9 渦中の人
いつの間にかもう一つ椅子が用意されていた。
執事さんがその椅子を引いて、私を座るように促す。
初めてのエスコートに戸惑いながら、私は席につかせてもらった。
その流れで紅茶が淹れられると、これまた嗅いだことのないかぐわしい香りに感動して、喜びで身体中が熱を帯びていくような感じがした。
目の前に座るナダル様が、そんな私を見てか、ふふっと笑った。
「す、すみません、本当に不慣れで、みっともなくてごめんなさい」
「そんなことはないよ! こちらこそ勘違いさせちゃったね。貴女の反応が新鮮で可愛らしくてつい」
子供っぽかったのだろう。口にされてさらに恥ずかしくなり、顔がかあーっと熱くなった。
飲むタイミングがわからないので、ナダル様が紅茶を飲むまで、私の両手は両膝の上でぎゅっと握り締められたままだった。
「改めて自己紹介をしあおうか。私はナダル……マジェトーレ。ふふ、まだ慣れないな」
マジェトーレの姓を持つのは、この国では唯一の血族しかいない。
私は慌てて立ち上がり、思わず後退りをして地面に膝をついた。
「そんな高貴なお方とは知らず!」
「かしこまらないで! 制服が汚れてしまうよ、ほら座って」
あろうことかナダル様がこちらへ寄ってくれて、私の前に手を差し伸べる。自分の行動でさらなるお気遣いを誘導させてしまい、また恐縮してしまった。
ナダル様のお許しの通り、もう一度椅子に座る。緊張でうまく座れているか、変な顔をしていないかと不安になる。
「それで、君のお名前を聞いても?」
「はい! すみません! 私は、平民のアリア・ネーロと申します。学園から出て西にあるカサロ地区のミラヴィル通りにあるアパルトメントの3階に住んでおり父は土木仕事をしており最近はカサロ地区の老朽化した建物の修復を行っておりまして」
「あっははは、そこまで詳細を言わなくても大丈夫だよ」
「すみませんすみません」
ナダル様はまた楽しげに笑ってくれた。
眉尻を下げて大きく口を開けて笑う様子を見ると、親しみを感じて緊張が少しだけやわらぐ。
膝の上のギュッと握り締めた拳がふと緩んだ。
早口でまくしたてた自分の喉を潤すために、おずおずと紅茶に手を伸ばして、飲む。
すっごく美味しい……!
もう一口、と再び紅茶を飲んだあと、視線を感じて正面のナダル様を見たら目があう。
「お、おいしい、です」
「表情でよくわかったよ。お口にあってよかった」
私の不遜を強く咎める様子もなく、執事の方も何も言わない。その環境に、ようやく私は完全な落ち着きを取り戻した。
そんな私を察してか、ナダル様が再び口を開く。
「アリアさん、貴女をここまで連れてきてしまったことを改めてお詫びするね。混乱させてしまい申し訳ない」
「いえ! 気にしないでください! 私も悪いので」
「気遣ってくれてありがとう。貴女こそ気にしないで」
「……はい」
この空間と美味しすぎる紅茶はもはやご褒美なくらいだ。
「そして私のことなのだけど」
ナダル様が一瞬横に立っている執事のお方に目配せをする。執事の方も小さく頷いた。
「お察しの通り、私はこの国の皇族の一人だ。立場としては、第三皇子にあたる」
「──!!!」
思わず目も口も開いてしまうほど、驚きでのけぞった。
ナダル様は続ける。
「その様子だと私に関する事件も知っているようだね。詳細は伏せるけれど、私が本当の第三皇子であることは、どうやら間違いないみたいだ」
「こんな大事なこと、私なんかに話しちゃっていいんですか……!?」
「大丈夫、私もこの学園に編入する予定だし、遅かれ早かれ皆に知られることになるからね」
「そうなんですか……!」
噂は本当だったんだ。
それなら……
「あ、あの」
授業の時のように、おずおずと右手を挙げて発言の許しを乞う。
「どうぞ」
ふふっと笑みを含みながらナダル様は了承してくれた。
「執事のお方がお探しになっていた本当のアリアさん……アリア・ブランシュさんと会っていたのは、ナダル様なんでしょうか」
「? 会っていないよ」
「あ、そう、なんですか」
「会っていたらさすがに貴女とそのもう一人のアリアさんを間違えないよ。ね」
執事さんの方に同意の視線を送ると、執事の方はコホンとわざとらしく咳払いをした。
「では、ブランシュさんを探していたのは……」
「当時の事件のきっかけの方だと聞いてね。その人の能力を使って確かめたいことがあったから、人の少ない試験期間を利用して探していたんだ」
「能力?」
首を傾げる私に、ナダル様はハッとする。
「そうかこれは明かされていないやつか……」
「あの、あの、大丈夫です。話す相手もいませんので! 何も聞いてない見てないができますから!」
「……そう? 口が硬いならそれに越したことはないけれど」
「はい、あの、なんならもっと個人情報をしゃべるので、何かあったらそこに責任追求していただければ」
「ははは、そこまでは大丈夫!」
つい寂しい人であることを自己開示してしまった気がするが、無害であると思っていただけたのなら幸いだ。
「ともあれ、もう一人のアリアさんとはまた別の機会で会うことにするよ。そして今日こうしてアリアさんと知り合えたおかげで、今後の学園生活の不安も一つ解消されたから良かったかな」
「え?」
「友達ができた」
さらりと言い放つナダル様に、私はまたぽかんとしてしまう。
「えっ、え、とも、だち……!?」
「ダメだったかな?」
こてんと首を傾けて上目遣いでそんなことを言ってくるものだから、私はブンブンと勢いよく首を振って
「そんなことは恐れ多くも!」
と否定とも肯定ともとれる返事をしてしまう。
案の定
「どっち?」
と尋ねてくるので、言葉にどもりながらも、私は絞り出すような小さい声で返事をする。
「……お、お友達、に、なります」
「なんだか私が脅したみたいになってしまったな」
「そんなことはないです!」
「そうだ、敬語をやめてもらおうか。呼び方も様付けは禁止にしよう」
「ええ、えええ、私不敬罪で捕まってしまいます!」
「そんなことないよ。第一、学園内では身分の垣根はないはずだろう?」
それはそうなのだが、このカフェのように、暗黙の了解として身分差がわかるような作りにはなっているし、同じクラスに押し込められても自然と平民と貴族は分たれる。
ナダルやっほー元気〜? なんて声をかける私を見たら、学園の誰もが目を丸くしてしまうだろう。こんな想像をしている今ですら不敬罪なのではと不安になる私に呼び捨て敬語不使用はあまりにもハードルが高すぎる! 思考をめぐらせながら私はうーんと悩む。
「そもそも私は、皇族の肩書きにまだ慣れていないんだ」
呟くような声色に、ふとナダル様を見た。
切なげに、紅茶のゆらめきのその向こうを望むように、視線が落とされている。
「私としても、くだけた接し方の方がありがたいんだ。貴女がその第一人者になってくれればと思うんだけど」
さっきまでの思考がぴたりと止まり、霧散する。
そういえばこのお方は、少なくとも17年間は皇族としてではない人生を歩んできた人なのだと思い出す。
ナダル様のため息に、同情的な気持ちを抱いた。
もちろん彼の事情はわからない。私が思う以上の苦労がきっとあるだろう。全てを汲み取ることはできないけれど、「気兼ねなく話せる友達が欲しい」という願いは、共感ができた。
私なんかが、その力になれるのなら。
「それ、じゃあ、ナダルさん、って呼んでもいいですか……?」
私の言葉に、ナダル様は、ぱあっと表情を輝かせる。
「呼び捨てにはしてくれないのかい?」
「それはさすがに、私がいたたまれなくなるので。あとできれば敬語は、そのままだとありがたいのですが」
ナダル様、改め、ナダルさんは満面の笑みで頷いてくれた。
「歩み寄ってくれてありがとう。とても嬉しいよアリアさん」
彼は素直に感謝を口にしてくれた。その言葉の真っすぐさに、くすぐったい気持ちになった。
「ああ、すぐ終わると言ったのに時間をとってしまったね。試験期間中なのにすまない」
「い、いえ。特にやることは多くないので」
「すまない、あと少しだけお付き合いしてもらってもいいかな」
飲み終わった紅茶を執事の方が片付け始める。
何もなくなったテーブルの上で、ナダルさんが手を組んだ。
「ひとまず、私が学園に公的に編入するまでは、今日のことは内密にして欲しい」
「はい!」
「それと、もう一人のアリアさんにも特に報告しなくて良い。こちらで改めてその人との接触は試みるからね」
正直、そう言ってもらえて助かった。
ブランシュさんに声をかけるのは少し勇気がいる行為だったので。
ホッとしながら頷いたら、ナダルさんも微笑み返してくれた。
「最後に、これは今までの話とは少し別件なのだけれど、せっかくだから聞こうかな」
微笑んだ口角を元の位置に戻して、ナダルさんは真剣な顔つきで尋ねる。
「私に成り代わっていた、フランチェスコの行方は知らない?」
思わず、ぞくりとした。
国外追放されたはずの前第三皇子。
なぜその行方を彼は追っているのだろう。
しかし当然ながら、私に心当たりは一つもない。
「ごめんなさい、全くわからなくて……」
「まあ、そうだよね。答えてくれてありがとう。万が一、ということもあるから」
「その人の詳細をあまり知らないので、良かったら教えてくれますか? あと、ナダルさんがフランチェスコを探していることも、秘密にした方がいいですか?」
せっかくならば力になりたいと思い、質問を重ねる。
「大っぴらにしたくはないけれど、隠しているわけじゃないからね。秘密にしてとは言わないけれど、無理に探ろうとはしなくていいからね」
「はい」
「フランチェスコは、私と同い年で、今は21歳だろう。皇帝陛下と同じ黒髪を持ち、瞳は銀色だったと聞く。体格の良い男性なのは間違いない。残念ながら、特徴らしい特徴はほかに知らないんだ」
「いえ、ありがとうございます」
平民は、皇族の方を知る機会がない。皇帝陛下が黒髪なことも、今言われてそういえばそうだなとぼんやり思い出せる程度だ。
「それじゃあ、次は私が編入したらね。試験が終わった頃にまた会えることを願うよ」
「はい。贅沢なお時間をありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ」
フランチェスコの情報を土産に、私はようやくガーデンを後にした。
しんと静まり返ったカフェを抜けて、すっかり人のいない学園を改めて一人で歩く。
不思議な時間だった。
けれど、信じられない現実でもあった。
まさかこの私が、皇族の……しかもあの、第三皇子とお友達になることがあるなんて。
複雑だけれど、この「アリア」という名前のおかげで、ご縁ができてしまった。
浮ついた足取りになりそうな中、混乱と高揚感を隠すように足早になって帰路に着くことにした。
今日のことは、たとえフレデリクさんが帰っていたとしても内緒にしなくちゃな、と考えて、そして、試験期間中に帰ることはなさそうなフレデリクさんの言葉を思い出し、ちょっとだけ寂しい思いが蘇った。




