28
その日の午後。
「暇だな」
ベッドに転がりながら、俺は天井を見ていた。
マリアさんは用事。
だから、休み。
休みってのはいい。
いいけど、やることがねぇ。
マリアさんのこと考えてたら、それだけで時間潰せる。
けど。
「さすがに限界あるよな」
ぼそっと呟く。
すると。
「ノア」
下から小さな声。
「なんだよ!」
「しーっ。静かにして」
「は?」
「なんか、変」
変?
体を起こす。
ベッドから顔を出して、下を見る。
スズメは床に座っていた。
じっと、部屋の隅を見つめている。
変なのはスズメだろ。
床に座って一点集中。
猫かよ。
だが、乗ってやる。
下に降りる。
「なにがだよ」
「聞こえない?」
「なにが」
しばらくの沈黙。
そして。
「水の音」
ぴたり、と空気が止まった。
「は?」
「ぽた、ぽたって」
耳を澄ます。
何も聞こえない。
「聞こえねぇけど」
「そっか」
スズメは小さく呟く。
でも、その目。
全然納得してない目。
「気のせいじゃねぇの?」
軽く流す。
だが。
ぽた
「……っ!!」
「おい、今の」
「聞こえたでしょ」
確かに、今。
「どこからだ?」
立ち上がる。
音のした方へ近づく。
部屋の隅。
壁と床の境目。
そこに。
「なんだこれ」
黒い染み。
水じゃない。
もっと、どろっとしてる。
「触らないほうがいい」
スズメの声。
びくっと手を止める。
「なんだよ急に」
「それ」
スズメの声が震える。
「それ、多分」
「は?」
「たぶん、たぶん」
そこでスズメの言葉が止まる。
でも、俺は聞く。
「もしかして」
「これ。ヨミって言いたいのか?」
自分で言って気味が悪い。
否定しろ、スズメ。
おい。黙るなって。
「ヨミは休みなんだろ?」
「うん」
「なら関係ねぇだろ」
そう言って、指で軽く触る。
ぬるっ
「うわ、気持ちわり」
引っ込める。
その瞬間。
ぞわっ
背筋が粟立つ。
「なぁ」
「なんか今」
ヨミの雰囲気を感じなかったか?
しかし、俺はその言葉を飲むこむ。
「なに。なに。なに?」
「い、いや。なんでもねぇ」
気のせいだ。
ただの気持ち悪い液体だろ。
そう思った、その時。
ぐにゃ
「え?」
指先。
さっき触れたところ。
ほんの一瞬だけ。
人の顔になったように見えた。
「……っ」
スズメが息を呑む。
「ノア」
「それ」
「人だ」
意味がわからねぇ。
「は?」
「どこが、だよ」
スズメはゆっくりと、首を横に振る。
そして。
「ヨミ」
ぞくっ
「なに言ってんだって」
笑い飛ばそうとする。
でも。
「じゃあなんで」
「ソレ。震えているの?」
言葉が詰まる。
その時。
ぽた
また音。
今度は、もっとはっきり。
そして。
「なぁ」
声がした。
「は?」
振り向く。
誰もいない。
なのに。
「なぁ」
「オレ、まだ」
耳元。
すぐ、後ろ。
反射的に振り払う。
「うるせぇ!!」
空振り。
なにもいない。
「ノア」
スズメの声。
「やっぱり、ヨミ」
「マリアさまに」
「許されなかった」
顔を見る。
目には涙が溜まっている。
「だから」
震える声。
「関わっちゃダメ」
「マリアさまに怒られる」
「は?」
「ノア」
「わたし、こわい」
意味がわからねぇ。
でも。
床の黒い染み。
それが、じわじわと広がっている。
「ちっ」
舌打ち。
「とりあえず出るぞ」
「うん」
部屋を出る。
扉を閉める。
その直前。
ちらっと中を見た。
黒い染み。
それが--
まるで“手”みたいに、伸びていた。
助けを求めるみてぇに。
「気のせい」
「気のせいだ」
そう呟いて、俺は廊下を歩き出す。
その背後で。
「ノア」
「なぁ」
「また。ハナシ」
「しようぜ」
誰の声かもわからないそれが。
静かに、残っていた。
〜〜〜
外。
置かれたベンチに座る。
隣にはスズメ。
「ねぇ」
「ん?」
「こわく。ないの?」
「こわい?」
「マリアさまのこと」
「全然。むしろ、大好き」
「わたしも、そう。でも」
自分を抱きしめる、スズメ。
「マリアさま。いつも、どこか違うとこを見てるような気がする」
「それは、まぁ」
俺も思っていた。
けど、多忙なんだろ。
仕方ねぇかな?
風が頬を撫でる。
沈黙。
っと、そこに。
「あの」
「もしかしてここの人ですか?」
声が響く。
そして、見る。
視線の先。そこに立つ、ローブ姿の人。
フードを被り、顔は見えない。
「少しお話。しませんか?」
「わたし」
「アリスって言います」
声だけ聞けば、女の人。
フードをとる。
ふわりと揺れる、赤髪。
柔らかな光をたたえる黒の瞳。
一瞬だけ。
背後の影が遅れて動いたような気がした?
けど、んなことどうでもいい。
今は。
は?
ま、マリアさんとは別方向で--
「すすす。すげぇ、かわいい」
思わず。
俺は、声に出してしまっていた。
それに、アリスさんは微笑んでくれる。
その笑顔もまた。
か、かわいすぎ!
さっきの不気味さ。
それをすっ飛ばし、俺は見惚れてしまっていた。
アリスさんに。
も。もう一人の女神様きた。
そんなことを内心で呟いて。
〜〜〜




