【05】願望機
3年5組の演劇『クリミナル・クリスタル』は静かにその幕を開けた。
舞台の幕が上がった瞬間、文音の可愛らしいはずの声が澪には『ダイヤ』としてとても透明で危ういものに聞こえた。
温もりの消えた眼差しは、もう七星文音のものではない。
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持ち主の願いを問答無用でたった1つ叶えてしまう魅惑の宝石『クリスタル』。
それをそうとは知らず拾い上げ、彼は灰色の空を見上げた。ダイヤがこう呟いたことからあの世界は急速に形を歪めていくこととなる。
「あーあ。僕が生きてるうちに世界平和って実現するのかな」
ダイヤはいつも背負っているリュックサックに、抱きかかえられるほどあるクリスタルをしまい込む。
不自然に落ちていたダイヤモンドカットの水晶を、彼はただ綺麗だからという理由で持ち帰った。
「……あれ?」
ダイヤの家の前に救急車が止まっていた。
向かいの古びた家に住む老人がぐったりとストレッチャーに乗せられ、救急車は走り去る。
ダイヤが自分の願いで彼を殺めたと知るのは、もう少し後のことだった。
ダイヤの身の回りでバタバタと人が倒れる現象は止まらない。また別の日は彼がよく行くスーパーでのことだった。
「またあんたかテツ! この泥棒! 証拠はカメラにしっかり映ってるからな。今日こそ警察に突き出してやる」
普段は温厚な店長が血相を変え、そのテツという男に詰め寄っていた。テツの鞄からはごろごろと酒瓶がいくつか転がり出て来る。
好物のバナナアイスを手に取りながら、ダイヤはアイスが詰まったケースを挟んだ場所でそのやり取りを眺めていた。彼の胸はざわめき始める。
「どうして、いつも真面目な店長が怒ってあの人が笑っているんだろう」
店長に連れ出されたテツの身体は、ただ観念したにしては力がなさすぎるようにダイヤには見えた。
ダイヤが自宅に戻ると、彼の母が浮かない顔をして出迎えた。
「おかえり、ダイヤ。この前、向かいのおじいさんが救急車に運ばれたの見たって言ってたわよね」
「う、うん。小さい子によく怒鳴ってたよね、あの人」
「あの人、病院に運ばれた頃にはもう息が止まっていたんですって」
ダイヤの肝が冷えた。
(またこれだ……。ということは、まさかテツって人も!)
ダイヤは再び家を飛び出し、スーパーへ走った。
「ちょっと、ダイヤ!?」
「忘れ物! すぐ戻るから!」
ダイヤがスーパーにたどり着くと、テツもこと切れていた。立て続けに2回、自分が平和を乱すと認識したものが命を落とした。老人ならまだしも、中年も目の前でとなれば話は変わってくる。
ダイヤが幼い頃、友人であるルビーはオカルト雑誌から仕入れたという都市伝説を広めて回っていた。
「ねえ、ダイヤ。この世界のどこかにはなんでも願いを叶えてくれるとびっきり大きな宝石があるんだって! クリスタル、とか言ったかな。そんなの見つけたらどうしよう、何をお願いしよっかな~!」
逃げ帰るダイヤの息が上がる。彼が拾った巨大な宝石こそ、ルビーの言っていた『クリスタル』に違いない。
なんの工夫もなくクローゼットの中に置いておいたクリスタルは、あっという間に家族に見つかった。
「ダイヤ、これ……。何?」
「僕にもはっきりとは分からない、ただ道で拾った綺麗な石、としか説明のしようがないよ」
「まあ、いいわ。あなたが泥棒するような子には見えないし」
あろうことか、1週間後からクリスタルが勝手に割り出した『平和を脅かす存在』の範囲は世界中に広がった。ダイヤが『世界平和』を願ってしまった以上、当然のことだった。
犯罪者は当然、遠く離れた地で紛争を繰り広げていた兵士たちも一斉に命を落としたらしい。政治家まで何の脈絡もなく大病に倒れたという。
それでも、クリスタルはダイヤの『世界平和』を『それを乱す者を片っ端から消す』という最短なおかつ最も強引な方法で成し遂げようとしているのは事実だ。
混乱に陥るニュースやワイドショーの中で政治家たちが一命はとりとめたという知らせを聞きダイヤがほっとしたのもつかの間、チャイムの音が聞こえた。
ダイヤの母が応答すると、それは耳を疑う相手の来訪だった。
「すみません、警察の者ですが」
ダイヤはあっという間に、殺人犯として逮捕された。ダイヤは自室からクリスタルを持ち出して事情を話したもののあっさりと連れていかれた。
「どうにも信じがたいんです。僕も都市伝説としては聞いたことがあるけど『クリスタル』が実在するなんて。それで何かとんでもないことを願ったとしか……。ヒスイさん、聞いたことあります?」
「まあ、聞いたことはあるがなぁ……。念のため薬物検査もしたが、ダイヤは完全にパスした。やつは相当なホラ吹きか、言っていることが本当か……」
ひげ面のベテラン刑事、ヒスイがふぅっとため息をつく。
「コハク、顔を合わせるなら気をつけろよ。本人は『こんな世界は望んでいない』と言っているが、腹の中はどうだかな」
2人の警察官が警察署の廊下を歩いていると、その視界がぐにゃりと歪んだ。
クリスタルの力が、この瞬間組織を丸ごと作り変えてしまった。ざわめきは止まり、静寂がこの場を包み込む。
ダイヤがいた牢屋は真っ白な部屋に、留置所は隔離施設に、この場にいた警察官たちも真っ白な防護服とともにこの隔離施設の看守とされた。
「え、わ! 何、この格好!」
若手の刑事コハクが一緒に歩いていたヒスイの顔を見ると、彼の顔つきは驚きではなく服従の色に染まっていた。
彼はそのまま、ダイヤがいる拘置所へ移動し始めた。コハクもバタバタと後を追う。
コハクはダイヤのことを心のどこかであくどい笑みを浮かべる人間だと思い込んでいた。
しかし、ダイヤがいる部屋の自動ドアが開くと、そこには都市伝説通りのサイズ感や透明度を誇る宝石と、無垢な青年が身体を震わせて縮こまっているだけだった。
「ダイヤ様、どうぞご命令を」
「「へ……?」」
厳しく豪快なヒスイから出るはずのないセリフに、コハクとダイヤは間の抜けた声を上げてしまった。




