6 打ち明ける
泣き腫らして赤くなった目は、放課後になる頃には治った。
赤かったとしても、前髪が隠してくれる。そういう意味では、まだ切ってなくてよかったな、なんて思えた。
土魔法基礎授業の助手さんは、植え直しをしている私をたくさん励ましてくれた。私も過去にいっぱい失敗したし、植え直す人なんていっぱいいる、たまたま今回の授業で一人だっただけだからね、と。
そのたった一人になっちゃう自分が情けないな……なんて思うのは、私が卑屈だからだろうか。
「どうした? 元気なさそうだけど」
家に戻った私を出迎えたフレデリクさんは、開口一番にそう言った。
ギクリとした私は、無理やり口角を上げる。
「元気ありますよ! ……と言っても、バレバレですよね」
こんな狭い家の中じゃ、誤魔化しは無理だな、と思ってすぐに弱音を吐いた。
テーブルに横付けされるように置かれた椅子に、ストンと腰を下ろす。
ソファでくつろいでいたフレデリクさんが状態を起こして、私の方を向いてくれた。
「昨日言ってた授業、失敗しちゃってたんです。それで落ち込んじゃって」
「そうだったんだ。結果が出ないとわからない調合は難しいよね」
「はい、でも、私以外のみんなは成功してて……」
みんなが次の段階に進む中、一人で同じことを繰り返すだけのあの時間は、惨めで孤独な気分を強調させた。
「フレデリクさんが色んな授業の補足を教えてくれて、それのおかげで自分はできる人なんだって、勘違いしちゃってたんですけど、よく考えたら私は落ちこぼれ側なんですよ」
ブランシュさんとは、正反対。
「アリア、自分の立ち位置を決めつけるには早すぎないか?」
「え」
フレデリクさんの声に顔をあげる。彼の視線はまっすぐ私を射抜いていて、それでいて、どこか私を叱るような表情だった。
「自分の居場所が落ちこぼれ側だなんて決めつけたら、そこから這い上がることを諦めてしまうよ。アリアが毎日真面目に課題をこなしているのだって、いずれ無駄になってしまう。なんのためにコツコツ勉強を続けているのか思い出して」
「あ……」
「良い魔法師になりたいんだろう?」
私は、いつも人と比較してばかりだ。
他のみんなよりもできない、やりたいことも見つかってない、得意なこともない、そうやって燻り続けて、2年目。
特にブランシュさんは、名前が同じというその一点で、ずっと意識していた。さらに、彼女は誰よりも優秀であるという輝きもあって眩しかった。
私はその影にいるのだと決めつけてしまった。
でも、この学園を通うのは、人と比較することが目的じゃない。
将来のために、学ぶ、ただそれだけ。
お父さんのように、魔法師として社会で生きていくために。誰かのためじゃなくて、自分のために。
「はい、そうでした」
「それにねアリア、学園は失敗してなんぼの場所だよ。仕事で失敗したら大ごとなんだから。一度ダメだったことがあると、次にやる時、もっと慎重かつ丁寧にやれるだろう」
「……はい。私、2回目は失敗しません」
「それは優秀な部類に入ると思うよ。逆に言えば、失敗してしまえば無敵ってことじゃないか」
フレデリクさんの言葉に、視界が晴れるような思いになる。
縮こまった背中が、自然と伸びるような、呼吸が少しだけ楽になったような、ほんの少しの変化。
だけどそれがものすごく心地良い。
「ありがとう、フレデリクさん! 私、落ち込みすぎてた!」
「どういたしまして」
にこりと微笑んだ彼に私ももう一度笑い返すと、椅子から立ち上がり、荷物をさっさと片付ける。
気分が回復したら途端にやる気も戻ってきた。
「そしたら私今日の授業でわからなかったところを聞きたいのだけど、良い?」
「もちろん。教えて?」
すっかり恒例になった家庭教師と生徒のやりとりを始めるのだった。
しばらくしてお父さんが帰宅し、お父さんによるフレデリクさんの監視の元、私はシャワーを浴びた。二人きりの時に服を脱ぐのはさすがにアウトすぎるということで、こういったルールが設けられた。
フレデリクさんは日常生活に支障がないくらいには体も回復したみたいだ。なので簡単に覗けちゃうし襲えてしまう、とお父さんが危惧したのだ。そんなことを言ったら二人っきりの時点で危ないのだけれど、そこはフレデリクさんが築いてくれた信頼のおかげか、お父さんは許してくれていた。
それにしても、お薬を塗ったり飲んだりしたとはいえ、あのひどい怪我がこんなに早く治るとは信じられない。
けれど現に、フレデリクさんは動けている。無理している様子もない。治りが異常に早い人なのだなあと感心していた。
ほかほかになった体を覚ますように、窓を開けて外気を取り込む。
気分の下降が激しかったせいか、今夜はもう眠い。
私が窓際でぼーっとしていると、つんつんと肩を小突かれ、振り返ればフレデリクさんがミルクティーを差し出してくれた。
「ありがとうございます」
「と言っても淹れたのは俺じゃないんだけどね」
シャワー室を指さしてフレデリクさんが言う。お父さんの鼻歌が響いてきて、二人して少し笑った。
「……ねえフレデリクさん。フレデリクさんから見て私ってどんな人ですか?」
ミルクティーの香りと、外気の涼しさに心がちょっぴり切なくなって、ふと言葉が漏れ出る。
私の質問の意図がわからなかったのか、フレデリクさんはきょとんとした顔で私を見た。
「あ、えっと他意はなく、本当に興味で、というか……。私、全然友達ができたことないから、人から自分がどう見えているのか、わからなくなることがあって」
他人と比べる必要はない、と先ほどフレデリクさんが言ってくれたけれども、それとは別に、自分を客観視することができない自分の歯痒さがある。
物心ついた頃から、他人のコミュニティに紛れると影が薄くなって、孤立して、そのままカリキュラムを終えてしまうことが多く、一般的に「友達」と呼べる人は皆無だった。
「家にいるアリアを見てると、友達がいないなんて思えないけどなあ」
「それは家だからですよ。私もわからないけれど……お父さんに対する振る舞いは、お父さんが相手だからできるのであって、初対面の誰かの前では躊躇してしまうんです」
「でも俺には最初から無鉄砲なくらい関わってきたけどね。臆さずズバズバと怪我人相手に問答無用で……」
「そ、それは特殊な状況だったから」
「俺という他人にそれができるなら、学園でだってできそうなもんだけどなあ」
フレデリクさんの言う通りだ。
なんでフレデリクさんには強気にいけたのだろう。
学園だと、どうしても自分の実力が尾を引いている気がして、胸を張ることを忘れてしまいそうになるのに。
……とここまで考えて、ハッとした。
フレデリクさんには、魔力がないことに。
この国では、ミルクティーすら淹れられない人だということに。
「……私って、嫌な人だ……」
「えっ突然どうしたの」
「もしもフレデリクさんと出会った時、こんなに魔力の知識があって優秀な人だって知ってたら、お家に連れ帰るなんて強引なこともできなかった」
出会った時に、彼の怪我のおかげで私に優位性が保たれていたことは、きっと運が良かったのだ。
「でもあの時、魔力がなくて、ずたぼろで、放って置けないと思って……こんな私でも、人を助ける、なんて大それたことができるんじゃないかって、思っちゃったんじゃないかなあ……」
「あの時そんなことまで考えてたの?」
「いや、そこまでは! 今思い返すと、そういう下心の積み重ねで起きたことなんじゃないかなあって、思ったんです」
「つまり後付けの理由なんだね。多分アリアには、そんな下心はなかったと思うよ、俺は」
「え?」
言い切ったフレデリクさんの頬を夜風が撫でる。
彼の表情は笑っていない。けれども、穏やかな視線で私をまっすぐ見つめてくれている。
少し、ドキッとしてしまいそうになる。
「人の本質は、さまざまな場面に立ち向かった時、その瞬間どうしたいか、そしてそれが実行できるか、の二つで見えてくると思うんだよね」
「はい……」
「この国では魔力なしは差別され、事実俺は無遠慮な暴行を受けたわけだよね。でも、同じ情報を知ったアリアは、俺を殴ろうとはしなかった」
「それは当然です」
「それを当然だと言える時点で、殴ってきた人たちと君は大きく違うし、こうして俺が元気になってる時点で、君はいいことをしたのだと断言できる」
「……」
「俺に何か大きな見返りを求めてる?」
「求めてないです! それに、いつも宿題のお手伝いをしてくれて、私ばかりがいただいてるくらい……」
「そんなアリアのどこに下心があるって言うんだい?」
「……」
自分を下に下にと考える私に、フレデリクさんはそっと包み込んで持ち上げてくれるような、いつもこうして語りかけてくれる。
ああ、また私、与えられている。
「俺から見えるアリアは、親切で、いつも一生懸命で、素晴らしい人だよ」
フレデリクさんの言葉で、胸がギュッと締め付けられる。
「親父さんだってアリアを自慢の娘だと言い切るんだ。君は決して自分が思うほど落ちこぼれじゃないよ。どうか自信を持って」
気を抜いたら、泣いてしまいそうだ。
鼻を啜るのを誤魔化すように、いただいたミルクティーをぐっと飲み干した。
洗い場に持って行ってコップを片付ける。
フレデリクさんの方を見て、彼の使ったものも一緒に洗いますよ、という風に手を差し出せば、私の意図を組んでフレデリクさんも空のコップを渡した。
「学園の同じクラスに、同じ名前の人がいるんです」
お父さんにも相談したことがない彼女のことを、ふと言いたくなった。
「その人はとっても優秀で、学園の中でアリアという名前は彼女を指すんです」
キュ、と音を立てて水を出す魔道具の動力を落とす。
「今日の私の失敗は彼女の失敗と間違えられてしまったみたいで、そのことで少し衝突があったんです。でもちゃんと解決したし、ブランシュさんは私に謝ってくれました」
「…………ブランシュ?」
「あ、ブランシュさんはその同じ名前の人のファミリーネームです。アリア・ブランシュさん。子爵家の長女で、4年前に入れ替わっていた第三皇子の正体を見破ったんですよ」
改めて、彼女の功績は偉大だなあと感心してしまう。
「スタートから全然違う位置にいて、私、彼女が憧れなんです。でもいつかは、ブランシュさんじゃなくて私もアリアなんだよって周りの人に認知してもらいたいなって思ってて……それが一つの目標なんです。具体性に欠ける目標ではあるんですが」
えへへ、と笑ってフレデリクさんを見ると、予想に反して彼はどこか考え込むように難しい表情をしていた。
「フレデリクさん?」
と覗き込んで声をかければ、フレデリクさんはようやく気づいたように驚いた目をして、すぐに「なんでもないよ」と誤魔化し笑いをした。
「アリアって今何歳だっけ?」
「えっと、18歳だよ」
「そっか。4年前は14歳か。魔法学園って何歳から入学できるんだっけ」
「一般的には満16歳の国民だよ。学び直したくて入る魔法師もいるから、最低年齢が16歳って感じかなあ」
「ちなみにそのブランシュさんはアリアと同い年?」
「うん。そうだけど……」
フレデリクさんも、ブランシュさんに興味を持っちゃったのかな。
もやっと心に翳りを落とす。
言わなきゃ良かった。後悔しても遅い。
「ま、まあ平民の私と貴族の彼女じゃ関わることもないからね! 今日たまたまお話ししたけど、本当、一切合切金輪際無いですから」
無理やりというくらい否定すると、予想に反してフレデリクさんは表情を明るくした。
「あ、そうなの? 同じクラスっていうからてっきりよく話すのかと」
「え? ああ、はい、クラスも形式として存在するだけで普段の授業では被ることはほとんどありませんから……」
「なんだ、じゃあいっか。よし、じゃあ俺は寝ようかなあ」
「????」
あからさまに怪しいフレデリクさんだったが、それ以上何か追求することは彼の睡眠によって妨げられた。
ブランシュさんの名前に、何か覚えがある……? しかも私と関わることが彼にとって何か不都合でもある? つまり……どういうこと?
お父さんのいびきも気にならないほど、私はうんうんと考えたけれども、結局答えはでなくて、いつの間にか意識は夢の中に飛んで朝を迎えた。
その日以降、別にフレデリクさんに変わった様子もないし、ブランシュさんのことをさらに聞いてくることは無かった。
……なんだったんだろう。
私にだけ疑問を残したまま数日が過ぎる。
そんな中、ある噂が学園に広まっていくのであった。




