと今録画したデータをお袋に送ってやろうか!」


 キレたかなめがそう叫ぶと嵯峨は急に首をすくめて静かに俯いた。


「あのいまじゃあ『平民宰相』として知られている義基公は毎日のように店に来て決まってアタシを座敷に呼ぶんだけど一度もアタシの肌に手を触れようともしないんだ。ただ、その店の最高の料理と酒を頼んでそれを旨そうに飲んで話をするだけ。その料理だって全部義基公が藤の屋の為に手配した料理ばかりだよ。まったくあの人も新さんの義理の兄だけあってどこまでも気が利く御仁だね。アタシもここまでされて呼ばれた客と寝ないなんて最初は太夫の矜持ってもんがあったから何度もあの御仁を押し倒そうとしたんだがうまい事逃げられてね……こりゃあかなり若い頃は遊び慣れてた御仁で上には上がいるもんだと感心させられたよ」

挿絵(By みてみん)

 お蔦は笑顔で娘であるかなめとかえでに目をやった。


「確かにお父様が結婚なさったのは45歳の時だったからね。それまではそれこそ花街で大層お大尽な遊びをしていたらしいと僕も聞いているよ。そのあたりは僕と義基お父様が似ているところなのかもしれないね」


 かえではすかさずそう言った。誠は得意げに笑うかえでを見ながらそんなところは似ないで下さいと正直思っていた。


「そうかい、でもあの御仁のおかげで憲兵隊が毎日来るくらいで戦争前と何一つ変わらず藤の屋は店を続けられた。そして、あの事件だ……」


 お蔦の顔が曇り、悲しげな表情でかなめを見つめた。


「爺さんを狙ったテロ……アタシがこんな身体になった理由……爺さんも朝は外食と決めてて鏡都ホテルのラウンジで家族で食事をするのを日課にしてたからな。アレを理由に多くの外食店が治安維持の名目で当局により無理やり閉店に追い込まれた。ホテルや旅館もテロの標的になるという理由で全部閉店させられた。要するに戦争する以外のすべての行為は当時の甲武じゃ違法にしたかったんだよ、軍部の連中は……軍人のアタシが言えた義理じゃねえがな」

挿絵(By みてみん)

 かなめは寂しげに自分の制服の腕をまくった。そこにはサイボーグの証である人工皮膚のつなぎ目がはっきり見て取れた。


「それがあって、さすがに藤の屋の楼主も店の事を諦めて店を閉じた。アタシは……女工なんてアンタには似合わないとその御仁に言われて身請けされて西園寺御所の長屋に住みこむようになったんだよ。その御仁が、今の『平民宰相』西園寺義基さ。あの人が政治をするようになって甲武はだんだんマシになってる。以前みたいに軍人と警官が威張り散らす国じゃなくなってきてるんだ。藤太姫、かえで様。お二人ともいいお父様を持って幸せだね」


 お蔦の言葉に嵯峨の顔色が変わるのを誠は見逃さなかった。


「そうかい……お蔦さんはあそこに居たのかい……あの時……俺が西園寺御所を隅々まで捜し歩いていれば……歴史は変わったかもしれないわけだ……そうなったらたぶんこの『特殊な部隊』は存在しなかったかもしれないね。そして、今でもランは『真紅の粛清者』として今は無き遼南共和国で罪もない人々を殺し続けていたということになるわけだ。あれほど強硬に遼州同盟結成へ反対していた遼南共和国が今でもあるわけだから、遼州同盟なんてものも……出来たかもしれないけど、少なくとも今と同じ形にはならなかったと思うよ。それはそれで運命のいたずらか神の差配という奴かね……俺は目の前の幸せを捨てたおかげで多くの幸せを守らなきゃならない立場になっちまったわけか……そりゃあ俺には迷惑な話だな。まったく……迷惑だ……ああ、つい本音が出ちまったな。俺も遼州同盟が無い方がよかったとは言わねえよ。あれがなけりゃ、もっと多くの人間が死んでた。ただね、俺はそんなものを作る役目なんて欲しくなかった。お蔦さんと、どこかで静かに暮らせりゃ、それでよかったんだ……そっちが俺の本音。俺の代わりがやりたくてそれが出来る人間がいるのならそいつに全部任せりゃよかったって話だから」

挿絵(By みてみん)

 嵯峨の言葉を理解できているのは、緊張した面持ちで彼を見つめるランだけのように思えた。


 誠には嵯峨の言葉の意味がよく分からなかった。この遼州同盟という地球圏が無法を働くことを阻止している組織が無ければいいという嵯峨の言葉があまりに無責任に思えて少し悲しい気持ちになってきていた。


 そんな誠を見ながらランだけは嵯峨を責めるような目をしていなかった。むしろ、何かを返せずにいる者のように、小さく拳を握っていた。

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