第14話 現実の居残り佐平次
「アタシはくどいことは嫌いなんだ。そんなみみっちい話なんて興味はないね。そんな話は茜みたいな合法であること以外には何の興味もねえ『鋼鉄の処女』にでも任せておきゃあいいんだ。だから、そんな茜好みの野暮な話はよそうや。それより叔父貴。そんな花街の花魁の一番人気を岡惚れさせるなんてどんな手を使ったんだ?教えろ。アタシも参考にする。あれか?やっぱり定番は夜這いか?それとも店の番頭でも買収したか?ああ、昔っから叔父貴は金があるとすぐ使っちまうからそっちはあり得ねえから……やっぱり裏口から忍び込んで夜這いでもしたんだろ?アタシも何度か夜這いをかけようとはしたんだが、こいつは揺すっても全然起きねえんだ。さすがに寝てる奴をどうこうするほど落ちちゃいねえから、そのまま帰ったけどな」
かなめは明らかに誠を意識しながら嵯峨に向けてそう言った。誠は実は自分が熟睡中にそのような事態が起きていたことは想像もつかなかったので言葉もなくいかにも楽しそうに笑うかなめを見つめるばかりだった。
「やっぱりかなめちゃんも夜這いをしてたんだ。私も二度くらい起こしに行ったけど、全然駄目だったの。次は非常ベルでも持っていこうかしら」
面白がってアメリアまでもが誠の部屋に忍び込んだことを告白し始めたので誠は自然に顔が赤らんでいくのを感じていた。
「起こしてどうするつもりだったんですか!それにアメリアさんのことだから本当に大音量で寮のほぼ全員が起きるような奴を用意するんでしょ?そして寮の先輩たちの前で何をしようというんですか!止めてください!犯罪ですよそれはもう!」
誠が必死に抗議しても、アメリアは涼しい顔で彼を見返すだけだった。犯罪だ。それは間違いない。だが、自分が気づかない間に二度もそんな機会があったと知ると、二十四歳の童貞として一瞬だけ複雑な気分になった。
ただ、間違いなくそのような関係でかなめやアメリアと結ばれたと聞いた場合に大笑いするのが嵯峨と島田だけという事実を知っているのでこの場では何も言わない方が得策だと考えて黙り込んだ。
「へえ、かなめ坊もそんなことが気になるのか。いいや、俺もあん時は高等予科の二年生の餓鬼だった。若かったんだよ。あ、その目!お前さん達俺が生まれた時からこの姿だったと思ってるな!俺は『ラスト・バタリオン』じゃないから赤ちゃんの時代もあったし、子供の時代もあった!今の見た目は20代の時からも変わらないけどそれは俺の体質なんだから仕方がないんだよ!」
嵯峨は照れたようにそう笑った。その顔にはいつもには無い自分の無茶だった時代を思い出すようなはにかんだ笑みが浮かんでいた。
「本当にあの頃の新さんは若くってギラギラしたところがあったねえ……。今の新さんは若くは見えるけどアタシと同じで世の中を見てきた風格というか……ああ、アタシは風格じゃなくって苦労だけどそんなもんを感じるよ。まず、余裕がある。あの頃の新さんは腕っぷしと頭は切れたがそう言う落ち着きはまるでなかったからね。散々爺さんたちのおもちゃにされたことがあるアタシが言うが、連中には余裕があるがそれ以外には何にもない。その点今の新さんにはアタシが男に求めるその最高の姿があるように見えてアタシもうれしくなってくるよ。今日来てアタシは本当に正解だったと思うね」
笑顔でそう言うお蔦を見て嵯峨は珍しく照れたように頭を掻いた。誠も春子と話をしているとき以外でそんな態度をとる嵯峨を見たことがなかった。
そんな誠の思惑とは別にお蔦の話は進んだ。
「あの時はアタシは19。田川宿の相模屋の二枚看板と呼ばれててねえ……でも、新さん。あの時どうやってうちの敷居を跨いだんだい?アタシも座敷に出てデカい面した餓鬼が偉そうに酒を飲んでるのを見て驚いたもんだよ。なんでこんな餓鬼が偉そうに女郎を買いに来たんだってね。確かに体格は立派で着るものはそれは立派だった。でも貴族の軍学校の生徒さんを女郎屋に入れたなんて他の店に知られたら相模屋の立場がなくなるんだ。それをまあまるでそうするのが当然というように店でも一番いいお膳を頼んでおいしそうに酒を飲んで当然のようにタバコを吸ってるんだ。全く驚いたもんだよ」
お蔦もまた不思議そうに嵯峨を見つめた。
「まあね、俺はこう見えても修学院幼年部時代は結構真面目にやってたんだ。神前やアメリアには分からねえだろうが修学院ってのは甲武の上流貴族の男が通う男子校だ。東和で言う金持ちの通う私立中学校だな。そこの修学院の授業なんて、俺には知ってることばかりで退屈ってほかになくてね。十二で経済学の博士号を取ってたから。高等予科も試験さえ満点なら出席にはうるさくなかった。だから体育と期末試験以外は、西園寺御所の居候たちと遊んでたんだ」
嵯峨は昔を懐かしむように話を始めた。誠たちにとって学校は勉強をする場所だった。だが嵯峨にとっては、試験を受けて卒業資格を得るための機関にすぎないらしい。その認識の隔たりに、誠は言葉を失った。
「まあ、学校なんてつまらない所に行くよりももっとそっちの方が俺には有意義だった。中でもその時に居候の一人に当時名人と呼ばれる落語家の師匠がいてね。俺はその人に大層気に入られて、名人と呼ばれるその人が色々俺のために落語をやってくれたわけだ。落語が好きなかなめとアメリア……羨ましいだろ。もうその師匠も鬼籍に入ってるからもう無理だから諦めな。そんな居候している御所の三男坊の俺のために演じてくれた中でも俺のお気に入りが『居残り佐平次』って奴だ」
得意げに嵯峨は若き日の自分を語った。
「知ってますよ。隊長。私は一応元落語家なんで。でもあれでしょ?佐平次は確かに女郎屋に居残るわけですけど、口が上手いのは隊長も一緒だとして、隊長は家事とか身の回りの世話とかまるでできないじゃないですか?確かに隊長がその日川宿の相模屋という女郎屋に行ったとしても金を持ってないと分かるとすぐに追い出されるんじゃないですか?しかもそこの看板の女郎を抱くなんて……」
アメリアは不思議そうに嵯峨の言葉を遮った。
「あれだよ。俺はね千円札を一枚だけ持っていったわけ。店へ入るにはそれで十分だ。足りない分は『居残り佐平次』みたいに、後からどうにかするつもりだったわけだ。当たり前のように餓鬼がこんな店には入るなって言うから千円札ちらつかせて『おい小僧!金さえ払えば餓鬼だろうが文句はねえだろ!それともなにか?この千円を他の店に持っていってもいいのか?欲しいんじゃないの?この札』と言って見せびらかすと店番の小僧も番頭も目の色が変わってきたからその機会を狙って俺は、『この店一番の女郎を出せ!』って啖呵を切ったわけだ。当時の甲武の千円は今の東和の100万円くらいの価値だ。店番も金の魅力と俺の餓鬼とは思えない迫力にビビってそのまま俺を座敷に通してそこに来たのがお蔦さんだったというわけ」
嵯峨は平然とそう言って茜を見つめた。今も昔も変わらない嵯峨の滅茶苦茶な金遣いに、誠は思わず吹き出した。
「要するに、お父様は昔からまったくもってお父様だったということですわね。しかも当時から、そういうことにだけは惜しげもなくお金を使う。今のお父様にお金を持たせないという私の判断が正しかったことだけは、よく分かりましたわ。今後の参考にさせていただきます。それにそんな自慢話を私は聞くためにここで貴重な時間を使っている訳じゃありません。そんなことよりも結論をお願いします」
皮肉を込めた笑みを浮かべる茜をお蔦は冷たい目で見つめていた。
だが、その視線が嵯峨に向かうとまるで温かいものへと変わるのが『モテない宇宙人』の遼州人である誠にはやりきれなかった。
「本当にこの娘は新さんと血が繋がってるのかい?色も恋も分からない、そんな話は聞きたくないの一点張り。随分と了見の狭い娘さんを持って新さんが可哀そうに思えて来るよ。あれはそうだねえ……一目ぼれってやつなのかね。若い貴族のための軍学校の生徒さんがやたらと堂々と酒を飲んでいる姿を見て、こんなに初めて来る店でデカい顔が出来る客なんて見たことが無いとアタシは思ったもんだよ。どう見ても金だけが自慢の偉い親父だって座敷に入れば少しは気を使うもんだけど、そんな遠慮が新さんにはまるで見当たらないんだ。まるでここにいるのが当然という感じで新さんはアタシを見ても笑って手招きして酒を勧めてくるんだよ。このお坊ちゃんはただのお坊ちゃんで終わる人間じゃない。これはいずれ大物になるとアタシは踏んだね」
そう言うとお蔦は再び甘い視線を嵯峨に向けた。
「そうして酒を飲んでいる間に言った言葉がこりゃあ、気が利いてたんだよ。新さん……覚えてるだろ?」
語り掛けるお蔦だが、どうやら嵯峨はまるで忘れているらしく頭を掻くと見つめるお蔦から視線を外した。
「なんだい!忘れちまったのかい?頭のいい新さんでも忘れることがあるとは驚きだね。じゃあ教えてあげるよ……『お前さん、ここを出たら何がしたい?』なんてまるで遊び慣れた大旦那が言うようなセリフを口にするんだから!」
お蔦ははしゃいだように嵯峨の肩を叩く。そして嵯峨も静かにうなずいてにこりと笑った。
「もうあんなことをいきなり言われちまったら惚れないわけがないじゃないのさ。それでその夜、新さんは若さに任せるばかりだったから、アタシが女との付き合い方を一晩かけて教えてやったのさ」
恥ずかしげもなくそう言うお蔦に誠とカウラは顔を赤らめてうつむいた。
「でだ。朝になっても二人で離れずにいるところへ、勘定を取りに番頭が来たわけだ。でもまあ、朝になっても、お蔦が俺を見る目だけは妙に忘れられなくてね。コイツはここに居座るのが一番だって俺は直感したのは事実なんだ。今思うとその直感は正しかったってことだね。分かったか?24歳で童貞の神前君?」
嵯峨は得意げに話を続けた。明らかにこれまでの回想が他の誰でもなく自分に向けられていたものだと知った誠は真っ赤になって俯くしかなかった。
「そんな俺たちがまだ楽しんでいるっていうのに野暮天の番頭はそのまましずしずと這って近づいてきて『若旦那、お代は二千円になります』とかぬかしやがるんだ。これっておかしくない?まあ、そんなことはどうでも良くって。俺も勘定に関しては食ったものや飲んだものやお蔦の格を見ればまあ、そんくらいになるなあとは俺も思ってたんだけどね。俺も頭に来たから不愛想に『そうかい、じゃあ、ないな』そう答えてやった」
卑猥な笑顔を浮かべる嵯峨に誠は改めて嵯峨は『駄目人間』なんだと思い直した。
「どこまでお盛んなんだよ叔父貴は。それで爺さんに金の無心にでも行ったのか?ひでえ不良息子だな」
かなめは呆れながらそうつぶやいた。
「うんにゃ。俺は最初から千円以上払うつもりはなかった。そもそも俺はかなめ坊やかえでのお袋が怖いからここに居残ることを狙ってたからな。康子義姉さんお気に入りのかえでには分からないけど……かなめ坊は分かるだろ?あの人洒落にならないの……そこのちっちゃいのと同じくらい」
嵯峨は苦笑いを浮かべてかなめを見つめた後、その言葉に形相を鬼のようなそれに変えたランに目を向けると舌を出して言葉を続けた。
「そしたら落語と現実は違うもんだねえ……番頭の野郎はつけ馬らしい屈強な男でお蔦を組み敷いてる俺を取り囲んだんだ。どうせ貴族の口ばっかり達者な喧嘩慣れしてないバカ息子だろ?骨の二、三本は覚悟してもらうから親から金を取るとか言い出した」
嵯峨は得意げにそう言ってお蔦に目をやった。お蔦は少し頬を赤らめながらまんざらでもない表情で嵯峨を見つめた。
「そん時、アタシから離れた新さんは『その言葉はそのままこの場の全員に返してやる』と言って身構えたらもう……アタシが目をつぶっている間に何度もつけ馬たちのうめき声が響くばかりで、その声が収まったと思ってアタシが目を開くとそこにはその二十人を超えるつけ馬が足腰が立たなくなって唸っている中で新さんは裸で仁王立ちしてたんだ。まあ、あの『甲武の鬼姫』の一番弟子なんだから当たり前と言えば当たり前だね。なんでも八年前に起きた『官派の乱』で軍隊を相手に薙刀一本で西園寺御所を守った女傑だってことは、新さんを見つけた『近藤事件』のニュース映画と同じ頃に、別のニュース映画で知ったよ」
お蔦はそう言って笑顔を浮かべた。
確かに一度だけ暇だからということで法術格闘訓練に出てきたときは誠も嵯峨を目の前にした次の瞬間には記憶を失っていたので、東和宇宙軍の格闘訓練で負け知らずだった誠ですら子ども扱いする嵯峨がただの腕自慢の用心棒などの敵ではないことは予想がついた。
「まあそんなわけで、番頭に言ってやったんだ。『済まねえな、お前さんの店のつけ馬全部駄目にしちまった。その詫びだ。俺を代わりにつけ馬に雇え。いや、俺一人じゃ心もとないから仲間を呼ぶ。その仲間には手下もいる。こいつらみたいな素人のチンピラなんかよりよっぽど役に立つ。どうだ?受けるよな?』ってね。番頭も俺がこれ以上暴れたら警察を呼ぶつもりだったらしいけど俺が妙に落ち着いていたんでその時は俺を弱いつけ馬を雇うよりよっぽどマシだと考え直して俺の言うことを聞いてくれたの」
得意げに嵯峨はそう言うと吸い終わったタバコを灰皿に押し付けた。
「『仲間』?今でもそうですけど性格の悪い隊長に当時友達なんていたんですか?これまでのやり取りはいつもの隊長から見ていて自然なんですけど、その『仲間』という言葉だけは僕には信じられないんですけど……」
誠は思わずそう言っていた。嵯峨は呆れたように誠を見つめた。
「あのなあ、性格が悪いのと友達がいないのは関係ないんじゃないの?神前は性格は良いけど友達は少ないじゃん。俺もまあ友達が多い方じゃないことは認めるけどね。まあ俺の性格が悪いのは自分でもよく分かってるから。そんなこと今更指摘されても全然気にならないから安心していいよ。でも、当時高等予科学校でくすぶってる俺に借りがあって逆らえない奴が二人とこういう店を教えてやろうと思っている友達が一人いたのは事実なんだ。高等予科学校は武家貴族のための軍学校でね。だから連中も日頃から武術の鍛錬を怠らない連中だから腕は立つわけ。そんじょそこらの素人のつけ馬なんかよりよっぽど役に立つって番頭に言ったら、腕の折れたつけ馬一人を付けてその話は本当だろうなとか言ってついていけって言うことで話はまとまって俺は久しぶりに学校に行ったんだ……まあ、その前にお蔦と……これは喧嘩の後の運動ということで」
恥ずかしげもなくそう言い放つ嵯峨に誠はただ呆れるばかりだった。
「ああ、あの時が一番幸せなひと時だったね……あの時を思い出すとまたこの場で新さんを押し倒しちまいたくなるよ」
完全に陶酔状態のお蔦はそう言っていかにも誇らしげに一同を見回す嵯峨に色気のある視線を投げた。
「お蔦さん。昼間からそんな話はやめていただけません?耳障りです。お父様が更生不能な『駄目人間』だという事実だけは皆さんが堅物呼ばわりしている私でも理解できました。お父様はやはりどうかしています……昔っから」
燃え上がるような口調で話し始めたお蔦を茜は強い調子で制した。誠も嵯峨は本当にプライドゼロの『駄目人間』なのだという事実を改めて思い知った。
「それで俺は、比較的怪我の軽いつけ馬を一人連れて、久しぶりに学校へ戻ったんだ……まあ、俺って勝って戦争から帰った記憶ってほとんど無いからあれが唯一の俺にとっての『凱旋帰国』ってわけだな」
嵯峨は楽しそうに目を細めた。
女を買いに行ってその金を踏み倒すために大暴れして学校に行くことを『凱旋帰国』と得意げに語る嵯峨が理解できずにいた。
「そこで声をかけたのが、当時の俺に逆らえなかった二人と、唯一自分から連れていこうと思った友達一人だ……これから面白いことが始まるってね……世の中は酷い有様だったけど俺の心はあの時ほど晴れていることはなかったな」
遠くを見るような目をしながら嵯峨はタバコをくゆらせた。




