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【08】代弁者

 昨日ダイヤを演じきった文音(あやね)の声は一晩で枯れてしまった。


 「色々買ってきたから、あげるよ」


 (れい)は机に並べた喉をケアする商品の中から強力そうなのど飴の袋を開け、個包装を1つ文音(あやね)に渡す。澪もそれを1つ口に入れた。


「うげ、すーっとする」


 甘さ以上に、のど飴らしい清涼感が強すぎるほどにあった。

 学校が目を覚ます足音が遠く聞こえる中、(れい)文音(あやね)が飴を転がすころころという音に耳を傾けていた。


 文音の危機にクラスは騒然とした。文音(あやね)の代役など、誰にも務まるはずがない。

 仮に代役を立てるなら(れい)にやらせるのが確実だったが、目に見えて分かる身長差では衣装直しが間に合わない。澪の事情説明を、文音は彼女の陰にくっついて聞いていた。


七星(ななせ)、この一晩で風邪を引いた……とかじゃないんだよな」

「本当に、声が出なくなっちゃっただけなんです。だよね」


 担任と(れい)の問いかけに、文音(あやね)は頷く。

 ただそれを確認したところで、どうしようもない。

 誰もが諦めかけた時、文音は切れ味の衰えない絶対王政を鞘から引き抜いた。


 文音(あやね)は無言で、(れい)に携帯の画面を見せている。そこには文音の提案がびっしりと書かれていた。

 

 声が出ない状態でも身体は動くため、文音(あやね)は昨日と同じようにダイヤとして舞台に上がりコハクの方に代役を立てる。2人が同時に声を発する部分はほとんどない。

 そして、(れい)は舞台に出ずダイヤとコハクの声を当てる。


 文音(あやね)に携帯の画面を突きつけられ口をあんぐりと開ける(れい)に、クラスメイトは寄ってたかった。


「何、(れい)さまどうしたの?」

「あ、あのさ……。文音(あやね)ちゃんが舞台には立つから、ダイヤの……。セリフだけやってくれって……」

「そんな無茶な……。本番は12時からだよ、あと3時間で何とかなる!?」


 (れい)の代わりにコハクの立ち位置を埋める人間を即席で決め、澪と文音(あやね)は2人1役に向けて準備を始めた。

 何かがあるたび、文音が澪の至近距離へ何か言いたげに近寄ってくる。その度に彼女の心臓が跳ねた。


「時間がありません。ほとんどの場面が一発勝負になってしまうでしょう。私は最後に全てを賭けます。そして、(れい)さんを信じます」


 文音(あやね)の表情は、小学生の頃から(れい)が見てきた中で1番と言っていいほどの希望に満ちていた。

 何もかも、彼女が澪をコハク役と決めつけた日から今日まで2人が築いてきた絆のおかげだ。



 再演が近づいている。昨日着ていた衣装を代役の生徒に合わせたのち、(れい)は音響ブースに入った。

 手狭な防音室に機材が山積みになった上、埃も宙を漂っている。扉が開かれるとひんやりとした風が入り込み、細身の男子生徒がヘッドセットを外した。澪が扉を閉めると、互いの呼吸も聞こえてきそうなほどの沈黙が流れた。澪は大きくため息をつく。


「ガチで最後のシーン以外一発勝負になっちゃった。全部何度も見て来たけど、プレッシャーがすごいよ……。やっぱ無茶だよ文音(あやね)ちゃん……。(みつる)師匠~~っ、どうしよう……」

 

 (みつる)と呼ばれた彼は、文音に指名されることなくテツ役のじゃんけんにも参加せず、モブ役兼音響担当となった。

 (れい)とはアイドルオタクとしての『師弟』とも呼べる間柄で、彼女が地下アイドル『PROMiSE』と動画サイトの縁で出合い頭の正面衝突をした日から満は彼女にオタクとしての知恵を教え込んでいた。


「西木さん、いつもライブですごく大きな声出してるから。間違いなくできるよ」

「……でもアイドルのコールとこれってどう見ても別物だよ」

「でも、推しを成功に導きたいって点では一緒だよ。今回は成功に導くどころかすべてを掌握してる」


 (みつる)(れい)の台本を覗き込む。文音(あやね)によってダイヤのセリフすべてに蛍光ペンの線が引かれていた。


「推しが直筆で線を引いてくれたんだ、それに応えてあげて。大女優七星(ななせ)文音(あやね)の最古参オタク、西木さん。万一七星さんが西木さん以外を指名したら、僕らはきっと全力で止めてたよ」


 (みつる)の言葉は、いつも(れい)の背中をそっと押してくれていた。

 

「さて、そろそろ始まるよ」


 開演を告げるブザーが鳴り響き、舞台と体育館は真っ暗闇に包まれる。薄明りの中、(れい)は冷や汗を浮かべながら強く頷いた。


 昨日と同じようで、どこかが違う『クリミナル・クリスタル』が幕を開けた。舞台は生き物だが、それでは片づけられない異常事態が起きていることは5分もしないうちに観客へと伝わった。

 ダイヤは昨日と変わらず厚底の靴を重く鳴らしてバナナアイスを手に取っているが、声だけが明らかに違っている。


「え、これ裏から当ててるっぽくない?」

「私が昨日観た時はこんな高い声じゃなかったよ」

「えー、昨日の方がよかったな」


 観客たちが不審がって囁き合う中、物語は後半へとなだれ込む。クリスタルを壊そうとする者、奪おうとする者がダイヤの元に次々現れては志半ばで彼の目の前で倒れていく。

 

 (れい)はダイヤに扮する文音(あやね)の一挙手一投足を見逃さぬよう、音響ブースの小窓から必死に彼女の姿を追っていた。

 ちらりと満が自分の隣を見やると、極端に前のめりとなった澪の姿はあまりに滑稽で軽く吹き出した。


 観客の多くが知る『クリミナル・クリスタル』は(れい)が当初持っていたイメージのように、ただコハクの腕の中で涙しそのままエンドロールが始まるという改変が加えられたものだった。


 ダイヤとコハク、2倍のセリフ量をこなし続けた澪の喉も悲鳴を上げている。


 昨日は喉が引きつるほどに感情を抑え自らの後悔を語っていたダイヤが、この日だけは大声を上げて自責の念をコハクへぶつけている。


「僕は『誰かに死んでほしい』なんて考えたこと1度もない、ましてや王様になんてなりたくないっ!!」


 一瞬動きを止めたダイヤは、すぐさま頭を振り乱し泣き叫んだ。僅かなズレは、(れい)の意図が文音(あやね)へと通じた証拠だ。ダイヤを通じて、2人の声と動きは狂おしいほどにシンクロする。


「僕はただ争いがなくてみんなが好きなことへ全力になれて、笑って過ごせる世界になってほしかっただけなのに! 僕は、なんでっ……」


 長い間を取って、コハクが懐に手を差し込む。この物語における歴史の分岐点と言っても過言ではないシーンだ。

 

「ダイヤくん……」

 

「やっぱりこの世界を元に戻すには、もうっ……! 君が死ぬしかないんだ!」


 怒号とともに、眼前へ突き付けられた拳銃にダイヤは後ずさる。観客も同時に息を呑んだ。


「コハクさんっ! 待って!」

「うわぁあ――――っ!!」


 銃声が鋭く、重く鳴り響く。コハクも倒れ伏し、掠れた声でつぶやいた。


「もし、何でも願いが1つ叶うなら……。何て言おうかな……」


 そのセリフを最後に舞台はゆっくりと明かりを落とした。

 音響ブースで、(れい)は震える手で台本を置く。カーテンコールが始まると、どかっと床に座り込み壁へ全体重を預けた。防音室を突き抜けて、昨日よりもボリュームを増した拍手が聞こえてきた。2人分の声を張り上げた澪の喉も限界に近いが、彼女にとっては文音のピンチを救った名誉の負傷だった。


「はぁ……。はぁっ……」

「西木さん、やったね……!」


 ハイタッチしようとする(みつる)の手に、(れい)は脱力しきった手を伸ばした。

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