5 同じ名前のあの子
今日あったことをフレデリクさんやお父さんに報告すると、二人とも自分ごとのように喜んでくれた。
「すごいなあ、やっぱりお前は自慢の娘だよ」
なんて言ってくれるお父さんの笑顔を見ると、またそうやって笑ってほしいと思うし
「フレデリクさんのおかげでもあるんだよ」
「でも魔法陣の美しさはアリアだけの力だろう? 今までの頑張りも認められたってわけだ」
「そうだそうだ、お前は昔っから真面目だからなあ」
褒めてくれるフレデリクさんの言葉のくすぐったさに、もっと聞きたいな、という欲望も生まれる。
おかげで私のやる気は滝を逆流するかの如く上り調子で、学園に行くのも楽しくなっていった。
……相変わらず、学園では一人だけど……へへへ……。
でも、帰り道にフレデリクさんが喜んでくれそうな献立を考えながら食材を揃えるのも、一つの日常の彩りとして花開いていった。
フレデリクさんもだんだんと傷が良くなっていって、4日目に少し動けるくらいになったらお父さんの職場のお手伝いに駆り出されていた。
当然身体に負担になる動きはNGだったが、片付け程度のことでも完璧に成し遂げてくれるフレデリクさんのおかげで効率化ができたようで、お父さんの信頼も徐々に獲得していった。
「こいつあ有能だぜ。いい拾いもんをしたなあアリア」
「最初は面倒なもんって言ってたじゃない」
「そうだったか? ははは! 忘れたわ!」
とはいえ、最初のお父さんの反応は、年頃の娘がよく分からない成人男性を連れてきたとしたら当然のものだし、強く言うのはやめておこう。
それよりも、宿題の件といい、仕事場の効率化といい、フレデリクさんの地味な有能さには私も驚きっぱなしだった。
会話をしていても、最初の印象通り人懐こいというか、懐かれたとしても全く嫌味のない愛嬌すら持っていて、事実お父さんの職場でも気に入られているというし、隣のお家のティアさんとマドロおじさんとも仲良く話していることもしばしば見かける。
とにかくフレデリクさんは、人好きされやすい人だな、と思う。
そんな人が出会った時、どんだけ恨みを買ったのかと考えてしまうくらいボコボコにされていたのがむしろ不思議に思えてしまう。
いくら魔力なしだからといって、フレデリクさんにはそんなハンデを乗り越えられるくらいの人徳がありそうなものなのに。
「アリア、どうしたの?」
「え! ううん!」
「疲れてんだろ。今日は早く寝ろ」
「そうだね、そうしよっかな。あ、そうそう、明日は土魔法の授業でね、植物実習の途中経過観測日なの」
「どう? うまく成長できてそう?」
「え、うーんと実は……楽しみであんまり様子見にいってないんだ。授業以外で手を加えるのも禁止だし」
「そっか。じゃあ結果が楽しみだね」
「うん!」
足取りが軽い。どこにいっても。
早く寝ついたおかげか、明け方に目が覚めたので、いつもよりも早い時間に学園に着いた。
教室で自習するのもいいし、せっかくならひと足先に植物の結果を見ちゃってもいい。
荷物を置いて、一旦植物のある温室方面に向かおうとした時だった。
「あなたがネーロさん?」
教室の入り口で、凛とした佇まいの女子生徒が私を見つめる。
静謐な朝の空気に、さらなる緊張感を運んでくるような、彼女の名前を私はよく知っている。
「ブランシュさん……」
一応クラスメートである私たちだけど、こうして1体1で話すことはこの時が初めてだった。
彼女を前にすると、フレデリクさんと出会う前の萎縮した自分に逆戻りしてしまう。体のこわばりがそれを物語っている。
彼女がカツカツと地面を鳴らして私に近づいてくる。
整ったお顔が、キラキラ輝いているようだ。眩しい。
「あなたのせいで恥をかいたわ」
突如、告げられた彼女の言葉にドクンと心臓が音を立てた。
「ど、どうして……私、あなたに何もしてないです」
しかしここは毅然と、反論せざるを得ない。
言った通り、私はブランシュさんに憧れることはあっても彼女の害になるようなことは何もしてない。
ただ真面目に授業を受けて、細々とでも教師からの信頼と自分の実力を積み上げていくだけの1週間だった。
なんのいわれがあって責められなくちゃいけないのだろう。
怯えながらも、ブランシュさんを見つめ返すと、ブランシュさんはハアと大きなため息をつく。
「自覚がないの? だったら余計に厄介なのだけれど?」
「だから、いったいなんのお話を」
「土魔法基礎の授業で育てている植物があるでしょう」
今から見に行こうとしたものを見透かされたのかと思って、またドキリと動きを止めてしまう。
「あなた、ちゃんと経過を見たの?」
「い、いえ、今日これから確認しようと……」
「嘘でしょ、授業の課題を1週間放置したままだというの?」
ブランシュさんは呆れたとでも言うように首を振った。
「あの植物、ひどいことになっているわよ。しかもプレートには私の名前が書かれていたものだから、多くの人が私のものだと思ってからかってきたのよ。土魔法は苦手なんだねって」
───!!!
「聞けばあの区画を育てているのはネーロさんだって先生が言うから、昨日も探してたのよ。同じクラスにいたってわかったから今日はこうして早くに来たけれど」
ブランシュさんの表情は怒りを滲ませている。
自分の植物が酷いことになっている、という情報と、ブランシュさんの雰囲気の怖さの両方で私はすっかり地面を見つめてしまっていた。
「どういうつもりなの? 人の名前を使って成果物をぐちゃぐちゃにすることで、こうして私に嫌がらせをしたかったの? そういう陰湿なことをする人もたまにいるけれど、うんざりするわ。二度としないでちょうだい」
ブランシュさんは、あの植物とネームプレートを見て悪意を感じてしまったのだろう。
だというのに、こうして単身で犯人と呼べる私のところに直談判しているのだ。
遠くから見る印象通り、堂々とした人なのだと改めて思い知る。
───だけど
「あの」
「何? 言いたいことがあるなら全部言って」
「名前は、嫌がらせなんかじゃないです」
「え?」
「わ、わ、私も、アリアって、言うんです」
恐る恐る顔を上げる。
前髪越しに、ブランシュさんと目があう。
「私は、アリア・ネーロって言うんです。だから、決して、ブランシュさんへの嫌がらせなんかじゃないです」
……ああ、惨めだ。
自分の名前を言うだけなのに、どうして私はこんなに怯えているんだろう。
「……あら、そう、なの。ごめんなさい、それは知らなかったわ」
ブランシュさんの声色が落ち着き、怒りを滲ませていた眉間の皺もなくなった。
けれど、彼女の言葉に今度はスゥっと背筋が冷えるような思いがした。
「そう、私たち同じ名前だったのね。ならみんな本当に勘違いしただけなんじゃない。ああ、もう……悪意はなかったのは本当なのね。一方的に怒ってしまってごめんなさい!」
「いえ、わかっていただけたのなら……」
「とにかく、ネームプレートにはちゃんとファミリーネームも書いて。今日みたいなことがまた起きたらたまらないから。お互い疲れちゃって嫌でしょう?」
「……そうですね。わかりました」
居た堪れなくて、私は机に置いていたペンケースを掴むと、そのまま教室を飛び出した。
「あ、ちょっとネーロさん」
勢いよく走り出した私を止めようとするブランシュさんの声が一気に遠ざかる。
恥ずかしさからなのか、走りながら早くなっていく鼓動に押されるようにして、じわじわと瞳に涙が浮かび上がっていく。
廊下に私の息遣いと足音が響く。広い空間に一人、余計に孤独感を煽られているような、そんな感覚に焦燥感も覚える。
温室前につくと、立ち並ぶ植物の中で一つ異様なくらい捻じ曲がった個体が飛び込んできた。
案の定、その植物の前には「アリア」と書かれたプレートが刺さっていた。
「……上手くいったと思ってたのに」
しゃがんで、もう一度ネームプレートを引き抜き、ペンで「ネーロ」と付け足す。
アリアという名前にかぶるくらい、大きく。
この失敗作は紛れもなく「アリア・ネーロ」のものであるという証拠を、もう一度突き刺す。
悪いのは、上手く育てられなかった私だ。
私が上手くこの子を育てられていたら、勘違いした人たちがブランシュさんを揶揄いにいくこともなかっただろう。
「……」
違う。
上手く育っていたとしても、それはきっと当然のものなのだと、周りの人たちは思っただろう。
だって、この学園で「アリア」は、「アリア・ブランシュ」ただ一人なのだから。
結局、授業では私一人が植え直しとなった。
もう一度、芽を出してから、肥料を作って撒く。もうすでに、みんなよりもずっと周回遅れで授業を受けることが確定している。
落ちこぼれであると可視化されたようで、結局また萎縮した。
今度は「ネーロ」とだけプレートに名前を書いた。




