10 変化した日常
試験期間が終わるまでの1週間、結局フレデリクさんが帰ることはなかった。
いや、帰るという表現もおかしいのかな。そもそも我が家はフレデリクさんの帰る場所というわけではないのだから。
でも短い期間だったのに、我が家にフレデリクさんがいる光景が、いつのまにかしっくりきていたのだ。
「おかえり」と言われるのも言うのも、今では恋しい。
試験1日目、つまり1週間前に突然会って友達になったナダルさんも、当然会うことはなく、どこか落ち着いた、フレデリクさんに会う前のような日常に戻ってきた気分だ。
「なんだ、明日から学園再開か?」
「うん。試験結果が返ってくるんだ」
「今回はどうだった」
「いつも通りかなあ……でも、やれることはやれたと思う」
ミルクティーを飲みながらお父さんと他愛のない会話をして、お互い眠くなってきたね、とぼやいて部屋に篭る。
狭い寝室。お父さんが、年頃の女の子だからと気を利かせて私にだけ個室を与えてくれたのがこの部屋だ。ベッド一つと着替える場所くらいしかスペースはないけれど、この狭さが秘密基地みたいで私は好き。
顔を出せるくらいの小窓がついている。この窓がある方が南なので、時折月明かりが差し込んで綺麗だなと感じる。
今日の夜は、ちょうど美しい月明かりが綺麗な夜だった。
少しだけ嬉しくなって、いい気分のまま眠りに落ちる。
そんな夜が明けた日、だからだろうか。
寝覚めよく学園に向かい、いつもよりも呼吸がしやすいような心地で敷地に足を踏み入れる。
周りの人たちは、試験期間いっぱい頑張っていたことによる疲労があったり、逆に1日目で終わらせて休暇でリフレッシュしたようにも見えて、さまざまな顔色が窺えた。
教室でも、休み明けの空気感の中ではしゃぐ声が目立つ。当然中心にブランシュさんがいたりして、いつもの光景だ。
一通りそろって定時になれば、各々の試験結果が封筒に入った形で手渡される。
入学時に振り分けられた番号順に呼ばれ、教壇の前で先生から受け取る。私は最後の方なので、そわそわと落ち着かない時間が長いのがちょっと嫌だ。
「ネーロ」
ようやく受け取り、そそくさと席に戻って封筒の中身を確認する。
100点満点中………
「!」
85点。
これは、かなり良い結果かもしれない。
「封筒の中に各人が受けた試験結果の点数票も入っている。赤点の点数はそこで確認しなさい。順位を確認し、最高得点と比較して必ず間違えたところは克服するように。80点以上を取ったものは、受けた試験が基礎科目の場合、次のレベルの授業を受けるに値するため履修を検討しても良い」
───やった!
思わず小さくガッツポーズをした。
「次の適正魔法検査の調査は、来週頭に提出がある。また、今週からの授業の履修希望の提出は明日厳守である。毎度必ず未提出の者がいてこちらも困る。遅れないように」
帝国魔法学園の授業形式は、個人の希望で授業や試験を受けられる分、単位も期間も事細かで忙しない。
生徒が油断をしてしまうと、あっという間に置いてかれてしまうし、下手をすれば単位漏れで留年も余儀なくされる。
先生の言葉にうんざり気味な生徒たち。また忙しい日々が始まるぞ、という雰囲気は、私は結構好きだった。
心機一転次のターンに進んだ気分になるからかもしれない。
みんながザワザワと試験結果や次の履修について周りの人たちと雑談を始めようとする中、先生は「それと」と、意外にも話を続けた。
いつもならここで退出するはずの先生の続く言葉が意外で、教室はしんと静まり返る。
「今週から特例の編入生がこのクラスに在籍することになった」
先生の一言で、クラスのどよめきがぶわっと増した。
「こんな変な時期に?」
「ねえ、それってもしかしてさ」
多くの人間はブランシュさんを見た。ブランシュさんの周りの人たちは「そういうこと!?」と直接ブランシュさんに尋ねている。
ブランシュさん本人は首を振っている。少し困ったような表情だから、彼女も知らないことなのだろう。
みんなが期待しているのは、きっと「本物の第三皇子」のことだ。
そして私が先週会ったナダルさんの言葉が本当なら、このクラスに在籍する特例の編入生とはまさに彼のことだ。
きっとブランシュさんがいるからこのクラスに決まったのだろう、と私は納得した。
結局あの後、ナダルさんとブランシュさんは無事邂逅できたのだろうか。
一人考え込んでいると、扉が開く音と同時にクラスの視線はそちらに集中した。
私もその流れにのって顔を上げて扉を見る。
我が校の制服に身を包んだ青髪の彼が入ってきた。
男女問わず、息を呑むような小さな声が漏れている。
先生が恭しく頭を下げ、教壇の方を手で指す。
「ご挨拶お願いいたします」
皇族相手だからか、さすがに礼儀正しい。けれどナダルさんは「かしこまらないでください」と敬語で返した。
促された教壇に登り、クラスの視線を一点に受けながらナダルさんは挨拶をした。
「はじめまして。ナダル・マジェトーレです。学園の間は身分の差を意識しすぎず、どうか気軽に接してください。突然の編入で気になることもあると思われますが、できれば詮索はせず、ただの友人として接してほしいです」
きっぱり線を引きつつも、好意的に、ナダルさんは堂々と言い放った。
みんな動揺しつつも、マジェトーレの姓を持つ彼がそう言うのなら、と渋々納得した様子で、次第に拍手が湧き起こる。
歓迎の拍手にナダルさんも、どこかほっとしたように目を細めた。
「……それでは以上で今日は解散とする。ナダル様はこのあとはいかがしますか」
「せっかくだからクラスの方々と挨拶がしたいです。後ほど教員室に行きます」
「わかりました」
先生だけが教室の外に出て、ざわつくクラスの方にナダルさんが振り返る。
前の方に座っていた人が、彼にどう声をかけようかと迷っているのを私も思わず見守る中、その視線の先でナダルさんとパチリと目が合った。
私は座りながらもなるべく深くお辞儀をして、そして視線をそらす。
しかし
「アリアさん」
彼の声に誰もが反応する。
そして、困惑する。
アリアと言えばブランシュさんの方。そう刷り込まれてしまっている私は、彼の発するその音が自分に向けられたものだと理解するのに時間がかかってしまった。
机に影が落ちた時、顔を上げたらそこにナダルさんがいて、思わず「え」と情けない声が出てしまう。
「アリアさんと同じクラスにしてほしいと私が頼んだんだ。これからよろしくね」
「……」
私はぽかんとしてしまった。
クラスもしんと静まり返ってしまっている。
「あの、す、すみません」
私の前の席に座っている男子生徒がとても恐縮そうにナダルさんに声をかけた。
「多分それ、名前違いではないかな……と……」
きっとクラスの誰もが思っている疑問を口にした。正直、私もそう思っている。注目する視線が痛くて少し恐ろしい。
けれどナダルさんはその男子生徒の質問にさらりと答えた。
「アリア・ネーロさんはこの人で間違い無いだろう? 一度会った友達の顔を間違えるような失礼な真似はしないさ。ね?」
私に同意を求めるようにニコッとして首を傾げる。
どう答えればいいか悩むので、とりあえず小さく小さく頷くことにした。
「みなさんとも友達になりたいな。一人一人自己紹介してもらってもいいかい?」
全体に向けてそう言い放ったナダルさんは、一瞬だけ私の方を振り返って「またあとでね」と小声で呼びかけてくれると、再び教壇の方に戻って行った。
彼が場を支配し、扉側から自己紹介の流れになったので、私に向けられる視線はだんだんと少なくなっていた。
体が固まりまくった私がようやくため息を吐くと、ふと、強烈な視線を感じたからか、そちらに目を向けた。
真ん中の方に座っているブランシュさんが、私を見ていた。
どこか怪訝そうに眉を顰めている彼女は、私とバチリと目が合うと、すぐに逸らしてしまった。
なんだか胸騒ぎがし始めた。




