8 予想外
フレデリクさんが出ていくことは、お父さんは既に聞かされていたようだった。
けれどお父さんも、なぜ彼が出ていくのかの詳細までは知らされておらず、二人してなんだかがっかりしてしまった。
「でもま、あいつがちゃんと礼をしに来るっつってんだから、今生の別れじゃないんだろうよ」
お父さんはすっかりフレデリクさんを家族の一員のように扱っていたためか、喪失感が大きいようだ。
そして、私も同じ。
すっかり試験勉強に身が入らなくて、寝る時間になって焦るももう遅い。睡眠不足は勉強の最大の敵なので、もう諦めて寝ることにした。
それでも……フレデリクさんの行方は気になって仕方がなかった。
いつかこうやって出ていくだろうとは思っていたけれど、こんなに早く、予想外のタイミングだとは思わなかったから、がっかりして……───寂しい。
私の、初めての友達……みたいな存在だったから。
いや、友達というよりも、フレデリクさんには先生の役割をしてもらうことが多かった気もするけれど。
「……」
明日の試験勉強はできなかったが、これまでフレデリクさんと一緒に復習した内容も試験範囲にあるはずだ。
きっとできる。そして、フレデリクさんのおかげでできたよ、と次に会った時に言えるように、頑張ろう。
そう思って目を閉じた。
***
「本日はここまで」
1日目の試験。試験官係の助手の一声で教室中に「はぁ〜」っとため息が広がる。
肩の力が抜けて、私の口からも思わず息が漏れた。
手応えとしては……まあまあ、かな。可もなく不可もなく、基礎知識のところは満点の自信があるけれど、応用問題はどうかな、といった具合だ。
明日に持ち越しの実習試験は、目の前にある鉢植えの中でほんのりと光が灯り続けている。
この光が明日変化しなければ成功。光が増して金色に輝いていたら大成功。はてさてどうなるか。
この間の植物の二の舞にはなりませんように、とネガティブなお祈りをして教室を出た。
「すみません、お尋ねしたいのですが」
「へ」
温室から門までは校舎を横切る必要がある。
試験期間で人の少ない校舎の広い廊下で、まさか声をかけられるとは思わず素っ頓狂な声が出た。
振り返ってみると、礼服に身を包んだ初老の男性が立っていた。
試験期間は外部からの訪問者はいないはず、なのに、彼の姿は学園で見るには珍しい雰囲気を纏っている。
訝しく思いながらも、私は距離を取ったまま返事をする。
「どのようなことで……?」
「急ぎ人を探しておりまして。この学園にアリア様という方はいらっしゃいますでしょうか」
「え? はい、私に何か……」
と思わず口にしてしまった瞬間に、そんなわけあるか、と自分につっこんでしまった。
いや、私はアリアなのは間違いない事実だけれども、こういった高貴なお方が尋ねるとすれば間違いなくブランシュさんの方だ。
なのに、そんな逡巡をしている間に「おおこれは幸運でした」と男性は大喜びし、私に近づいてきた。
「早速ガーデンの方へ、共に向かってはくれませんか」
「いや、あのすみません私」
「お時間は取りませんので。ご挨拶だけですから」
いつの間にか背中に回られて、ずんずんと押されてしまう。
「すみません私」
「試験中だというのに申し訳ないです」
「あの人違──」
「ですが本当にお時間は取りませんから」
「違くて」
「もしご要望がありましたら後日改めてお詫びいたしますので」
道中何度も「自分は確かにアリアだけれどあなたの探し人とは違うと思います!」と言いたかったのに、私が喋ろうとすると何かにつけて話し始めてしまい、全然訂正できなかった。
どうしよう、ブランシュさんにとって大事な用事だったとしたら。また私は彼女に迷惑をかけてしまう。
でも、必死に訂正しようとしたんです。用事も、場所に着いたら即頭を下げて帰るのでどうかお許しください……!
初老男性との口語による攻防戦虚しく、ガーデンにたどり着く。
ちなみにガーデンとは、学園の中にあるカフェテリアが運営している庭である。
そもそもカフェテリアは学園にあるにも関わらず、高級商品しか置いていないので、実質貴族御用達のお店だ。当然、平民の私には関係のない場所。
特にガーデンは、超VIP待遇が許された方しか入れない場所だ。
外に造られているにも関わらず、その中に誰がいるのかはどの角度から見ても認識できないような作りになっている。
ガーデンの中から見た世界は、緑豊かでそれはそれは美しいのだと聞いたことがある。
そんな場所に、まさか自分が足を踏み入れることになるなんて。
閑散としたカフェテリアを抜けて、扉を何回も通って、ガラス張りのトンネルを抜けたその先の扉の向こうに、噂のガーデンが広がっていた。
ぶわっと体を包み込む花の香りの馥郁たるや、一気に別世界に迷い込んでしまったのではないかと錯覚してしまうくらいだった。
呆然とする私に、男性が手で方向を指し示す。
ハッとして彼の導く方に目を向けると、花に囲まれる中でテーブルでお茶を嗜む一人の背中が見えた。
青くストレートな美しい髪の毛と、長い首筋。
肩幅が広いので、男性だと思う。
皺一つない服を身に纏うその背中は、まっすぐとしていて美しい。
おずおずと近づいていいものかと思いながら近寄る。
こういう時って、どういう対応が正しいんだろう。
アリア・ネーロはただの平民です。御貴族の方との挨拶はご存じありませんのです。
学園内では身分不問とされるので、そういったしきたりを厳密に設けられていないのが、今はちょっと恨めしかった。
マナー講座の授業ってあったっけ。あったとして私って受けていいのかな。平民だからダメとかあったかな。
どうすればいいかわからなくて、余計な考えで頭がぐるぐるとしてきた。
「ナダル様、こちらアリア様でございます」
私が硬直したままなのを見かねてか、初老の男性が紹介してくれた。
その声に振り返り、青年──ナダル様と呼ばれた青髪の彼は、立ち上がって振り返る。
私と対峙する形になったナダル……様と目が合うと、思わず息を呑んでしまった。
それは、身に纏う衣装がそうさせるのか、それとも彼自身の品の良さがそうさせるのだろうか。
綺麗な人だなあと思った。
「君がアリアさん?」
その青髪に似合うように、波が揺らいだような深い声にまたどきりとしてしまう。
こんな素敵な人に自分の顔を見て自分の名前を呼ばれるとは、フレデリクさん以来の感動がある。
けれどそれと同時に、私は我に返って、膝に顔をつけるんじゃないかというくらい深く頭を下げた。
「はい! 私はアリア・ネーロと申します。ですが申し訳ありません、お二人が探しているアリアという名前の生徒は別にいると思います。のこのこここまでやってきてしまいごめんなさい! ここでの出来事は口外しないので、私はこれにて失礼致します」
そして頭を下げたままくるっと振り返って後にしようと思ったのだが
「待って」
と言われ、カバンを持っていない方の手を掴まれてしまった。
「せっかく来たんだし、お茶の一杯でもどう? お詫びとして受け取って欲しい」
「いえ、でも私は平民で……」
「そんなのは関係ないよ。それに、迷惑をかけたのはこちらの方だ。彼──私の執事は人の話を聞かないところがあるから」
「でも私、ここに立っているだけでわりと満足ですから」
「関わらせてしまった以上、こちらの事情も話しておかないと」
確かに、それは気になる。
抵抗する力をふと抜いてしまった。
もう一度顔を上げてみると、ナダル様は少し困ったように笑っていらっしゃった。
「長い時間は取らせないから」
結局、私はそのお誘いを受けることにした。




