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遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』と『戦時の青春』と『初デート』と  作者: 橋本 直
第四章 『特殊な部隊』の隊長の青春

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第17話 幸せな若い日の終わり

「そんな高等予科時代の馬鹿も俺が18の時に終わりを迎えたわけなんだ。幸せなんて長続きしないもんなんだな。そんなもんだと俺はその時しみじみと感じたね。時代は戦争へ一直線の時代だ。たぶんこんな別れは甲武の街中に転がってただろう。俺が殿上貴族だからお蔦やお美代さんや一学や忠さんや貞やんみたいな人から見れば名の知られた人間が出てきただけの話であって、俺のあの戦争での部下達のそういう話の中にもこれと似たような話はいくらでもあったと聞くよ。あの頃の甲武ではありふれた出来事だったんだ」


 嵯峨は突然真面目な表情になって周りを見回した。


「お蔦のことが忘れられない俺にも当たり前のように陸軍大学校に入らないかって話があってね……官位のある上流の貴族しかそもそも入学できない高等予科学校を満点の首席で卒業すると特例として士官学校も軍務も経ずに一足飛びに陸軍の将官への昇進が約束される陸軍大学校に進めるって言う特典があるんだよ。戦場も知らない十八の餓鬼に、将軍になる切符を渡すんだ。あの国が負けた理由が分かるだろ?でも俺はその『特例』って言葉につられて何の考えも無くそれに飛びついた。それは……今考えてみりゃ若気の至りの極致だったんだがね。そんなことで今ある幸せを捨て去るなんて今の俺から言わせれば最悪の馬鹿のすることだ」


 そう言って嵯峨はまだ長く残っているタバコを灰皿に押し付けて一息つくと、気分を変えるようにため息をついた後に再びタバコを取り出して火をつけた。

挿絵(By みてみん)

「当時はまだ俺にも名誉欲なんていう今から言わせれば糞の役にも立たない感情が残ってたんだろうね。要するに俺は所詮は賢いと言われているだけのお坊ちゃまだったと言うことさ。そしてこのイカレタ方向にひた走るこの国をなんとかしてやろうなんて言う野心もあった。そして何より今の俺から見ると目の前の現実も理解できていない大馬鹿野郎だったということだな。その結果、あの大戦であんなことをさせられることになるとは……俺が蒔いた種だったんだ。目の前の幸せのためにすべてを捨てる勇気が無かった。あの俺の前でお美代さんや絵の為なら家でも捨てると言った一学のことを俺は笑えないよ。それだけじゃない……俺には神前を臆病者だって笑う資格も無いんだ。まあ、俺に言わせるとこの宇宙に神前を臆病者だと笑える人間なんて一人もいないね。要するにそいつは勇敢なふりをして何かが自分の手から転がり落ちるのが怖いだけなんだから。当時の俺がまさにそうだったから」


 嵯峨の顔に影が差し、その表情に後悔の念が浮かんでいるのが誠にも分かった。


「でも、爛れた女郎屋での日々よりはよっぽど陸軍大学校での寮生活の方が健康的なんではなくって?何よりあそこは当時は女人禁制でしょ?終戦も間近になって男性の七割が戦死するほどに国が疲弊して女性の兵士が駆り出されるようになってあそこも共学化されましたけど……陸軍大学校の寮は今でも男女別のはずですよ」


 反撃の機会を伺っていた茜が刺すような視線で嵯峨を見つめた。


 その得意げな茜の言葉に対する父の嵯峨は明らかにうんざりしたような表情で話を続ける。


「茜……そんなに俺をいじめているつもりになるのが楽しいの?ならそれで良いよ、俺はお前さんがそう思うのも自由だと考えているから。しかし、あそこでの生活が健康的に見えるとはねえ……茜も変わった考えの持ち主なんだね。確かに生理学的には健康には良いかもしれないな。でも俺は不死人だぜ。そんなの関係ねえよ。それより心の健康には最悪の環境だ。あんなもん監獄と一緒だよ。起きる時間から、寮に帰ってからの自習時間、そして寝る時間まで分刻みで管理されてそれに違反すると懲罰部屋で反省文を書かされる……あそこは監獄以外の何ものでもないね。まあ、日曜日に休みがあるのがその違いくらいのもんだ」


 誠はそんな規則正しい生活を時間にルーズな嵯峨が強制されていたことがあまりに意外に思えた。


「しかも期待して入ってみればやってることは戦争の始め方とか俺の知ってることばかり。そんなことで学ぶのも嫌だってんで教官に言って鏡大の法学研究科と政治学研究科に特例で籍を置いて通ってたの。そこで話の分かる先生たちと相談しながら以前から書きためていた論文を二本まとめて出して、二年の間に法学と政治学の学位を取った。その学位を持って大学校に舞い戻ったら教官の奴、腰を抜かしてね。『奇才現る』とか抜かして俺を陸軍大学校の首席に推薦したんだ。そんな俺としては大したことしたつもりはないんだけどね……」


 嵯峨は自虐的な口調の割に得意げにそう語った。そこで初めて茜のそれまでの敵意むき出しの表情から驚きに満ちたものに変わった。甲武の大学の学位制度を知らない誠でも茜のその表情を見れば嵯峨のその二つの博士号を二年で取ると言うことがどれほど異常なことなのかは理解できた。


「他の連中もそれぞれの道に進んだ。貞やんは陸軍士官学校。忠さんと一学は海軍兵学校に進んで相模屋の悪ガキどもは悪所から足を洗った……いや、一学は海軍兵学校に行きながらも相模屋に残ったな。愛しのお美代さんとは離れられないってね。もうその頃にはアイツの恋愛はそれこそ甲武の平民の間じゃ大層話題になってね。『天才画家にして未来の軍を担うエリートと、か弱い女郎の禁じられた恋』とか言って海軍兵学校の話の分かる教官達も二人を引き離せなかったんだ。でもあまりに有名になりすぎて相模屋は女郎屋をやめて文化人のサロンみたいなことを始めたらしいね……お蔦さん。そう言えば相模屋がそんなふうになったその後、相模屋の女郎たちはどこ行ったの?文化サロンじゃ女を売るような真似は出来ないじゃん。俺も予定もない日曜日に久しぶりにお蔦さんに会いに行ったのにあそこには一学とお美代さんと気取った芸術家連中しかいなかった。気になるなあ、あの後お蔦さんがどうしたか。年季はかなり残ってたはずじゃないの」


 嵯峨は不思議そうな視線をお蔦に向けた。

挿絵(By みてみん)

「そうだね、相模屋が女郎屋の看板を下ろした後の話かい?これは一学さんとお美代さんのおかげなんだけどさ、アタシらは花街の藤の屋に売られたんだ。何しろ話題のお美代と店一番を競い合ったアタシがいるってことで花街でもアタシ達をどの店が抱えようかで大揉めに揉めたらしいけど、そうなると花街一の格式の藤の屋以外のどこがアタシにふさわしいんだよ。なんと言ってもあそこは甲武四大公家の方も通うことで知られる花街一の大店だ。待遇もこれまでとはまるで違う天国みたいなところだった。そこでアタシは一気に階段を駆け上って太夫になり、あっという間に花街一の花魁になった……新さん、鼻が高いだろ?」


 得意げにお蔦は嵯峨を見つめた。得意げなお蔦に対して嵯峨は少し寂しげな表情を浮かべた。


「道理でねえ……陸軍大学校の規則で花街への出入りは禁止されてたんだ。そのくせ岡場所なら自由って……あの寮則を作ったやつは馬鹿なんじゃねえのか?それとなんなんだよあの国は?あんなところにお蔦やお美代さん以上の女がゴロゴロ……ああ、リンは別格。お前さんは当時は甲武の岡場所にはいないどころか『ラスト・バタリオン』の製造プラントはまだ建造中だから関係ないから。自棄になった俺は、そんな寂しさから日曜になるといけ好かない貴族の女どもを狙って舞踏会とかに出かけるようになったんだ。そこで会ったのがエリーゼ。典型的なドイツ美女だったが……ここから先のことを詳しく言うと茜が怒るから言わない」


 そう言って嵯峨は娘の茜に眼をやった。


「そうやって私にほのめかすことでお母様を侮辱するのは止めていただけませんか?母はドイツ貴族で騎士です!」


 毅然とした口調で茜は父に向けて抗議した。


「あれ?俺何も言ってないよ?この流れでエリーゼが出てきたら、次に何があったかくらい察するだろ?程度のことを言ったのは事実だけどその内容を邪推したのは茜でしょ?だったらそれは俺が悪いんじゃなくって茜が勝手に妄想した事……たぶんそれが事実に近い……というか夫である俺としてはもっと最悪だったと思うけど」


 嵯峨は茜を余裕の笑みで見つめていた。そこには完全に勝ち誇った笑みが浮かんでいたので茜は何も言えずにただ父を睨み返すことしかできなかった。

挿絵(By みてみん)

「でも……あの四人で今も生きてるのは俺と忠さんだけなんだよな。一学はあの戦争で、貞やんは『官派の乱』で死んだ。どっちも死ぬべきじゃなかった。『いい奴ほど長生きしないな』……忠さんと会うたび、一度はそんな話になるんだ。生き残ったのは誰からも嫌われることで知られている俺と、お人好しだけが取り柄の忠さんだけ。でも死んじまったものはどうしようもないね。それが俺達の生まれた時代。それを受け入れろというのがこの世の中というものらしいや」


 嵯峨は遠くを見るような視線で一同を見渡した。誠はその言葉に戦争のある国甲武の若者の厳しい現実を知った。


「まずは一学さんね。あの人は本当に『青葉の筆』に描かれた……あの元歌の『青葉の笛』の公達、平敦盛みたいな童顔のきりっとしたいい男でねえ……ただ、平敦盛が弱々しい公達だったのに対して一学さんは一見線は細く見えるが相模屋でもたまに兵隊が暴れた時なんかは遥かに大柄のそいつを一瞬で片づけちまうような腕の立つ『鬼美濃』と呼ばれた武人だよ。あの美少年みたいな顔で敵を蹴散らすさまはアタシも新聞を読んで知っていたが痛快だったね」


 お蔦の言葉はこれまでの歓喜に満ちたものでは無かった。


「アイツが?アレは新聞の四割がたはでっち上げ。確かにアイツには『鬼美濃』という二つ名に恥じない実力はあった。でも、強さで言ったら『甲武の大百足』と呼ばれた本物のエースの貞やんの方が上だな。一学は強いが戦況をひっくり返せるほどのエースじゃない。ただ強いだけ。一方の貞やんはそれこそ一人で戦況を真逆に変えられる。だからあの戦争を生き延びたし、『官派の乱』ではそれを頼りにし過ぎてあくまで真面目に戦争をやる忠さんには勝てなかった。そんだけの話だ」


 かつての伝説の二人のエースを嵯峨はそう評した。その評に静かにうなずいているランを見て誠は嵯峨の二人のエースの実力がどういうものなのかをなんとなく理解して、それが理解できない自分がまだまだなのだと改めて思った。


「『冥王星の戦敗れ討たれし甲武の公達哀れ』か。俺もあの戦争が終わって三年後に甲武に戻った時に街で子供がそう歌いながらはしゃいでいるのを見ながら聞いたよ。『第二次遼州戦争』末期の最大の戦いである冥王星基地攻防戦。冥王星基地は地球侵攻の最後の足掛かりで、地球軍にとっては絶対に奪い返す必要があった。一方の甲武軍は主力を遼州圏へ回していて、基地には残存兵力しかなかった。それに対し、地球に降り注ぐ核ミサイルを阻止するためには地球の軍隊としてはどうしても冥王星基地を奪還する必要があった。俺は参加していないけどそれは大規模な作戦だったと記録にあるのは知ってるよ」


 嵯峨の表情は時折彼が見せる戦略家としての顔に変わっていた。


「ただ、物量に勝る地球軍と、遼州圏で物量戦による大反撃を開始した外惑星連邦、遼北人民解放軍への対策として主力艦隊をそちらに派遣していたからわずかな残存兵力しか残されていなかった甲武軍にはどう見ても勝ち目は無かった。守り切ることはおろか包囲する地球圏の艦隊を前にして包囲された基地から撤退することすら不可能という状態だった。あの戦いが始まる前からあれは玉砕覚悟の作戦だったんだ」


 嵯峨はその視線をランに向けた。それまで押し黙って色恋話を半ば聞き流していたランも戦争の話となると顔色を変えていた。


「知ってるよ、アタシも。その地球軍の分厚い包囲網の突破口を開いたのが斎藤一学に率いられた濃州戦闘隊。斎藤一学中佐機の水色の九七式特機を先頭に一糸乱れぬ攻撃を仕掛けて絶対に崩れることは無いと思われていた地球軍の包囲網を甲武軍は突破し遼州圏への帰還を果たした。誰もが玉砕すると信じていた冥王星基地の守備隊がほぼ無傷で遼州圏に帰還することになったんだ。おかげで甲武は遼州圏内での本土防空戦に戦力を温存することが出来た。そして西園寺の親父さんが結んだ終戦協定もその戦力が無ければ恐らくは有り得なかった話だとアタシは見てる」


 ランはそう言って厳しい顔で一同を見回した。


「味方の大半の脱出を確認すると斎藤一学はその場に戻り殿(しんがり)を務めた。地球軍は包囲部隊の残存戦力を集中させ、たった一機の九七式を苦戦しながら多数の損傷艦と撃墜機を出してこれを仕留めた。オメーら。オメーらも知ってる甲武の先代の主力シュツルム・パンツァーである『火龍』はこの九七式をベースに改造された機体だ。だから『火龍』は装甲が薄い。その分機動性と運動性が高いからそれを念頭に今後の作戦を行え……隊長はアタシにそう言わせたかったんだろ?」


 半分義務的な口調でランはそう言った。あくまで嵯峨の色恋の話などはランの関心ではなく、その場に集った四人の武人の戦果だけがランの脳裏で反芻されていたことだけが分かると誠はつい笑ってしまっていた。

挿絵(By みてみん)

「そう言うこと。その時死を覚悟した一学がお美代さんに形見に残した筆が『青葉』だ。アイツの遺作は『地球連作』ってやつでね。戦場へ向かう途中で見た地球を描いた作品なんだ。その絵とともに一学はその時愛用した筆を『これをお美代さんに。僕は帰るつもりだが、万一帰れなかった時だけ渡してくれ』と部下に言って出撃して戦場に散った。そう言えば、お蔦さん知ってるかい?一学が死んでからお美代さんがどうしたか……俺は事情が有って終戦後三年間は甲武に帰れなかったから……俺も一学が死んだのは知ってたから色々手を尽くしてお美代さんを探したんだ。二人をくっつけた男としての責任もあるからな。一学の野郎が勝手に死んだことには俺は今でも納得してはいないが、奴なりの考えがあったんだろう。それ自体に今さら口を挟むつもりはない。けどお美代さん……残されたお美代さんの話が俺がいくら調べても分からないんだ……そういうコネのあるお蔦なら知ってるんじゃないかって思ってね」


 嵯峨は思い出したようにお蔦にそう尋ねた。


「お美代さんは一学さんが死んで四十九日の法要が済むと、相模屋を出たという話はアタシも聞いてるんだが……どうしたんだろうねえ……ただ、噂じゃあその筆を持って一学さんの墓のある濃州コロニーに行って尼になったという話だよ……それもあくまで噂だけどね。ただ、一学さんの死を知って泣き崩れるお美代さんを相模屋の元楼主はとても見てられなかったと言ってたよ。そして元楼主やお美代さんに会いたいという文化人たちからもらったそれなりのお金を持って出て行くお美代さんを奴は止められなかった。食べるものも食べられなくなってやせ細っていくお美代さんはそれこそ見ていられなかったらしいね。そして覚悟を決めたかのように元相模屋のサロンを出ると言い出してそれっきり……今頃どうしているんだろうねえ。すまないね、新さん。アタシも本当にその話の結末は知らないんだよ……ただね、新さん。相模屋を出て行く時、お美代ちゃんが胸に抱いていたのは、一学さんが残した『青葉』だったって話だよ」

挿絵(By みてみん)

 お蔦は静かな口調でそう言って涙した。誠は愛するもののために生きた女がそれを失ってすべてを捨ててどこに行ったか想像することが出来なかった。そしてちらりと隣に座るかなめを見たが、かなめはただ黙って嵯峨とお蔦を見比べるばかりで何も言う様子は無かった。

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