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遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』と『戦時の青春』と『初デート』と  作者: 橋本 直
第四章 『特殊な部隊』の隊長の青春

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第13話 二十九年を越えて

「でも、お蔦さん。ずっと隊長を探していたなら、どうして今になって東和へ来たんですか?花魁の年季が明けるまで、二十九年もかかったわけじゃないですよね?」


 誠はここで初めて思っていたことを口にした。一同も同じことを思っていたらしく視線をお蔦に向けた。


「ああ、大きなお兄さんは東和の出でそういうことは知らないみたいだったね。普通の年季は三十になる正月に明けるもんだね……それがどうしたんだい?」


 何も知らない子供にモノを教えるようにお蔦は誠にそう答えた。しかし、そんなことを誠が知りたいわけではなかった。


「でも……最初から気になってたことなんですけど、なんで今うちに来たんですか?でも年季が明けた後なら、もっと早く隊長を探しに来ることもできたんじゃないですか?」


 誠の質問に一度お蔦は唖然とした顔をした後、少し吹き出した。


 そしてその様子がまるで理解できないというような顔の誠を見るとようやくお蔦は話を始めた。

 

「そうさねえ……アタシは実はあるお方に年季が明ける前に身請けされててね……新さんも知ってる人だよ、そのお方は。ぜひ新さんの後妻になってくれって言われたんだ……でも、間が悪いって言うかなんと言うか……アタシがそのつもりになった時に新さんのお屋敷に行った時には新さんとは会えなかったんだ。これも運命かもしれないね」


 遠くを見るような目でお蔦は語り始めた。


「新さんは知らないだろうけど、アタシは実はある事情で日川宿の相模屋から花街でも屈指の大店、藤の屋に移ってたんだよ。そこで安女郎から華やかな花魁になり……そのお方のお引き立てで太夫になり……花魁番付の一番になった……新さん。そんな女を自分のモノにできるんだよ?ちょいとした自慢だろ?こう見えてもアタシは花街一の太夫だったんだよ。まあ、当時は戦時中で花街自体が風紀が乱れるとあまり客が多い時期じゃなかったのは事実だけどさ。それでもあの街に足を踏み入れた男なら、誰もが一度は会ってみたいと願う女……その一番がアタシだったんだ。それだけは間違いないんだ。それがこれからは新さんが独り占め……今度は新さんの方がアタシから逃げられなくなるかもしれないね。本当に幸せすぎて今にも死にそうだよ」


 お蔦はいたずらっぽい視線で嵯峨を見つめた。

挿絵(By みてみん)

「そのお方って……どうせ義兄貴(あにき)なんだろ?花街に行ったことが無い俺だって藤の屋の花街での格は知ってるよ。藤の屋は、殿上貴族でもなけりゃ通えない格式の店だ。まして店一番の太夫を座敷へ呼べるとなれば、四大公家筆頭の当主だった義兄貴くらいしか俺には思いつかないもんな。思うに義兄貴がお蔦さんの所に通うようになったのは義親父(おやじ)が徹底抗戦派の軍部によるテロで、俺のかみさんが死んだ直後辺りじゃないのかな?」


 そう言うとそれまで誠たちの顔色を窺っていた嵯峨が自分を見つめるお蔦の視線に応えるようにお蔦に顔を向けた。


「まあ、あの人は外交官上がりで、人を見る目だけは俺よりずっと広い。戦争と法律と経済しか知らない俺と違ってね。義兄貴も俺に気を使って戦地で苦労してる俺に帰る場所を用意するつもりだったんだろう……全く余計なおせっかいだよ。本当に45まで花街で遊び歩いて康子義姉(ねえ)さんとの結婚を引き延ばしていた不良中年だからな、義兄貴は。だからそう言うところだけは義兄貴は気が利くから。余計なことと言いたいところだけど……今のお蔦さんが自由で元気にやっているのを見ちまうとねえ……そういうところが外交官上がりの切れ者で俺には真似のできない気の配り方で、軍人の俺には羨ましく感じる才能なんだ。俺は戦争と法律と経済しか扱えないけどあの人はそれ以外を色々と見てるから。だからあの戦争も終わらせられた……そういう意味じゃあ、座敷に呼ばれたお蔦さんがあの戦争を終わらせたのかもしれないよ。そうとでも思わなきゃあの兄貴の仏頂面から平和の文字は俺には浮かばないから」


 嵯峨は苦笑いを浮かべながらそう言った。


 思いもかけぬ父義基の名の登場にかなめとかえでは思わず顔を見合わせた。


 そして誠も、身分制を廃止して売春制度を廃止することを目指す急先鋒の現甲武国宰相であるかなめとかえでの父の西園寺義基が45歳になるまでそんな場所に入り浸っていた遊び人であることがあまりに意外に思えていた。


「お蔦が戦争を止めた方がかっこいいからアタシはあの爺さんにしか見えない親父が戦争を止めたことよりそっちの方がいいね。それにしても親父もタダの狸オヤジだと思ってたけど結構気の利くようなこともできるんじゃねえか。しかもあの鬼のようなお袋の目を盗んで女を買うとは……バレたら殺されるぞ。まず自分が味見して、おいしかったから義弟に押し付けて逃げる。親父はそう言う卑怯なところがあるからな。まあ納得できる話だ」


 相変わらずタバコを吸いながらかなめは呆れたように下卑た笑みを浮かべながらそう言った。


「西園寺さん……いや、藤太姫。あなた様のお父様はそんな色狂いじゃないよ。あのお方は45まで遊び歩いてて妻も迎えなかった遊び慣れた粋な御仁だと言うのはあの街でも有名な話だけど、あの人の座敷に呼ばれるってことはあの街ではそれは名誉なことだったんだよ。色と金が飛び交うあの世界の奥の奥まで知り抜いてそれを全部飲み込んですべていい方向に持っていける……そんな中で本物にしか興味のないあのお方に選ばれるってことがどんな意味かはあの街では知られた話で、ただ通りすがりにあのお方に一声かけられるかどうかがあの街で今より上を目指せるかの道しるべのひとつだったんだから。だから今でも『平民宰相』と呼ばれて誰もがあの人に国の未来を賭けてるんだよ。そのくらいのことはあのお方の娘さんなら分かってないとあの国の明日は暗いよ」


 お蔦は急に真顔になってまるで実の娘に説教するような口調でくわえたばこでニヤニヤ笑っているだけのかなめを見つめた。


「あの人はね、昔はどうだか知らないけれどもその店で一番の女を呼んでもただ笑って酒を飲んで相手の女がどう酒を飲むかを見ながらいつも連れていた馴染みの幇間に、その女をどう見たか一言二言告げて、そのまま消えてしまったり、気に入ったら朝まで飲むのがあの人のあの町での遊びなんだよ。だからアタシの時もそもそもあのお方はアタシを呼んでも、同じようにアタシの酌で酒を飲んでそして逆にアタシに酒を飲ませて合間に一言二言話して笑うって言うのを何度か繰り返すのが初めの頃だった。こちらにも太夫の意地があるから何とか手を触れようと色々誘いをかけるんだが、のらりくらりとかわされて指一本触れなかったねえ。こちらも意地になって誘っても『美人と酒を飲むのが俺は好きなんだ。そうだ、新三に色々と酒を飲むときに聞きたくなるような芸を習ったって聞いてるよ。ひとつアイツが詠んだ都々逸でも頼むわ』と言ってアタシに三味線を弾かせてそれを肴に酒を飲みながら終わると二人で新さんの昔話ばかり……そんなこんなで気に入られて身請けの話をまとめてくれてアタシは西園寺御所に入ったんだ」


 お蔦は遠い目をしてそう語った。


 父の意外なほど淡白な花街での振る舞いを聞くとかなめとかえではあまりに予想と違っているかのように顔を見合わせて黙り込んだ。


「そしてあのお方のおかげで苦しくって長い戦争が終わった。アタシは西園寺御所のあのお方の用意したそりゃあ立派なお家で新さんはすぐに戦争から帰ってくると思ってたけど……どこで聞いてきたか知らないけど居候の一人が言うには新さんはアメリカ軍に処刑されたって言うんだよ。そのまま陸軍省まで行ったけど西園寺家嫌いの陸軍の門番はアタシが西園寺家に世話になってると知ると何にも教えてくれずに追い返して詳しいことは何もわからなかった」


 戦争が終わって帰ってくるはずの嵯峨が帰ってこなかった。誠も嵯峨が数年地球で法術師の実験台として人体実験の材料になっていたと言うことは知っていたので、おそらくそのことを隠蔽するためにその門番はお蔦を追い返したのだろうと推測していた。

挿絵(By みてみん)

「アタシには他にいない新さんはもうこの世にいないんだ……アタシは泣いたね。アタシは何のためにあのお方に迷惑をかけてここに来たのかわかんなくなっちまって……それこそもう生きてる意味は無いってしばらく泣いてばかりの日々だったよ……」


 お蔦は遠い目をしてそう語った。その気の強そうな美女が泣き崩れるほどに嵯峨のことを思っていたのかと思うと誠の胸は締め付けられるような気がした。


「でも、ある日、西園寺公はアタシに死んだはずの新さんが生きて帰ってきたって言うんだよ。しかも今は独り身だからお前が今すぐ迎えに行けって。あの新三は思い込んだらすぐに決める男だ。今ならお前の邪魔をする奴なんて誰もいない。今すぐ新三の後を追えってね……それでアタシは御所を出た足で甲武の嵯峨様のお屋敷を訪ねたんだ」


 なぜか悲しい口調でお蔦はそう言った。誰もが何も言えずにお蔦の言葉に聞き入っていた。


「でも、そこに新さんはいなかった。なんでもそこの召使が言うにはこの国が嫌いだからと言って娘さんを連れて東和に行っちまったって言うんだよ。アタシはアタシの事まで嫌いになったのかと思って……でも新さんが無事ならそれで良い。そして今はアタシは何をしてもいい世の中になったんだ。これも新さんが戦ってくれたおかげなんだってようやくあきらめもついてね。西園寺様から貰った金で日川宿に戻って小料理屋を始めたんだ。自慢じゃないけど最初はそれこそ繁盛したもんだよ……花街の太夫の酒が飲めるってんでね。体目当ての男もいたそんなのは全部叩き出してやったよ。アタシには新さんしかいない……いつか東和に行って新さんと夫婦になる……それだけを夢見てね……ずいぶん思い上がった願いだと今では思うよ。思い上がっていたんだね……あの頃のアタシは……」


 お蔦の顔に疲れた笑みが浮かんだ。


 思っていた男は自分以前に命を懸けて守った国まで捨てて去っていった。その時のお蔦の思いは誠には想像がつかなかった。


「でも東和も広いじゃないのさ。どこに新さんがいるかなんか分からないんだ。アタシも店のやりくりでいつの間にか新さんは昔の素敵な思い出と心に決めて日々を過ごして、新さんが甲武を捨ててから14年の時間をただ働きバチのようにして店の切り盛りだけを考えて生きてきたんだ。そこでこの前の近藤とか言ういけ好かない奴の起こした反乱事件のニュース映画を見てね。そこに映ってるのはいい男に育った新さんだった。アタシは居てもたってもいられなくなった……新さんは『司法局実働部隊』と言うところの隊長さんをしている……それを知って店を畳んだアタシは身一つで東和に来たんだ。馴染みの客とかにあいさつするのに時間がかかってこんなに遅れちまったけど……新さん……それとその春子って言う女は……どんな人なんだい?教えとくれよ」


 お蔦は少し覚悟を決めたとでもいうように目を見開くと嵯峨を見つめてそう言った。

挿絵(By みてみん)

「それはなんだ……春子さんは良い女だからな。お蔦さん。お前さんは若いまんまだ。他に男のあてはいくらでもあるんだろ?しかも俺もそうだが不老不死の死ねない身体の永遠に続く時間が待ってるよ。これが結構辛くってね……何かをして無きゃおかしくなっちゃうよ。俺には東和に来てからも弁護士として風俗街の女の子を救うという仕事にやりがいを感じていた。そして遼南内戦が本格化すると生まれた国を立て直そうと戦いに出向いた。そして今はこうして『特殊な部隊』の隊長をしている。そうして永遠に続く人生を退屈で塗りつぶしてしまわないように努力してるんだ。お蔦さんも少しは何か生きがいを持った方が良いかもしれないね。俺はお前さんが思うほど立派な男じゃないんだ……この29年でお蔦さんも変わったが俺も変わった……そういうことなんだ」


 嵯峨は冷たくそう言うとタバコに手を伸ばした。


 嵯峨はしばらく答えなかった。お蔦の視線から逃げるように窓へ目を向け、その口元から先ほどまでの軽薄な笑みが消えた。


「え、新さん。アタシは花も恥じらう十九の身体で新さんを待ってるんだよ?それともあれかい……新さんは……」


 お蔦は衝撃を受けたように驚いた顔をした。


「おい、お蔦とか言ったな。この『駄目人間』は熟女マニアだ。風俗も40近い嬢しか居ねー熟女専門店の中でも指名した女としか会おうとしねーんだ。春子さんはまだ40には届かねーが『駄目人間』は不老不死だからな。いずれ好みのゾーンに入ると分かって狙ってるんだろ?おい、『駄目人間』いい加減本音を吐け」


 ランがはっきりとお蔦に向けてそう言った。


「熟女マニア……大年増が好みってわけかい……それじゃあアタシは何を待ってたんだい……いっそ海にでも身を投げて……」


 お蔦はランの言葉に絶望したように机に突っ伏してすすり泣き始めた。

挿絵(By みてみん)

「お蔦さんは不死になったのでそんなことでは死にません。近くの漁協の人に迷惑になるだけです」


 泣き続けるお蔦に向けてひよこは同情すべきなのか笑うべきなのか困惑したようにそう言った。


「お蔦さん。確かに俺は熟女マニアだけどさ、お蔦さんといて楽しかったあの頃が俺の人生で一番楽しかったのは事実で消しようがないんだよね。そうだ大丈夫だ!俺の趣味を変えればいいんだ!それですべての問題が解決する!それにかえで、せっかく旅館を取ってもらったんだろ?楽しめる時は楽しむ。それも俺の趣味でいいところ!こういう切り替えも大事なんだぞ!」


 嵯峨はなだめるようにお蔦に向けてそう言った。そして嵯峨の変わり身の早さに呆れる一同を見回した。


「はい、そちらの手配は既にリンが完璧にやっております。それに本当のところお蔦はお美しい……花街一の花魁になるのも当然のこと……もし義父上(ちちうえ)が気が乗らないというのなら僕の身の回りの世話をしてくれないかな?僕は女性も好きでね……少し考えてもらいたいくらいだ」


 かえではそう言うといつもの女性を口説きにかかる笑顔をお蔦に向けた。


「かえで様の希望には沿えないねえ……アタシは新さん一筋でね。まあ、新さんがどうしてもというのなら新さんと一緒って……アンタは義理とは言え娘さんだからそれはそれで問題があるからね」


 お蔦はいかにも色気のある視線を嵯峨に向けた。嵯峨はそれを見て少し慌てたようにタバコをふかした。


「確かに東和まで来てくれたお蔦さんを何もせずに帰すというのは人道にもとるな……渡辺、宿屋の方は?」


 嵯峨は作り切った威厳でリンを見つめた。


「はい、私とかえで様が定宿にしているところが取れました。それとお屋敷の方もちょうどいい売り物件の屋敷が手配できました。近日中に入居可能です」


 リンは手際よくそう言ってお蔦をにらみつけた。


「そういうわけだ……久しぶりに、昔みたいに二人でゆっくり……ね」


「そうだね、ゆっくり……というのもいいかもしれないね……新さん覚悟しとくんだね」

挿絵(By みてみん)

 嵯峨を見るお蔦の顔に妖艶な笑みが浮かんだ。


 この場の全員が嵯峨の顔を見て『また始まった』とため息をつくしかなかった。

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