32
「ねぇ、ノアくん」
静かな声。
さっきまでと同じ。
優しいはずなのに。
どこか、深い。
「はい」
「手、貸して」
「え?」
言われるままに、手を出す。
すると。
アリスさんは、俺の手をそっと持ち上げて。
自分の胸元へと引き寄せた。
「っ!?」
や、やわらかっ!?
「ア、アリスさん!?!?」
「しーっ」
人差し指を口元に当てる。
近い。
近すぎる。
息、かかってる。
「ちょっとだけ」
「確かめたかったの」
「な、なにを!?」
心臓やばい。
破裂する。
「ノアくんって」
「ほんとに“何も知らない”のかなって」
「え?」
ぴたり。
動きが止まる。
そのまま。
俺の手を握ったまま、じっと見てくる。
「ねぇ」
「痛いこと……されるの」
「慣れてるでしょ?」
「……っ」
なんで、それを。
「顔に出てるよ」
くすっと笑う。
でも。
その目は笑ってない。
「それなのに」
「優しくされると、こんな顔するんだね」
指先で、俺の頬に触れる。
びくっとなる。
「変だよ」
ぽつり。
「普通は逆なのに」
「普通って」
思わず聞き返す。
すると。
アリスさんは少しだけ目を細めて。
「痛いことされ続けた人はね」
「優しさを疑うようになるの」
「でも、ノアくんは違う」
すっと、距離が離れる。
さっきまでの熱が、ふっと消える。
「だから」
「壊れやすい」
「……」
言葉が出ない。
壊れやすい?
俺が?
「ふふっ」
また、笑う。
今度は、いつものやつ。
「ごめんね。変なこと言って」
「で、でも」
「嫌いじゃないよ」
その一言で。
全部、流されそうになる。
「むしろ」
「そういう子のほうが」
「助けやすいから」
「助けるって」
「さっきも言ったでしょ?」
首を傾げる。
「わたし、ノアくんのこと守りたいの」
どくん
まただ。
この感じ。
「どうして」
気づけば、聞いていた。
「どうして、俺なんか」
すると。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ。
アリスさんの表情が、止まった。
「……」
そして。
「なんでだと思う?」
逆に返される。
「え?」
「考えてみて」
にこり。
逃げ道をくれない笑顔。
「俺が」
言葉を探す。
でも。
出てくるのは。
「単純だから、とか」
「それもあるね」
あっさり肯定。
「でも」
少しだけ近づく。
今度は、さっきより静かに。
「それだけじゃないよ」
耳元。
すぐそば。
「ノアくんはね」
「まだ“壊れてない”から」
ぞくっ
背筋に寒気が走る。
「あそこにいる子たちは」
「みんな、どこか壊れてる」
「でもノアくんは」
「壊れてないまま。ここにいる」
吐息が、かかる。
「だから、めずらしいの」
「……」
「だから」
少し間を置いて。
「わたしの側に欲しいなって思った」
「は?」
今。
なんて言った?
「ふふっ」
離れる。
「冗談だよ」
また、それ。
冗談。
でも。
「ほんとに?」
思わず聞いてしまう。
すると。
アリスさんは、ほんの少しだけ。
寂しそうに笑った。
「どっちだと思う?」
答えは、くれない。
その時。
――コン、コン
さっきより、はっきりと。
窓が叩かれる。
二人同時に振り向く。
「今の」
「風じゃないね」
アリスさんの声。
低い。
さっきまでと違う。
「ちょっと見てくるね」
立ち上がる。
窓に近づく。
手をかける。
「開けないほうがいいんじゃ」
思わず言う。
なんか、嫌な感じがする。
でも。
「大丈夫」
振り返る。
笑顔。
「ノアくんはここにいて」
その一言。
なぜか。
少しだけ、強かった。
「はい」
言うしかなかった。
カチャ
窓が、開く。
外の空気が入ってくる。
ひやり、と冷たい。
「……」
外を見るアリスさん。
その背中。
その瞬間。
俺は、思う。
(あれ……?)
この人。
今。
どんな顔。してるんだ?
と。
でも、見ちゃいけない。
そう俺は思ってしまったのであった。




